2 妄想少女は土下座がお好き?
『緑荘』。多分屋根が緑色だから名付けられたのだろう、安直な名前の築40年くらいのボロアパートである。
通っている高校に近いからという理由で、春からここの101号室が俺の住処になっている。
「……あの、ごめん。ちょっとだけ待っててくれる?」
――その言葉に一瞬少女の顔から表情が消え。俺の上着の裾を握る手にギュッと力が入ったが、すぐに『承知いたしました』と言って手を離してくれた。
申し訳ない。通常男子高校生の部屋は、いきなり女の子を招き入れられるようにはできていないのだ。
とりあえず急いで部屋を片付け、ヤバイ物を全部収納に押し込んで。手早く掃除機をかける。
「お待たせ。どうぞ、入って」
「はい、失礼いたします」
少女は入り口で丁寧に頭を下げ、俺の部屋へと足を踏み入れる。
……考えてみれば、両親の仕事の都合で引越しが多かった俺は友達が少なく。同世代の女の子を部屋に入れるなんて初めての経験だった。
それも、一目惚れした美少女をである。
緊張しながら少女を部屋に招き入れ。冬にはコタツにもなる小さなテーブルに陣取って、いつも俺が使っているクッションを差し出す……あれ?
少女の姿が見当たらない事に気付いて視線を玄関に向けると、少女は玄関の靴を脱ぐ所にいた。しかも、正座である。
少女はそのまま、背筋がピンと伸びたきれいな姿勢の土下座を披露してくれながら、言葉を発する。
「魔王様、先程はまことに申し訳ございませんでした。公衆の面前であのように不用意な発言を……」
「――ちょ、なにしてるの? 服汚れちゃうよ、こっちに入ってきて」
「いえ、私などはこちらで十分でございます」
「いや、十分て……」
少女がきれいな土下座ポーズを決めている、玄関の靴を脱ぐ場所。そこは思いっきりコンクリートだし、あまり掃除をしていないのでわりと埃っぽい。
この部屋はいわゆるワンルームで、一応俺がいる場所から玄関まで視界が通りはするが。さすがにあんな所に座らせておく訳にはいかないだろう。
なので玄関に戻って手を貸して立ち上がってもらい。恐縮するのをなだめて、黒い服と黒い髪に付いた白い埃を払うのを手伝って、部屋に上がってもらう。
そして、今度はクッションを『魔王様を差し置いて私だけなど恐れ多い……』と一揉めして。今度は俺が折れてクッションは俺が使う事になった。ここまでで多分、部屋に入ってから5分くらい経っていると思う。
なんだかどっと疲れたが、話をするのはこれからなのだ。
俺は気を取り直して、テーブルを挟んで少女と向かい合う。
……うん。ちょこんと正座して遠慮がちにこちらを見ている少女は、文句なしにかわいい。俄然やる気が湧いてきたぞ。
「――えっと、まずは自己紹介をしようか。俺は烏丸和人、この近くにある城東大学付属高校の一年生」
「あ、申し遅れました。この世界での私の名は早川千聡と申します。魔王様と同じく高校一年生で、普段は東京に住んでおります」
おおう……『この世界での名』とか、痛いワードが出てきたな。やっぱり別世界での名前もあったりするのだろうか?
そして、自己紹介しても魔王様呼びは変わらないのね……。
「え、ええと……早川さんは東京からなんでここへ来てたの? 夏休みの里帰りかなにか?」
「いえ、魔王様を探してでございます。15年の時を経てこうして再会が叶い、再び御前に平伏す栄誉をいただけた事。これに勝る喜びはございません……それと、私の事はどうか名前を呼び捨てでお呼びくださいませ。以前のように『参謀』や、単に『おい』だけでも構いません」
「……う、うん。じゃあ千聡って呼ばせてもらうよ」
「はい、魔王様」
嬉しそうに。本当に嬉しそうに表情を緩める千聡。
その笑顔は問答無用でかわいいが。俺の中では千聡の印象が『凛とした美少女』から『ちょっと危ない妄想少女』へと、急速に変化しつつあった。
生まれて初めて女の子を部屋に入れる緊張感はいつの間にか消えてなくなり、別の緊張感が俺を支配していく。
「……えっと、千聡は魔王を探すのにどうしてピンポイントでここに来たの? 東京からはかなり遠いのに」
「いえ、ピンポイントで来た訳ではなく、この世界全てを10キロ四方のマス目に区切り。その中で人が住んでいる場所を順に巡っていたのです」
「……それって、もしマスの中に目的の人がいても出会える可能性かなり低くない?」
「おっしゃる通りです。ですから数十年、数百年かかる事も覚悟しておりました。わずか7年で今日のこの日を迎えられた事は、真に僥倖であったと感動せずにはいられません」
そう言って、嬉しそうに涙をぬぐう千聡。
……7年って、俺と同じ高校一年生だと言っていたから、小学校三年生の頃からやっていたのか?
もし本当なら、かなり年季の入った妄想少女という事になる。
なんとなく千聡の中にある設定が見えてきた所で、俺はいよいよ核心に迫る質問をしてみる事にする。
「それで、どうして俺が魔王に選ばれたの?」
「――え?」
俺の問いに、キョトンとして固まる千聡。ああ、こういう表情もかわいいなぁ……。
思わず見惚れていると、彼女なりに質問の意味を理解したのだろう。元々ピンと伸びていた背を更にシャンと伸ばし。姿勢を正して言葉を発する。
「選ばれた訳ではございません。魔王様を選ぶなどと、そんな魔王様よりも上位権者であるかのような存在など、いるはずがありません。魔王様は己が才覚を持って歴史上初めて魔族を統一され、その王となられた偉大なお方なのです」
「お、おう……」
いかん、話が通じない。
どうやら千聡の中の魔王設定はかなりガチガチに固まっていて、俺の質問はそれから外れたものだったらしい。
そういえば『この世界』とか言っていたから、別世界からの因縁がある系だろうか?
――だとしたらちょっとマズイ。当然俺には魔王だった記憶なんかないし、記憶を辿って両親の都合で転校が多かった小中学生時代を思い返してみても、こんなかわいい子と魔王ごっこをした記憶もない。
現状俺と千聡の繋がりは、千聡が言う『魔王』というあやふやなものしかないのに。俺に記憶がないと分かったら『人違いでした』で関係が終わってしまうだろう。
せっかく一目惚れした美少女と親しくなれそうなのに、それはあまりにも残念すぎる。
かといって、千聡の中に明確な魔王像が出来上がっているっぽい以上。魔王の振りをしてもすぐにボロが出てしまうだろう。
それに、好きになった人を騙すような真似はしたくない。
……しばらく悩んだが。やはりここは正直に事実を伝えるべきだろう。
それで千聡との縁が切れてしまっても、それはしょうがない。部屋に招いて話ができたというだけで、すごい事なのだ。一夏の素敵な思い出として、記憶に留め置く事にしよう。
俺はそう覚悟を決めて、言葉を発する。
「ねぇ千聡。俺、魔王だったりした記憶ないんだけど」
「え……?」
別れの言葉を覚悟して、手を握り締める俺の視線の先で。千聡の顔色は急速に青褪め、体が小刻みに震えはじめる。
――え、大丈夫これ……?