ー9- 6月1日
「新月の日はモンスターの力が最も弱くなる日なんだ。だから、今日はモンスターを狩るには絶好の日となるわけだ。覚えておいて損はないぞ?」
「うーーーん。それってどうなのー?なんかせこく感じるんだけどー。弱いモノイジメはダメだと想うんだけどー?」
神帝暦645年 6月1日。すっかり梅雨の時期も終わり、すっきりした初夏の晴れ模様のお日様の下、俺はユーリにみっちりと訓練をしている。今は昼休憩後に行われる1時間の組手も終わり、魔法やモンスターに関する座学の時間となっているわけだ。
「何を言っているんだ? ユーリ。お前は、わざわざ、モンスターが最も強くなる満月の日を選んで奴らに闘いを仕掛けるって言うのか?」
「それは御免こうむるよー。でも、冒険者ってのは、新月の日とか満月の日を選んでクエストを受けるわけじゃないでしょー? そういう時はどうするのー?」
「とりあえず、満月に近い日の14日と16日は避けるべきだ。そして、15日は満月さまさまだから、もちろん、避けるべきだ。その三日間を除いて、モンスターに闘いを挑むべきだな。まあ、緊急事態なクエストを冒険者ギルドが発行する時もあるんだが、それを受けれるのはC級冒険者でも上と言った奴らじゃない限りは冒険者ギルド自体もクエストの受注の許可を出さないんだ」
それでも例外はあるんだけどな。特に8月8日から15日の俗に言う【お盆進行】は、E級冒険者でもモンスター討伐に駆り出されるほどの緊急事態になるわけなのだが。
「ふーーーん。なるほどねー。C級冒険者の上ともなれば、限りなくB級冒険者に近いもんねー。それほど、満月の日は危険なのかー。これは注意しておかないとなー」
「まあ。ユーリの今の実力じゃあ、心配すること自体ないんだけどな? ただ、いくら注意していたとしても、クエストを受けて、現場に向かって、帰ってくるのにもたついて、満月の日が近づいてしまった! ってのは往々にあるわけだ。だから、その時は無理に戦闘を行わず、なるべく、逃げることに徹するべきだな」
「難しい話だなーーー。クエストって、大体、どれくらいの期間、行うものなのー?」
「えっとだな。ここ草津から半径2~300キロメートル圏内なら出発して現地に到着するまでに2~3日。そこでお目当てのモンスターが出現するのを待って、戦闘するのに3日~5日。んで、帰ってくるのに、また2~3日ってところになるわけだ。だから、イレギュラーな事態も考慮すれば、もう少し多く見積もっても2週間程度ってところになるかな? というわけで、2週間くらいの区切りだから、意図的に満月の日も回避しやすいってことになるわけだ」
草津から西に300キロメートルに位置するのが平安京であり、南に300キロメートルと言えば、奈良だ。そして東に300キロメートル行けば、岐阜の中心都市・稲葉だな。
「なるほどー。お師匠さまが冒険者らしいことを言っているよー。だてに冒険者稼業を20年以上、やっているわけじゃないんだよーーー!」
「いや、そこは驚くところか? 一体、俺はどうやって、お前の日頃食べているメシ代を稼いできてると想ってんだ?」
「あっ。そうだったー。これはうっかり失念してたよー。お師匠さまは立派な冒険者だったよー。これは失礼なことを言ってしまったよー。ごめんね。お師匠さまー」
ユーリが俺に向かって、謝罪の念を表すために、ぺこりと頭を下げるわけである。
「わかればよろしい。まあ、普通、10年以上もC級冒険者なんかやってたら、どこかで自分の才能に見切りをつけて、冒険者稼業を引退して、普通に工場とかに勤めて、普通に働くべきなんだけどなあ。中途半端に腕があると潰しが利かなくて大変だぜ……」
俺は自分の今までの人生を少し振り返り、ふうううとひとつ嘆息してしてしまうのであった。
「お師匠さまにも色々苦労があるんだねー。じゃあ、あたしがぱぱっとB級冒険者になって、お師匠さまを養ってあげるよー」
「うーーーん。意外とシャレに聞こえない台詞だなあ。まあ、そうならないように、一攫千金としゃれこみたいところなんだがなあ。なかなか、死にかけの1万を超える豚ニンゲンの軍勢が道端にころがってないからなあ?」
「そんな馬鹿な期待をするよりも、あたしを育てることに注力して、あたしの冒険者位階を上げさせてよー。そうすれば、お師匠さまはその分、早く悠々自適な老後を楽しめるんだよー?」
その悠々自適な老後を決して許してくれなさそうなのがうちの一門【欲望の団】の団長さまなんですが? その辺、わかって言ってますかね? ユーリ殿。
「なんか俄然とやる気が出てきたよー! お師匠さまを養えるのは、あたしだけだからねー! これは今なら、D級冒険者試験をクリアできそうな気がするよー!」
「ああ、それは無理だな。E級冒険者からD級に上がるためには、武術や魔法の技術を上達させることだけが大切じゃないからなあ。どっちかというとD級冒険者への昇格試験は、クエストを受けて、最低限、生きて帰ってくるための知恵が試されるんだよ」
「えっ? どういうことなのー? そんなの聞いてないよーーー!?」
「まあ、この2カ月くらいは、ユーリにどんだけ素質があるのか、それの確認を含めての訓練だからなあ? ユーリは野宿の経験とかないだろ? そこんところがD級冒険者昇格試験での課題になるんだよ」
「んっと、クエストを受けて、それをちゃんとこなして、さらに無事に帰ってこれるのが課題ってことでいいのかなー?」
「そうそう。地図作製とか、炊事、寝床の確保、そして、できることなら風呂にも入らなきゃならん。それらを一通りできないと、ダメなわけだ」
「炊事とかテントの設営とかはわかるんだけど、なんでお風呂に入らなきゃだめなのー? 別にニンゲン、2週間くらいお風呂に入らなくても死にはしないよー?」
「まあ、それは間違ってないな。だが、それは普通の生活においてだが。しかしだ。普通の生活をしていても2週間も風呂に入らないのはどうかと思うが、それは置いておいてだ」
ここで一旦、俺は、うっほんと咳払いをし、姿勢を正す。ヒトにモノを教えるにはこちらも真剣であるということを態度で示さねばならないものだ。俺は訓練広場に備え付けられた黒板にチョークで重要なことを書き出しながら、ユーリに説明を開始することにした。
「まず。モンスターと言うものは清潔なモノを嫌うんだ。んで、不浄なモノを好む性質があるわけだ。原理はよくわかってないんだが、水で身体を洗い流すと、それだけで清潔な身体になれるんだ。それをモンスターは嫌がるんだ。これだけで、戦闘を有利に進めることができるようになるわけだ」
「うーーーん。よくわからないよー。なんで水で身体を洗い流すだけで、モンスターは嫌がるのー?」
「まあ、俺が読んだことがある古い文献では、これを【禊ぎ】と呼んでいたらしい。【禊ぎ】って言うのは不浄なるモノ、これは【穢れ】と呼ばれているんだな? それを洗い流す行為なんだ。そして、モンスターは【穢れ】の一種なんだ。だから、モンスターは【禊ぎ】をされているモノを恐れるっていうことらしい」
俺は黒板に、やや大きめに【穢れ】と【禊ぎ】のふたつの単語をチョークで書き込む。
「禊ぎ? 穢れ? 初めて聞くよー。そんなのー。学校の授業でも習わなかったよー?」
「これは、歴史マニアくらいしか知らないことだからな。しかしだ。それでも、冒険者たちは経験上、風呂に入ることで身を清めたほうが、モンスターとの闘いで有利になれるということはわかっている。だから、なるべく、風呂に入る時間を確保して、野宿をするんだよ」
「でも、どうやってお風呂なんかに入るわけー? 野宿だと、そもそも、お水を張るための入れ物すらないんだよー? 常備している竹筒でも巨大化させるわけー?」
どうやって竹筒を巨大化させるんだよ。そんな魔法があるなら俺が知りたいわ……。
「そこは、土の魔法を得意としている奴の出番だな。そいつに石の龍で、地面を掘ってもらって、そこに水を流し込むってわけなんだ。まあ、風呂と言っても水風呂で構わんからな。ぶっちゃけ川で身体を洗っても良いぞ? 水で身体を清められれば、それでいいんだからな」
「えええー? じゃあ、冬場の寒い日とかどうするのー? 水風呂になんかに入ったら、凍え死ぬのが確定だよー?」
「そこは火の魔法を得意としている奴に水を温めてもらえばいいわけなんだ。ちなみにうちの団長は、この野外での風呂作りの天才だ。上手いこと、川から水を引っ張ってきて、無駄に石風呂を作って、さらに火の魔法まで使って、風呂を沸かしてくれる。あの団長の良いところと言えば、アレだけだ。本当にアレだけだ!」
「うっわーーー。すごい才能の無駄遣いを聞かされた気分だよーーー。団長って、冒険者をやめて、銭湯か温泉宿を経営したほうが絶対に良くないーーー?」
「まあ、そのほうが、俺も世の中も全て丸く収まるような気がしてならん。だけど、団長の好奇心は底を知らないからなあ? だからこそ、うちの一門名は【欲望の団】なんだ。あいつは自分の望んだことをとことんまで望みつづけやがる。まったく、困ったヒトだぜ……」




