オニギライザー白飯握琉 ~最強スキル「おにぎり化」でいずれ世界を救うものがたり~
白飯握琉はグランドハイアットのスイートルームから夜景を見下ろしていた。一年ぶりの世界大会。本戦をなんなく勝ち進み、残すは明日の決勝のみだった。
右手に持ったおにぎりを一口食べる。
絶妙な塩気、冷めていても味わい豊かなご飯が口の中で噛めばさらりとほどけ、具と混然一体となって舌を刺激する。美味い。自分の握ったおにぎりは最高だ。白飯の持つ、世界おにぎり選手権四連覇の偉業は伊達ではないのだ。
前人未到の五連覇と殿堂入りがかかった決勝戦を控え、昂る気持ちを抑えようとする彼の気持ちを逆撫でするように、部屋の呼び出しベルが鳴った。
「……こんな時間に何の用だ」
若干苛立ちながらもドアまで移動する。
「はい」
「ルームサービスをお持ちしました」
「ルームサービス? 頼んでいないが?」
自分で握ったおにぎりが最高の食事だと白飯は信じている。ハイクラスなホテルのルームサービスであっても食べようとは思わない。
「ミスターシライのお部屋でお間違いございませんか」
「間違いない」
名前は合っている。
何かの手違いだろうか、と思いつつ、白飯がドアを開けると、ホテルスタッフが慇懃な笑みを浮かべて食事の載ったカートの脇に立っていた。伝票ホルダーとペンを差し出してくる。
「お受け取りのサインをお願いできますでしょうか」
「繰り返すが、私はルームサービスは頼んでいない」
「いえ、これは私どもからのサービスでございますので」
「サービスだと?」
「はい。明日の決勝を控えたミスターシライへの応援の気持ちでございます」
応援だというならそっとしておいて欲しいものだが、と口に出すほど白飯も大人げなくはなかった。仕方ない。厚意だけは受け取っておくか。ペンを受け取りサインを書こうとした、その時だった。
ホテルスタッフが突如表情を変えた。ホテルマンの貌から暗殺者のそれへ。いつの間にか手の中には銃が握られていた。サブマシンガンというやつだろうか。これだから銃器大国は嫌なんだ。くそったれ。俺の五連覇をそうまでして阻止したいのか。
「こいつをたらふく食らいなっ!」
たたたたたたたたんっ。
身を躱す暇もなかった。
白飯の全身は文字通り蜂の巣にされ、もんどりうって倒れた。
豪奢な絨毯が血に染まる。
死を間近にした白飯の胸中にあったのは、栄光の殿堂入りを掴み損ねたという絶望にも似た後悔だけだった。
白飯の希薄な意識は乳白色の世界を漂っていた。
声が、聞こえる。
『白飯握琉』
名前を呼ぶのは温かい女性の声だった。
『私の世界は……、あなたの卓越した技術を必要としています……」
けれどどこか、焦燥に駆られた声音。
『どうか……私の世界を救ってください……その祝福された両手で……」
救う?
俺が?
世界を?
この手で?
『どうか、どうかお力をお貸しください……』
森人のフローリアは窮地に立たされていた。
森の中で偶然出くわしたゴブリンの群れに追い立てられて、どうにか街道に出たものの取り囲まれてしまったのだ。それどころではないというのに!
「くっ」
フローリアは美しい眉を寄せて、顔を歪めた。両手に弓を構え油断なく牽制しているが、敵の数が多すぎた。完全に包囲され退路は断たれている。
弓では埒が明かないが、近接戦闘は森人の得手ではない。腰のナイフは作業用であって戦闘用ではないのだ。
ギャギャッ、とゴブリンたちがわめきちらす。ゴブリン語を解さないフローリアには金切り声にしか聞こえないものの、意図はしっかりと伝わった。すなわち、一斉に飛び掛かって森人を捕まえろ、だ。
ゴブリンに捕まった時のことを考え、ぞっとする。いっそ死んだ方がマシではないかとすら思えた。殺せるだけ殺して、捕まる前に死ぬか。悲壮な決意を固めかけた。
その時だった。
ゴブリンの包囲網の一角が崩れた。
通りがかりの人間の男が、ゴブリンの背後から蹴り飛ばしたのだ。
男は平然とフローリアの側までやってきて、
「助けが必要か?」
と、むすっとした表情で問うてきた。
反射的に頷いたフローリアはしかし、男の恰好に唖然とした。助けに入ってくれたというのに、武器のひとつも持っていないのだ。その上、革鎧さえ身に着けていない軽装だった。
「お、おい人間よ。魔法でも使えるのか?」
「いや、使えないぞ」
「素手で魔法も使えずどうするつもりだ……」
頬を引きつらせるフローリアとは対照的に男はいたって冷静だった。
「俺が使えるのはコレだけだ」
むっつりとした表情のまま、男は右手を前に突きだした。
びくり、と男の正面のゴブリンが身じろぎした。
「おにぎり化!」
そのゴブリンは一瞬発光し、手のひらサイズの白い塊に変貌した。
落下する白い塊に駆け寄り、男は空中でそれをキャッチ。あろうことか口に運んで咀嚼する。
「うん。イマイチだな」
ぺろりとたいらげて指先を舌で舐めると、両手を横に吐き出して左右にいたゴブリンの頭を掴んだ。
「おにぎり化!!」
フローリアは再び不可思議な現象を目の当たりにする。
ゴブリンがまたしても白い塊に一瞬で変化したのだ。
「お、おい、それは一体」
「おにぎりだ」
男は短く一言告げると、両手の白い塊――おにぎりを頬張った。
「うむ、接触しておにぎり化した方が味は良いな」
などと言っている間にもゴブリンたちは男を標的に切り替え襲い掛かった。ほんの数瞬で三体もの同胞が斃されたことに対する怒りと、得体の知れない恐怖が彼らを駆り立てていた。
男はフン、と鼻を鳴らすと、両手を開いて身構えた。
「普通、戦闘の後には痕跡が残るものだと思うのだが」
フローリアの周囲にはゴブリンの死体どころか血痕ひとつなかった。
人間の男がゴブリンの群れを全て白い塊にしてしまったからだ。
「こんな戦い方を私は知らないぞ……」
両手いっぱいにその“おにぎり”を抱えた男が近づいてくる。
「怪我はないか?」
「あ、ああ。ありがとう。助かった」
「通りすがりだ。気にするな。ひとつ食うか?」
男が差し出してきたのは“おにぎり”だった。
白い塊だと思っていたものはどうやら米を炊いたもののようだった。米。フローリアも知識としては知っている。イネ科の一年草だ。森人には稲作の習慣はないが、人間が作る穀物のひとつだということは理解していた。
だが、この男の差し出す“おにぎり”は元々はゴブリンだったものなのだ。
「た、食べられるのか?」
「俺のおにぎりだ。美味いに決まっているだろう」
物凄い自信だった。いや、そうではない。食べられるかどうかを聞いたのに答えは「美味いに決まっている」だ。狂人だろうか、とフローリアは恐怖した。
「人間よ、貴公は――」
「白飯握琉だ」
「シライニギル殿? 変わった名だな」
「シライでいい」
「シライ殿。私の名はフローリア、見ての通り森人だ。シライ殿は錬金術師なのだろうか?」
「いや、違う」
白飯は首を横に振った。
「俺はおにぎり職人だ」
「オニギライザー……?」
奇妙な語感の職業だった。
差し出された“おにぎり”をおずおずと受け取り、
「これがオニギライザーの技、ということなのだろうか?」
と尋ねると、白飯はどこか拗ねたような表情を見せた。
フローリアはこんな顔もするのだな、と内心で思った。
「俺のすべての技術を込めたおにぎりはこんなもんじゃない。コレはただ、スキルを使った結果だ」
「さっき美味いに決まっていると」
「俺が本気で握ったおにぎりほどではないが、美味いぞ」
何か彼の中でこだわりがあるらしい。
フローリアには全くわからないが、食べなければ話が進まなそうではあった。
「元はゴブリンなのだよな?」
「ゴブリン味はしないぞ」
ゴブリン味とは? 一抹の不安を覚えつつ、フローリアは恐る恐る齧るようにして一口。
「……!」
あまりの美味しさに衝撃を受けた。無心で二口、三口と食べ進め、手の中に残ったおにぎりはいつの間にか消えていた。完食。
「美味かった……」
「だろう」
白飯のいかつい顔が子供のような笑みを浮かべた。
「もうひとつ食べるか?」
「いや、お腹いっぱいだ」
「小食だな」
「森人だからな」
「そうか」
少し残念そうにして白飯は抱えたおにぎりをごく自然な動作で虚空へと収納した。フローリアは言葉を失った。
「シ、シライ殿……、今のは」
「おにぎり収納だ」
「おにぎりしゅうのう」
「おにぎりを収納できる空間を俺は持っていてな」
「それもシライ殿のスキルなのか?」
「そのようだ」
亜空間収納を持つのは高次の存在――すなわち神から祝福を受けた者だけと昔から決まっている。ひょっとしてオニギライザーを自称するこの男は勇者なのではあるまいか。もしそうなら……。
「シライ殿!」
「どうした? やっぱりおかわりか?」
「そうではなく! シライ殿の腕を見込んでお願いがある。我がエルフの里を救ってくれないだろうか」
「――まずは話を聞かせてくれ」
フローリアの話はこうだった。
「森人の里の近隣の山で眠りについていたドラゴンが数百年ぶりに目を覚ましたのだ」
「ドラゴンか」
「私が生まれるよりも以前のことだが、眠りの封印を施されていたのに」
「……フローリアは何歳なのだ?」
「200と少しだ。人間は女性に年齢を訊かないものだと思っていたぞ」
「美人であるし、若い娘に見えたのでな。俺よりずっと年上とは思わなかった」
「……シライ殿、意外と口が上手いな」
「?」
「まあいい。ドラゴンは封印されたことを執念深く覚えていてな。里を燃やそうと躍起になっているのだ。私はドラゴン退治の依頼をするために人間の街を目指していたところで」
「ゴブリンの群れに襲われていた、というわけか」
「そういうわけだ。どうだろうシライ殿、ドラゴン退治を引き受けてくれないだろうか?」
「ふむ。ドラゴンはまだ握ったことがなかったな」
「ん? なんだって?」
「いいだろう。引き受けよう。案内してくれ」
フローリアの問いを無視して、白飯は頷いた。少々、いやかなり気になる発言はあったが、引き受けてくれるのはありがたかった。
「ありがとうシライ殿。礼は十分に支払うことを薬草する。そうだな、我が里に伝わる秘蔵の魔法道具を――」
「ああ、そういうのは要らん」
「なんだと? では何を望む? 金か? 女か? お、女であればわ、私が、その」
「食材をくれ。おにぎりの具を新しく開発したい」
白飯は食い気味に被せてきた。言葉を遮られたフローリアは「あー、うん」と何度か咳払い。頬と耳が若干赤くなってしまっているのは気にしないことにした。
「わかった。そうか。食材だな。よし」
「フローリアは魅力的な女性だが、あいにくと俺は修業中の身でな」
「そ、そういうフォローは余計傷つくのだぞ!?」
ますます赤くなるフローリアなのだった。
住処となっている山の中腹で対峙するドラゴンの威圧感は相当なものだった。
赤き竜。
紅蓮の皮膚を持つ炎属性の竜である。見上げんばかりの巨躯に張り出した一対の翼。人の腕程もある牙と爪は容易く命を奪っていくことだろう。正面に立つだけでも精神力を削られるような、『力』を具現化したかのような存在。
にもかかわらず白飯は、
「でかいな」
の一言だけであった。
そしてゴブリン相手と変わらず素手に鎧も無しだ。
勇者ではなくやはり狂人なのかもしれん、とフローリアが後悔しはじめた時には既に戦端は開かれていた。もう遅い。
ドラゴンが大きく息を吸い込む。
次いで吐きだすのは炎のブレスだ。
灼熱の業火が山肌を舐め、草木のみならず岩すら溶かしていく。
その直前、白飯はおにぎり収納から白い塊をひとつ取り出していた。
炎のブレスに対抗するようにかざしたおにぎりの正面に防御障壁が発生する。
ブレスは障壁を破れず周囲を焼き尽くすのみだった。
「俺のおにぎりが一撃で焼きおにぎりにするとは……、流石ドラゴン!」
白飯は手の中のおにぎりを見て唸る。
「ちょっと私にはよくわからんのだが大丈夫かシライ殿」
「心配するな」
と頷き、白飯は出来立ての焼きおにぎりを頬張った。
「食うのかソレ」
「美味いが、醤油を塗っておくべきだったな」
「……」
「炎はこれで防ぐといい」
ツッコミが追いつかなくなって言葉を失うフローリアに新しいおにぎりをふたつみっつ投げ渡し、白飯はドラゴンに向けてまっしぐらに駆けだした。
いくらおにぎりがあるとはいえ、
「素手は無謀じゃないか!?」
「心配するなと言ったぞ」
ドラゴンに向かって白飯は大跳躍。
振り下ろされるドラゴンの爪をおにぎりで受け止めた。おにぎりらしからぬ鋭い音が響き、鋭く重い爪を弾き返す。ドラゴンの巨体がぐらりとバランス崩し揺れた。
白飯はこの隙を見逃さなかった。
おにぎり収納から連続しておにぎりを取り出し、繋げていく。
おにぎりはすぐにその姿を巨大な槍へと変貌させた。
「喰らえ!!」
おにぎりの槍をドラゴンの口へと叩きつけた。口いっぱいにおにぎりを捻じ込まれるというのはいかなドラゴンでも未体験だった。じたばたと体をくねらせるが、おにぎりからは逃れられない。
「終わりだ」
悠々と着地し、白飯はドラゴンに両手を触れさせた。
叫ぶ。
「おにぎり化!!」
赤き竜は――喉におにぎりが詰まっていたため――断末魔の悲鳴を上げることなく、その姿をおにぎりへと変えられた。
「シライ殿!」
駆けつけてくるフローリアに、白飯はドラゴンだったものをふたつに割って半分差し出した。
「食うか?」
「あ、うむ。じゃあいただきます。美味っ!?」
「だろう?」
――触れたモノを全て「おにぎり化」するスキルを持ったひとりのおにぎり職人が世界を救う物語りは、まだはじまったばかりである。
(了)