血の森
黒い森は物音がしない。生き物の気配すら全くしなかった。
「・・・チェシャ猫、前に帽子屋の話をしたな。帽子屋がどんなやつか・・・教えてくれ。」
チェシャ猫はいつもより毛が逆立っているようだ。
「帽子屋はとても素敵な人です。女王陛下には『薔薇の棘』と呼ばれる最上級部下が4人います。双子のディムとダムのようなやつらはしたっぱにすぎません。ウサギと帽子屋は薔薇の棘です。」
『薔薇の棘』・・・新しい単語だな。女王を守る最強の騎士とでも言ったところか。
アリスが佐渡にしがみついてきた。
「佐渡さん・・・もう怖い顔しないでくださいね・・・私・・・とても怖いんです。」
佐渡はアリスをそっと抱き寄せ、頭を撫でた。
「俺は・・・大丈夫だ。」
「熱々のところすみませんが話を続けますよ。」
チェシャ猫はなぜここまで完璧に空気を破壊できるのだろうか。
これは一種の暴力だな。
「帽子屋からまもなく洗礼でもあるでしょう。我々がここに入りこんだことにはとっくに気付いているはずですから。」
洗礼・・・一体どんなことが起きるのだろうか?
ウサギよりも恐ろしい男からの洗礼だ。それを考えただけで佐渡は身震いした。
佐渡はアリスの手を強く握った。
少女の手は冷たく震えていた。
しばらく歩くと、チェシャ猫が突然歩みを止めた。
「・・・妙な音が聞こえます。」
「妙な、音?」
こんなに警戒心を剥き出しにしているチェシャ猫を見るのは初めてだ。
チェシャ猫は全身の毛を逆立てて、身構えた。
「佐渡さん・・・」
「大丈夫だ。アリスのことは俺が命をかけて守る。」
佐渡をアリスの頭を優しく撫でた。
「・・・この音・・・走ってください!!!」
チェシャ猫がそう言うと同時に回転ノコギリが地面や木、あらゆるところから飛び出てきた。
佐渡とアリスは反射的に走り出した。
ノコギリは容赦なく三人に襲いかかる。
「くっ!!!」
佐渡が避けた先の大木が真っ二つに裂けた。
こんなのに触れたらひとたまりもない・・・
チェシャ猫はジグザグに走り出した。
あらゆるところから飛び出てくるノコギリをギリギリのところで避けて走った。
しかし・・・
「きゃっ!!!」
アリスは足を絡まらせ、その場に転んでしまった。
アリスに向かって無数のノコギリが飛んでくる。
「アリス!!」
チェシャ猫は足を止めた。
「チェシャ猫!!俺が行く!!」
佐渡は走った。
そしてアリスに駆け寄り、アリスの体に覆い被さった。
出来事は一瞬であった。
懐から飛び上がった何か。
それと同時に二人に血しぶきが降りかかった。
アリスを抱き締めた一本の腕。
佐渡は視線を右に向けた。
自らの肩から先は空白。
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
佐渡は喉がかき切れるくらいの声で叫んだ。
そして、右肩を押さえてその場に倒れた。
「佐渡・・・さん・・・」
ノコギリの攻撃はピタリと止んだ。
「佐渡さん・・・右腕が・・・佐渡さん!!・・・・・・・・・いや・・・イヤイヤイヤイヤイヤイヤ!!!いやあああああああああ!!!」
アリスは泣き叫んだ。
血塗れになった佐渡の体を抱き締めた。
チェシャ猫が駆け寄ってきた。
「アリス・・・落ち着いてください。」
アリスの悲鳴は止まない。
チェシャ猫はゆっくりとアリスに近づき、首の後ろに爪を突き刺した。
「あ・・・」
アリスの目は焦点を失い、暗闇の中に体を倒した。
森には音がなくなった。