ー初体験の章16- 神帝暦645年 8月24日 その5
雑魚の幽霊が昇天したあと、幽体の雲が、その身をわなわなと震えさせながら、俺たちに向かって声を放つ。
「ブジュルルルルー。ワレの奇襲を予測シテイルトハ思ってイナカッタゾ」
おお。この幽体の雲は、まともなニンゲン語を喋れるのかよ。幽霊ってのは、たいがい、気が狂っているか、頭がおかしいっていうのにな?
「で? お前さんは、俺たちを襲ってこないのか? 今なら、太陽の日差しをたっぷり味わえるぜ?」
「ブジュルルルルー。安い挑発に乗るワケガナイノダゾ。ここは一旦、退かせてモラウ。モラウウウウウ!?」
幽体の雲が日差したっぷりの場所から館の中に戻ろうとしたのだが、そうは問屋が卸さない。ヒデヨシがバタンッ! と正面扉を閉めてしまったのだ。ナイスだ、ヒデヨシ。これで、こいつはもう、暗がりには戻れないぜ!
「ウギャアアアアアアアア! 熱い熱いアツイイイイイイ!」
「ねえ、お父さんー? こいつって、馬鹿か何かなのー?」
「ん? 幽霊ってのは脳みそをもってないからなあ? 脳無しの馬鹿で良いんじゃね?」
俺とユーリがそんな会話をしている中で、幽体の雲は、シュウウウ! と甲高い音を立てながら、段々、その存在自体を薄れさせていくのである。このまま霧散させておくのも悪くはないが、きっちりあの世に逝ってもらったほうが都合が良いのである。
「ウキキッ! 水よ、幽霊をあの世に返すのですよ! 水の回帰発動なのですよウキキッ!」
ヒデヨシが幽体の雲のひときわ濃い霧状の中心部にある黒い塊に、自分の右手を突っ込み、呪符を貼りつけて、治療魔法を繰り出す。
「ピイイイイイギャアアアアアアア!」
それが幽体の雲の断末魔であった。うーーーん? すでに死んでいるから断末魔って言うのは表現としておかしいような? まあ、良いか!
「しっかし、あんなに冷気をダダ漏れさせて起きながら、こちらが何も準備もせずに正面扉を開くとでも思っていたのかねえ?」
「うふふっ。能無し。いえ、脳無しなわりには奇襲を考えただけでも見事なものですわ? ただ、最後はさすがにお間抜けさんとしか言いようがなかったのですわ?」
「本当。部下だけをつっかけてくりゃ良いのに、なんで、あいつ自ら太陽の日差しの下に飛び出してきたんだ? もしかして、奇襲作戦に相当、自信を持っていたのか?」
「ウキキッ。その理由を聞こうにも、すでに昇天してしまったのですよ。それよりも、この幽体の雲の核は売り物になるのですかね? ウキキッ!」
「んーーー? ヒデヨシさん。幽体の雲って核持ちなのー?」
「ウキキッ。そうですよ。ツキト殿に教わっていると思うのですが、魔法生物というモノは魔力の源とたる核を持っていることは知っているのですよね? ウキキッ!」
「うん、知ってるー。でも、幽霊って、魔法生物だったっけー? 幽体と魔法生物って似ているようで別モノなんでしょー?」
「ウキキッ。その通りなのですよ。でも、幽体の雲はどちらかと言えば、魔法生物寄りなのですよ。だから、少なからず知性を持っていた。そういうことですウキキッ!」
ヒデヨシがユーリに説明しながら、地面に転がるかつて幽体の雲であったものの直径5センチメートルの黒い玉のような核をひょいっと右手で掴み、拾い上げる。そして、それを俺に見せつけて、どうです? ウキキッ!と聞いてくるわけだ。
「うーーーん。どうだろうなあ? もう少し大きければ、魔道具店で銀貨10枚くらいで買い取ってくれそうなんだがなあ? よくて銀貨3枚ってところかな?」
「ウキキッ。チッ。ただの雑魚でしたか。呪符の無駄遣いをしてしまったのですよ。呪符も無料ではないのです。もう少し、採算の採れる相手であってほしかったものですよウキキッ!」
「まあまあ。ヒデヨシ。こいつはただの雑魚だったが、まだ、館の入り口なんだぜ? 館の中ではもっと金になりそうな幽体の雲がいるかもよ?」
「ウキキッ。そう願いたいものですよ。幽霊退治が金貨200枚(※日本円で約2000万円)を請求するほどの相手に巡り合いたいものですね? ウキキッ!」
教会の幽霊退治者が館の幽霊を駆逐する代金を領主に提示したのだが、それが金貨200枚とかなりふざけたものであった。まあ、そんなとんでもな要求を飲めるわけがないと、俺たちのような冒険者に半額以下の金貨40枚のクエストとして発行したわけなのだが。うーーーん。でもなあ? しょっぱなから苦戦するような相手と出くわしたいわけではないが、出落ち感が半端ないんだよなあ?
クエストをこなすのに依頼主から提示された金額以上の仕事をやらされたらたまったもんじゃないんだが、いざ、これからだ! って思って、何もありませんでしたじゃあ、それはそれで面白くもなんともないのである。
だいたい、このクエストを受けているのはユーリの訓練の一環だからだ。1年分の収益はお盆進行の折にバンパイア・ロードを退けたときの報奨金で充分黒字なのである。
「さって。気持ちを切り替えていこうぜ? 俺が前衛。俺のやや後ろでアマノとユーリ。そしてヒデヨシが最後方で後ろからの奇襲に警戒してくれ。良いか? 今のはあくまでも前哨戦だからな? あんな雑魚ばっかりなんて、決して思うなよ?」
「ウキキッ。わかったのですよ。ユーリ殿。館内では魔力探査を常に行ってくださいなのですよウキキッ!」
「うふふっ。いつもなら魔力探査は私の仕事なのですが、今回はユーリが居てくれて助かりますわ?」
「うーーーん。館の中を探索しながら、魔力探査も欠かさないなんて、なかなかに骨が折れそうだよー。こっしろーくん。あたしのサポートをお願いねー?」
「わかったのでッチュウ! ぼくの初クエストはこれからなのでッチュウ! ユーリちゃん、ぼくに任せてほしいでッチュウ!」
ネズミのこっしろーが自信満々にそうユーリに宣言するのである。大丈夫かなあ? なんか、心配でたまらないんだが?
ちなみにユーリの使い魔であるネズミのこっしろーの主な役目としては、主人であるユーリと感覚共有を行い、ユーリの死角となる部分への注視であるのだが、いかんせん、ユーリと、こっしろーが先日、感覚共有を行った際、ユーリが危うく戻れなくなるところだったんだよなあ。
「おい。ユーリ。わかっているだろうけど、こっしろーとの感覚共有は最低限にとどめておけよ? 共有酔いを起こしたら、シャレにならないからな?」
「うん、わかったー! こっしろーくん、魔力供給の補助にだけ努めてねー? あっ、もちろん、危険な時は、あたしから魔力を持って行っていいからねー?」
「わかったのでッチュウ。ユーリちゃんは、ぼくより魔力の桁が高いから、ぼくが少しもらったくらいではなんともないはずでッチュウ。ユーリちゃんが怪我をしたら、即座に治療魔法を使わせてもらうんでッチュウ!」
本当、魔法が使える使い魔は便利だよなあ。それにこっしろーはニンゲンの言葉をしゃべれるってところがさらに良い。水の猫や火の犬も魔法を使える使い魔として優秀なのだが、やはり言葉を交わせるか交わせないかは、主人と使い魔の連携において、雲泥の差が出るもんなあ。
ああ、俺もこんな小生意気なネズミじゃなくて、もう少し可愛げのあって、さらにはコミュニケーションが取りやすい使い魔が欲しいなあ?
ん? 俺の使い魔はどうしたのかだって? あいつなら、草津の家の日当たりの良い場所に置いてある水槽の中で、グウグウ寝てんじゃねえのか?