狂い矢
村の正面では、竹を括りつけた楯を前に、野伏たちが入り口に置かれた逆茂木へと押し寄せていた。夜明け前の襲撃とは違い、礫はもちろん、種子島も野伏たちを止められずにいる。
「上げろ!」
貞盛の声に、男たちが一斉に槍を振り上げる。貞盛は戦場でかき集めた槍の中から、三間以上はある長槍を皆に持たせていた。
「叩け!」
人の背丈の倍以上もある槍が、高台から野伏たちへ向けて一斉に振り下ろされる。
「ギャ――!」
槍に頭を叩かれた野伏の口から悲鳴が上がった。前から突かれるのであれば、身をかがめ、楯を前にして避けることが出来る。しかし上から振り下ろされる槍は、たとえ兜や鎧をまとっていても、その重さからは逃れられない。
「上げろ!」「叩け!」
貞盛の掛け声に、再び槍が振り下ろされた。
バン、バン、バン!
槍が具足を叩く鈍い音が響き渡る。調子を取って一斉に振り下ろす事で、貞盛は野伏達に逃げ場を与えなかった。さらには槍を振り上げている間は、交代の者が礫を撃つ事で、野伏たちを槍の懐に寄せ付けないでいる。槍を持つ男たちは、貞盛の声に合わせて、一糸乱れぬ動きでそれを繰り返した。その度に何人かの野伏たちが、肩や腕を押さえながら、逆茂木の向こうへと落ちていく。
「逃げるな! 攻めよ!」
盾の影に身を潜めた先手の大将が、必死に声を張り上げるのが聞こえた。その姿に貞盛は嘆息する。盾の後ろからいくら叱咤激励しても、ついていく者など誰もいない。
風で矢がろくに狙いがつけられないのは仕方がないとしても、横からの牽制や、槍を投擲する等の手も打てずにいる。貞盛は喚き散らすだけの敵将から視線を外すと、空を流れ行く黒雲を見上げた。
「これは雨になるな……」
種子島が使えるうちに結着をつけないといけない。それに搦手へ行った朝日の事も気になる。
「槍隊、続けて叩け」
貞盛はそう告げると、重籐弓へ矢をつがえた。それを青白い顔をした先手の大将へ向ける。
バシン!
六尺を超える重籐弓の弓弦が鳴った。矢は吸い込まれるように、盾からわずかに出ていた男の顔を捉えると、熟れた瓜の如く打ち砕く。
前で盾を掲げていた野伏が、あっけに取られた顔でそれを眺めた。そのまま盾を放り投げると、泥田の中を泳ぐように逃げていく。その後ろ姿に、逆茂木の向こうにいる野伏たちも浮足立った。槍を捨て、背中を向ける者さえいる。
「おのれら!」
野伏たちの背後から、獣の様な怒声が響いた。同時に、逃げた野伏の首が宙を飛ぶ。
「何を鍬持ち如きに舐められている! 背を向ける者は全て、この伊藤弾正が首を切る!」
見たこともない巨大な熊が、あぜ道の向こうから貞盛たちへ突進してくるのが見えた。その異様な姿に貞盛は驚く。だがすぐに、本物の熊ではないことに気づいた。何より両手に太刀を抱えている。毛皮を被ったひげ面の大男だ。
「臆病者めらが!」
毛皮を被った大男、伊藤弾正はそう吠えると、盾の陰に身を潜める野伏の首を次々と刎ねた。刎ねられた首が、呆気に取られた顔をして泥の中へと落ちていく。
「恐れるな。我らには毘沙門天の加護があるのだぞ!」
その気迫に押されたのか、引き気味だった野伏たちが、逆茂木の方へと戻ってきた。もはや誰も盾を手にしてはいない。太刀を振り上げ、叫び声を上げながら突進してくる。その獣の群れのような勢いに、村の男たちの槍を持つ手も止まりかけた。
「愚かな。これではただの烏合の衆だ」
そうつぶやくと、貞盛は再び重籐弓に矢をつがえた。
ビュン!
速射で放たれた矢が、弾正の胸へ吸い込まれる。だが弾正は止まることなく、逆茂木の上へと登ってきた。
ビュン、ビュン!
続けて矢が放たれるが、弾正は止まらない。矢をものともせず、逆茂木の上を這うように進んでくる。それを見た貞盛は、弓を捨てて腰の太刀を抜いた。弾正も刀を放り投げると、逆茂木の上から貞盛へ飛びかかろうとする。
貞盛は手にした太刀を横ざまに振り払った。その一振りは、弾正の膝から下を見事に切り離す。
「ウギャ――!」
弾正の口から絶叫が上がった。それでも弾正は腕を伸ばすと、貞盛へ掴みかかろうとする。貞盛は太刀を切り返すと、今度は上へ振り上げた。弾正の体から上がる鮮血が、貞盛の具足を赤く染める。
両足と両腕を失った弾正の体は、逆茂木の上から前のめりに落ちると、貞盛の前へうつ伏せに倒れた。その巨体は、猟師に仕留められた熊そのものに見える。
「獣風情が、人の真似をして、二本足で立つなど笑止千万。獣は獣らしく、四ツ足でおれ!」
貞盛は気合を込めると、熊の首へ上段から太刀を振り下ろした。熊の頭を失った弾正の髭面の首が、逆茂木の間をゴロゴロと転がり泥田へ落ちる。
「ああああ!」「に、に……」
それを見た野伏たちの口から、声にならない叫びが漏れた。その具足に降り始めた雨が当たり、パラパラと音を立てる。
「構え!」
貞盛の指示に、種子島を持つ男たちが逆茂木の背後に並んだ。
「放て!」
種子島の発射音が、吹く風を圧して鳴り響く。それを合図に、野伏たちは貞盛たちに背を向けて走り始めた。その姿は猟師から逃げる雁を思わせる。貞盛は背後を振り返ると、そこに居並ぶ男たちを見回した。
「清兵衛殿の救援に向かう。右翼隊、この正面を礫隊と共に守れ! 正面と左翼隊は我に続け。皆のもの、力の限り走るのだ!」
降り始めた雨の中、貞盛は槍を手に、村の搦手へ向けて全力で走り始めた。
* * *
鎮守の森にある大銀杏が、吹く風にその身をよじっている。朝日はその下を走り抜けると、村の搦手に築かれた陣を見回した。そこでは野伏たちが坂道を登り、道を塞ぐ逆茂木を超えて、こちらへ進もうとしている。
「浮き足立つな! 相手は少数ぞ!」
野伏たちの数は少ないが、村の者たちは右往左往しながら槍を突き出すだけで、まともに防げていない。先頭を突き進む、まるで鉈のような太刀を持つ野伏が、今にも逆茂木を越えようとしている。
「くそ!」
朝日は片膝をつくと種子島を構えた。まずは相手の鼻面を叩いて、皆を落ち着かせないといけない。朝日は先頭を進む野伏へその筒先を向けた。
だが目当ての先に見える野伏の鋭い眼光と、その瞳に宿る殺気に息を飲む。間違いなく、先程撃ち殺した乱波同様に危険な敵だ。しかし走り続けたせいか、男の放つ殺気のせいか、なかなか照準が定まらない。
「姫様!」
種子島の引き金を引くより早く、下男の田所の叫び声が聞こえた。田所が覆いかぶさるようにして、朝日の体を地面に引き倒す。
ズドン!
田所の体へ何かが突き刺さる音がした。礫にでも打たれたような鈍い衝撃が、朝日の体にも伝わる。朝日の前にある田所の顔は、いつもの温和な表情とは異なり、苦痛に歪んでいた。
「田所?」
朝日の問いかけに、田所は苦痛を振り払うように、小さく笑みを浮かべて見せる。
「姫様、坂下に陣羽織姿の弓手の上手がおります。このまま立ち上がりますので、田所を盾にその者をお撃ちください」
そう告げた田所の口から、赤い血が漏れる。それは雫となって、朝日の頬へ落ちた。
「田所、先ずは手当を――」
「遅れませぬよう、お願いします!」
普段の田所からは信じられない、腹の底からの大音声が響く。
「いざ!」
田所は小男らしからぬ力で朝日の腕を引くと、朝日の前へ片膝をついて立ちはだかった。朝日はその肩越しに種子島を掲げる。
『居た!』
侍烏帽子に陣羽織を羽織った、まるで源平の絵巻物を思わせる野伏が、吹き荒れる風の中で弓を構えていた。逆茂木の間には、その男に射られたらしい村人の動かぬ姿も見える。焦る気持ちと強風に、朝日の目当てが定まらぬうちに、野伏が弓を放つ。
矢は吹き荒ぶ風をものともせず、まるで糸を引いたようにこちらへ飛んできた。その矢を田所の背中が遮る。再び響いた鈍い音と共に、田所の体がのけぞった。気づけば、田所の体は具足も肌着も血で真っ赤に染まっている。
「すまぬ!」
朝日はそう叫ぶと、種子島を構え直した。すぐに次の弓を放とうとしている侍姿の野伏を捉える。もう朝日の耳には何も聞こえない。矢を引く野伏の姿だけを見つめている。
カチ!
静寂の中に、引き金が動く音だけが聞こえた。火縄の先で火の粉が舞い、銃口から赤い炎が伸びる。野伏が放った矢が飛んでくると同時に、朝日の放った銃弾が、野伏の体を吹き飛ばすのが見えた。
『相打ちか……』
そう思った瞬間、田所が朝日を跳ね飛ばすように立ちあがった。その体がゆっくりと前へ倒れていく。
「田所――!」
朝日は倒れゆく田所の体を全身で抱きしめた。その胸には深々と矢が突き刺さっている。
「田所、目を開けよ、開けるのだ!」
田所はもう何も答えない。朝日は物言わぬ田所の顔を見ながら、いつもの朝餉や夕餉の支度を共にする時の穏やかな顔を思い出した。
その顔にパラパラと水滴が降ってくる。それはすぐにザ――という音と共に真っ白な飛沫を上げ始めた。滝のように降る雨が、田所の体から流れる血を、朝日の目から溢れた涙を流していく。
「田所、すまぬ、すまぬ……」
朝日は絞り出すように声を上げつつも、立ち上がった。種子島を投げ捨て、腰の太刀を引き抜く。その視線の先には、逆茂木を超え、こちらへ乗り込もうとする野伏の姿がある。
「ひるむでない!」
朝日は腹の底から声を上げた。槍を手に雨に打たれる者たちが、一斉に朝日の方を向く。
「清兵衛殿に代わって、搦手の采配はこの原市之進朝日が執る。皆のもの、我に続け!」
朝日の指図に、老人も子供も前を向くと、逆茂木にとりつく野伏へ一斉に槍を振り下ろした。




