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疑似○愛

作者: 庚午澪

 玄関の引き戸が立てるやかましい音と共に、久しぶりに聞く声が居間にまで響く。

「ただいまー」

 玄関から続く廊下から足音が近づき、実家に帰省した妹が顔を覗かせた。

 妹の幸加(こうか)に顔を上げて声をかける。

「お帰り」

「うん。ただいま」

 向こうで将来のために頑張っている妹は頷き返し、部屋の端に肩からかけた荷物を下ろす。

 しばらく見ない内にまた大人っぽい雰囲気になった妹。都会生活で垢抜けても、笑顔に知ってる面影が残っていてほっとする。

「向こうよりも涼しいって言っても暑いね。ちょっと顔洗って来る」

「いってらっしゃい」

 洗面所に出て行くのと入れ違いに、帰省した娘の声を聞きつけた母親が飲み物を持って姿を見せた。

「コウちゃんは?」

「洗面所。顔洗って来るって」

 お盆休みだけれど、会社から持ち帰った細々とした重要でない仕事をノートパソコンで片付ける。

「そう」

 息子の言葉にとりあえず向かいに腰を下ろした母親は、娘に用意した飲み物をテーブルに置き、テレビのリモコンを手に取る。

 ワイドショーに通販に甲子園、地元のローカル番組。

 一通りチャンネルを回したところで、下ろしていた髪を一まとめにした妹が戻って来る。

「お帰りなさい。コウちゃん」

テーブルを回り込みながら妹は母親に返事を返す。

「ただいま。お母さん」

そんなやり取りを耳にしながら、画面に目を落としていたところに声がかけたれた。

「仕事、休みだよね」

 後ろから腕を首に回されるイメージが浮かび、何気ない言葉にハッと息を吐き、背後を振り返ってしまう。

「どうしたの?」

 こちらの反応に不思議そうな目をする妹は、背後ではなくテーブルの左側に座っていた。

 一瞬、昔ふざけて抱きつかれた記憶を思い出してドキッとした。

 誤魔化せるとは思ってないが、一応平静を装って言葉を濁す。

「いや、なんでも無い」

「まさか、お盆だからってお化け的な何かいるって訳じゃないよね?」

「だから、なんでも無い。ちょっと驚いただけだ」

 何にとは言わないが妹は首を傾げ、母親は特に気にした様子もなくテレビを見ている。

「そう。で、何やってるの? 仕事はお盆休みだよね?」

 母親が用意した飲み物に口をつけつつ、テーブルの上で腕を組み質問を繰り返してきた。

「夏休みの宿題」

「社会人も宿題あるんだ」

 冗談にのってくる妹。

「小、中といっつも二人でギリギリ夏休みの宿題を片付けてたから早めにな」

「涙目になりながらやったね」

 懐かしい、と歯を覗かせる。

「お母さんもお父さんも夏休みの宿題は前半には終わらせるタイプだったのに、お兄ちゃんとコウちゃんは誰に似たんだろうね」

 そう呆れて母親は言うけれど、子供を前にしても平気で誤魔化すために見栄を張るのは知っている。

 しかも本人は自覚ないけれど、その口調や仕草がどこか演技臭い。

「家に仕事を持ち込みたくないって人がいるけど?」

 どうなのか、眼差しで先を促してくる。

「それは家族には情けないところを見せたくないっていう見栄じゃないかな」

「見栄?」

「そ、意地と言ってもいい。ようは奥さんや子どもたちに、かっこ悪い自分を見せたくないっていう意地」

 一人暮らしの人は本当に家に仕事を持ち込みたくないだけだろう。

 そこで妹に今仕事中だけど、とパソコンに向かう姿をさして問いかけられる。

「情けないところなんて嫌というほど見られて来たけれど、かく言う自分も仕事の電話で頭下げてる姿は見られたくないな。普通に嫌だ」

「かっこつけたいんだ。わたしの前で」

「別に妹相手に格好つけたい訳じゃなくて、進んで情けないところを見せたくないだけだ」

 答えてパソコンに戻り、母と娘のお喋りが側で始まった。

 しばらくすると彼氏からの電話だと話していた妹がテーブルを立ち廊下へ。

 離れた位置から聞こえて来る話し声は楽しげで、心配する様なことは何もなさそうだった。

 今の彼氏の顔は知らないが、高校時代の彼氏はデート中を目撃して顔を知っている。

 向こうに行く際に高校時代の彼と別れたらしいことは何となく察していた。

 電話から戻って来ると、さっそく母親はスマホ片手の娘に訊いた。

「彼氏とは上手くいってるの?」

「うん」

「結婚はまだ先?」

 期待というより興味で訊いた母親の追求に笑って返す。

「うん、まだ先かな」

 余り結婚は意識していないのか、母親の興味を自分から逸らすため兄に振る。

「それより兄さんはどうなの? 彼女と上手くいってるか、結婚はまだなのかって訊かないの?」

 キーを叩く指を止めて妹の質問に答える。

「彼女とは別れたよ」

「なんで?」

「付き合ってみたら気が合わなかったっていう単にそれだけ」

「そう。未練は?」

「……無い」

 質問に答え終えたので仕事に戻り、兄の恋バナに興味を失ったのか、妹は母親とのお喋りを再開する。

 そのままお昼になり、味噌の焼おにぎりとそうめんを三人ですすった。

「あれ? お父さんは?」

 帰省して一番喜ぶ人物がいないことに、箸を止めた彼女は今さらながら問う。

 味噌の焼おにぎりを手に温かなお茶を飲む兄が答える。

「仕事だよ。今さら過ぎだろ。普通もっと早くに居ないことを訊きなよ」

「だよねー。あはははっ」

 母親と長々喋っていたのに父親の不在が俎上に上がらず、今さらなことに逆におかしくて笑ってしまう。

「家の中は涼しいね」

 妹は開けた窓から吹き抜ける風に感想を漏らす。

 そうめんを食べ終えて母親とのお喋りもひと段落つき、畳に敷かれたカーペットの上に横になる妹が声を漏らす。

「んー、気持ちいい」

 だらしない事この上ないが、これが我が家の風景なので仕方がない。

「せっかく帰省したのに風邪ひくぞ」

「じゃあ、寝ちゃったらブランケットよろしくー」

「おい、寝る気満々じゃないか」

「そんなことないって。一休みだよ、一休み」

 寝転がりこちらを見上げていた瞳が瞼で閉じられ、そんなこと言われて信じるやつはいない。

 呆れてパソコンに向き合い、気づくとセミの鳴き声に混じって静かな寝息が聞こえた。

 画面から視線を外すと伏せられた睫毛に小ぶりな唇、頬にかかるサイドの長い髪。

 離れて暮らす様になってから、ふとした一コマに知らない幸加がいて、寂しいような感傷が胸をよぎる。そんな瞬間がたまにあった。

「……にしても、幸せそうな顔で寝やがって」

 自分でも気づかないほど小さな笑みを口元に浮かべ、かけるブランケットを取りに腰を上げる。

 年頃の娘がだらしないと胸の内で零しつつ、長いが女性らしい肉付きを残した脚から、静かな寝息に合わせて上下する胸までブランケットをそっとかけてやる。

「よし。もうひと頑張りするか」

自分自身を鼓舞するように気合いを入れ、表面を水滴だらけになった麦茶のコップをあおった。

 夕方。吹く風が涼しくなる頃、お昼寝していた彼女が目を覚ます。

「んー、よく寝た」

 ブランケットから両手脚を突き出して伸ばし、あくびをしながら身体を起こす。

「おはよ」

「うん、おはよう」

眠そうに目をこする。

子供っぽい仕草と見た目にギャップを覚え、自然と穏やかな表情になる。

「宿題終わったの?」

 数分前に仕事を終わらせてノートパソコンを閉じていたので目をやり小さく頷き返す。

「ああ、少し前にな」

 寝ぼけまなこの妹は、寝ている間に乱れた髪を直すため一度まとめていた髪を解き、手で簡単に頭を整える。

 寝汗が額に浮かんでいて、彼女は近くにあったうちわを取って扇ぐ。

 すると晩ご飯の準備をする前の母親が顔を出し、寝起きの娘に提案を投げかけた。

「お父さん、遅くなるみたいだからお祭り見に行って来たら? それから皆でご飯にしましょ」

「今日お祭りなの?」

「そうよ。どうする? 浴衣、用意してあるけど」

 娘が寝てから姿が見えなかった理由が分かった。

「んー、行こうかな? 向こうでは全然お祭り行ってないし」

「決まりね。お母さんは晩ご飯に腕を振るうから、お兄ちゃん一緒にお願いね」

「は? 俺?」

「仕事終わったんでしょ。昔はお祭り好きだったじゃない。それにかわいい妹を一人で行かせる気?」

 母親の質問攻めに乗り気でないながらに従う。

「分かったよ。でも、遅くなっても文句無しで」

「大丈夫。コウちゃんの帰りを首を長くして待っていたお父さんは、本当に遅くなるそうだから」

「それはご愁傷様」

 娘の帰省を誰よりも心待ちにしていた父親に手を合わす。

「ほら、決まった事だしコウちゃん浴衣着せてあげるから、あっちの部屋に行こうか」

「はーい」

 返事をして立ち上がる妹は兄の名前を呼び、一度振り返った。

「ボディガードお願いね」

「お兄ちゃんの甚平はいつもの所にしまってあるから」

「はいはい」

 母娘の二人に適当な返事を返し、甚平に着替えるため居間を出る。

 お祭りへ出かける準備を終えて妹待ちの間、玄関で持ち物の確認をして時間を潰す。

 といっても持ち物なんてスマホと財布だけで手持ち無沙汰になったので、浴衣にあわせる履き物を靴入れから引っ張り出す。

「お待たせ」

 声に振り向くと浴衣に身を包み、後ろ髪を編んで後頭部でまとめた妹が立っていた。

 普段着ないものだから浮かれているのか、その場で子供の様にくるりと回ってみせる。

「どう? 悪くないでしょ」

 髪飾りの吊された花が揺れる。

 先手を打たれてしまい返答の逃げ道を塞がれてしまう。

「ああ、悪くない。似合ってる」

「良かった」

 頷く他にない返した答えに嬉しげにはにかむ。

 かわいい? とかキレイか? とか自信の無い感じの質問なら、普通とか別になど誤魔化せるが悪くないと断言されてしまうと頷くしかない。

 逆にキレイでしょ? と訊かれた方が、誰かの方がキレイだったとか、そうでもないと天の邪鬼な返事が可能だったのに。

 誘導したにも関わらず、満足そうな表情の彼女。

 浴衣に薄化粧をした妹を前に、また自分の知らない彼女の姿に複雑な気持ちになる。

「二人が揃うなんて小さな頃いらいね。写真撮っとこうかしら?」

 どうでもいいことで思案顔を浮かべる母親。

「昔お兄ちゃんは甚平を嫌がって、コウちゃんは幼稚園の頃大人しく出来なくて浴衣着せられなかったから」

 懐かしそうな瞳をしている所悪いが、中高と着ている時はあったと思う。さすがに二人揃ってはなかったかもしれないけれども。

 ちなみに彼氏にはもう浴衣姿の画像を送ってあった。

「気をつけて行ってらっしゃい」

「「行って来ます」」

 玄関で母親に見送られ、二人声を揃えて家を出る。

「晩ご飯があるから食べ過ぎないでね!」

 最後の一言に軽く手を上げて返事を返す。


 カラコロと隣を歩く妹から下駄の音が響く。

「甚平なんだから、お揃いで下駄にしたら良かったのに」

 身体の前で小さな巾着袋を両手で持つ妹が横から見上げてくる。

「いいんだ。スニーカーの方が歩きやすいから」

「それもそうか」

 一度は納得した妹だったが、それで終わらずに言葉が続いた。

「でも、友達と来た高校生じゃないんだから。恋人と来たら雰囲気作りも大事だよ」

「……ありがと、覚えておくよ」

 恋人と最近別れた兄への助言兼妹の小言を適当に流し、浴衣を着た相手の歩幅に合わせてゆっくり歩く。

「ここら辺もちょっと変わったね。家の近くにコンビニが出来たのは嬉しいかな」

 近所の風景を眺めながら、お祭りが開かれてる神社を目指す。

 だんだんと人影が目立ち始め、人がざわめく喧騒と一緒に、食欲をそそる匂いが薫ってくる。

 肩を並べて半円に湾曲した赤い橋を渡り、見上げるほどの鳥居を潜り抜けて境内に。

 お祭りの出店ーー屋台は境内と今渡って来た橋を挟んで、神社に面した正面通りに集中していた。

「まず、お参りな。屋台巡りはそれから」

 隣に言って人を避けながら拝殿に並ぶ参拝の列に向かう。

「モチのロンね」

「いつの人だよ。たまに妹か疑わしい時があるよな」

 呆れた顔をすると驚いた風に妹が声を上げる。

「義妹だと疑われてた!」

「そこまで言ってない。歳の話だ」

「女性に歳の話は厳禁」

「妹の歳くらい把握してるんだからノーカンだろ」

 冗談を言っている間に順番が回ってきて、財布を取り出すけれど五円玉が見つからない。

 すると横から五円玉を乗せた手のひらが差し出された。

「はい」

 人差し指と親指でつまみ上げ、お礼を口にする。

「……ありがと」

 指先が僅かに手のひらに触れる。

「うん……どういたしまして」

 言って妹は賽銭箱に視線を逸らし、早口気味に言葉を続けた。

「前から小銭はすぐ使うタイプだったでしょ。だから今日も無いんだろうなーって」

 確かに細かいのは会計でぴったりになるように出すし、最近は電子マネーを併用しているので、五円玉が一番財布に入っていることが少ない。

 五百円や百円玉ならわりと常備しているけれど。

「気が利いて出来た妹でしょ?」

「どうかな。彼女も気が利く……そこで褒めて欲しい催促が無ければな」

 途中で言いかけた言葉を止め、褒めてアピールが減点ポイントだと教える。

 せき払いが聞こえて、二人して後を止めていると気づかされた。、

 慌てて五円玉を賽銭箱に投げ入れ、急いで手を合わせて二人参拝を済ます。

 そそくさと脇に避け、顔を見合わせてどちらともなく笑う。

「焦った」

「焦ったね。でさ、何お願いしたの?」

「なぜ?」

「お参りした義務? 訊くのが定番でしょ」

「嫌な風習だな……別に感謝しただけだよ。この一年おかげさまで平穏無事に過ごせましたって」

「ふぅんっ、わたしも同じ。悪い出来事も起こらず、ありがとうございましたって」

 手を合わせて何を願ったのか、また先手を打たれて訊くことが出来なかった。

 とりあえず二人は屋台を一通り見て回る。

「あの射的の景品かわいい」

 歩いていて妹が離れた位置から指を差す。

「あのサイズでも射的だと倒すの無理だろ」

「獲れない? あのぬいぐるみ」

「忘れたのか? 俺はダーツも真ん中に刺さらない男だぞ」

 お祭りの屋台の中には稀にダーツが出店しているが、全く刺さらず残念賞しかもらえた試しがない。

「そこは嘘でも任せとけってチャレンジする姿がかっこいいんだよ。結果的に獲れなくても、自分のために獲ろうとしてくれたことが嬉しいの」

「そう、覚えとくよ」

素直に助言を聞いたフリで聞き流し、妹からの非難がましい視線を気づかないフリをしてやり過ごす。

 やはり射的を始め、くじ引きや金魚すくいより、圧倒的に飲食の屋台が多くて目についた。

「晩ご飯があるから軽めにな。チョコバナナとかドリンク物とか」

「なら、かき氷やクレープはセーフだよね? フランクフルトとかフライドポテトはアウト?」

 ちなみに焼きそば、豚玉、ケバブに牛串はアウト。

「たこ焼きやから揚げと同じで微妙なとこだな。まあ二人でシェアするということであればセーフにしよう」

「じゃあ、一つを二人で食べるからいくつか食べてもオッケー?」

「まぁ、そうなるな」

 妥協案を口にしたところで、さっそく妹から希望が上がる。

「仙人が食べる甘い霞が食べたい」

「はいはい、綿あめな。ふざけて変な言い方しなくていいから」

 仙人が食べる甘い霞で意味が通じてしまうのもどうかと思うけれど、ちょうど行く先に棒が覗く袋が並ぶ屋台が見えた。

「すみません、綿あめ一つ」

 店主に声をかけて代金を払う。

「自分が食べたかったから、わたしが出すよ」

 そう言って巾着袋から財布を取り出そうとする相手を止める。

「ダメだ。好き放題買い食いして帰ったりしたら、母さんに怒られるのは俺なんだ。だから食べたい物は申請制な」

「はーい」

 先ほどの約束があるから申請制の必要ないが、一応体裁上言っておく必要があった。

 何か言いたそうに見えたが、並ぶ綿あめを選ばせる。

「何でゴッホのひまわりとかムンクの叫び、みたいなの無いんだろ」

「まぁ、袋が子供向けだけってのも分かるけど、欲しいか?」

 中身は一緒だろ、と言って見やった先に並ぶのはキャラクター物の綿あめばかり。

「欲しいよ。アインシュタインの舌だしたやつとか欲しいよ」

「は? 要らないって。じゃあ、戦国武将とか偉人や文豪の綿あめ欲しいか?」

「あ、それはわたしも要らない。肖像画や写真見ても誰かなんて、もう分からないから」

 そんな雑談をしていたものだから、屋台の人の咳払いが聞こえた。

「すみません。じゃあ、これをお願いします」

 誤魔化し笑いを浮かべ、ピンク色の猫キャラクターの袋を指さす。

 またも居心地が悪く、そそくさと綿あめの屋台を離れる。

「花火、上がるんだよね?」

「あぁ、八時頃な」

「まだ時間は気にしなくて大丈夫だね」

 妹の言葉に頷き、めぼしい屋台が無いか見渡す。

 特段無くブラブラ歩く流れになり、綿あめを頬張る妹を引き連れて人波をぬって進む。

「他に何食べようかな~」

「言い忘れたけど、たこ焼きや焼きそばなんかは浴衣が汚れるから却下だ」

 こぼすと染みになってしまう食べ物はダメだと注意すると、返事をしながら彼の脇腹を指先で突いた。

「え~い」

「なんだよ『え~い』って」

「はいって素直に聞く返事と、え~っていう批判の返事を合わせた造語だよ」

「つまり?」

「不満だけど一応聞きますよーっていう意味」

「そ、でも考えてみろ。浴衣で腹いっぱい食べても仕方ないだろ」

 浴衣姿では食べてもすぐに苦しくなるだけだ。

「どうしても食べたいなら持ち帰ってからな」

 とりあえず落ち着いて霞を食べさせるため、通路の脇に避けて空いていた古めかしいベンチに並んで座る。

 袋から出した綿あめを人差し指と親指でつまみ、妹は一口分を引っ張り分ける。

「美味しっ、こんなに綿あめって美味しかったっけ?」

「そう? お祭りの雰囲気もあるんじゃないの」

 人の行き交う喧騒に耳を傾け、妹の持つ綿あめに手を伸ばす。

 裂いた綿の様な飴を口に入れる。

 ふぁっと特有の甘みが口の中に広がり、すっと一瞬で甘みを残して消える。

「ん、確かに美味しい」

 一瞬で前言をひっくり返した。

 しばらくベンチに座り、お祭りの風景を二人して眺めた。

夕方になっても境内のセミは、お構いなしに鳴いている。

 すると幸加から優し気な声が。

「子どもってかわいい。欲しいな」

 目元を穏やかにした彼女の視線を追うと、子供たちだけで屋台を回る小さな子たちや親に手を引かれる幼い子どもの姿があった。

「そうか? 俺は余り欲しいとは思えないな」

 かわいさや愛らしさは分かるが、子供が欲しいと思った事はなかった。

 同い年や同級生の中には、もう子供がいて育てている人がいる。

 欲しいと思ったことがないと気持ちを明かすと、隣に座る妹が質問と共に顔を覗き込んで来た。

「なら、好きな子との子供だって思えば欲しくならない?」

 下から見つめて来る瞳に、行き交う人の流れに視線を移して目を外す。

「それなら、欲しくなるかもしれないな」

「でしょ? わたしは好きな人との子どもが欲しいな」

 小さな笑みを浮かべ、優しげな表情を見せた。

 すると突然妹が声を上げた。

「あっ!」

「どうした? 大きな声だして」

「彼氏にメッセージ送ろうと思ったのに綿あめ撮るの忘れた」

 すでに木の棒には数口しか残っておらず、撮るには見た目が悪すぎた。

 糸車の紡錘、眠り姫で呪いをかけられて眠る原因になるアレの様で写真映えする形状ではない。

「……他の食べ物で撮って送ればいいだろ。今度は忘れないように」

 綿あめを完食して棒と袋をゴミ箱に捨て人の流れに戻る。

「ねぇ、アレ懐かしいね」

 妹が指をさしたのは、おもちゃのアクセサリーが並べられた屋台だった。

「お母さんにねだって一つだけ買ってもらったなぁ~」

 自分はアクセサリーで、兄の方をチラ見して光る剣だったよねと楽しげに語る妹。

「せっかく買ってもらっても、子どもだから移り気で、すぐ飽きちゃうんだよな」

「えー、そんな事ない。わたしは大切にしてた」

「どうだか。よくチェーンが切れたり、指を通すリング部分が壊れたりして、結局は宝石だけになってたじゃないか」

「ん、よく覚えてらっしゃる。確かにそうだけど……まだ大事にしまってあるのもあるよ」

「はいはい」

 適当に聞き流そうとする事に文句を言う妹と、はぐれない様に距離を保ち気をつける。

「金魚すくいしたい」

「ダメだ」

 首を横に振り即答を返すと、予想通り彼女の反発が返って来た。

「ダメが多すぎでしょ。今日はお祭りだよ」

「お祭りは関係ない。いつも金魚すくいした金魚をすぐ死なせちゃうだろ。だからだ」

 金魚鉢にエアを入れても、水温がすぐに上がり水が濁って、一週間もすると金魚が弱って死んでしまう。

「可哀想だろ?」

 ちゃんと理由を説明すると渋々納得してくれた。

「スーパーボールすくいならいいぞ」

「いいっ! 子どもじゃないから」

 ふて腐れたようにそっぽを向かれ、妹は小走りに金魚すくいの屋台へ。

 その仕草が子供なのだが、久しぶりのお祭りに来て精神年齢が低くなっているのだろうか?

「おいっ! 余り走るな。俺じゃ浴衣崩れても直してやれないぞ」

 追って水の張られた低い水槽の前にしゃがんだ妹に駆け寄る。

 水の中で泳ぐ小さな金魚は実に涼しげで、赤やオレンジの間で泳ぐ黒い個体がアクセントになり、揺らめく水面にずっと見ていられる気がした。

 屋台の明かりの下、喧騒に混じって聞こえる幽かな水音も相まって、金魚すくいに不思議な魅力を感じた。

 しばらくして子供たちに混ざっている背中に声をかける。

「さ、子どもたちの邪魔になるから行こう。特別にたこ焼きでも牛串でも食べていいから」

 そう喋りかけて隣に移動して立ち、妹が立ち上がるのを助けるため手を差し出す。

 促すが妹は膝に手を乗せたままチラリと手を横目で見やって数秒。

 花火が始まる時刻までこうしている訳にもいかない。

「ほら」

 ヘソを曲げてないで、とは言えない。言葉にしたらよりヘソを曲げられてしまいそうで。

「じゃあ、キッチンカーの屋台でピザとお酒でも飲むか? もちろん、酔わない程度が条件だが」

 お祭りに来てピザはどうかと思うが、お酒と聞いてぴくりと妹の肩が反応した。

「飲む」

 まだ許してないというアピールか素っ気なく一言呟き、そっと指先を差し出された手のひらに乗せる。

 幸加を立たせて軽く握った手を引き、キッチンカーに行くため身体の向きを変える。

「ほら、花火が始まる前に行くぞ」

 後ろの妹に言葉をかけて前に向き直り、歩き始めた足が急停止する。

「あっ……」

「どうしたの?」

 名前を呼び、急に足を止めた兄を覗き込む。

 そして相手の目線を追って、顔を向けると視線の先には浴衣姿の女性。しかも女性も兄を見て動きを止めていた。

 なので原因は目の前の女性で間違いなさそうだった。

「誰?」

 質問をして繋いでいた手を引っ張り、兄の停止していた意識を引き戻す。

「あ、あぁ、元カノ」

 屋台の明かりに照らされた元カノの顔を見間違うはずもなく、ぎこちない表情を見せて疑問に答えた。

 兄の返した質問の答えを聞き、幸加はもう一度女性に視線を戻す。

特徴的な目元に通った鼻筋、同じ浴衣姿なのにどこか大人の色香が漂う佇まいの女性だった。

 シンプルな浴衣の柄にワンポイントのついた帯ひも、ヘアアイロンで癖を付けて後頭部でまとめた髪飾りも一つで全体的にシンプルにまとまっていた。

「あー、なんかごめん」

 タイムリーな元カノの登場に、兄へのフォローが思いつかなかった。

 田舎では規模の大きい方のお祭りなので、元カノと遭遇する確率は当然と言えた。

 動揺が少し落ち着いたのか、普段と変わらない口調に戻る。

「謝るな」

 妹に一言告げると浴衣姿の元カノに顔を戻す。

「こんばんは。ゆか……楢田さんもお祭りに?」

「……えぇ、知り合いと一緒に。ね」

 浴衣姿なので聞くべくもない質問に、元カノはよそよそしく頷く。

 その視線はすぐに彼の隣に立つ幸加に移るが、新たな声が割って入る。

「お待たせ」

 ぬいぐるみを手にした甚平姿の男性が、そのぬいぐるみを女性に差し出す。

 短く切った短髪に利発そうな顔立ち、年齢も隣に立つ彼女と比べると二つくらい年下に見える。明らかにお祭りを一緒に訪れた知り合いは彼で間違いない。

 しかも甚平を着た足元はサンダルで、手にしたぬいぐるみは妹が射的でかわいいと言っていた物だった。

「本当に獲って来てくれたんだ。ありがとう」

 ぬいぐるみを受け取る際、形の良い爪に塗られた水色のマニキュアを目にする。

「どういたしまして」

 歯を見せてはにかみ、言葉を返す男性。

 目の前でぬいぐるみを受け取った元カノは、お祭りには知り合いと一緒と言っていたが、どこからどう見てもデートにしか見えなかった。

「ご愁傷様」

 身体半分出すように後から覗いていた妹を首だけ捻り見やる。

「勝手に哀れむな」

 まさに『えーい』と言いたそうな視線が返って来るが、元カノの連れの男性の声に現実へ引き戻された。

「えっと、知り合い?」

 男性は疑問を口にし、ぬいぐるみを渡した彼女から、手を繋ぐ幸加たち二人に顔を向ける。

 下手に答えてはいけないのは明白で、チラリと元カノに目配せすると彼女が先に口を開いた。

「そう知り合いよ。彼女たちデート中みたいなの」

 そう男性に説明して、こちらに笑いかける。

 一緒に来ている相手に『彼女たち』と、妹と元カノは面識はないが、女友達の知り合いというミスリードを誘う言い方をする。

「そうなんだ」

 明らかに女友達繋がりの知り合いと分かり、男性の表情と雰囲気から僅かに力む感じが緩んだ気がした。

 この状況では妹を恋人だという勘違いを訂正するのも煩わしく、余り長居してボロが出てもお互いのためにならないと判断する。

 なので元カノに向けて声をかける。

「じゃあ、これで」

 男性の中で妹と元カノが友達という設定になっている以上、初対面の二人が話さない状況に疑問を持たれる前に別れなくてはならなかった。

 軽く会釈をして離れようとしたところに元カノが、水色のマニキュアを爪に塗った手で手招きした。

 何を考えているのか困惑と訝しさが表情に出ないよう近寄る。

 すると男性の目がある中、元カノが整った顔を近づけてきた。

 瞬間、手招きで幸加ならともかく、自分が近寄るのは不自然と気づいたが遅かった。

 鼻先を懐かしい匂いが掠め、不覚にもドキリとしてしまう。

 そして耳元で元カノが何事かを囁く。

「私はダメだったけど、あの子は貴方の瞳の中にいるのかしら?」

「ーーっ!?」

 そんなの妹だからーーという言葉が出かかったが、引き伸ばすのは愚策でしかないので呑み込んだ。

 たったそれだけ言って相手の顔があっさりと離れる。

 せっかく穏便に終わらそうとしていたのに、元カノの行動に隣で控えていた男性が眉をひそめてしまう。

「木戸くん、安心して。心配する様な仲には間違ってもならないから。絶対に。ちょっとアドバイス的な、そんな助言をしただけよ。彼には」

 男性の嫉妬からくる疑いを何も無いと彼女はなだめる。

「……あぁ」

「いちいち私がお喋りした男性を警戒する訳にはいかないでしょ? けど正直、木戸くんが意識してくれるのは少し嬉しいわ」

 贈られたぬいぐるみを振り、連れの男性に彼女は微笑みかけた。

「……」

 その光景に微妙な気持ちでいると元カノがこちらに顔を向け、わざとらしく意味ありげに目元を緩めて小さく手を振る。

「バイバイ」

 男性を連れて背を向ける相手には振り返さず、二人は小さく会釈を返すに止めた。

 元カノたちの姿が人波に消えた頃、ポツリと幸加が感想を零す。

「あーいうのがタイプか。覚えとこ」

「何でだよ。覚えるな」

「にしても。策士というか何というか凄かったなぁ、元カノさん」

 何を差して言っているのかは兄妹なので詳しく言わずとも理解出来た。

「同意見だ。それに元カノのあんな一面始めて見た」

「そうなの? 鈍いから気づかなかっただけでしょ」

「言い方キツくないか?」

「ないよ。あんな美人さんを逃しちゃうなんて勿体ない」

「……いいだろ。付き合ってみてそりが合わなかったんだから。言っただろ、未練は無いって」

 明後日の方向を向いて唇を尖らす兄に、ひとり言の様に小さな声で幸加は漏らす。

「まだあっちには気がありそうだったけどね……」

 それに一緒に来ていた男性は、元カノにとってはキープで、見定めの段階そうな見立ては兄には話さず、妹の胸に伏せておくことにした。

「なんか言ったか?」

「んんー。元カノさん、わたしを見てもう新しい彼女作ったのかって嫉妬したのかなってさ」

「ないよ。第一、相手だってもう新しい彼氏とデートみたいだったし。俺に対して未練とか別れた事を引きずってはないだろ」

「元カノさんの新しい彼氏は爽やかで、甚平にスニーカーじゃなかったし、気が利くみたいだったね」

 ずけずけと喋る妹にため息が漏れる。

「黙れ。未練がなくても失恋して傷心中なんだぞ」

「何度も未練が無いなんて繰り返さなくても」

「ならっ……」

「そんな可哀想な兄さんを優しいわたしが励ましてあげる。さ、気を取り直してピザを食べに行こう」

 兄の文句を途中で遮って、花火が上がる前にピザを食べよう、と繋いだままの手を握る。

「傷心の兄を独りにさせてあげようとか思わない訳?」

「それで元気になる訳?」

「……」

「いつも悩んだり落ち込んだりすると、気を紛らわすために黙々と何かする癖があるじゃん。何にも言わないけどそれバレてるから。隠してる気でいる様だけど何かあったのはお母さんも、お父さんですら気づいちゃってるから」

「……」

 恥ずかしさもあり返す言葉も無い。夏休みの宿題と誤魔化した仕事も、妹に見抜かれていたに違いない。

「それにわたしを一人にすると、目についた物を片っ端から食べて、落ち込んでいるところにお母さんの雷が落ちるけど。それでもいい?」

「……仕方ない。泣きっ面に蜂は嫌だし。行くか、ピザ食べに」

 苦々しい笑顔を浮かべ、妹の手を引き歩き出す。

「花火見る前に酔い潰れられても困るから、本当にお酒は一杯だけだぞ」

 傷心中をいいことに幸加を好き勝手させてはいけないと、注意するくらいの思考は働くようだった。

「はーい! ちぇっ……もうちょっと元カノのことを引きずってくれてもよかったのに」

「なんか言ったか?」

 妹の呟きに首を回し、明らかに聞こえていた際の反応を見せる。

「なんにもっ!」

「お酒のために先ほど言葉にした励ますという約束を反故にはしないよな?」

「聞こえてんじゃん! 傷心中の人がそんなに頭回るはずない。さては意外と元カノに未練がないな!」

「始めからそう言ってた」

 はぐれないように手を握り、言い争いながら人の間を二人で通り抜けた。


 パッと月の無い夜空に花火が開き、大きい破裂音が空気を震わせる。

 花火が上がる度に周囲が一瞬だけ照らし出され、人々の視線を暗い夜空に縫い付けた。

黄色、赤、紫、青、緑。色鮮やかな大輪が上がり、夏の暑さを忘れさせてくれる。

「きれい……」

 たった一言、花火を見た幸加は呟いた。

 何とかお酒を一杯で止めたので不満顔をされたが、花火の前では機嫌が直り、こうして二人並び花火を見ることが出来ていた。

 もちろん、手は繋いでいない。迷わない様に繋いでいたが、大人になってから妹の手を握るのは思い返すだけで恥ずかしい。

 一区切りついたのか、次の花火が上がるまでの間に幸加が振り向く。

「向こうじゃ、花火なんて見ることがなかった。見えてもビルの合間からで……」

「それだけ頑張ってる証拠だろ?」

「うん……」

「努力するのも良いけど、たまには息抜きくらいしろよ」

「……分かってる」

 妹は縦に首を振り、ポツリと気持ちを漏らす。

「ありがとう。進路でお母さんたちとケンカしてる時に助けてくれて。兄さんが背中を押してくれたから今、わたしは頑張れてる」

 ありがとう、ともう一度お礼を口にした。

 しんみりと伝えられて安心しているところ、言いづらそうにしながらもはっきりした口調で否定される。

「いや、あの時は進路しだいで家を出なくちゃいけない問題でずっと両親と揉めてたから、うるさくて仕方ないから『とにかく行かせてやれよ』って早く終わらせるために言っただけだ」

「え?」

「あの頃はよく出来た妹に劣等感もあって、面倒くさいから早く両親との言い争いを終わらせたくて、家を出るなら出てってくれって思ってたからさ」

「……」

「だから二人に『ここで言い合っていても何にもならないだろ! とりあえず挑戦させてやれよ!』って怒鳴って『ダメだったら戻って来た時に、文句を言えばいいだろ』くらいに思ってたんだよ」

「…………」

「なので助けた覚えも、背中を押した覚えもない。単に早く静かにして欲しかっただけで感謝される覚えは無いよ」

「嘘でしょ?」

「いや、本当」

 妹の呟きに首を横に振り返す。

 すると急に幸加が怒り出す。

「返して! わたしのキレイな思い出を返してよ!」

「知るか。そんなの」

「酷い、あんまりだ。今日までそれを支えに頑張って来られたのに。知りたくなかったよ! そんな話!」

 数年の時を越えて知った事実にショックを受ける妹。

「ごめん。でも本当に辛くなったら、いつでも帰って来いよ」

 顔を付き合わせては恥ずかしくて言えないけれど、横目で見やり言葉を続ける。

「父さんが喜ぶし、母さんも嬉しいだろうからさ」

「そうですか! 帰って来ますよ!」

 叫ぶ様に言い返す幸加。

「だから辛くなって帰って来たら、思いっきり甘やかしてよね!」

「あ、あぁ……」

 妹の迫力に負けて兄は頷く。

 すると再び花火が上がり出した。

 細い尾を引いて連続して打ち上がり、周囲を照らし出して人々の鼓膜を震わせる。

 数分間というもの花火は打ち上げられ続け、夜空に大輪の花が咲く度に人々の歓声も上がった。

 息つく暇もない花火の残響の残る中、隣の兄に顔を向けて名前を呼んだ。

 帰省すれば両親が喜ぶのは知っているが、自分自身はどうなのか口を開きかけた瞬間。

 今までで一番大きな花火が上がり、思わず質問することを忘れて夜空を見上げた。

 聞くタイミングを失い、そして本当に最後の打ち上げ花火が始まった。


 打ち上げ花火が終了し、お祭りへ来ていた人たちが帰り始める。

 かく言う二人もその流れに乗って歩き出す。

 最後の一発が打ち上がり、夜空にパラパラと音を立てて散った後、どこからともなく拍手が贈られ本当に終えた事を実感する。

 帰宅の流れを何気なく眺めていた妹が、ある人たちを目にして呟いた。

「もしかしてスニーカーだったのは、わたしが靴擦れとか起こした時におんぶの心配があったから?」

「違うよ。最初に言っただろ、自分が歩きやすいためにだ。自信過剰だ。足の痛いフリしても、おぶってやらないからな」

 調子に乗られても困るので一応釘を刺す。

「仕方ない。そう言うことにしてあげる」

 ニヤリとムカつく笑顔を浮かべた妹が、打ち上げ花火を思い出して呟いた。

「花火良かったけど、一度でいいから真下から見てみたいな」

 誰もが思う願望に、妹へ言葉を返す。

「確か線香花火があったと思うから、帰ったらさっそく地面に仰向けで寝転がれな」

「なに! その怖い返しは!」

「ダメか?」

「当然じゃん。確かに花火の真下だけど、線香花火がいつ落ちるのかハラハラして楽しめる訳ないでしょ!」

 中身のない無駄話を交わしながら歩いていると、道端の屋台から声がかかった。

「そこのカップル、半額にしとくから買ってきなよ」

 呼び止めた店主に恋人同士に間違われた。

 ちなみに売っているのはイカの姿焼きだった。

「親父のお土産に買ってくか。おつまみになるし」

 イカの姿焼きを購入して少し離れたところで妹に渡す。父親は娘の幸加から渡すと喜ぶからと。

「お父さんちょろいね」

「父親ってそんなもんだろ。……なぜ、こっちを見る?」

「いや、子どもが出来たらどうなるのかなってさ」

「相手もいない兄に追い打ちをかけるな」

「大きな魚を逃したばかりだもんね」

 からかい口調で笑う相手に言い返す。

「やかましい」

 逃した魚は大きいという言葉の意味通り、手に入らなかった悔しさから、本来の価値以上に価値があると思い込んでいると言いたいのか、本当に字面だけの受け取り方をしているのか。

 カラコロと下駄を鳴らして歩く幸加のペースに合わせて夜道をゆっくり帰る。

 すると無言で妹が手を握って来た。久しぶりに幸加と名を呼び顔を覗き込む。

「疲れた」

「は? あと少しだろ。歩け」

 ちょうど自販機と電柱の所で足を止めて相手を見下ろす。

「おんぶ、してくれないの?」

 その為のスニーカーでしょ? と言わんばかりの視線が見上げて来る。

「もしくは、お姫様抱っこ」

「馬鹿言え、この歳で妹をおんぶ出来るか」

「彼女なら良かったの?」

「そうだな。幸加は妹だ」

「でも、妹だって女の子だよ」

「……仕方ない」

「かたじけない!」

「返事が早いわ! 早速下駄を脱ぐんじゃない! ああ、もう!」

 色々と腑に落ちないし納得できないが、さっき言った通り家も近いので仕方なく背中に乗せることを決める。

 下駄を手に取り背を向けて腰を落とし、不満げな口調で彼女に背中へ乗る様に促す。

「ほら」

「ありがと」

 そうして巾着袋とイカ焼きの袋を下げた妹の腕が首に回され、浴衣だと背負い辛い相手の太股に手を回す。

 脚と腰に力を入れて立ち上がると、スマホが目の前に取り出された。

「おい」

「ん? 彼氏に『これがわたしの愛馬です』って送ろうと思って」

「ふざけんな。落馬したいのか?」

「嫌。振り落とされてたまるか!」

 ぎゅっと首に回した腕を組み、身体を押し付けて抵抗を見せる。

 薄い生地越しに伝わる色々な感触に気が散るが、頭から振り払うようにため息を吐く。

「分かったから、勝手に人をロディオにしないでくれ」

「よろしくー」

 明るい声で言った幸加の息が耳元にかかり、鬱陶しく思いながら牛歩の歩みで虫の鳴く道を進む。

「お父さん帰ってるかな?」

「さすがに帰ってるだろ」

「そっか」

 背中からの返事に元気がないように見えて聞き返す。

「どうかしたか?」

「いや、うん。進路のことでケンカしてから、お父さんと上手く話せないんだよね」

「……そうか? いつも普通に見えるけどな」

「ホント? なんか自分ではぎこちない気がして……」

「もう親父もあの時のことは気にしてないさ。今は許しているし認めてる。あれだけ楽しみにしてるんだから」

 娘が帰省すると聞いた時の父親の顔が浮かぶ。

「許してくれていることも、認めてくれているのも知ってる。でも……さ」

「どうしても? 気にするな。母さんも俺もいるし、さっきも言ったけど自然に見えてるから。たぶんこのまま気づいたら、気にしていたことも忘れてるって」

「そうかな」

「そうだよ」

「そうだと、良いな……」

 呟いて黙る妹。

 すると幸加のスマホに着信が入って、メッセージの内容が音読された。

「彼氏からで『誰だ! その種馬は!』だって」

「マジで愛馬だって画像送ったのか! てか、誰が種馬だ。酷いな彼氏は、心配になるぞ。そもそも兄貴だって説明しなかったのか?!」

「あ、忘れてた」

 履歴を調べて分かったその呟きを聞き、背中に乗る幸加に向けて叫んだ。

「一番忘れちゃダメなやつ! 止めろよな、彼氏の気を引くために俺使うの!」

 兄の怒りに冗談めかす妹。

「ノンノン、兄さんの気を引くために彼氏の話を出してるの」

「逆説的過ぎるだろ。読者は納得しないぞ」

「そんなことない。わたしたちの話は読者たちに概ね好評よ」

「すでに投稿されてた!?」

「ふっふっふ、高校時代からね」

「まさか、そんな前から……」

 時に相手の冗談にノリながらも文句を言い合い、気づくと家まで帰って来ていた。

 相変わらず聞こえる虫の音。

 灯りに照らされた引き戸の玄関。

 総じて楽しかったお祭りの記憶を胸に、家へ帰り着いた二人は引き戸を潜り声を揃える。

「「ただいまー」」







           《終》

類似の話しか思い浮かばない言い訳を一つ。

当然のことながら、文章は胸の内にある感情と頭の中の記憶でしか書けないものであり、

そして物語には現実では叶わぬ希望や償い切れない罪に対して救いを求めてしまいがちであり、

心が救われるまで納得いくまで構築と分解、トライエラーを繰り返す。

これはもう執着や病気、呪縛としか言いようがないと思っています。

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