ー薫風の章 2- 神帝暦645年 8月9日
「はあああ。やっと今日の俺たちの役目は終わりかあああ。ああ、しんどい。これがまだ二日目かと思うと、冒険者稼業を辞めたくなっちまうわ」
神帝暦645年 8月9日の午後5時より少し前、今日の昼組のモンスター討伐は終了となる。あとは、ここから1時間ほど、モンスターが湧いてこないため、その間に夜組と交代となるわけだ。ちなみに昼夜3交代ではあるが、あくまでもこれは昨日の夕方に団長が決めたメンバーであり、実際には流動的に戦闘メンバーはその都度、変わって行くのだ。
午前6時から8時ごろまでのモンスターの出現数により、その日、1日で出てくるであろうモンスターの総数と種類を予測し、それぞれの組が頑張らないといけない時間は多少ずれてくるのである。
今日のモンスターは朝からスライムだけであったので、これは夜組の戦闘時間が多少伸びても、消耗はそれほどないだろうと言うことで、俺、ユーリ、アマノは早上がりさせてもらえることとなったのだ。
「うふふっ。ツキト、お疲れさまでしたわ? しかし、スライムが大量にやってくるのは勘弁してほしいのですわ? おかげで、身体がスライムの体液でべとべとなのですわ?」
アマノがそう言いながら、スライムの返り血? を全身にべっとりとつけている。
「いやあ。スライムと言えども、大量発生すると面倒ですねえ。これは夜組のヒデヨシくんとミツヒデくんは、逃げ出すことになるんじゃないですか?」
「団長、そう思うなら、夜組の人員を増やしてやれよ。朝方はモンスターが弱体するから良いけれど、夜はふければふけるほど、力を増すんだぜ?」
「そうは言われましてもねえ。数も増えますから、他の一門が俺たちに分け前を寄越せと言ってくるわけですよ。ですから、そのしわ寄せで、先生たちが昼間組だっていうのにしんどい想いをしているわけです」
「うふふっ。【欲望の団】は、昼組にA級冒険者が2人も配置しているのですわ。普通ならこんな配分にはならないのですわ? これはよそ様の一門の嫌がらせではないのでは?」
例年通りの【お盆進行】なら、夜は昼とでは、モンスターの種類は、幽霊が追加されることはあっても、昼間とはほぼ変わらないのである。しかし、そのモンスターの強さ自体は、かなり変わってくる。今日の昼間に出現したスライムであるが、夜になると、おや? スライムが集まり出したぞ? って事態になる場合もある。
本当なら夜組に【欲望の団】に所属する冒険者を数多く配置したいのだが、他の一門との兼ね合いもあり、よそさまから、「うちは夜頑張るから、あんたらのところは昼頑張ってくれ」と要請された結果、【欲望の団】の夜組は2人とそのサポート役としてE級冒険者が数名までとなり、ヒデヨシ、ミツヒデの2人がそのしわ寄せを思いっ切り喰らったのである。
「もしかしたらそうかもなあ。団長、ほかの一門に嫌われている節があるもんなあ。もう少し、仲良くしといたほうが、世の中、生きていくには楽になると想うぜ?」
「別に他の一門の狩場を奪っているとか、そんなことをしてはいないんですがねえ? まあ、たまたまこうなっただけでしょう。そうじゃなかったら、よそさまの一門は先生たちの手によって、痛い眼を見るのはわかりきっているはずですからね?」
団長が口の端を歪ませて、そう言うのである。ああ、これは一波乱ありそうだなあと俺は思いながら、左手に持つ箱からタバコを1本取り出して、口に咥える。そして、それにラ・イターで火をつけて、息を吸い込み、ぷはあああと煙を吐き出す。
それを視ていた団長が一本寄越せと、右手を差し出してきたので、箱ごとその手に叩きつけてやる。
「まったく、そこは恰好つけて、1本取り出して、指でぴんとはじいて、寄越すってのが良いんでしょうが。あれ、火はどこだったでしょうか? うーん、しょうがありませんね。こういう時こそ、火の魔法の出番です」
団長はそう言うなり、右手の中指と親指をぱちんと弾かせて、何も無い空中に小さい火の玉を作り出す。そして、その火にタバコの先端を押し付けて、息を吸い込み、その後ぷはあああと吐きだしやがる。何、恰好つけて吸ってやがんだ。気取らずに、もっと、淡々と吸いやがれってんだ。
「ふーーーむ。仕事終わりの一服は美味いですね。でも、出来ることならタバコの銘柄を先生に合わせてほしいものですよ」
「うるせっ。そんなことを言うなら、やるんじゃなかったぜ。大体、団長の吸っている銘柄は、ニコチンそのものを吸っているみたいな味がすんだよ。あんなの吸ってた日にゃ、1年も経たずに肺がんになるわっ」
「あのニコチンそのものの味が良いんですよ。そんなにタバコの値段は変わらないので、そちらをお勧めしますよ?」
「うふふっ。なんで男のひとはタバコが好きなんですかね? 1本で寿命が3日縮むと言われているのに、よくもまあ、平気で吸えるものですわ?」
アマノが全身を未だにスライムの体液でベタベタにしたまま、俺と団長に嫌味を言ってくるわけである。
「なんでだろうなあ? 16歳になったその誕生日に初めて、たばこを吸った時はなんでこんな不味いモノなんて好き好んで吸わなきゃならねえんだって思ってたけど、今じゃ、手放せなくなってるもんなあ? 団長はなんでか知っているのか?」
「そんなの、先生に聞かれても、わかりません。それと、アマノくん。そもそも、タバコを吸おうが吸うまいが、長生きするヒトはしますし、早死にするヒトはします。それと、大昔はタバコは寿命を逆に伸ばすと言われていた時代もあったみたいですよ? 馬鹿の極みですね」
「あーーー。団長がタバコ吸ってるーーー! いけないんだーーー! お師匠さまみたいに加齢臭がひどいことになるよーーー!」
あ、タバコ嫌いのユーリがようやく俺たちのところに戻ってきた。何やってたんだ、あいつ?
「うーーーん。なかなかにスライムの体液が落ちなくてねー? それで、何度か水の洗浄をしていたんだよー。で、やっと、きれいになったってことー。お師匠さまは嫌でしょー? あたしが、スライムの体液でネトネトになっている姿なんてー」
「そんなこと言われてもなあ? アマノなんて、未だにネトネトのまんまだぜ?」
「うっわー。本当だー。アマノさん、平気なのー?」
ユーリが少し及び腰でアマノに声をかけているな。まあ、こんなアマノの姿を見て、引かない奴がいるほうが珍しいか。
「うふふっ。スライムの体液はお肌をつるつるにする効果があるのですわ? だから、ネトネトのままなのですわ?」
「ええーーー? それ、本当なのー? しまったなー。それを知っていたなら、あたしもネトネトのまんまだったのにー」
「ユーリくんは別にそんなの気にしなくても良いんじゃないですか? 16歳なら水も弾く年頃なのですし。それに比べてアマノくんはっげふううう!」
あっ。アマノの腹パンが団長の腹にきれいに決まったな。ざまあねえぜ。
「げほっごほっ! ちょっと、やめてくださいよ。先生、普段、石の鎧で防御力を高めているために、割と軽量装備なんですよ? アマノくんの腹パンなぞ喰らったら、夕飯が食べれなくなってしまいますよ」
「うふふっ。もう1発、立て続けに入れておけば良かったかしら? ツキトはどう思います?」
「うーん。次はやめておいたほうがいいぜ? さすがに2発目は石の鎧を使用するだろうから。団長のアレは硬さがえげつないからなあ。素手じゃあ、こぶしを逆に痛めちまうぜ?」
団長の装備はヒヒイロカネ製の全身鎧なわけだが、ヒヒイロカネは不思議な金属であり、着用者の土の魔力に反応して、その硬度を変えることが出来るのだ。だからこそ、戦闘を終えて、身に着けている鎧の硬度を下げていた団長の腹に、アマノのコブシが易々と突き刺さったわけである。
「うっわー。団長、えげつないなー。女性の腹パンは素直に喰らっておくべきだよー。アマノさんが傷物になったらどうするのー?」
「その時は責任を取って、アマノくんを先生のハーレムの一員にしますよ。なので遠慮なく2発目の腹パンをお願いします」
「うふふっ。ねえ、ツキト。団長の石の鎧込みのヒヒイロカネ製の鎧をぶち抜く方法は何かありませんか?」
「うーーーん。難しい注文がきたなあ。団長の石の鎧は硬いだけじゃないからなあ。砂、砂利、粘土、軽石、固めの石を何層かに組み合わせているんだよ。だから、いくらぶち抜こうとしても、衝撃が団長の身体まで届きにくいんだ。そうだなあ? カツイエ殿を呼んで、腹パンさせてみるか? あのひとの筋肉なら、突き破れるかもしれんからな?」
「ちょっ、ちょっと、カツイエくんを巻き込むのはやめてくれませんかね? A級冒険者である彼のパンチはさすがに先生の石の鎧ですら、軽々とぶち抜いてくるので。いやあ、この鎧を作成するために耐久度テストで、彼に手伝ってもらったことがあったのですが、どうやってもぶち抜くんですよね。彼、ニンゲンをやめてませんか?」
「うふふっ。これは良いことを聞いたのですわ? ユーリ? ちょっと、カツイエさんを呼んできてくれませんか? 団長に腹パンをお願いしたいのですわ?」
「うーーーん。あたし、あまり筋肉隆々の男性は好きじゃないのよねー。でも、団長がお腹を抱えて地面にのたうちまわる姿も見てみたいしー。悩ましい問題だよー」
「今日も筋肉でもうす! 明日も筋肉でもうす! いやあ、筋肉はすばらしいのでもうす! なぜ、神は我輩に筋肉を与えたのでもうす!」
あっ、噂をすれば筋肉がこちらにのっしのっしと歩いてやってきたわ。おい、ユーリ。色々とこれからもお世話になるんだ、今の内にあの筋肉になれておけよ?
「うわあー。スライムの体液で全身ネトネトになりながら、なんか小躍りしてるよー? しかもこっちに近づいてきているよー? あたし、アレに慣れなきゃいけないのー? 何の拷問なのー?」
「おお、皆の衆! 我輩の筋肉に見とれていたでもうすか? いやあ、スライムの体液は筋肉痛を癒してくれるのでもうす。店でスライムの体液を買おうと想うと、意外に値が張るのでもうす。無料でたっぷり、身体中がネトネトになるとは、こんな役得なことはないでもうすな、ガハハッ!」
スライムの体液で全身ネトネトのカツイエ殿がムキムキッ! と両腕を動かして、筋肉の躍動を俺たちに見せつけてくるのだが、本当にこの絵面は誰得なんだろうな?




