ー19- 7月23日
うーーーん。これは普通の蛸が巨大化しただけだと考えていたのは間違いだったなあ……。
「おーーーい。ユーリ。無茶すんなよー? そいつ、いまいち、魔法が効きにくいぞーーー?」
「そうみたいだねー! 風の神舞をかけた錫杖でぶん殴ってはいるけど、全然、効いてないみたいーーー!」
神帝暦645年 7月23日。この日、どういうわけかわからんが、どうとん堀に住み着いていた紅い悪魔がよど川を逆行し、さらには、びわ湖までやってきたのである。そして、今、ユーリが果敢にその紅い悪魔と戦闘中と言うわけであるのだ。
「うふふっ。ツキト、一体、誰に説明しているのですわ? それよりも手助けしなくて良いのですか?」
「うーーーん。あれくらいユーリひとりでどうにかしてくれないと、お盆進行をあとに控えているD級冒険者としてはダメだと思うんだよな。まあ、どうしてもピンチになったのなら、手助けするけどさあ。でも、まだびわ湖の水の浄化の影響は残っているんだろ? 俺が火の魔法を発動したら、悪影響を与えかねないぜ?」
四元魔法において、火と水の魔法は反発しあい、そのふたつの魔法が混ざり合うと、最悪、爆発が起きてしまうのだ。今のびわ湖は水の魔法の影響下にあり、びわ湖周辺で、火の魔法を使うことは禁止されているのであった。蛸は火の魔法に弱いと言うのに、俺が手伝えないのはこういった理由があるからなのだ。
「うふふっ。そうですわ。ですから、私がお手伝いできることと言えば、ユーリ自身に風の恵みをかけることくらいですわ」
「まあ、いつもの1.5倍は動きにキレがでるから、それで支援としては充分なはずだしなあ。モンスター相手にユーリひとりで闘うことを経験するのは悪いことじゃないし。それにユーリとしても手を出されるのは嫌だろうしさあ?」
「弟子想いのお師匠さまですことね。でも、本当に手伝わなくて良いんですか? あの紅い悪魔はでかさだけなら、C級冒険者でも手こずる相手ですわよ?」
まあ、アマノの言う通り、紅い悪魔は、ざっと高さ4メートルはあるからなあ。しかもユーリの武器は切断用ではなく殴打用武器だし。軟体動物であろうが、殴打武器なら確実にダメージは蓄積できるしなあ。あとはユーリ自身が訓練で身に着けた技術をあの蛸に発揮できるどうかだけだろう。
「うわーーー! 足に絡めとられたーーー! むむー。蛸のクセに生意気だなーーー!」
あっ。ユーリがついに蛸の足に捕まって、全身を絡めとられているぞ? ったく、何やってんだ。錫杖がせっかく2メートル半もあるって言うのに、自分から捕まりに行くような距離で闘っちゃダメだろうが。
「うわーーー! この蛸、足がぬるぬるするーーー! 気持ち悪いーーー!」
まあ、勉強料と思って、蛸の足にしばらく絡めとられておけ。それに、水の魔法が使えるんだから、それくらい、いつでも抜け出せるだろ。
「うふふっ。ユーリ。そこは水の洗浄ですわーーー! 蛸さんの足と自分の間に水を流し込むイメージでやってみると良いのですわーーー!」
「うんーーー! ありがとう、アマノさーーーん! 大地と大空に、あまねく水の精霊たちよー! あたしの想い通りに逆巻く水へと生まれ変われーーー! 水の洗浄発動だよーーー!」
ユーリが詠唱を唱え、水の魔法を発動するわけである。ユーリは今、水着姿のために呪符を身に着けているわけではなかった。だからこそ、発動までに時間はかかるモノの、詠唱の文言をきっちりと唱えているわけである。
「アマノは甘いなあ。あれくらい、自分で考えさせたほうが良いと思うんだけどなあ」
「まあまあ、良いじゃないですか? さすがに初めての戦闘で、舞い上がっている部分がユーリにはあるのですわ。そこを上手く指導するのも、師匠の務めと言う所ですわ?」
まあ、アマノの言うことも一理あるな。何でもかんでもやらせてみるってのも悪くはないが、闘い方の指導もするところではちゃんとするって言うのは、正論だ。それに、徒党で闘うときは指令塔となるニンゲンが細かく指示するものだしな。それが正しいと思える判断である以上は徒党メンバーとして、司令塔の指示に従うのも正しい姿ではある。
よっし。ちょっくら、師匠らしく、ユーリに助言するか。
「おい、ユーリ! 殴打用の武器ってのは、一見、軟体動物には効かなさそうに見えるが、着実にダメージは入っているからな? とにかく、同じ場所を打撃してみろ! あと、しっかり距離を取れよ!」
「うーーーん! わかったーーー! どこを攻撃しようかなー? 足かなー? 頭かなー?」
ユーリが紅い悪魔から5メートルほど距離を取って、間合いを測っているな。よしよし、それでいいぞ?
「不味いですね。ユーリくん、すぐさま、右に飛びなさい! 蛸のアレが来ます!」
不意に団長が大声をあげて、ユーリに蛸の攻撃を回避しろと注意を促すのであった。しかしだ。
「えっ!? 団長、いきなりどうしたのー? って、うわーーー!」
ああ、ユーリが紅い悪魔の口から発射された真っ黒い塊をまともに喰らいやかがったか。これは、俺の説明不足だったなあ。
「あらあら。蛸の墨を喰らってしまったのですわ? アレに毒はないのですが、少々、厄介なことになってしまいましたわ?」
「ん? 毒がない? あれっ? なんか蛸の墨ってバッドステータスを喰らわなかったっけ?け?」
「バッドステータスと言いますか、何と言いますか、ユーリの女性としての尊厳を守るためにも、ここは守秘義務を貫かせてもらいますわ?」
んんん? 何か、気になるアマノの言い方だなあ?
「まあ、毒でないことは確かなんですけど、ユーリは戦闘後、大変なことになりそうですね。まあ、これも勉強料と思ったほうが良いのかしら?」
なんだろうなあ? アマノが言いよどんでいるのがすごく気になるなあ?
「もう怒ったぞーーー! 絶対に、今晩のおかずに変えてやるんだからーーー! 大気にて遊ぶ風の精霊たちよー! あたしの錫杖をその風で包み込み、敵に痛打を与えたまえー! 風の断崖ダンス発動だよー! これでも喰らっちゃえーーー! ていていてい、ていーーー!」
おお。ユーリが錫杖による怒涛の叩きつけ6連撃が蛸の頭に全段直撃したぞ! さらに錫杖に風の神舞を2重にかけてやがるのか。これは、紅い悪魔と言えども、ダウン寸前までいくはずだぜ!
「ユーリ! 今だ! 風の神舞を錫杖にかけて、風を槍の穂先としてイメージするんだ! 風の神舞の魔力を攻撃1回分に絞って、突きだすんだ!」
「うん、わかったーーー! 風の精霊さんたち、もう一度、あたし錫杖に風を巻き付けてー! 風の神舞発動ーーー! そして、イメージ! 錫杖から1本の巨大な槍にーーー!」
ユーリがそう叫ぶと同時、錫杖の先端に緑色の風が渦巻いて行く。錫杖の先端はまるで全てを穿つドリルのように風の螺旋を纏う。そして、全てを貫かんとばかりにユーリが錫杖を紅い悪魔に向けてぶん投げるのである。これはさすがに決まっただろ!
ブッシュウウウウウウウ!
おお、おお、おおお! 紅い悪魔をユーリが投げた錫杖がぶち抜いて、大穴を開けてやがるぜ! さすが、魔力C級なだけはあるな。ここ一番の威力が半端ないぜ!
「はあはあはあ……。やったよーーー! ついにあたしもモンスターを討伐できたよーーー!」
嬉しそうに雄たけびをあげてやがんな、ユーリのやつ。俺もちょっともらい泣きしそうだぜ。
「うふふっ。よく頑張りましたわ。ユーリ。とりあえず、墨で真っ黒のままですと、大変なことになってしまいますわ。ちょっと、息を止めててくださいね? 大気にあまねく水の精霊たちよ。私の意思に従ってほしいのですわ。水よ、逆巻くのですわ! 水の洗浄発動ですわ!」
アマノがユーリの身体を洗浄するべく、逆巻く水で洗っていくのである。本当、水の洗浄って便利なんだよなあ。モンスターの返り血で汚れた鎧とか服を洗浄するのにもってこいだもんなあ。
「ありがとうー、アマノさんー。ああ、すごく気分が良いよー。でも、なんだか身体が内側からぽかぽかする気分ー。これって勝利で身体と気持ちが昂っているからかなー?」
「うふふっ。悪いことは言わないので、今すぐ、宿に戻ったほうが良いのですわ? ユーリは蛸の墨を大量に浴びてしまって、とんでもないことになっていますわ? 1~2時間もすればおさまりますので、ツキトや団長さんに気付かれる前に行ってきたほうが良いのですわ?」
ん? 何の話をしてんだ? アマノのやつは?
「アマノさん、一体、何の話をしているのー? あたしは別にって、ええ? ええ? えええーーー?」
あれ? ユーリがいきなり全速力で宿の方向へ走って行ったぞ? あっ、なんかよれよれとなって、尻もちついてやがる。と思ったら、また走りだしやがったな。何やってんだ、あいつ?
「さあ、何でしょうね? それよりも、紅い悪魔の後始末をするのですわ。ツキトは、ユーリの錫杖の回収をお願いしますわ。私はこの紅い悪魔をどう調理するべきか、考えますわ?」