6月 旅立ちの時
はじめまして、初投稿です。
なるべくまめに更新していきますので、できれば、しばらくお付き合い頂きたく存じます。
(土下座)
最北の地 エラクシャク郡は、6月も末になると早すぎる秋を迎える。
エラクシャク最大の街 アルチークでは、現在ロドリカ国でも最も早い収穫祭の真最中だ。
大通りにはめかし込んだ人々や山のように野菜を乗せたトラックが行き来している。エラクシャクの収穫祭は三日間続く。この期間は毎年、郡内各地から集まった人々、ロドリカ本土からやって来た観光客で賑わう。特別な催し物や見世物が開催され、集まった人々は昼も夜もなく遊び歩くことが出来るという。
そんなアルチークの年に一度の大賑わい。知らない者同士でも笑顔や挨拶を交わし合いながらすれ違っていくという、多分に浮かれた空気の中で……自分たちだけ葬儀に参列しているかのように、ことさら静かに通りを行く一組の家族がいた。
――ひとりは年老いた男、
ひとりは少女、
そして、幼い男の子――
年老いた男は、家族の父親で名をクリスチャンといった。
彼は幼い息子を右肩にのせながら、左脇に大きなトランクを抱えてズンズンと歩いている。
クリスチャンは年老いているとは言っても、一目で全身に分厚い筋肉を鎧うているのがわかる6.2リュートを越える大柄な男だ。彼の立ち姿、歩く姿は実に堂々としており、とても老人のそれには見えない。額や頬に深いしわが刻まれてはいるが、もし彼の頭髪に少しでも色が残っていれば誰も彼が老人であることに気づかないだろう。
クリスチャンの束ねられた長い髪と鼻下で奇麗に整えられた口ひげは、ともに総白髪で、真昼の太陽の光を浴びてキラキラと……無駄に目立っていた。
そしてその隣、少し後を少女が歩いている。
娘のミランダ、14歳。派手な父親とは違って身長はそこそこ、人並みの可愛さを備えたごく普通のローティーンである。
ミランダはクリスチャンの大きな歩幅に合わせて一心不乱に歩いているものだから、ハチミツ色をした短いポニーテールと、左肩から斜めがけにしたショルダーバッグが常にピョコピョコと跳ねている。
――クリスチャンは、優しい父親ではあるが不器用な男である。
彼は横を歩く娘の表情を何も言わずにチラリと伺う。
クリスチャンは昨夜、娘に心配のあまりついつい口うるさくしてしまった。ミランダはそれを厭がって、口論になった。それからというもの、この2人はまともに口を利いていないのである。
(娘の旅立ちだと言うのに、かけてやるべき言葉もうかばないとは)
ミランダはクリスチャンの視線に気づいてキッと父親を睨む。
「なに?」と、怒気を帯びた声は闘犬さながらの凄みがある。
「なにも」と、年老いた父は答える。
クリスチャンは娘に弱すぎだ。
だが、
「ただ、ちゃんと手紙は書きなさい」
……会話が終わってしまわないようになんとか言葉をつないだ。
その嗄れた声からは、大股で歩くマッチョな姿とは裏腹にクリスチャンが大弱りしてるのが伝わってきた。
「わかってる」
ミランダはそれだけ答えた。ため息のような声だった。
正直、ミランダはこの父親に言ってやりたい文句が山ほどあったが、今はまだ話す気分にもなれないのである。しかし、別れの時が近づいている。彼女だって、いつまでも黙っているわけにもいかないと理解している。
(……というか人の顔色を伺えるんなら、自分の歩く速度を見直して欲しいのよね)
ムカつきすぎて、苦言を呈することもできないミランダなのである。
「ミーラー、こっち、はやく」
そんな微妙な空気の2人を導いているのは、なんと幼児。
ミランダの弟であり、クリスチャンの右肩の上に載ってる幼児ブリッツである。
栗色のぱっつん前髪と、ピンク色のぷにぷにほっぺ。端から見れば、祭りに浮かれて家族を振り回している幼子そのものだ。しかし周りにどう見られていようと、彼は道案内の天才である。その上、恐るべき感覚のするどさと愛らしさで密かに姉と父の心の距離を取り持っているのだった。
「ちょっと、待ってよ」
ブリッツに急かされ、ミランダが思わず零した言葉を聞いて、クリスチャンははじめて歩速をゆるめた。
いやはや、全く、不器用な父親では済まされない。
娘と一緒に歩く速度まで、幼児にコントロールして貰っているのである。
それからもブリッツに導かれるままに、クリスチャンとミランダは歩いた。
やがて鼻腔をくすぐる微かな香りがしたかと思うと、3人は赤煉瓦づくりの古びた建物へと入っていった。建物内はテーブルと椅子が並んでおり、先ほど建物の外で嗅いだ香りの発生源であるのがわかる……美味しそうな肉料理の香りで充満していた。
「うーん、いい香り……これは、ウサギ……かな……」
ミランダは店の中に入ると、立ち止まって鼻から深呼吸をした……が、すぐに我に返ってノリツッコミをはじめる。
「……って、ここ、フェリー乗り場じゃないよ!完全にお料理屋さんじゃん!」
それに対してブリッツは選手宣誓をするように片手を挙げ、きっぱりとした口調で返事をする。
「おにく!たべます!」
年老いた父親は考えるまでも無いと言わんばかりに、さっさと店の角にトランクを下ろすと、近くの空いてた席にブリッツを座らせ、自分もその隣にドシッと座った。
ミランダは弟の両目をじっと見つめた。ふざけているのではない、本気で肉を食べる気である。
「ミランダ。ブリッツが案内を間違えたことはこれまで一度もない。それは言い換えれば、ここで食べてからフェリー乗り場に行っても大丈夫、ということだよ」
父親もブリッツの意見を尊重した。
ミランダは視線で2人を非難しながらも大人しくテーブルについた。
「わかった……」
今日はミランダにとって重要な日であった。この後、もしフェリーに乗り遅れるような事があれば彼女の人生設計は滅茶苦茶になってしまう、というぐらいに。
ミランダは、父親が言うことには間違いが無いと思っていたが、それでも不安が無くなったワケではない。気持ちが落ち着かずそわそわと店の中を見回していると、奥からおかみさんがやってきて、3人の前に冷たい水の入ったグラスを1つずつ置いた。
「何でもいい。はやく食べられるものを3つ頼めるか」
クリスチャンがお札を多めに渡しながら雑な注文を出すと、おかみさんはすぐに厨房の店主にオーダーを伝えにいってくれた。
ミランダは厨房に入っていくおかみさんの背中を目で追った。すると店の奥、厨房の入り口の脇には、ほこりをかぶったリードオルガンが置かれいるのが見える。
「ねぇ。……あれ、オルガンだよ」
口を尖らせながら、見れば分ることを言うミランダ。
「……」
父親は目を見張った。
わざわざ言葉に直す必要もないのだが、ミランダは今、腹を立てている。
クリスチャンはもう14歳になる娘をいつまでも子ども扱いしようとするし、娘がちょっと学校に行くからってへそを曲げて口も利かなくなるし、一緒に歩いている娘に歩調を合わせられないし、そして早くフェリー乗り場に行きたいのに弟の意見を優先させるし、
……それはもうオコなのである。
罰として父親とは会話してあげないつもりなのである。
そして、クリスチャンにとっても、娘は機嫌が悪くなると殆ど口を利かなくなるのは分っていた。しかし、オルガンを見つけたらどうだろう。ミランダは申し開き程度に口を尖らせているだけで、目に見えてウキウキしはじめたのである。
「ほら、あのオルガン。昔、家にあったのとよく似てるよ」
ミランダが一転して饒舌になってゆく。
視線を彷徨わせながらも、必死にオルガンの話題を振ってくる。ちょっとイヤな感じではあるが、「私の方が大人の対応をして、会話してあげないでもない!」などと考えて居そうな顔をしている。
「……」
クリスチャンはそれを黙って聞いている。
不器用な父親も、この好機に下手を打つわけには行かないのである。もう少し様子を伺って、ミランダの要求を正確に汲み取らなくてはならない。
「なんで、お店に置いてあるんだろ」
「……」
「まさか、飾りでは無いよね」
「……」
「もしかして、弾いてもいいのかも」
「……」
ミランダはだんまりを貫く父にイライラしはじめていた。
(なんで父さんはこんなにオルガンの話題をふってあげているのに、自分から弾いてあげるって言ってくれないのよ!)
……それは勿論、彼女が「弾いて」と一言も言ってないからなのだが。
「ちょっと聞いてる?」
そう尋ねてくるミランダの恨めしげな眼差しを見て、クリスチャンは考えるのを止めた。
(娘がどうして欲しいか考えるのは愚かな事だ。家族と言っても自分以外の人間の考えが分るわけではないのである。重要なのは自分がどうしたいかではないか。娘の気持ちは汲んでやりたいが……)
――それが間違ってても、思いやらずに無駄に時間を過ごす程無意味なことはない。
「料理が出てくるまでだぞ」
クリスチャンは厨房にいる店の主人からオルガンに触る許可を取ると、オルガンの前に静かに腰を掛けた。まずは自分の持っていたハンカチでオルガンのカバーを拭き、カバーを開けると次はペダルを踏み込んで全ての鍵盤の音が正常に鳴る事を丁寧に確認した。最後に複数の鍵盤を押しながら、どれぐらい同時に音がしっかり出るのか確認すると、ようやく演奏のはじまりだ。
オルガンは自宅に置いている人が少ないので、どうしても教会音楽のイメージが強い。しかしクリスチャンが弾くのはいつも祭りに相応しいような陽気な音楽ばかりだ。実はミランダはそんな父親の弾くオルガンの音色が大好きなのである。ただし今は、親に意地を張っている最中なので、「弾いてください」なんて口が裂けても言えなかった。
そんな娘の身勝手に戸惑いながらも、クリスチャンは自分の意思で娘のためにオルガンを弾く。
1曲目は「踊れ、踊れ」。その軽快なリズムは、まるでアコーディオン奏者が踊りながら弾いているかのようだ。店内は盛り上がり、誰からとも無しに手拍子がはじまる。曲が終わると食堂には拍手の音が響いた。
2曲目はエラクシャクの収穫祭の定番「実りの神」。1曲目ほど派手では無いが、これも教会音楽ではなくお祭りむけの曲だ。
演奏前はまばらだった客も、音楽に誘われていつしかテーブルのまわりいっぱいに増えていた。「実りの神」が終わる頃、肉と香草がたっぷりと挟まった豪華なサンドイッチとジュースをおかみさんが運んできた。彼女は店内に俄然客が増えたことに目を剥いていた。
クリスチャンは一度は食事のためにテーブル席に戻ったのだが、まわりの客や店主までもがチップをくれたので、大慌てでオルガン演奏に戻り全部で6曲弾くことになった。結局、クリスチャンはサンドイッチを一口も食べられないまま店を出た。皿の上に残ったクリスチャンのサンドイッチは、相席になった西方の旅人が「竹の皮」という厚紙のようなものでつつんでくれた。
「父さん、ありがとう」
会計を済ませて店を出ると、ミランダは年老いた父親に素直にお礼を言った。
クリスチャンは目尻のしわを深めながら優しく微笑むと、先ほどのチップを全てキルトのガマ口に入れて、ミランダに手渡した。
「おまえのための演奏だ。これは持って行きなさい」
ミランダは嬉しくて、半年ぶりに父親の頬に感謝のキスをした。
それから、フェリー乗り場まで3分程の距離を歩いた。
すでに乗船受付の予定時刻を20分ほど過ぎて……つまり完全に遅刻していたわけだが……港ではちょっとしたトラブルがあったとかで、3人が到着してもまだ乗船受付窓口は開いていなかった。
乗船受付窓口が開いたのは、3人が待合いのベンチに座って間もなくのことだ。
スピーカーからオルゴールの音色が聞こえたかと思うと、すぐに受付開始と出航の準備が遅れている件でアナウンスが流れた。
ミランダは、クリスチャンから大きなトランクを受け取ると、チケットを持って立ち上がった。
「父さん、ブリッツをよろしく」
「もちろんだよ。おまえも先生のいうことをよく聞いて、とにかく息災でいなさい」
クリスチャンは寂しげに目を細めた。
「分ってるよ。……ブリッツも、父さんをお願い」
ミランダはすぐにブリッツに視線を移す。正直、父親の悲しげな顔はあまり見たくなかった。
「うん、ネーネー。いうとおりにする」
ブリッツは幼児とは思えない物わかりの良さで、姉を安心させようとした。
ミランダはそれが嬉しくてブリッツの柔らかい頬に何度もキスを浴びせた。
それから3人は名残惜しそうに固いハグをしたが、すぐに別れてミランダだけがフェリーに乗船した。