12 配下
『配下になれ』と要求した千聡の言葉に、にわかに殺気立つ部屋。
俺は全力で平静をよそおいつつ、内心ドキドキで成り行きを見守る。
――しばらく冷たい沈黙が支配した後、玉藻さんがゆっくりと口を開いた。
「わらわはかつて、この日の本全土の魔族を支配下に置いた身じゃ。病を得て衰えたとはいえ、今でもこの国の半分を支配し、従う魔族は1000を下らん。そのわらわに、臣下になれと申したか?」
玉藻さんの目は鋭く、声にはとんでもない威圧感が宿っている。これ、もし俺一人だったら、絶対泣いていると思う。
だが千聡は、そんなプレッシャーなどまるで気に留めないかのように。平然と言葉を発する。
「魔王様はいずれ、この世界全てを統べるお方です。隷下に入るのが早いか遅いかの違いだけであってみれば、早い方が優位な立場を築きやすいと思うのですが」
その言葉に、玉藻さんはまたじっと俺を見る。
「……なるほど。下級の魔族では感じ取れぬほどに上手く隠しておるが、魔力の濃さはすさまじいものじゃ。底の知れなさも感じる。それに少人数とはいえ、そっちの二人も本気で暴れられたら、この屋敷の人員全てでかかっても押さえられるかどうか怪しいな。……おまけにわらわは、お主に弱みまで握られておる」
玉藻さんはそう言って不愉快そうに眉根を寄せ、言葉を繋ぐ。
「この身は不治の病に侵され、明日をも知れぬ身じゃ。お主の薬がなければこうして話す事すらままならず、苦痛に衰弱して落命するか、強い痛み止めで精神を破壊されておったじゃろう……じゃがな。たかだか数年か数十年かの寿命を永らえるためだけに、わらわが頭を垂れると本気で思うておるのなら、お主への評価を改めねばならんな」
「なるほど。たしかに今の我々はまだ、路傍の石のように取るに足りない弱小勢力です。いずれ世界を統べると言っても、信じられぬのも無理はないでしょう。それに、玉藻殿の誇り高さもよく存じているつもりです。だからこそ、配下にとお誘いしているのですからね。……では、これはいかがでしょうか?」
千聡はそう言って、車の中で調合していた赤い液体が入った小ビンを机の上に置く。
「これはドラゴンの血を引く魔王様の血を使う事で、効果を飛躍的に高めた特別な薬です。進行を押さえ、痛みをとる程度の効果しかない今の薬と違い。病を完治させる事すら可能になるでしょう」
「――な!」
千聡の言葉に、玉藻さんの後ろで話を聞いていた男の人達が声を上げ、土蜘蛛さんなんか腰を浮かせて、半立ちになる。
お付きの女の人も、目を見開いて視線は小ビンに釘付けだ。
……だが、玉藻さんは表情を変える事すらせず。じっと千聡を睨みつけている。
「わらわはやはり、お主を買い被っておったようじゃ。たとえその薬が本当に完治を望める物であったとしても、わらわの答えは変わらん。己が命惜しさに今日までついてきてくれた部下達を裏切り、他者の軍門に下るなど、できるはずがないであろう!」
部屋に響く、玉藻さんの声。
……これ、演技だよね?
思わず本気でそう疑ってしまうほどの、すごい威圧感だ。
直接俺に向けられている訳ではないが、それでも息をするのが苦しく感じられる。
だがそんな怒気を直接向けられている千聡は、たじろいだ様子もなく口を開く。
「おっしゃる事はよくわかりますが、部下の方々は必ずしもそうではないようにお見受けしますよ」
「それは部下として、主の身を案じておるだけであろう。甘えてよい話ではない!」
玉藻さんはそう叫んで立ち上がるが。普通怒ったら赤くなるはずの顔色は、酷く青褪めている。
「部下が主君の身を案じるなど、当然の事ではありませんか。玉藻殿、一度後ろを振り返ってみる事をお勧めいたします」
「なに?」
千聡の言葉に。玉藻さんは綺麗な銀髪をひるがえして、後ろを振り返る。
そこにはなにかを訴えるように、じっと玉藻さんを見つめる三人の男の人と、お付きの女の人の姿があった……。
一瞬動きを止めた玉藻さんに、千聡が言葉を発する。
「主が組織のために自らの身を犠牲にする。あるいは部下をかばって傷を負うなど、一般には美談として語られ、名君と讃えられる良い話です。……ですが、本当にそうでしょうか?」
千聡はその言葉を噛みしめるように。少し時間を置いてから言葉を続ける。
「少なくとも私は、主君が組織のために身を捧げるような事になったら、それを防げなかった自分の無力さを心の底から呪いますし、主君が私をかばって傷を負ったりしたら、その後の人生ずっと。その傷痕を見るたびに、身を引き裂かれるような悔恨の念に襲われるでしょう。
ですが逆に、私が主君をかばって傷を負ったのなら。私はその傷痕を一生の誇りとし、見るたびに自己満足に浸り、幸福な気持ちに包まれるでしょう。どちらが部下にとって本当に幸せか、考えるまでもない事だと思いませんか? 私の魔王様は、そこまで深く部下の想いを酌んで下さる方でしたよ」
「…………」
「もちろん今の話は、部下の忠誠度によります。部下の忠誠を得られておらず、あわよくばその地位を狙われるような二流の主君であれば、話は変わってくるでしょう。……玉藻殿、先程振り返っていかがでしたか? 病を得て力衰え、勢力の半分を失ってもなお付いてきてくれている部下達は、どんな表情をしていましたか?
私は貴女を、魔王様の直接の配下としてふさわしい。部下に慕われる優れた人物であると見込んでいます。だからこそ、恐れ多くも魔王様の血を賜ってまで薬を作り。今回の話を持って来たのです」
千聡の言葉に、玉藻さんは言葉を失って座り込み。再び後ろに視線を向ける。
「……お主達、本当に良いのか? 配下の配下、陪臣となれば頭を下げねばならぬ相手も増え、理不尽な命令に従わねばならん事もあるかもしれんのじゃぞ」
――その問いに。天狗さんがみんなを代表するようにズィと体を前に出して、言葉を発する。
「もちろんでございます。例え誰に頭を下げる事になろうと、我々の主君は今日まで多大な恩を受けた、玉藻様ただお一人のみです。そして主君を救ってくれた恩義ある相手であれば、我らがそれに報いるべく働くのは当然でありましょう」
そう言って深々と頭を下げた天狗さんに。他の二人とお付きの人も、賛同を示すように続いて頭を下げる。
「……わかった」
玉藻さんはそう一言発して、体を千聡ではなく俺に向ける。
「――魔王アドラスティア様。この玉藻、これより先は貴方様を主君と仰ぎ、忠節を尽くすとお誓い申し上げます。どうか我らを配下にお加えくださいませ……」
そう言って頭を下げる玉藻さんの目には、一瞬涙が光っているように見えた。
それを隠すように、畳につくほど頭を下げ。主に合わせて、後ろの部下達も、一斉に頭を下げる。
……これ、どう反応すればいいんだろう?
『こちらこそよろしくお願いします』って言って頭を下げたくなるが、なんかそれは期待されている反応と違う気がする。
――どうすればいいのかわからずに固まっていると。千聡が横から、小さなお盆みたいなものに乗せた小ビンを、スッと差し出してきた。
「魔王様、この者達を配下として認める事にご異議がなければ、この薬を下賜してやってくださいませ」
見ると、さっきの赤い液体が入った小ビン……いや違う。さっきの小ビンは、机の上に置かれたままだ。
……俺の視線に気付いたのか、千聡が言葉を発する。
「最初の薬は偽物です。以前こちらを訪れた時の様子からまずないとは思っていましたが、もし万が一力ずくで薬を奪い取ろうとしてきたり。玉藻殿が我が身かわいさに部下の意を汲まずに薬を求めるような人物であったら、恐れ多くも魔王様の血を頂いて作った大切な薬です。そんな相手には受け取る資格がないと思っておりましたので」
……千聡、玉藻さん達がいる前でぶっちゃけ過ぎではないだろうか?
恐る恐る様子を見るが、別段怒っている風には見えないので、いいのだろうか?
……というか、玉藻さんの顔色がなんかヤバイ位に悪くなってきていて、呼吸も乱れはじめている。
額にはじわりと汗が浮いて、とても苦しそうだ
「――配下となった記念に、これをつかわす」
なんかとりあえずそれっぽい事を言って、薬をズッと前に押し出すと。玉藻さん達は改めて、深々と頭を下げた。
……記念にって、おかしかったかな?
ちょっとそう思ったが、どこからもツッコミが入る事はなく。千聡が『その薬は日に三度、5~6滴を口内に垂らして、粘膜や舌下から吸収させてください。なくなる頃には治癒しているはずですが、なにかあったらご連絡を。では、我々はこれで失礼します』と早口で言い、スッと立ち上がる。
多分、弱っている玉藻さんを俺達の目に晒さないようにとの配慮なのだろう。
俺も立ち上がり、足がしびれているのを我慢して千聡に続く。潮浬とリーゼも、すぐに後をついてきた。
――俺達がまだ完全に部屋を出ないうちに。後ろで『ドサッ』と人が倒れる音がし、人が集まる気配と、慌しく小ビンの蓋が開けられる音が聞こえてくる。
玉藻さん、限界まで精一杯気を張っていたのだろう…………ってあれ? 今の演技だった……んだよね?
あまりの迫力に途中から完全に呑まれてしまい、本当の事にしか思えなくなっていた。
ていうか、顔を赤くするならともかく青くするのって、演技でできるのだろうか?
今のが全部演技なのだとしたら、ハリウッド級だと思う。妄想仲間のなりきりだったにしても、あまりにも真に迫っていた。
――結局役者さんの演技だったのか、妄想仲間のなりきりだったのかを見分けるという目標には答えを出せないまま。もしかしたら本物だったんじゃないだろうかという疑惑まで抱えつつ、車に戻る。
発車の直前。天狗さんが大慌てで駆けつけてきて、地面に平伏してお礼を言い。俺達を見送ってくれた。
千聡と知り合ってまだ二日目だが、もう一生分くらい土下座をされた気がする。
……いや、普通は一回もされないのかな?
そんな事を考えながら帰路につき。ちょうどいい時間だったので、夕食にラーメンを食べて帰る事になった。
京都と言えば懐石料理とか鯖寿司とか、夏の今の時期だと鱧料理とかが有名だけど。基本高級品なので学生には縁がないのだ。
千聡に頼めばご馳走してくれるかもしれないけど、さすがにね。
それに京都は、意外とラーメンも有名なのだ。
千聡はラーメンも奢ってくれようとしたけど、それはさすがに遠慮した。
あまり話す機会がなかった潮浬やリーゼとも楽しく話して夕食を終え、アパートに戻ってくると、今日はそこで解散となる。
千聡に『お疲れでしょうから』と言われたが、たしかに疲れた。主に精神面で……。
こうして千聡と出会って二日目の夜は、振り返る事があまりに多い中で、ゆっくりと過ぎていくのだった……。