9 魔王の血
千聡が取り出した注射器を見て、俺の体に動揺が走る。
『血が欲しい』と言われたので、てっきり指先を針で突いてティッシュで吸うくらいだと思って手を出したが。まさかのガチ採血モードである。
「……ち、千聡って看護師の資格とか持ってるの?」
「いえ。ですがご安心ください、医術の心得はありますから」
「…………」
全くもって安心できないが、ここで逃げたり騒いだりするのはなんか魔王らしくない気がするし、千聡を悲しませてしまう気もする。
……注射って、失敗しても死んだりしないよね?
血管に空気が入ると危ないって聞いた事ある気がするけど、今回は入れる訳じゃなくて抜くだけだし……。
そんな事を考えている間に、ヒヤッとした感覚と共に腕の消毒が行われる。
千聡、いつも注射セットとか持ち歩いているのだろうか? ていうかそもそも、注射器って一般人が入手可能なのだろうか?
次々に疑問が湧いてきて不安に襲われるが、俺の腕をじっと凝視している千聡を見ると、とてもカワイイからまぁいいかという気になってくる。危ないなこれ……。
「魔王様、よろしいでしょうか?」
「え……あ、うん」
そうこうしている内に狙いを定め終わったのか、注射器の針が俺の腕へと当てられ、最後の許可を求められる。
とっさに返事をしながら、こういう時って腕を縛って血管を浮かせたりするんじゃなかったっけと思ったが。千聡は少しの迷いもなく、針を俺の腕へと刺し入れた……。
(――っ……あれ? 全然痛くないな)
意外にも痛みは全くなく。細い注射器に赤い液体が吸い上げられ、スッと針が引き抜かれる。
千聡はすぐに針を抜いた場所に絆創膏を貼り、手早く包帯を巻いてくれた。
「千聡、注射上手だね。しかもなんか手馴れてるし」
「恐れ入ります。いざという時に傷の手当てや治療をするのも私の役目ですから、日々知識と技術の習得に努めております。……包帯は少しキツいかと思いますが、止血のためですのでしばらくの間ご辛抱ください」
「りょ、了解……」
と言うか、チラッと見えた小箱の中。注射器の他にも、メスとか小さなペンチみたいなのとか、ピンセットとか無数の薬ビンとか入っていた気がするけど。さすがにメスは実用じゃないよね?
いや、注射器も大概だけどさ……。
千聡は俺への処置を終えた後。俺の血を小ビンに移して、大切そうにカバンにしまうと、また頭を下げる。
「ありがとうございました。大切に使わせて頂きます」
「う、うん……ちなみに、何に使うのか訊いてもいい?」
「はい。薬を作るのに使わせて頂こうと思っております」
「くすり?」
これまた意外な返事が来た。てっきり怪しげな儀式や、血を染み込ませた呪いの魔道具的な物を作るのかと思っていたのに。
俺の怪訝な表情に答えるように、千聡が言葉を発する。
「魔王様はドラゴンの血を引くお方ですし、今のお体にも強い魔力を宿しておられます。その血は人間にはもちろん、特に魔族にとっては、最高級の薬の素材となるのです」
……なるほど、ドラゴンの血が薬の材料になるとか、ありがちと言えばありがちな設定だ。
俺がドラゴンという設定はイマイチ腑に落ちないし、魔力なんてそもそも宿している実感すらないけどね……。
……魔力、か。
「ねぇ、魔力って。もしかして魔法が使えたりするの?」
別に意地悪をしようと思った訳ではないが、どんな答えが返ってくるのか気になったので、思わず訊いてしまう。
「いえ。おそらく魔王様が想像しておられるような魔法は使えません。転移してきた種族なら、炎を吐いたり体を浮かせたりする事ができる者もおりますが。我々のような転生タイプですと、身体能力や回復力の向上。特殊能力の強化などに影響するのが魔力です」
お、淀みなく答えが返ってきた。さすがこの辺は設定バッチリだね。
千聡はなんだか嬉しそうに俺の質問に答えた後。少し間を置いて考える様子を見せ、改めて言葉を発した。
「魔王様、もしよろしければもう一つお願いがあります。いつでも構いませんから、半日ほど時間を取って頂く事はできませんでしょうか? 現在西日本を統べる魔族の長である者に、会って頂きたく思います」
「――ちょっと、記憶をなくしている今の魔王陛下を危ない場所に連れて行く気!?」
千聡の言葉に、今まで黙って話を聞いていた潮浬が声を上げる。
「現在すでに友好関係にある相手ですから、危険は少ないはずです。……魔王様。なにかあった時には我々が命に代えてもお護りいたしますから、どうかご一考くださいませ」
「はいはい! 護衛なら自分が頑張りますから、任せてください!」
千聡が頭を下げると同時に、リーゼが元気よく右手を上げて腰を浮かせる。
潮浬はと見ると、それ以上反対する気はないらしく。俺に任せるとばかりに、視線をこちらに向けていた。
……というか潮浬。さっきまでの会議の最中からずっと、ほとんど発言せずにじっとこちらを見ていた気がするのだが。俺の顔なんか見ていて楽しいのだろうか?
千聡や潮浬、リーゼなんかはずっと見ていても飽きないほどの美人だけど。俺なんて、どこにでもある平凡な顔だと思うのだが……。
……まぁそれはともかく、今は千聡のお願いに返事をしないといけない。
もっとも、俺にとっては千聡と一緒に半日の小旅行なんて夢のような話。断る理由は欠片もない。
行き先はちょっと気になるけど、潮浬も反対ではないようだし。答えは一択だ。
「今は夏休みで時間あるから、いつでもいいよ」
「――ありがとうございます! では、『今からすぐに』『明日の朝から』『明後日以降』のどれがよろしいでしょうか?」
なんかいきなり三択が出てきた。こんなタイプのゲームやった事あるな。
「俺としては別に今からでもいいけど……なにか用意するものとかあったりするなら、明日からがいいかな」
「道中の諸事は全てこちらで対応いたしますから、魔王様は御身一つをお運び下されば十分です。では、これからすぐにでよろしいでしょうか?」
「うん、大丈夫だよ」
――そういえば財布の中身が寂しかったような気がするが。半日出かける範囲の電車賃や飲食費くらいはなんとかなるだろう。
行き先がよほど辺鄙な所じゃなければ、お金を下ろす場所くらいあるだろうしね。
そんな事を考えていると。千聡はちょっとスマホをいじったあと、視線を仲間達に向ける。
「リーゼ、護衛として同行しなさい」
「はい!」
「潮浬、貴女はどうしますか?」
「一緒に行くに決まってるでしょ。せっかく陛下と再会が叶ったのに、なんで好き好んでお傍を離れないといけないのよ」
「わかりました。では魔王様と、供が三名ですね。魔王様、出発まで10分ほど、しばらくお待ちくださいませ」
「うん」
『とも』の発音が明らかに『友』ではなく、お供の『供』だったが。まぁ設定上仕方ないのだろう。
いつかそのうち友達として。できれば恋人として、千聡と一緒に出かけられる日が来るといいな……。
俺はそんな幸せな未来を思い浮かべながら。とりあえず目下の行き先である『西日本を統べる魔族の長の所』がどんな場所なのか。
多少の不安を抱きながら、あれこれ想像をするのだった……。




