ー18- 7月22日
「おい。なんか、団長が修行僧の格好して、宿から出て行ったんだけど! なんだ? ついにとち狂ったのか?」
「うふふっ。だから、水の浄化が盛大に効いているびわ湖の水を飲みすぎるなと言っていたのに。あそこまで膨大な魔力が作用していると、精神にも影響が出てしまうのですわ?」
「うっわー。団長が昨夜、これは美味しい水ですよ! 皆さんも飲んでください! はははっ! って変なハイテンションだったから、やばい薬でも併用してるのかなー? って心配してたら、そんな事情があったのかー。あたし、びわ湖の水をがぶ飲みしなくて正解だったよー」
神帝暦645年 7月22日 午前9時。団長はシャカ・サンソン教の放浪坊主のようなボロボロのオレンジ色の修業服を着て、俺たちが泊まっている宿から飛び出していったわけである。
「普通は、ちょっとお通じが良くなりすぎて、厠から1時間ほど出られなくなるだけなのですわ。一体、どれだけ飲んだら、あそこまで精神的にやられてしまうんでしょうね? 私は不思議でたまりませんわ?」
「うーーーん。昨夜は、ウオッカをびわ湖の水で割って飲んでやがったからなあ、団長は。俺はストレートでちびちびやる派だから、酔い覚ましに少しだけしか、びわ湖の水には手をつけなかったんだよな」
「それで、今朝は1時間も厠に籠っていたんだねー。あたしもおしっこをしたかったのに、お父さんが厠に籠りっきりだったから、宿のロビーの方まで行くことになったよー」
「おい、ユーリ。年頃の女性がおしっことか言う単語を使うんじゃない。そこはお花を積みにいくとか、隠語を使うべきだ!」
「あと厠じゃなくて、化粧室と言うべきですわ? 世の中の男性の中には、女性の排泄に興味津々の超弩級変態がいるのですわ? ユーリは気をつけないと、その超弩級変態の男性に眼をつけられてしまうのですわ?」
「はーい。以後、気をつけますー。でも、おしっこはおしっこなのに、なんで女性はそんな面倒くさい隠語を使わなきゃダメなんだろー。これこそ、男尊女卑社会の闇そのものだよー」
「そこは、諦めろ。それで興奮する超弩級変態の男が世の中に存在するんだ。男ってのは、いつでもエロイことしか頭にないんだ。ユーリ、もし、お前が男性からお付き合いを申し込まれた時は、結婚するまで清いお付き合いしかしたくないのーって言ってみろ。それで、文句を言うような男なら、すぐにそいつから離れろ。物理的にだ。良いな?」
「うふふっ。まるで、ツキトが自分で自分を責めているように視えるのですわ? ですが、ツキトも男性ですからね。致し方ない部分があるのですわ」
「ま、まあ。アマノの前で言うのもなんだけど、俺も若い頃は、女性の中身より外見でえり好みしていたからなあ? どうも、男ってのは、歳を取らないと、女性を中身で判断することは難しいんだよなあ」
アレって何だろうな? 若い時分では、どうしても女性の顔やスタイルにばかり眼がいって、肝心の性格や価値観に関しては一切、考慮しないんだよな……。30歳を過ぎたころになってようやく、容姿以外の大切さに気付くようになるんだよなあ……。
「それはあなたが煩悩の塊だからですよ。ツキトくん」
「うおっ! 団長、戻ってきたのかよ! びっくりさせんじゃねえよっ!」
「びわ湖の水を新たに汲んできたのですよ。さあ、ツキトくん。あなたも悟りの道へと行きましょう。先生と共に、修行をしましょう。ハレルヤアアア!」
団長、ちょっと待て。ハレルヤは、オウ・ジーザス教だろうが。お前はなんで、シャカ・サンソン教に入信しておきながら、オウ・ジーザス教の言葉を大声で叫んでんだよ!
「あらあら。まだ、水の浄化の効果が効いているみたいですわ? これ、どうやったら、元の団長に戻るのですわ?」
「うーん。よど川の河口辺りまで行けば、水は汚れていると想うから、そこの水を飲ませれば、ちょうどいいんじゃないのー?」
びわ湖から流れ出た水は平安京を横切り、さらには大坂近くでいくつもの川へと分岐する。その川のひとつがよど川なのだ。
「うふふっ。どうせなら、どうとん堀に投げ込んだほうが確実かも知れませんわね?」
「さすがにどうとん堀はダメだろ。毎年、あそこに飛び込んで、浮かんでこれずに死ぬ奴がいるくらいだぜ? さらに紅い悪魔が住みついているって話があるくらいだしよ」
どうとん堀もびわ湖から流れ出た川が大坂で分岐したモノなのだが、あそこの水は本気でシャレにならないくらいに汚れており、悪臭もひどいのだ。
「ねーねー。お父さんー。紅い悪魔ってなにー? 初めて聞いたんだけどー?」
「ああ、蛸は知ってるだろ? あの刺身にしても、焼いても、煮ても美味いやつな」
「うん、知ってるー。お父さんがよくお酒の肴にしてるやつだよねー? あたしは煮ているのが好きだなー。ことこと醤油で味付けしたやつとかが特に好きだよー」
「うふふっ。蛸は色々と調理方法があって、料理をしている私も楽しいのですわ。私は天麩羅にするのが1番好きなのですわ」
ちなみにオウ・ジーザス教では蛸のことを紅い悪魔と呼んでいる。そこから、どうとん堀で巨大化した蛸のことを紅い悪魔とヒノモトノ国の住民は名付けたわけなのだ。しっかし、なんで、オウ・ジーザス教だと、蛸を紅い悪魔なんて名付けてるんだろうな? 俺は不思議でたまらんわ。
「でだ。大坂では蛸焼きってのが名物なんだけど、毎日、毎日、蛸焼き器で焼かれるのが嫌になった蛸が1匹、逃げ出したんだよ。どうとん堀にさあ。そしたら、それが栄養たっぷりの水をたらふく飲んだせいなのか巨大化したって話らしいんだ」
「うふふっ。蛸は本当は海にしか生息できないはずなのに、どうとん堀はまさに魔境なのですわ」
「その巨大化した蛸が紅い悪魔って呼ばれるようになったのかー。そいつを退治したら、冒険者ギルドから報奨金がでたりしないのー?」
「うーーーん。一応、クエストとしては貼りだされてはいるんだけど、誰があのどうとん堀に飛び込んで闘いたいかって話なんだよな。確実にあそこの水を飲んだら、病気になりそうだからなあ?」
「だからこそ、どうとん堀の紅い悪魔は野放しになっているのですわ?」
「ちなみに先生も1度、紅い悪魔をひと目見ようと大坂のどうとん堀まで、行ってきたことがありますが、アレはさすがに闘いたいとは想えませんでしたねえ」
ん? 団長らしくねえな。普通なら、はははっ! これで蛸焼きが1000人分つくれますよおおお! とか言い出しそうなのによ。
「いやあ、本当にどうとん堀の悪臭はひどいですからね。先生でも、あの川の水の中に入ったら、猛毒のバッドステータスをもらいそうですよ。君子、危うきに近づかず。これに尽きますね」
ちなみに毒のバッドステータスにも種類があり、猛毒ともなると水の浄化では体内から浄化しきれずに、医者にかかる必要が出てくるのである。
「ふーん。A級冒険者の団長でも無理なのかー。ところで、紅い悪魔を討伐すると、いくらもらえるのー?」
ユーリが団長に紅い悪魔の討伐報奨金について聞いている。少しはそいつに興味が出てきたって感じなのだろうか?
「確か、金貨5枚(※日本円として約50万円)と言ったところでしょうか? 汚水まみれになってまで討伐するほどのモノではありませんからね。だから、やめたと言うことですよ」
A級冒険者にとって、金貨5枚はハシタ金なのだ。くっそ。ふざけやがって! C級冒険者の俺にとっては、1年の収入の約6分の1に匹敵するっていうのにな!
「まあ、そのうち、挑戦者が現れるんじゃねえの? 金貨5枚ならE級冒険者の約半年分の収入だからなあ。紅い悪魔って名前はついてても、元はただの蛸焼き用の蛸だからな。ちょっと腕の覚えがある奴なら、ちょちょいのちょいだろうし」
「うーーーん。あたしのモンスター初狩りの相手としては報奨金的にはよさそうな気がするんだけどなー。D級冒険者になったのに、一度もモンスターを退治したり、クエストをクリアしたことがないってのは、まるでペーパー冒険者みたいで嫌なんだよねー」
「そうは言っても、最近、ペーパーD級冒険者は増加傾向にありますからねえ。他の一門もE級でまともにキャンプもできないような新人を連れ回すよりは、まず、一門内である程度、鍛えたほうがマシな場合もありますしね」
「その代り、D級のクセに満足に闘いも出来ない奴が増えたけどな。叩きあげのE級からD級に上がった奴と、ペーパーD級じゃ雲泥の差だしなあ。まあ、別にE級のやつらも好き好んで、苦労したかったわけじゃあないがな」
「んー? どういうことー? お父さん、何か含みがあるような言い方だよー?」
「えっとだな。一門には2種類あるってことだ。所属人数だけ増やして、国や行政、そして冒険者ギルドから助成金をもらうタイプ。それとは別に、じっくり新人を育てて一門の戦力にしていこうと言うタイプな。前者は、一門で囲うだけ囲って、あとは自分でなんとかしろってことさ。そんなところに入っちまった奴は必然と生活するためにE級の時から、這いずり回ることになるってことさ」