第2話 暗闇の世界
「――まだ早いというのに。全く情けないのう」
微かに声が聞こえる。
「こら! とっとと起きんかい!」
「うわっ⁉」
俺はハッとした。――ここはどこだ? 一面真っ暗闇……足元さえ見えないぞ。何故、俺はこんな所で立っているんだ?
それに、目の前の老人は誰だ? 小柄で痩せ型、髪は白髪のオールバック、目にはサングラス、歯は所々金歯、異様なまでに日焼けした肌。服はアロハシャツに短パン、ビーチサンダルとファンキー過ぎる身なりだ。年齢は判断しづらいが古希辺りだろうか。
「やれやれ。やっと起きたか」
ため息交じりに老人が呟いた。
「ここはどこだ? 俺は何でこんな真っ暗闇の中にいるんだ。……いや、そもそも、爺さん、アンタ誰?」
「まあまあ、落ち着かんかい」
老人は俺をなだめるように丁寧な口調で喋る。
「ここは魂の回廊と言っての。現世で死に、魂だけの存在になった者が初めに通る道じゃ。そして、こんな所にいるということはじゃな、お前さんは死んでしまったということなのじゃ」
「そういや、急に心臓の様子がおかしくなって、意識を失ったんだけど……やっぱ俺、死んでしまったんだな……」
おおよその察しは付いていた。何だか、両足が宙に浮いている感じがするし。きっと俺は、三途の川にでも向かっていたのだな……。
「儂はな、魂の管理人の一人じゃ。まあ分かりやすく言うと、死神じゃな」
「死神って、あの死神⁉ こんなファンキーな爺さんが⁉」
「まあ死神と言っても、儂一人だけじゃなく、他にもおってな。見た目は人其々じゃな」
老人はニヤリとした表情で答えた。
「それで、俺はこれからどうすればいいんだ? このまま、この暗闇道を延々と歩き続けていればいいのか?」
「いや、ここからは儂ら死神が魂を連れて行くのじゃ。現世の記録を基に、その魂が死後に住む世界は決められる。――一応、お前さんは儂が管理する世界じゃ」
「へえ。死後に住む世界とかあるんだな」
「ふぉふぉふぉ。驚いたかのう。現世の記録が高得点な魂は良の界、ソコソコなのは可の界とかに住むのじゃ。まあ、世界分けしているとは言っても、違いは良の界の方が滞在期限は長めに設定されているくらいかの。良と可の両世界とも、現世と大差ない飲食店や娯楽施設が常備されておる、それは過ごし易い所じゃぞ。魂は滞在期限までそこで慰安し、次の現世の転生先で頑張ってもらおうというシステムじゃ」
「へえ。じゃあ、逆に現世で悪さばっかりしていた魂はどうなるんだ?」
「――ほう、良い点に気付いたのう」
老人は一瞬だけ感心した表情を見せ、すぐに真剣味のある表情に変化する。
「現世の記録が残念だった魂はじゃな……獄の界に送られるんじゃ」
「獄の界……いかにもヤバそうな名前の響きだな……」
「そうじゃ、ヤバい所なのじゃぞ。そこに送られる魂は、現世で悪さばっかりして、すっかり黒ずんでしまっておる。そんな魂に重労働を課すのじゃ。『これでもか』という程までに。黒ずみが透明になる頃にはクタクタ、シオシオ。そんな疲れ果てた魂じゃと、転生先では悪さできんじゃろうしな。かっかっか――」
老人は黄門様ばりの高笑いをした。見た目はファンキーだが、年齢や立場も相まってか、妙に様になっている。
「なあ、爺さん。話を一通り聞かせてもらったんだが、俺が送られる所はどこなんだ? 可なのか、それとも……獄なのか……」
「ふぉふぉふぉ。そう結論を焦りなさんな。そのどちらでもないのじゃ」
「え? まさか、良の界?」
「いや、良の界でもないのう」
老人はゴホンと咳払いをした。
「極一部の魂は、今まで言った所以外に送られたりするんじゃ」
「へえ。他にどんな所が?」
「そうじゃの……スポーツで優れた成績を残した魂が送られる体の界。音楽、美術画、読み物など、様々な芸術面で優れた功績を残した魂が送られる芸の界――」
「おお、芸の界か。もっと詳しく!」
「お主もミュージシャンじゃから、やはり食いつくのう。そこでは、創作活動が一式行われての。人気の画家や音楽家なんかは、他の界で展示会やライブも行っとるのじゃぞ」
「マジか⁉ くぅー、俺も伝説のミュージシャンのライブに行きてえ! ……ていうか、俺が送られるのって、もしかしてそこ?」
「いやいや、違うんじゃ」
老人は頭を振った。
「じゃあ、俺はどこに送られるんだ?」
「それはの、儂が管理しておる楽の界という所に送る予定じゃ。そこは知性や人格、そして何といっても美貌を兼ね揃えた古今東西の美女を集めた、それはもう言葉で言い表すことのできないほどの素晴らしい所じゃ! 住環境も現世でいう高級リゾート風。正に楽園なのじゃ!」
老人の妙に熱量のある解説に、俺は思わずたじろぎ、少しだけ後ずさった。
「へ、へえ……それは素晴らしい所だな……。でも、俺は何でそんな所に送られるんだ?」
「ふぉふぉふぉ、それはの――」
老人は口元をニヤリとさせる。
「その楽園には夜の集いの場として、洒落たバーがあっての。そのバーでは世界中の食べ物、お酒を楽しめるんじゃ」
「へえ。それで俺と何の関係が?」
「そのバーには、世界中の歌手も存在するのじゃ。歌手のジャンルもジャズ、クラシック、ポップ、ロックと何でもござれじゃ。音楽鑑賞しながら飲食……これ以上の楽園はあるまいて!」
「じゃあ、俺はそこの歌手に?」
「そうじゃ、察しが良いのう。バーにはジャパニーズポップス専門の歌手も必要での。そこで、お前さんに白羽の矢を立てたのじゃ。だから、楽の界に送る予定にはなっているんじゃが……」
老人は後ろ頭を掻いて、バツの悪そうな顔をする。
「何か問題でもあるのか?」
「実は、お前さんがこっちに来る予定なのは、今から30年後……お前さんが69歳の時なのじゃ。だから、現在のバーの歌手に欠員は無くてのう……。全く、何をそんなに不摂生したら、予定より30年も早死するんじゃ」
老人のサングラス越しの鋭い視線が、俺の酒太りしきった弛んだお腹に注がれる。それを受け、俺は申し訳ない気持ちで一杯になり、引きつった顔で三回ほど頭を縦に振った。
「……まあ良いわ。それでの、お前さんのために様々な変更手続をするのも面倒じゃから、こんな物を用意したのじゃ」
老人が右手を上げ、指でパチンと音を鳴らした。すると、老人の後方に左上と右上から一点を目掛け、照明の明かりが円形状に照らされる。その場所には、縦は数メートル、横はどのくらいの長さか確認できないほどの、巨大なネガフィルムが存在していた。
「うわ、何だ、この馬鹿でかいフィルムは!」
「ふぉふぉふぉ、驚いたかのう。これはの、フィルムアーカイブという、魂の記録を収められとる代物じゃ。因みに、これはお前さんのじゃ」
俺はフィルムに近づき、確認してみた。
「本当だ。昔の俺の姿だ」
「その中でも、お前さんが別の行動を起こしていれば、別ルートの人生になっていた分岐点たる場面をピックアップしておいたんじゃ。お前さんはこれから儂と一緒にこのフィルムの中に入り、お前さんの過去の実体験を見て回るんじゃ。そして、過去を振り返ってもらい、最終的に一箇所だけフィルムを修正してもらいたいのじゃ」
「えっ、修正?」
「そうじゃ、修正じゃ。修正を行えば、過去のその時点から今に至るまで、何かしらの影響が現われる。そのため、他の魂との影響を鑑みての一箇所だけなのじゃ。その一箇所で、お前さんが69歳まで生きられるように効果的な修正をして欲しいんじゃ」
老人の説明を聞いて、俺は多少の戸惑いはあった。だが、それ以上に不思議な高揚感に包まれていた。――これはチャンスなのだ、と。
今の俺は昔と違い、作品をリリースしても鳴かず飛ばずの売り上げしか記録できない、『懐かしい』枠の落ちぶれたソロ歌手だ。だが、過去を修正してしまえば、この窮状を打破できるかもしれない。正直、長生きできるかはどうでもいい。ただ、人気者のロックスターとして死ねたら本望なのだ。
「分かったよ、爺さん。じゃあ、先ずどの場面から入るんだ?」
「そうじゃの……年齢順に行こうかの。――それっ!」
老人の掛け声と共に、フィルムが高速で回転し始め、その数秒後には再び停止した。明かりに照らされた画像には、幼年期の頃の俺と母親の姿がある。
「では、ここから行こうかの」
「いや、待ってくれ。ここは勘弁だ……」
「うん? 何じゃ、どうしたのじゃ?」
「…………」
口で説明したくもない……。幼い頃を振り返るのだけは勘弁だ。一人物思いに耽る時でも、この頃を思い返すのだけは絶対に避けてきたくらいだ。
<お願い>
小説の感想を頂けると幸いです。
もし、面白いなと思ってくださったなら、ブックマークしてくれるとうれしいです。