恋愛感情がこもった言葉だけ聞こえなくなる難聴主人公体質なんですが、男友達みたいな幼馴染の「バカ」が何故か聞こえません。
俺こと水瀬蓮には、誰にも言えない秘密がある。
正確には、誰かに言ったところで馬鹿にされるだろう秘密、か。
それは、
「✕✕✕✕。✕✕✕✕✕✕✕✕✕」
告白を上手く聞き取ることができないことだ。
好き、かっこいい、付き合って、結婚しよう。
その他、恋愛感情を伝えるような言葉は全てアウト判定されてしまう。音がぼやけ、ノイズが走り、相手が何を言っているのか分からなくなるのだ。
まるでラノベや漫画の難聴主人公みたいだろ?
耳や脳を検査してもらったが、どこにも異常はなかった。恋愛感情さえこもっていなければどんな言葉でも聞き取れるため、この症状を放置している。とはいえ何を言われたのか分からないのは怖いので、読唇術と雰囲気で相手の言葉を聞き取ることにはしている。
そういうわけで春休み直前の3月中旬。
俺はクラスメイトに呼び出され、告白されていた。
「あーっと……」
「✕✕✕、✕✕✕✕✕?」
「いや、えっと」
上目遣いで見てくるクラスメイトは、ぶっちゃけ滅茶苦茶可愛い。
クラスの人気者だし、スタイルいいし、魅力的な女の子だ。
けれど、
「ごめん。付き合えない」
俺は彼女の申し出を受け入れるわけにはいかない。
「✕✕✕✕✕✕✕?」
「それは……」
理由は決まっている。
俺が難聴主人公体質だからだ。
彼女が恋愛感情を込めた言葉は、全てにノイズが走る。
おはよう、ありがとう、一緒に学校に行こう。
そんな日常的な言葉でさえ、恋愛感情がこもったら聞き取れない。
告白程度のその場限りのものならいい。
だが付き合いはじめたら、一緒にいる限りはずっとそのノイズを聞き続けなきゃいけない。そんなのは無理だ。
「俺は誰かと付き合えるような人間じゃないから、かな」
「…っ、なんですか、それ」
「ごめん」
「私は……私は……✕✕✕✕✕✕✕✕✕」
当然、この症状のことを打ち明けられるわけがない。
曖昧な俺の答えは、彼女により多くの愛の言葉を紡がせる。
俺を安心させるような、優しい言葉。
それが俺には何よりも痛いノイズだった。
◇
自分の部屋で一人センチメンタルな気分に浸ろうとしていたのに、人生はなかなか上手くいかないらしい。家に帰ると、俺より先に帰っていた腐れ縁の幼馴染がダラダラとゲームをしていた。
「はぁ……」
「なに辛気臭い溜息ついてんの? 気が散るんだけど――って、ああ! ほら、蓮のせいで負けちゃじゃん」
「いやそれターン制RPGだから。コマンド入力終わった後に吐いた俺の溜息とバトルの結果には何ら因果関係ないから」
「ちぇっ」
コンテニューボタンを押さず、幼馴染はゲーム機をスリープモードにしてベッドに放る。
それから自分もベッドにごろんと転がり、ここは自分の場所だとでも言いたげに足をパタパタさせた。
……スカートが揺れてるし、パンツ見えてるし、色々アウトだからやめてほしい。
「なぁ。お前ってよくJKやれてるよな」
「は? めっちゃ真っ当にJKやってるんですけど? モテまくりだし」
「あー、はいはい、知ってる知ってる」
そうなのである。
こんな風に男の家に上がりこんでゲームをしている残念な奴だが、こいつは美少女で、しかもモテる。
名前は渡会薫。
俺からすれば幼稚園時代からの腐れ縁なので姉か妹、或いは男友達のような存在なのだが、見てくれと外面がいいので男子からはめちゃくちゃ人気があるのだ。実は、さっき俺に告白してきた女子と人気を二分してたりする。
……ったく、さっきのことを思い出したらまたモヤモヤしてきた。
「着替えるから見んなよ」
「女子がいるのに着替えるとか、変態なの? 110番する?」
「嫌なら出ていけ、ここは俺の部屋だ」
「それは怠いからいいや。蓮の裸自体はそこそこ眼福だし」
「覗くなよって言葉が無視されてるんだよなぁ……」
文句を言いつつも、一切ノイズが走らず会話できていることに安堵している自分もいた。
薫だけは俺に絶対惚れない。
そう確信できることに、途轍もなく心が救われる。
別に他の女子全員が俺に惚れる可能性がある、とか思い上がっているわけではない。
けどやっぱり不安になるのだ。
恋愛感情を抱かれてしまうかもしれない、と。
そうなったらまた俺は相手の声を聞けなくなるんだ、と。
会話が好きだ。
人と話すのが好きで、恋愛感情を抱かれた瞬間に話せなくなるのが嫌だ。
だから――。
余計な考えを振り払うようにかぶりを振ってから、さっさと着替える。
薫の視線を感じて、「セクハラだぞ」と咎めれば、「じゃあ私のも見る?」とからかってくる。
そんなやり取りが心地よかった。
着替えを済ませ、俺はベッドに倒れ込む。
「ちょっ……蓮、なに? 私が先に使ってるんですけど?」
「別にいいだろ、添い寝ぐらい。俺のベッドだし」
「ま、まぁ別にいいけど」
大きいベッドじゃないから、薫との距離は近くなる。
でも問題ない。
薫は俺を好きじゃない。だから俺たちは男と女にはならない。
「んで。どうしたわけ?」
「……何がだよ」
「その言い訳は苦しいっしょ。どう見ても弱ってるし」
薫が脚を絡めながら言ってくる。
幼馴染にはお見通しらしい。
「なんだ、相談に乗ってくれるのか? 随分とお優しいんだな」
「まーね。令和のマザーテレサと呼びな」
「マザーテレサのマの字を名乗るのすら烏滸がましい」
「ひどっ!」
「いだいいだい!」
絡めた脚に力を入れてくる薫。
変な方向に曲がりそうになって脚が悲鳴を上げるので、俺は渋々ギブアップした。
「悪い悪い。じゃあお優しい薫様。俺の話を聞いてくれよ」
「最初からそう言えっての……で?」
視線で話を促してくる。
俺はこくりと首肯し、語り始めた。
告白されたこと。
けど、その気持ちに応えられなかったこと。
薫は唯一、俺の異常を知っている。何故なら、ちょうど異常が現れた時期によく遊んでいたのが薫だったからだ。
「――ってわけで。色々と心苦しくなってたんだよ。好きとか嫌いとか、そういう感情以外の理由で断ったことをさ」
「ふぅん」
興味なさそうに相槌を打つ薫。
結局、薫になんと言ってほしいのかは俺にも分からない。慰められても困るだけだし、責められたって理不尽だと思うだろう。
相談なんてしてもしょうがないのにな。
苦笑していると、薫が微かに頬を緩めながら呟いた。
「蓮ってさ、✕✕✕✕✕」
「え、なんだって?」
それは、一瞬だった。
一瞬だけど、何を言ってるか分からなかったような気が……。
「……んんっ。だから、蓮はバカだって言ったの」
「あれ?」
「なに?」
「…………いや、何でもない」
今度はしっかり聞こえる。
ってことは、ただの勘違いか? 或いは誤作動かもしれない。今日は愛の言葉を聞きすぎて、頭がやや疲れてるからな。
すまん、と告げて、薫に続きを話してもらう。
「好きって言葉を聞き取れないし、言われたらノイズでおかしくなる。分かってるなら、惚れられないようにすればいいじゃん。誰とも関わらず、冷たくして」
「そんなのできないだろ。困ってる相手がいたら助けるに決まってるし、それで惚れられちゃったらしょうがない。相手の恋をどうこうする権利は俺にはないんだから」
好きになるな、なんて言えない。
惚れられないように冷たくする、なんてできない。
俺が難聴主人公なのはあくまで俺の問題で、他の誰も悪くないのだ。それなのに俺以外を傷つけるなんて許されてはいない。
俺が言い切ると、薫はくすっと笑った。
「そーゆーとこが、✕✕✕✕」
「え、なんだって?」
「……ふざけてんの?」
「い、いや、悪い。ちょっと疲れてるみたいで。もう一回言ってくれ」
俺が謝罪すると、薫は一瞬顔をしかめてから、ぶつぶつと何かを呟いた。
その後、ふぅ、と吐息を零す。
「とにかく! あんたは✕✕って話! 私、ちょっと飲み物取ってくるから」
「お、おう……?」
なんだか、バカバカ言われただけのような気がする。
困惑している俺をよそに、薫はベッドから起き上がり、部屋を出ていこうとする。
けれど――。
そんな薫の頬が朱に染まっているのを見て、俺は咄嗟に彼女の手首を掴んでいた。
「ちょ、なっ……!?」
「すまん、薫。もしかしてお前、俺のことが好きなのか?」
「……っ――✕✕✕! ✕✕✕✕!」
ざーざーざー。
今まで聞いたことがないほど激しいノイズのせいで、力が緩む。
その隙を逃さず、薫は急ぎ足で部屋を出ていった。
どたどたどたどた。
荒ぶる足音の分だけ、胸がずんずん痛む。
結局その後、薫はすぐに帰ってしまった。
◇
「まさか、こんなことになるなんて……」
部屋には今度こそ俺一人しかいない。
だから幾らでもセンチメンタルな気分になれるし、如何なるノイズも生じることはない。
それなのに、心はどうしようもなく空っぽだった。
薫がいない。
薫の声が聴きたい。言葉を交わしたい。あー、とか、うん、とか、言葉未満の音で話したい。
なのにそれは、もうできない。
薫の声に生じるノイズ。
あれは紛れもなく、俺の異常によるものだ。
俺はあまりにも無遠慮に、薫の恋心を暴いてしまった。
俺の難聴の問題点は三つある。
一つは、俺に対して恋愛感情を持つ相手とはまともに話せなくなること。
一つは、恋愛感情の消失がすぐに分かること。つまり、冷められていたらすぐに気付いてしまうこと。
そして最後の一つは、相手の恋愛感情を敏感に察知してしまうこと。
すべての恋心が日の目を見るわけじゃない。
葛藤して、胸のうちに秘めようと決める恋心だってあるはずなのだ。
それなのにこの難聴は、詳らかにしてしまうのだ。
――ぶるるるっ
スマホが振動した。
画面を確認して、はっとする。薫からのRINEだった。
【かおる:ごめん、さっきは】
【かおる:忘れて】
【かおる:とか言っても、蓮は忘れないよね】
やっぱり、どこまでも幼馴染にはお見通しだった。
当たり前だ、忘れるわけがない。
そんな傷つけ方を、俺はしたくない。
【REN:すまん、忘れられない。それに謝ることじゃないだろ。悪いのは俺だ】
【REN:あんな風に聞いてすまん。気付いても気付かないふりをすべきだった】
実際、なのか気付かないふりをしたことはある。
相手が気付かれていることに気付かなければ、傷つけることはないから。
【かおる:ううん、私が悪かった】
【かおる:上手く隠せてるつもりだったのに】
【かおる:ごめん。この際だから、話してもいい?】
いいよ、と返す。
話さないでくれ、なんて言えるわけがなかった。
だって俺と薫は親友だ。幼馴染だ。俺の身勝手で突き放せるわけがない。
少し時間が空く。
暫く経ってから送られてきたのは、長文のメッセージだった。
【かおる:本当はずっと前から蓮のことが好きだった。けど、蓮の症状のことは知ってたから隠さなきゃって思って、色々本を読んだの。感情の隠し方とか、演技の仕方とか、そういうのを全部読んだ。だから普段は男友達っぽく、恋とか無関係って感じで接することができてたはず。……できてた、よね?】
そうだったのか……。
俺はどれだけの無理を薫に強いていたんだろう。
唇を噛みながら、メッセージの続きを読む。
【かおる:とにかくそういうわけで、上手く気持ちをコントロールしてた。でも日に日に気持ちは大きくなっていくの。蓮は優しいから誰にでも優しくして、勝手に惚れられて傷ついても誰のせいにもしなくて、ずっと真っ直ぐ優しいままで。そんな蓮が好きで、大好きで、たまらなかった】
……っ。
顔が熱くなっていくのを感じる。
でも――メッセージの続きを読んで、すぐに体温が下がった。
【かおる:けど、抑えきれないくらい大きくなっちゃったみたいだし……もう無理だ。我慢するのも限界。蓮の男友達ぶって、恋愛なんて関係ないですって顔で傍にいるのも辛い。だからもう、私は蓮に近寄るのをやめる。私たち、終わりにしよ】
それは、決別のメッセージ。
特別なことではなかった。
これまで、何度も同じことを経験してきた。
告白されて振った相手とは、なるべく距離を置いた。相手がそれを望んだ場合もあったし、自然とそうなるときもあった。
今回もそれと同じ。
恋愛感情が生じたから、取り除く。
それだけのことで――
「――なんて、割り切れるわけねぇだろっ!」
ふざけんなよ。
こんなくだらないことで、俺と薫の関係が終わるのか?
男女の友情は存在しない。そんな惹句を証明するための寓話じみた悲劇を認められるわけがない。
【REN:待ってくれ】
【REN:話をさせてほしい】
メッセージを送るけれど、既読がつかない。
一分、二分、五分、十分。
焦れた俺は、メッセージから電話に切り替える。
だが、
「出ない…っ」
電話は繋がらない。
となると……ブロックされてる、と考えるべきかもしれない。薫のことだ。それくらいのことはやりかねない。
じゃあどうすればいい?
考えるまでもなく、答えは出た。
「母さん。俺、ちょっと出てくるから」
母さんの姿を確かめもせず、俺は大声で言い残して家を出た。
幸いなことに薫の家は近い。
つーか、走ってすぐのところにある。
「あっ」
「薫!」
全力疾走で薫の家に行くと、ちょうど薫が家から出てきたところだった。
俺が家に来ることもお見通しで、逃げる気満々ってことか。
「待ってくれ、薫。話を――」
「✕✕! ✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕! ✕✕✕✕、✕✕✕✕!」
「ぅぐっ……」
頭がガンガンにノイズで支配される。
こんなにも激しいノイズは初めてだった。ぐっと唇を噛みしめて堪えて、今度こそ薫の手首をきっちり掴む。
「✕✕✕」
「っ……嫌だ、離さない」
「✕✕✕✕? ✕✕✕✕✕✕? ✕✕✕✕✕✕✕? ✕✕✕✕✕✕✕……っ」
「そんなの、そんなの……ッ」
どうしてかなんて、決まってる。
「俺が薫を好きだからに決まってるだろ!」
「え……?」
「だから! 俺は薫のことが好きなんだよ! 好きだから、こんなところで終わりにしたくないんだ!」
薫となら男と女にならずに済む、なんて。
そんなのは自分に吐いた嘘にすぎない。
「ずっと前から薫のことが好きだった。でも、薫の言葉は聞こえるから……薫が俺のことを好きじゃないって分かってたから、ずっと隠してた」
俺の一方的な片想いなら、それまで通り会話はできる。
でももしも想いを告げた結果、薫が俺を意識してしまったら?
俺は薫と話せなくなり、薫は俺の傍からいなくなるかもしれない。
だったら一生片想いでいい。そう思ってた。
「なのに、薫からノイズが聞こえて……舞い上がって、つい聞いちまったんだ」
誰よりも俺が、軽々に想いを詳らかにすることの罪の重さを知っているはずだったのに。
薫に好かれているかもしれないと思った瞬間、俺の心はどうしようもなく浮ついた。
「✕✕、✕✕……? ✕✕✕✕✕✕✕✕、✕✕✕✕✕✕✕✕✕?」
「それは……」
「✕✕✕✕✕✕✕✕✕! ✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕、✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕! ✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕、✕✕✕✕✕✕✕」
頭の中をノイズが埋め尽くす。
薫の声はちっとも聞こえない。唇の動きを一瞬でも見逃せば、彼女の言葉を取り零してしまいそうだ。
けれど――。
「聞き取れなくたっていい! 薫の声は、もうたくさん聞いてきたから、幾らだって脳内再生できる。唇を見ればなんて言ってるか分かる。どんな声で言ってるのかも分かる。俺は薫に対してだけは、難聴主人公にならずに済む!」
「なっ……」
「それでも足りないと思うなら、肉体言語で伝えてくれよ。俺は薫を感じたい。体温も、柔らかさも、傍にいてくれるってことを感じたい。感じて、その分めいっぱい気持ちを伝えて――薫と恋人になりたい」
人生の半分以上を薫と過ごしてきた。
たくさん声を聞いた。腐れ縁なんて言葉じゃ足りないほど傍にいた。
難聴主人公?
だからなんだ。そんなの、俺と薫には関係ない。
「……✕✕✕、✕✕」
「知ってる。けど、しょうがないだろ。好きなんだから」
「~~っ!? ✕✕✕✕✕、✕✕✕」
「お互い様だろ。つーか、そろそろ告白の答えが欲しいんですけど?」
俺が言うと、薫はきゅっと赤面した。
やや涙目になって俺を睨み、それから俺の目を手で塞いで、
――ちゅっ
柔らかい感触が唇から全身に突き抜けた。
に、肉体言語とは言ったけど、これは……。
耳に残る甘いリップ音は、他の何よりも雄弁なYESだった。
――斯くして俺と薫は、付き合うことになった。