19 潮浬が語る千聡の思い出
潮浬は少し気まずそうに。今だからできるという昔話をはじめる。
「わたしが初めて陛下と出会った時、千聡はすでに陛下の隣にいました。そして誰よりも陛下の近くにいたあの子は、わたしの目的には邪魔な存在に映ったのです」
潮浬はわずかに視線を下げ。言いにくそうに言葉を紡ぐ。
「最初はこっそり殺してやろうかと思いましたが、それは陛下のご不興を買うと思ったので。とにかく陛下から引き離そうと、色々と酷い事をしたものです。具体的に言うのは差し控えますが、陛下がお知りになったらわたしを一生軽蔑なさるであろう事さえやりました。普通の相手ならたまらず逃げ出すか、心が壊れてしまっていたでしょう」
……シリアスモードなのだろうか? いつもの微笑がなく、どこか暗く見える表情で話を続ける。
「ですが私がどんな事をしても、あの子の心はいささかの揺らぎも見せませんでした。それどころか、わたしの非道を陛下に訴える事さえしなかったのです。もちろん物証は残していませんでしたが、状況からすればわたしの仕業である事は明らかだったにもかかわらずです。
わたしは酷くプライドを傷つけられ、あの子に詰め寄りました。同情でもしているつもりなのかとね……」
「…………」
「わたしは当時、槍を扱わせたら魔族随一と評される腕前だったのです。その槍先にありったけの敵意と殺意を込めて喉元に突き付けてやっても、あの子は表情一つ変えませんでした。自慢する訳ではありませんが、下級の魔族や普通の人間なら、恐怖のあまり気が触れてしまってもおかしくないくらいのものだったのですよ」
潮浬の表情に、わずかな笑みが戻ってくる……が、いつもとは違う気がする。
これは自嘲の笑み……それとも恐怖だろうか?
俺が戸惑う中、潮浬の話は続く。
「槍先が首の皮を傷つけ、血が流れるような状況で。あの子は本当に不思議そうに、まっすぐわたしの目を見て言いました。『貴女は魔王様にとって有益な存在です。なのにどうして、私が貴女を排するような真似をする必要があるのですか?』とね。あれを聞いた時、わたしは300年以上生きてきて初めて、背筋がゾクリとしましたよ……」
その時の事を思い出しているのか。潮浬は表情を硬く引きつらせながら言葉を続ける。
「あの子にとっては、本当に陛下が自分の全てなのです。たとえ自分がどんな苦痛を味わおうとも、それがわずかでも陛下のお役に立つのなら、気にも留めないでしょう。そんなあの子が陛下直々になにをされたとしても。させられたとしても、陛下を嫌う光景などわたしには想像もできません」
「…………」
「陛下。わたしは今でも、世界で一番あなたを愛しているのはわたしだと思っています。ですが千聡の忠誠心。あれが愛だと言われたら、死ぬほど悔しいですが、勝てるとは断言できません。もちろん負けるとも思いませんが、あの子の想いはそれほどのものなのです。尋常な方法で揺らぐようなものではないと、ご承知置きください」
なんか、ものすごく力がこもっている。
「……千聡って、なんでそんなになっちゃったの?」
「それは分かりません。あの子はわたし達三人の中でも最古参の臣下で、わたしが合流した時にはすでにああでしたから」
一瞬、『最古参』が『サイコさん』に聞こえてしまったのは、俺悪くないと思う。
「どうしても気になるのでしたら、あの子に直接訊いてみればよろしいかと思います。陛下からのご下問とあれば、なんでも素直に答えるでしょう。……ちなみに私もスリーサイズから性感帯まで、なんでも答えますよ。基本は首筋と足の付け根のちょっと上辺りが弱いですが、陛下に触られたらどこでも性感帯になる気もします」
まだなにも訊いていないのに、なんか一方的にぶっちゃけはじめた。
……って待てよ。例によってすっかり聞き入ってしまったが、今の話どこまで現実だ?
「スリーサイズは口頭でお伝えするのと、実際に測ってみるのとどちらがよろしいですか?」
そしてよく分からない二択も出される。
曖昧な返事をして誤魔化しながら。昔話はともかく、千聡の好感度や忠誠度。潮浬の恋愛感の話はどこまで本当だったのだろうかと、頭を悩ませる……。
そうしていると、俺にスリーサイズを測らせるのを諦めたらしい潮浬が、ちょっと真面目な表情に戻って言葉を発する。
「千聡の事をそれほど気にかけておいでなら、陛下との再会が叶ってから寝ていないようですので、適度に休むようにお命じになると良いかと思います」
「え、俺と出会ってからって。今日で三日目なんだけど?」
「初日の事は存じませんが。あれこれ動いたり魔王様の記憶を取り戻す方法を探したりで、昨日から今日にかけては一切の休息を取っていませんね。そして初日はまぁ、眠れたはずもないと思います。わたしだって昨夜は興奮のあまり、一睡もできませんでしたから」
「……疲れたら自然と寝るんじゃないかな?」
「それはすなわち、倒れるまで作業を続け。気がついたら再び倒れるまで作業を続けるの繰り返しになるという事です。わたしとしてはあの子がどうなろうと知った事ではありませんが、陛下が悲しむ姿は見たくありませんので、一日二時間以上は眠るようにと命じてやると良いと思います。わたしが言ってもどうせ聞きませんので」
「一日二時間って短くない?」
「あの子は元々長時間の睡眠を必要としませんし、あまり長くして陛下のために働く時間をなくしてしまうと逆に情緒不安定になるでしょうから、妥当な所だと思います。わたし達はそもそも、この世界の人間よりも頑丈ですし」
……まぁ、『二時間以上』なら眠たい時にはもっと寝るだろうし、問題ないかな?
「ちなみにわたしも頑丈ですので、陛下がそういうのお好きなら普通の人間では耐えられないようなプレイにも対応可能ですよ。さすがに子供を産み育てるのに支障が出るレベルは困りますが、爪くらいなら剥いでも構いませんし、鞭やスタンガンくらいなら毎日でも……」
『あ、もしもし千聡。なんかあんまり寝てないらしいじゃない。俺のために色々してくれるのは嬉しいけど、体壊したら元も子もないからさ。うん、だから一日二時間以上は寝るようにしてね。それと、俺の事以外にもちゃんと時間使ってね。うん、じゃあまたね』
「……対応できますよ。ピアスとか空けてみますか?」
おおう、完全スルーを決めたのに全く動じていない。この子ホントにメンタル強いな。……あと、俺そんな特殊な性癖もってないからね。
とりあえず危険な提案は聞かなかった事にして、言葉を発する。
「潮浬って、なんだかんだ言って千聡の事好きだよね」
「え?」
あれ、マジキョトンだ。違ったかな?
「千聡の事が心配だから、俺に寝るように言えって頼んだんじゃないの?」
「いえ、わたしが気にかけているのはいつでも陛下だけですよ。あの子は陛下のお気に入りですし、将来共に陛下のハーレムを構成する一員ですから、それを考慮して進言したまでです」
これは照れ隠し……なのだろうか? まぁともかく、千聡の健康が守られたのはいい事だ。
千聡の好感度をちょっと下げるという目標は現状全く達成できていないみたいだけど、今はこれで善しとしておこう。
慌てなくても、時間はまだこれからたっぷりあるのだから……。