三話・青空の使徒
岐路の途中。ただならぬ気配を察知して、雨音は身構えた。
「ど、どうしたの雨音?」
「……誰だ。そこ居るんだろ?」
雨音は前方の虚空に向かって問う。すると、何もなかったはずの空間に、一人の青年が現れた。
「まさか気づくとはね。君は一体?」
「俺は神ヶ月雨音。ただの冒険家だ」
「冒険家か。ならまあ気づいてもおかしくはないか」
現れた青年は、真っ青なフード付きのローブを羽織っている。雨音が身に着けているものとそっくりだ。フードを深く被っていて表情は読み取れないが、友好的でないことだけは雨音にも感じ取れた。
「そのローブ! もしかして!」
「エルナ?」
「そうか、そういうことか。フーリ!」
「呼んだか、怜」
青年が呼ぶと、同じように真っ青な衣服を身にまとった青年が現れた。エルナとはまた違った雰囲気の、綺麗な服だ。青年を目にした途端、エルナは目を丸くした。
「フーリ……あなたなの?」
「なんだ、お前か。エルナ」
口ぶりからすると、二人は知り合いのようだ。となれば、怜と呼ばれた青年の正体は、ほとんど確定したようなもの。
「自己紹介が遅れたな。神ヶ月雨音。俺の名前は静上怜。青空の契約者だ」
「ご丁寧にどうも。そんじゃあ、そっちの人が……」
「異空の十二使徒。青空のフーリだ。まさかお前が契約者を見つけているとはな、エルナ」
「ちょっと、馬鹿にしないでよ!」
「さて、俺たちはこの先に巣食う盗賊どもを殺しに来のだが」
「それならもう既に討伐した。今頃ギルドの役員が運び出してる頃だと思うぜ」
「そうか。なら仕事が一つ減った。その分、もう一つ増えてしまったが」
「奇遇だな、俺も一つやることが増えた」
二人の目つきが変わる。それと同時に、雨音は本能的に察知した。怜の目は、人を殺す目をしている。
「そういえば、まだ職業を言っていなかったな。俺の職業は、暗殺業だ」
「その目つきはそういうことか」
魔法発動:創造造形
雨音は剣を召喚し手に取ると、怜に斬りかかった。怜は腰につけていたナイフで平然とそれを受け止め、雨音の攻撃を弾き返す。バックステップで距離をとった雨音に、怜が距離を詰める。両手にナイフを持ち、連続で斬撃を繰り出す。目にも留まらぬスピードに、雨音は防御で精一杯だった。
「こんなものか」
「なめてもらっちゃ困るね……!」
雨音は自分の首元を狙った一閃を屈んでかわすと、怜の腹に打撃を加え、斬撃を放った。バックステップで衝撃を緩和した怜を休ませることなく、雨音は先ほどの怜ばりに連撃を繰り出す。次は怜は防御に徹した。
雨音の一撃が怜の防御を崩し、一瞬無防備になる。雨音はその瞬間を突こうと剣を振り上げたが、その次の瞬間、謎の破裂音と共に周囲が煙に包まれる。
「チッ、煙幕か。暗殺者っていうか忍者だな」
雨音は周囲を警戒市ながら、気配を辿ってエルナのもとへ戻った。
「大丈夫か、エルナ」
「うん。雨音は?」
「問題ない」
数秒経って、煙が晴れる。怜は雨音と同じようにフーリの隣に立っていた。
「さっきの間に攻撃すればよかったのに」
「お前ならそれでもかわせただろう。無駄な体力は使いたくないんだ」
「そうかい」
「ああ。だからこれは、必要な労力だ」
そう言うと、怜は何か筆のようなものを取り出した。
「筆……?」
「いや、あれはマジックアイテムだ」
筆から漂う微量の魔力。それは紛うことなきマジックアイテムのものだ。
「こいつを使うのは久々だな」
「そいつは光栄だ」
魔法発動:スイッチオン
怜は筆を構え、雨音を睨んだ。雨音も何が起きても対処できるように、剣を構えた。
「いくぞ」
「こい!」
怜が筆を宙で薙いだ。すると、さも紙に描かれた書道のように、黒い線が宙に浮かんだ。
「空間に書けるのか」
次の瞬間、宙に浮かぶ線が雨音目掛けて突進してきた。さながら飛ぶ斬撃のようだ。雨音は回避すると、怜の次の動きを待った。
怜は次々と空中に線を描いていき、生まれた先から雨音を襲う。雨音は時にかわし、時に受け流しながら防戦に徹した。
「斬撃と違って動きも不規則だし形も複雑。こりゃ面倒だな」
魔法発動:創造造形
雨音はもう一本剣を召喚し、二刀流で飛来する線たちを捌いた。そしてそのままじわじわと怜に詰め寄っていく。しかし、怜はひときわ大きな球体を描き出し、雨音を退けた。
「線以外もありかよ……」
「フーリ。決めるぞ」
「わかった」
怜がフーリに呼びかけると、フーリは怜に魔力を譲渡した。怜の周囲に、フーリと怜の魔力が交じり合いながら漂う。
「「青空の名の下、汝に永遠の静寂を賜る」」
二人が声を合わせて唱えると、怜は弓矢を引くような動作をした。それに呼応するように、魔力が弓矢の形を成す。
「何をする気だ……?」
「うそ、あれは契約者と使徒が互いに強い信頼で結ばれて始めて成功する奥義! そんな、使えるには早すぎるよ!」
「どういうことだよ!?」
「要は必殺技みたいなものってこと!」
「つまりヤバイってことだな」
怜が力の限り弓を引き絞る。雨音は双剣を構えて飛来するであろう矢に意識を集中させた。
「貫け!」
『ペネトレイトサジタリウス』
一本矢が放たれる。雨音は怜に向かって突進しながら、紙一重でそれを避けた。後方で爆発音がしたが、振り向かない。次に二本目が飛ぶ。雨音は右手の剣でそれを弾いた。続いた三本目が、雨音の右手の剣を叩き落とした。気をとられた雨音の左手を、続く四本目が掠めた。雨音は左手の剣を離す。
「終わりだ」
「負けるかぁぁぁぁ!」
怜が五本目の矢を放とうと弓を引き絞り、手を離す寸前。怜の首元に、雨音の掌が翳された。怜は直感で察知する。これは無意味な掌ではなく、ありったけの魔力を放つための予備動作であると。そう理解した怜の動きが、一瞬止まった。
雨音も、自分の眉間の目前に鏃が存在している故、一瞬動きを止めた。そしてそのまま、互いに微塵も動かなかった。次に攻撃の手を繰り出そうとしたものが先に負ける。二人は、そう確信した。そして二人同時に、手を下ろした。
「ここは互いに手を引くとしようぜ」
「そうだな。いいか、フーリ」
「問題ない。最終的に勝てばそれでいいからな」
「いいか? エルナ」
「うん」
怜は雨音に背を向けてフーリのもとへ歩み寄った。体の向きは変えず、首だけをこちらに向けて言う。
「次に会った時が決着のときだ。それまでせいぜい死ぬなよ」
「お前こそな」
怜は小さく笑うと、フーリと共に虚空へ消えた。
それを見届けると、雨音は大きく溜め息をつきながらその場に座り込んだ。
「あーつかれた! なんで一日に二戦もしなきゃいけねえんだよ。二戦目にいたっては依頼でもないから報酬ねえし」
「お疲れ様」
「エルナと出会って契約したの今日だよな?」
「ええと、確かそうだね」
「一日の内容が濃すぎて一週間ぐらい過ごした気分だぜ……」
「あはは……」
「ま、さっさと帰るか」
「そうだね。今度こそ帰ろっか」
雨音は立ち上がると、再度歩き出した。その後ろを、エルナがついて歩く。いつの間にか、陽は西に傾いていた。
ギルドで報酬を受け取り、いつもの宿に戻ってきた雨音は、そのままベッドに倒れこんだ。
「このまま寝たい」
「お風呂は?」
「先入っていいぞ。ってか、使徒も風呂入んの?」
「馬鹿にしないでよ! 使徒はそういう存在なだけで、元はといえば普通の人間なんだからね!」
「そうですか。じゃあ入ってていいぞー」
「着替え無いんだけど」
「備え付けのバスローブあんだろ」
雨音は布団に沈んだままロッカーを指差す。
「洗濯は?」
「するから明日一日はバスローブだな」
「風邪引きそう」
「諦めろ」
ぶつぶつ文句を言いながらエルナが浴室へ向かった(一部屋にひとつのシャワールームがあるタイプの宿だ)のを確認すると、雨音はそのまま眠りに落ちた。
数分後。
「雨音―、上がったよー」
「んぁ?」
エルナに起こされて、雨音はようやく体を起こした。
「ああ、風呂上がったのか。じゃあ入ってくるわ」
「はーい」
「寝てていいぞ」
「え、ベッド一つしかないけど……」
「俺まだ今日の分の日記つけてないし、どうせ机で寝落ちするから」
「えぇ……」
雨音はそれだけ言い残し、着替えを持ってシャワールームへ入っていった。一人残されたエルナはとりあえずベッドに寝転がった。
「今日はいろいろあったなぁ……」
本来雨音が振り返りそうなことをエルナは振り返る。エルナ自身、まさかこれほど相性のいい相手と出会えるとは思っていなかった。
「本当に相性がいいかどうかは、まだわかんないけどね」
むしろ、まだ始まって少ししかたっていないのに奥義を使えるフーリたちがおかしいのだ。エルナはそう考えることにした。決して、自分が契約者を見つけるのが遅かったわけではない。
「よーし、絶対勝つぞー」
これからの期待を胸に、エルナはまだ少し暖かい布団で眠った。
十分ほど経って雨音が戻ってくる頃にはもう、エルナはぐっすりだった。
「ったく、寝てていいとは言ったけど寝るの早すぎだろ……」
雨音は自分とエルナの衣類を纏めて洗濯機に入れ、スイッチを押した。歯磨きをして、椅子に座る。ふと、エルナを見た。
「こんな子供が使徒ねぇ……」
中々に酷な話だと雨音は思った。年齢が見た目どおりかはわからないが、恐らくエルナは十二、三歳ほどだろう。こんな年端も行かぬ少女が、この世界と十一人の同胞を担う権利を求めて争っている。改めて文字に起こすと恐ろしいものだ。
「まあ、俺たちは完全に巻き込まれてるだけなんだがな」
それでも、エルナと出合ったのも何かの縁。エルナの加護と相性がいいのも、ただの偶然ではないだろう。雨音はそう思い、再度エルナに助力することを決心した。
「さて、日記だ。今日のは長くなるぞ……」
雨音は机の上に例の本を置き、ページをめくる。白紙のページに、今日一日の雨音の物語を記していく。
こうして、雨音の怒涛の一日が終わり、壮大な戦いの幕が上がった。