16 相談役
寝起きを襲われて貞操を奪われそうになってから、一時間と少し。俺はその当人と二人きりで、テーブルを挟んで向かい合っている。
千聡から聞いた対策を頭の中でシミュレートしつつ、緊張しながら様子をうかがうが。潮浬は楽しそうにニコニコしているだけで、なにもしてくる様子はない。
「……潮浬、なにか用事があったんじゃないの?」
沈黙に耐え切れず、こちらから話を振る。
「特別の用件はありませんが、時間が空いているので少しでも陛下と同じ空間にいて、お姿を眺めていたいなと思いまして」
返ってきたのは、例によってよくわからない返答。
「いや、潮浬アイドル業で忙しいんじゃないの?」
「仕事は最大限減らすように連絡しましたし。午後から記者会見があるそうですが、それまでは時間がありますので」
「そ、そうなんだ……」
「はい。あ、わたしは陛下と同じ空間に存在していたいだけですので、どうぞ遠慮なく普段どおりにお過ごしください。なにか用事があれば言いつけて頂いても構いませんし、お出かけなさるのならお供いたしますよ。そうだ、お茶とお菓子を持ってまいりましたので、よろしければどうぞ」
……普段通りと言われても、狭い部屋にかわいい女の子と二人でいて、気にせずにいられる訳がない。しかも、ほんのちょっと前に襲われかけた相手である。性的な意味で。
とりあえず朝ごはん代わりにお菓子を頂きながら、潮浬を観察する。
やたらと短いスカートに、胸元が大きく開いたシャツ。シャツは丈が短くて、ヘソが見えてしまいそうだ。
……これ、明らかに今朝の続きを狙ってるよね?
「そんなに警戒なさらなくても、もう無理やり関係を迫ったりはしませんよ」
「……ホントに?」
「絶対にとは言い切れませんが、多分」
うん、なんかもう不安しかない……。
……お茶を飲みつつ、警戒は解かずになにか話すネタはと探す。
だが、思い浮かぶのは雑談には適さない重い話ばかりだ。
いや、むしろここはちゃんと話をして。色々はっきりさせておくべきかもしれない。
俺は深呼吸をして決意を固め。ゆっくりと口を開く。
「あの、潮浬。実は俺、好きな人がいるんだ……」
「はい。千聡の事ですよね?」
「うん、だから……って、待って! なんで知ってるの!?」
「わたしは昨日からずっと陛下の事を見ていましたし。その手の事には敏感なつもりですから、わかりますよ」
……そういえば潮浬。なんかやたらとこっちを見てる事が多かったな。
「それなら。俺なんかが潮浬相手にこんな事いうのは身の程知らずだって分かってるけど、俺は……」
「もしかして陛下、今朝は千聡に気を使ってわたしを抱くのをためらわれたのですか?」
俺の言葉を遮るように、なぜか目を輝かせて身を乗り出してくる潮浬。
今の会話にどこか、喜ぶ要素があっただろうか?
「――それだけじゃないけど、千聡に気を使ってってのは大きかったと思う。正直それがなかったら、耐えられたかどうかは自信ない」
「でしたら何も問題ありませんよ! 王が妃を何人も持つのは普通の事ですし、千聡もそれは当然理解しているでしょう。私も抱いて頂けるのなら、側室でも愛妾でも性奴隷でもなんでも構いませんし。なんなら今すぐ千聡に確認を……」
「ちょ、ちょっと待って!」
嬉しそうにとんでもない事を言ってスマホを取り出す潮浬を、ギリギリで押し留める。
一応千聡と電話番号は交換したが。まだ電話で話した事はないのに、初めてする話が複数の女の子と付き合っていいかどうかなんて、最悪すぎる。
残念そうな潮浬がスマホをしまうのを見ながら、一旦落ち着くためにお茶を口に含む……。
「陛下が乗り気でないのならやめておきますが……。あ、そうだ。でしたら、わたしが陛下と千聡の仲を取り持ちましょうか? 成功報酬として、わたしもついでに抱いて頂けるなら大歓迎です。なんなら二人まとめてでも……」
『――ぶほっ!』
あまりに突拍子のない発言に、危うく盛大にお茶を噴く所だった。なんとか咽るだけで我慢した自分を褒めてあげたい。
「大丈夫ですか陛下? 今のは別に、成功報酬と性交報酬をかけたギャグだった訳ではないのですが……」
潮浬が隣に来て背中をさすってくれるが、別にギャグが面白くて咽た訳ではない。というか、言われて初めて気付いたわ。
……だが、落ち着いて考えてみると報酬はともかく、提案自体はすごく魅力的だ。
恋愛経験値がほとんどゼロで、千聡にどう接したらいいのかも量りかねている俺である。千聡と付き合いが長くて趣味にも理解があり、なんか恋愛経験値が高そうな潮浬に協力してもらえるなら、こんなに心強い事はない。
……でも、それってどうなんだろう?
仮にも俺の事を好きだと言ってくれている子に、他の子との恋愛相談をしたり。あまつさえ仲を取り持ってもらうなんて、あまりに酷くないだろうか?
思い悩んでいると、潮浬が声をかけてくる。
「陛下、そんなに悩まれなくても。これはわたしにも利がある事なのですよ」
「え、そうなの?」
「はい。とりあえず千聡と恋仲になって何回か抱けば、初めてゆえの緊張やハードルの高さもなくなるでしょう。そうなればわたしも誘惑し易くなりますし、どんな美人も美味しい料理も、ずっと続けば飽きがきて目先を変えたくなると言いますから。その時にちょっとつまんでみる感じで、わたしにもチャンスが巡ってくるかもしれないではありませんか」
……なんかわりと最低な事を言っている気がするが、この話で貶められているのは、他ならぬ潮浬本人だ。
「潮浬、そんなに自分を安売りする事ないんじゃない? 少なくとも潮浬は、何百万人もファンがいる大人気アイドルなんだしさ」
「陛下は、100円で売れなかった品物を500円に値上げしたら売れると思われますか?」
「え? ……いや、それは売れないだろうけど」
「ですよね。ならばタダでも陛下に買って頂けなかったこの身であれば、もっと安くするのが正しい売り方でしょう? オマケをつけるなり、自分がオマケになるなりしてです。だからわたしが陛下と千聡の仲を取り持つ事に、利点が生じるのですよ」
……言っている事自体は理解できるし、理屈の上では正しいような気もしないではない。……でも、なんだろうね。この微妙な気持ち。
「潮浬はホントにそれでいいの? 好きな人には自分だけを見ていて欲しいとか、そんな風には思わないの?」
「それは……もちろん陛下をわたしだけの物にできたらどんなに良いだろうかと、そう思わないではありません。ですが千聡もリーゼちゃんもいますし、さすがにそれは高望みし過ぎでしょうから、わたしが陛下だけの物になる事で妥協しようかなと思っています」
「それ……妥協になってる?」
「もちろんですよ。わたしの唯一にして究極の目標は運命の相手と子を成し、子孫を繋ぐ事なのですから」
「…………それで自分が死んじゃうとしても?」
ちょっと意地悪かなと思ったが、さっき千聡に聞いた魔族の設定を持ち出してみる。
「千聡からお聞きになりましたか……そうですね、それで答えは変わりません。わたしのこの体には……正確には転生したのでこの体ではありませんが、わたしを構成する様々なものは、わたしの親達が。先祖達が何百何千代にも渡って積み上げてきたものです。
代々己が至上と見初めた相手の血を取り込み。その集大成としてあるこの体に、またわたしが至高と惚れ込んだお方の血を加えて次代に繋ぐのです。――考えただけで身震いするほどの、素敵な事ではありませんか」
「それは、潮浬の命よりも大切な事なの?」
「当然です。この世界の人間は少し特殊な考えを持っているようですが、子孫を残し、種を繋ぐというのは、多くの生命種にとって最優先にするべき大切な事ですよ。たとえば、この世界で私が最も尊敬する魚類の一つに鮭という種類がいますが……」
(……尊敬する魚類? 初めて聞く日本語だ)
困惑する俺をよそに、潮浬は熱っぽく言葉を続ける。
「彼等はただ子孫を残すためだけに。その先に待っているのが自分の死である事を承知の上で、千苦に耐え。万難を排して川を遡るのです。
食事も摂らず、二度と海に戻れぬよう体を作り変えて。たった一つの目的のために不退転の決意で必死に川を上る姿は、涙なしには見る事ができません……。
そして本懐を遂げた後は、命尽きるまで卵を守り。最後にはその体さえ子供達の栄養として残すのです。それに比べれば私は、子供達を自分の手で育て。成長を見守る事ができるのですから、ずっと恵まれていると思いますよ」
「お、おう……」
潮浬の目には本当に涙が滲んでいて、本気で心を動かしている様子だ。
そりゃまぁ、感動的な話ではあるけどさ……。
……そういえば、千聡が潮浬は人魚に近い種族だったと言っていた。
人魚だから、魚に愛着があるのだろうか?
そんな事を考えていると、潮浬は指先で涙をぬぐう。
その仕草がなんか、とても魅惑的だなと見惚れていると、気を取り直したらしい潮浬が言葉を発する。
「と言う訳で、わたしが陛下と千聡の仲を取り持つお手伝いをいたしましょう。具体的になにをお望みですか?」
どういう流れで『と言う訳』になったのかよくわからないが、これはもう断りにくい雰囲気だ。
そして俺としても、潮浬が協力してくれるならこの上もなくありがたい。
――俺は決意を固め、ゆっくりと口を開く。
「あの、千聡と恋人同士になりたいんだけど。どうすればいいかな……?」
※ タイセイヨウサケの一部には、産卵後再び海に下って複数回産卵する個体群もいるだろという突っ込みはご容赦ください。