ー初体験の章40- 神帝暦645年 8月24日 その29
俺たちの正面には長机がひとつ。そして、その両脇に2~3人が座れるであろうソファーがひとつずつ。そして、その先には火が入ってない暖炉。さらに左側は外から光を取り込めるようにと壁に大き目の窓が付いている。その窓は分厚いカーテンに包まれており、外からはわずかしか光は入ってこない。
普通なら、部屋の中は真っ暗なはずなのだが、玄関・ホールの時と同じく、この部屋の照明器の回りを直径3センチメートルの火の玉が3体、ゆっくりと回っているために、それが光源となり、薄暗く部屋の中が照らしだされているわけである。
「火の玉の魔力がユーリの魔力探査に引っかかったと視るのは早計か?」
俺は後ろに控えるアマノにそう尋ねる。
「うふふっ。その可能性はありますが、ユーリが火の玉と違う魔力を感じたと言っていますわ? ユーリ、そうですよね?」
「うん。そうだよー。火の玉の気配は、玄関・ホールで覚えていたし、これとは別の何かの魔力を感じたよー? おかしいなー? あたしたちがお昼休憩に行っている間に、どこか別の場所に移動しちゃったのかなー?」
ここでユーリにもう1度、魔力探査を頼みたいところなのだが、如何せん。魔力探査を行えば、それだけで館の探索時間が減ることを意味する。アマノが代わりにやれば良いんじゃないかと言われそうだが、アマノがこの応接間Bの魔力探査を行ったわけではないので、もし、それを行った場合に何もヒットしなければ、ただの魔力の無駄遣いとなってしまう。
うーーーん。判断が難しいところだぞ? やっぱり、さっきの生きる絵画を逃がしてしまったのは大きな痛手だわ。まったく。冒険者稼業を20年近くもやっていながら、なんてポカをしちまったのやら。
俺は一度、ふうううと長い息を吐く。しょうがねえ……。無駄になる恐れはあるが、アマノに魔力探査を頼むか。
「アマノ。この応接間Bの魔力探査を行ってもらって良いか?」
「うふふっ。私は構わないのですわ? しかし、ひとつ言わせてもらえばですね。この応接間の場には不自然なモノが、床に転がっているのですわ?」
ん? アマノは何かを視つけたのか?
「あっ。あたし、アマノさんが言っていることがわかったー。お父さんー。部屋が薄暗いのと老眼のせいで、見落としているんだよー」
ああ!? 老眼は仕方ねえだろ! ニンゲン族は40歳を超えると元々の視力とはまた別に、眼の焦点がぼやけることがあるんだよ!
「ウキキッ。ツキト殿。そんなにきつく、ユーリ殿を睨みつけなくて良いじゃないですか。40を超えれば中年腹と老眼になるのはニンゲン族の宿命なのですから。ユーリ殿は事実を言ったまでですよ? ウキキッ!」
こ、この猿野郎! 自分がギリギリ20代だからって、40代を馬鹿にしやがって!
いや、待て。待つんだ。ヒデヨシは俺に冷静になれと言っているのだ。ここで、腹を立てて、徒党内の空気を悪くさせてどうするんだ。そんなの、徒党の司令塔として失格だぞ、俺!
俺は、スースーハー。スースーハーと2回、深呼吸し、昂ってしまった気持ちを抑えに抑える。
「すまねえ。老眼は本当のことだしな。ユーリ。どこに、この応接間にはあると不自然なモノが転がっているんだ?」
「んっとねー。右側のソファーの下側にあるんだよー。ほら、上半身だけ飛び出てるでしょー?」
ユーリが右腕と右手の人差し指を伸ばして、応接間のある一点を指さすのである。俺は両目を細めて、その一点をじいいいっと睨む。あかんわ。本当に俺はユーリの言う通り、老眼になりつつあるのだろうか。薄暗くて、よくわからん。何かがユーリの指さす方向にあるのがわかるのだが、何なのか判別がつきにくいのである。
俺は自分の眼をまぶたの上からゴシゴシと軽くこすり、さらに眼を細めて、そこを注視する。
「あああ!? やべえっ! あの床に転がっているのって、【呪いの人形】じゃねえのか!?」
「うふふっ。【呪いの人形】の可能性が高いですわね。でも、最悪、アレが【悪魔の人形】だった場合、どうします? 視て視ぬふりをします?」
「お父さんー。アマノさんー。呪いの人形は知っているけど、悪魔の人形って何ー? 呪いの人形の上位種って認識であってるー?」
「そんな生易しいもんじゃねえよ、悪魔の人形ってのは。呪いの人形シリーズの最上位種だ。わかりやすく言えば、バンパイア族の一般バンパイアが呪いの人形なら、パンパイア・ロードに当たるのが悪魔の人形なんだよ……」
「えええーーー!? そんな危険なモンスターが、この応接間のソファーの下に転がっているってどういうことなのー? それって、さっきの生きる絵画よりも危険度は上ってことになるよーーー!?」
ユーリが驚くのも無理はない。生きる絵画自体のモンスター危険度はDの上程度である。B級冒険者のアマノが居る俺たちの徒党なら、ぶっちゃけ、不意打ちにだけ注意しておけば、生きる絵画は雑魚と言っても差支えが無い。
だが、悪魔の人形は別モノだ。B級冒険者でも、ひとりで相手をするのに手こずるほどのモンスターであり、その危険度はCの上に位置しているのである。ちなみに呪いの人形のモンスター危険度はDの下であり、ユーリくらいのD級冒険者としての腕前があれば、それほど苦戦する相手ではない。
「さって。あそこに転がっている人形が、呪いの人形なのか、悪魔の人形なのか。ここは対応を間違えるわけにはいかないな……」
「お父さんー。呪いの人形と悪魔の人形を見分ける方法は無いのー?」
ユーリ。それは非常に良い質問だぞ? 今日のユーリは冴えているな? あとで、褒めてやるからな?
「呪いの人形ってのは、基本、外ツ国の人形ばかりなんだよ。髪の色は金で、髪型は縦ロール。そして、きれいなドレスを着ている場合が多い」
「ふむふむ、なるほどー。じゃあ、髪の色が汚れた薄茶色で、髪型がドレッドヘアーだった場合はー?」
「それは間違いなく悪魔の人形だな。って、もしかして、床に転がっている人形は、ドレッドヘアーなのか!?」
「うん、そうだよー? それにあの人形の右手に何かキラキラ光っているモノがあるねー? なんだろー? カミソリかなー?」
「撤退! 全員撤退! この部屋から逃げろ! 作戦を立て直す!」
俺が大声をあげて、アマノとユーリに部屋から出るように指示を出す。やっべえええ。ユーリの視力を持ってしてなかったら、アレが悪魔の人形だってことに気付くのが遅れるとことだったわ!
「ウギイイイ! 何故、ワレの正体がバレタんだベエエエ! お前らをこの部屋から逃がさないんだべベエエエ!!」
うひょおおお! 悪魔の人形が、ソファーの下から、手足を激しくバタつかせて、飛び出し、さらには、こちらに向かって跳躍してきたわ!
ギャリリリリリリッ!
俺は左手に構えていた丸盾で、悪魔の人形のカミソリによる横薙ぎを防ぐ。あっぶねえええ! もう少し、俺の反応が遅れていたら、確実にこいつが右手に持っているカミソリが俺の首級を刎ねていたわ!
「うふふっ。ツキトに危害を加えるとは、なかなかのクソ野郎なのですわ? 私、少しばかりキレてしまいましたわ? ツキト? 私が悪魔の人形と闘って良いですか?」