8 妄想は現実を超えて
『ごめん、ちょっとテレビ点けてもいい?』
俺が発した言葉に、正面。俺とテレビの間にいた千聡が、スッと横にどいてくれた。
リモコンを取ってスイッチを入れると、画面には朝と同じニュースが映る。渦中の人物、大人気アイドルの若槻潮浬が、コンサートで歌う映像が流れていた。
俺は画面の中のアイドルと、さっきからテーブルを囲んでいる女の子とを見比べる……。
「……もしかして、同じ人?」
「はい」
なんでもない事のように、あっさりと答える潮浬。……そういえば昨日、千聡が仲間について『魔王様探しと仕事を兼ねてアメリカに行っている』と言っていた。そしてアイドルの若槻潮浬も、アメリカツアーを中断して緊急帰国したらしい。
「……潮浬、こんな所にいる場合じゃないのでは?」
「魔王陛下のお傍以外に、今のわたしがいるべき場所などありませんよ」
……なんか、言う事がすごく千聡にそっくりだ。なんだろう、テンプレとかあるのだろうか?
「でも、事務所の社長さん半泣きだよ」
テレビの中では画面が切り替わって、所属事務所の社長だという人がマイクに囲まれてインタビューを受けているが。しどろもどろで涙目である。
半泣きどころか、7割くらい泣いているかもしれない。
「問題ありませんよ。元々最初の契約時点で、『わたしには探したい人がいるから、それに役立つ限りにおいてアイドル活動をやる。もし目的の人と巡り合えたらその時点で契約は終了し、わたしは全面的な自由を得る』と確約してあります。魔王陛下を探すために、見つけて頂ける可能性に賭けてなるべく人目につくようにとやっていた仕事ですから、その願いが叶った今。もう続ける理由もないのです」
「え、潮浬アイドル辞めちゃうの? せっかく人気なのにもったいない」
「それは魔王陛下のご意向次第ですね。この世界では陛下にお仕えするのにも先立つ物が必要ですから、減らしはしますが続けるつもりでいます。ですがもし陛下がそう望んでくださるのなら、今の生活は全て捨て去って24時間お傍に侍り。わたしの時間は全て陛下のためだけに捧げますよ、いかがでしょうか?」
そう言って、なにやら期待に満ちた視線を向けてくる潮浬。
「し、仕事続ける方向でいいんじゃないかな……」
「……そうですか。わかりました、では当面はそのようにいたしましょう」
潮浬はそう言って一度頭を下げ、微笑を浮かべたが。一瞬残念そうな表情が見えたのは気のせいだろうか?
そして、『当面は』ってどういう意味だろうか?
「はいはい! 自分も閣下のためにめいいっぱい働きますから、よろしくお願いしますね!」
リーゼがそう言って、元気よく手を上げる。
その屈託のない笑顔に癒されながら。俺は(こんな有名人が千聡の妄想仲間って、やっぱりアイドルってストレス多いんだろうか?)などと考えるのだった……。
ちなみにその後も昼まで会議が続き。俺はぼんやりと聞いていただけだが、リーゼが千聡の事を『師匠』、潮浬の事を『先輩』と呼んでいるのに、ちょっと興味を引かれた。
たしかリーゼが17歳で最年長のはずだが、千聡からリーゼは呼び捨て。潮浬はちゃん付けで『リーゼちゃん』と呼んでいる。
会議の合間に訊いてみたら。この世界での歳を足してもリーゼが194歳で一番若く、最年長は潮浬で425歳。魔王に仕えた順番もリーゼが最後だったので、潮浬を『先輩』。頭がよくて色々教えてくれた千聡を『師匠』と呼んでいるとの事だった。
……うんまぁ、とりあえずそういう設定なのだと納得しておこう。
ちなみに俺は298歳。千聡は249歳らしい。俺も潮浬先輩って呼んだ方がいいのだろうか? 魔王だから必要ないかな?
……美少女三人とテーブルを囲むという夢のような時間なはずなのに。なぜか俺の精神ポイントが順調に削られていくのは、合間合間に過剰に持ち上げられるせいと、世界征服のために行うという現実離れした話を延々と聞かされているせいだろう。
なんでもこの世界の地下には巨大な空間があり。そこには多くの魔族が本来の姿で暮らしていて、限られた範囲ではあるが、地上とも関わりを持っているのだそうだ。
昨日も千聡から聞いた気がするが、更に具体的になった所によると。
人間と魔族の関係は、かつては人間に比して身体能力で圧倒していた魔族が優位であり。度々人間社会に介入しては、神話や伝承で神や悪魔、英雄として語り継がれるような事もあったし、妖怪や魔獣と呼ばれるような存在として人間と関わっていたりもしたらしい。
だが人間社会の文明の発達によって、徐々にそのパワーバランスは崩れはじめた。
銃まではなんとかなったけど、高性能な大砲や機関銃。ミサイルや核兵器までが登場するに至って力関係は完全に逆転し。戦えば滅ぼされる立場となった魔族は極力人間との関わりを避けて存在を秘匿し、近代以降はごく限られた交流しか持っていないとの事である。
それでも歴史的に影響力を持っていたりはするし。転生組は人間に混じって人間社会の中で勢力を築いていたりもするので、魔族を統一して支配下に置く事は世界征服に大いに役立つし、俺が望んだ通り穏便に。裏から世界を征服するためにも最適な方法なのだそうだ。
そしてまずはこのアパートを本拠地にして、日本に住む魔族を配下に置く事を目指すらしい。
……大変夢に溢れた、想像力豊かな話だと思う。
話を聞く俺の目は、多分だんだんと死んでいってるだろうけどね……。
――とはいえ、いつまでも死んだ魚のような目をしている訳にはいかない。
魔王役をやると決めた以上。好きになった女の子のために、なにかするべきだろう。
気を取り直して、まずは知識を得る事にする。
千聡達が熱心に話し込んでいる間に、話を流し聞きしつつスマホで検索をかけて、『中二病』『電波』『不思議ちゃん』などの言葉を学習し。『投影性同一視』とかいう難しい言葉も、とりあえず頭に入れた。
電波はアルミホイルを巻くと遮断できるらしいけど、千聡にアルミホイルを巻く訳にはいかないし、あまり効果もなさそうな気がする。
て言うか、『ねぇ千聡、アルミホイル巻いていい?』なんて訊いたら、俺の方が頭おかしな人だ。
……やはりここは、適度に話を合わせつつ様子見するのが一番だろう。スマホで見たサイトにも、『強く否定したりせず。まずは優しく話を聞いてあげましょう』って書いてあった。
あまり無茶な要求をされても困るけど。魔王っぽいコスプレをしたり、それらしい台詞を言うくらいなら対応しよう。それで千聡が喜んでくれるなら、俺頑張るよ。
そう決意を固め。話の合間に言葉を挟む。
「ねえ千聡。なにか俺にして欲しい事ってある?」
「恐れ多きお言葉、ありがとうございます。魔王様には、我々を統率して頂ければと思います」
「とうそつ?」
「はい。我々を束ね、導いて頂ければと」
「それって具体的になにをやるの?」
「まずは存在していて頂く事。そしてなにか思う所があれば、都度お命じくだされば光栄に存じます」
……それってつまり、基本何もしなくていいって事ではないだろうか?
まぁ、『資金調達』とか言われても困るからいいんだけど。意気込んでいた分、ちょっと肩透かしな感じだ。
「せっかくだから、他にも何かない? 俺にできる事ならだけど」
安心した反面、ちょっと仲間外れ感を覚えてしまい。一歩踏み込んでみると、千聡はなにかを迷うように一瞬表情を険しくし。わずかの逡巡を見せた後、深々と頭を下げた。
「――もし願えるのでしたら、血を少しお分け頂ければ大変ありがたく思います」
「血?」
なんか、想定とちょっと違う所きた。いや、それらしいと言えばそれらしいけど……。怪しい儀式とかに使うのだろうか?
「無理にとは申しませんから。少しでもお嫌ならそう言って頂ければ……」
頭を下げたままそう言う千聡。これは、断りにくいな……。
「わかった、どうぞ」
そう言って左腕をテーブルに置くと。千聡は『ありがとうございます』と言ってカバンを開き、小箱から注射器を取り出した。
……え、注射器?