88 平和な休日
天川さんの件も一段落した週末土曜の昼下がり。俺はノートパソコンに向かってなにやらやっている千聡に声をかける。
「ねぇ千聡。ちょっと一人で外出してきたいんだけど、いいかな?」
さりげなく言ったつもりだったが、千聡は弾かれたように顔を上げ。表情は今にも泣き出しそうに歪んでいく。
「あの、我々になにか不手際やご不快にする言動などがありましたでしょうか?」
……別に不快な訳ではないが、事あるごとに流れるような動作で土下座ポーズに移行されるのは、ちょっと居心地が悪い。
「いや、そういう訳じゃないよ。ちょっと髪の毛を切りに行きたいなと思ってさ。買い物ならともかく、さすがに髪を切ってる間ただ待たせるのは申し訳ないからさ」
そう口にした瞬間。千聡はバッと勢いよく顔を上げる。
「――魔王様、どうかお考え直し下さいませ! 刃物を持った人間を後ろに立たせるなど、あまりにも危険です。特に剃刀を首筋に当てる時など、たとえお傍にいてもお護りできる確証がありません!」
おおう……。返ってくる返事『それなら仕方ないですね』か、最悪でも『お待ちしますからお供します』だろうと思っていたが、まさかの斜め上にきた。
「大丈夫……じゃないかな? 無防備なのは確かだけど、今までなにもなかったし……」
「ですが、魔王様の存在はこの一月で広く世界に知れ渡りました。国内は平定したとはいえ、不満を持つ者が皆無という訳ではありません。国外からの刺客や、御身を目的とした誘拐も考えられます」
俺の体目的で誘拐って、やりそうなの潮浬しか……あぁそうか、なんか魔王の血は貴重みたいな事言ってたな。
「でも、ずっと髪切らない訳にもいかないしなぁ。暑苦しくなってきたし」
「でしたらどうか、私めにお命じ下さいませ」
「え、千聡髪の毛切れるの?」
「はい。この国の理容師資格は持っておりませんが、技術的には問題ありません。最近はリーゼの髪も私が手入れしております。あの子は背後に立たれるのを嫌いますから」
どっかの暗殺者みたいだな……そして資格云々の話は、血を採る時の注射でも同じ事を聞いた気がする。
あの時はたしかに何も問題起きなかったし、千聡は手先が器用そうだ。リーゼの髪を見ても、とても綺麗に整っている……。
「えっと……じゃあおねが『ずるい! わたしも陛下の髪触りたい!』
お願いしようと思ったら、横から潮浬が食いついてきた。
『カットしたい』ではなく『触りたい』な辺り、欲望がダダ漏れである。
「潮浬は髪の毛切った事あるの?」
「ありませんが、多分できると思います」
…………まぁ、いざとなったら最悪丸坊主でもいいか。断ると凹んでしまいそうだし。
「わかった、じゃあ潮浬にもお願いしようかな」
「はい、お任せください!」
話がまとまり。なにやら嬉しそうな潮浬の指揮で、手際よく準備が進められていく。
リーゼの髪を切る事があるので基本的な道具は揃っているらしく。いつの間にか倉庫になっていた103号室から次々に道具が運び出されてくる。
椅子・シーツのような大きな布・クシ・ハサミが三本・剃刀・金ヤスリ・ハンマー…………ハンマー?
「ちょっと待って、それ何に使うの?」
俺が知る限り、髪を切るのにハンマーなんて使わない。それこそ持って後ろに立たれたら、なんか危ない気がする案件だ。
「これはリーゼの時に使うものです。魔王様には必要ないと思いますが、一応……」
「リーゼの時にはどう使うの?」
「あの子の髪は強度が高いですから、丈夫なハサミでもすぐに刃が丸くなってしまうのです。ですからヤスリで磨き、ハンマーで叩き直してまたヤスリで磨いてをくり返しながら髪を切るのです」
……なんか、散髪というよりも工事みたいだな。
そして、それなら俺には必要ない。俺の髪は普通にハサミで切れる。
それにしても、ハンマーでハサミを叩き直すほどというのはちょっとオーバーな気もするが。今まで色々人間離れしたあれこれを見てきたので、あながち否定もできない。
……でも俺、リーゼの髪は触った事があるんだよね。
「ねぇ千聡。ヨーロッパ旅行に行った飛行機の中だったと思うけど、リーゼの髪触らせてもらった時はすっごく柔らかかったよ」
おまけに手触りがよくて、いい香りもした。
「柔らかい事と強靭である事は矛盾しません。むしろ細い物は、硬いほど脆く折れやすい傾向にあります」
……言われてみればそうかもしれないけど。俺が触ったリーゼの髪は最高級の糸みたいで、ワイヤーのような強靭さは感じなかった。
「ちなみに、どのくらい強度が高いの?」
「一般的な防弾チョッキや防刃ベストよりは強いと思います。通常弾なら十分止めるでしょうし、背後から首を狙って斧を振り下ろされても、刃を通さないでしょう」
「……ホントに?」
「お試しになりますか?」
その言葉に髪を一本か二本切らせてくれるのかと思ったら、千聡がいつも持っているバッグから拳銃が登場した。
動揺する俺の前で安全装置らしいレバーを『カチャリ』と外し、『どうぞ。誤射にはお気をつけ下さい』と言って渡してくる。
思わず受け取ってしまったが、手の平サイズの小さい物なのにズシリと重く。金属の冷やりとした感触は、意識に水をかけたように冷静さを取り戻させる……。
「どこでもいいですよ!」
そして、今の話を聞いていたら一番反対するべきだろうリーゼ本人が、元気よく明るい声を出して後ろを向く。……背後に立たれるの嫌いじゃなかったのだろうか?
俺の疑問をよそに。綺麗な長い髪がサラリとなびいて宙を舞い、フワリと落ちる。
それは秋の木の葉よりも軽そうで、とても銃弾や斧を受け止めそうには思えなかった。
「魔王様。拳銃は反動が来ますから、それを受け止めるイメージで足を開いて、右手で持つなら右足を下げて少し半身に。左手は下から包み込むように添えて、肘にはあまり力を入れずに……」
俺の葛藤を他所に。千聡が文字通り手取り足取り、リーゼを撃つための講習をしてくれる。
「――いや、ちょっと待って。冗談……だとは思ってないけど、さすがにホントに撃つのはやりすぎじゃない?」
「え、やらないんですか?」
背中を向けていたリーゼが、振り返ってなぜか悲しそうな声を出す。
「だって、リーゼ撃たれるんだよ? 仮にホントに弾を通さないとしても、防弾チョッキって貫通しないだけで思いっきり殴られたくらいの衝撃があって、骨が折れたりするって聞いた事あるよ」
「大丈夫です。自分そんな事でどうこうなるほど弱くないですし、なんなら拳銃弾くらい直撃でもいける気がします!」
……なにがいける気がするのかよくわからないが。千聡と潮浬にも意見を求めてみると、『22口径なら至近距離でも耐えるかもしれません』『本人がいけると言っているのならいけるのでは?』と、まさかのリーゼ寄り回答が来た。
潮浬はあんまり興味なさそうだけど、止める訳ではない。なんか完全にやる流れだ。でも流石になぁ……。
俺はない知恵を絞って、必死に対応を考える……。
「……そうだ! せっかくだから、リーゼも一緒に髪を切ってもらおうよ。それで、切った髪を使って実験してみよう」
「え、いいんですか!?」
「うん。……と言っても切るのは千聡だから、千聡がよければだけど……やってくれる?」
「魔王様から頂いたご命令とあれば、否も応もございません。謹んで拝命するのみです」
「て事は、わたしが陛下の担当ね!」
嬉しそうな声を上げる潮浬。これはもしかして、全員満足いくベストに近い状況になったのではないだろうか?
千聡はちょっと不満かもしれないけど、それで魔王に対する忠誠度が下がるのなら、俺としてはありがたい。
そんな訳で平和な。……多分平和だと思う土曜の午後。俺は潮浬に髪を切ってもらう事になったのだった……。
現時点での世界統一進行度……0.25%
・日本の魔族勢力を全て配下に
・魔族の小勢力三つ
・イリスルビーレ公爵を正式に配下に
・天川さんを仲間に
千聡の主人公に対する忠誠度……100%↑ カンスト『恐れ多くも、魔王様から直々にご命令を頂戴した。臣下として光栄の至りだ』忠誠度上昇




