ー初体験の章11- 神帝暦645年 8月23日 その11
さて。今、俺たちは館の裏庭に来ているわけなんだが、さすが大きな館なだけはあり、裏手にも館に出入りするための扉が付いている。ああ、あそこは多分、館のキッチンに通じる扉なんだろうな。近くには放置された薪割り用の土台などもあるし、間違いないだろう。
ん? あの扉はなんだ? 扉の下にまた小さな扉がついていやがるな。
「なあ、アマノ。あの扉の下にまた小さい扉がついているのはなんだと思う?」
俺がそうアマノに質問すると、アマノはニコニコと笑顔でこう告げる。
「あれは多分ですが、ワンちゃんか猫ちゃんの通り道になっているのですわ? たぶん、領主さまはペットにそのどちらかを飼われているんじゃないかしら?」
「おお。なるほど。ペット用の扉ってことかあ。俺はてっきり、領主の夫人が下人と逢瀬をするためにあそこから扉の鍵を渡すもんだと思ってたわ」
「ウキキッ。それはロマンが溢れる話なのですよ。でも、実際にもしかすると、そういう目的で作っているヒトもいるかもですね? ウキキッ!」
「ああー。大人って汚いなー。あたしはやっぱり結婚したら、旦那さま一筋でありたいよー。ねえー? お父さんー?」
「おい。待て。俺がまるで浮気や不倫をするような言い方をするのはやめろ、ユーリ。アマノが俺をすごい眼つきで睨んでるじゃねえか!」
「うふふっ? やはり、黒の首輪をジョウさんのお店で買っておくべきでしたわ? 私、なんだか心配でたまらなくってきましたわ? 今回のクエストの報酬で、是非とも、ジョウ・ジョウ防具店で黒の首輪を購入しておくのですわ?」
ほおおおら、見ろおおお! あんな、嫁さん以外の女性のおっぱいを30秒、ガン見しただけで首を締められるような魔法の道具を購入しようと企んじまうだろうがあああ!
「ウキキッ。あの黒の首輪の効果は抜群なのですよ? わたくしもついつい、アマノ殿のおっぱいをガン見してしまうのですが、そのたびにウギギッ! となってしまうのですよウキキッ!」
ああ、なるほど。ヒデヨシが汽車や箱馬車の中でたまにウギギッ! って言い出してたのはそのせいだったのか。ってか、ヒトの嫁さんのおっぱいをガン見してんじゃねえよ!
「ウキキッ。女性のおっぱいには夢と希望が詰まっているのです。わたくしからおっぱいをガン見する行為を封印してはいけないのですウギギッ!」
ヒデヨシが何やら名言めいたことを良いながら、首に巻き付いている黒の首輪に首を絞めつけられる始末である。ああーーー。そんなに効果の素晴らしさをアマノに見せつけるのは本当にやめてほしい。俺はこのクエストが終わったら、首輪をつけられること間違いなしなのだからな?
「さって、ヒデヨシの馬鹿は放っておいて、アンデッド・ドッグ以外はいなさそうだなあ。まだ、事態は深刻化してないってことなんだろう」
「うふふっ。不幸中の幸いなのですわ。まだ、幽霊たちはこの館の外から出歩いてはいないようですし。その痕跡も見当たりません。でも、この冷気から察するに臨界点は、ほどなくやってくるといったところなのかもですわ?」
「臨界点ー? それって何なのー? 幽霊が館の外に溢れだすのがそんなに危険なのー?」
とまあ、ユーリが俺たちに質問してくるわけだ。
「うーーーん。何て言ったらいいのかなあ? 幽霊ってのは、暗がりを好むから、夜、森に近づいたりしなきゃそれほど危険でもないんだが、幽霊の特殊能力に、【憑りつく】ってのがあるんだわ。ニンゲンが夜、森の中をうろつくってのは少ないから良いとしてだ。野犬とかの動物たちが憑りつかれて、凶暴化するんだよなあ」
「うふふっ。いわゆる狂犬病なのですわ? 野犬が幽霊に憑依されて、畑を荒らしまわったりすることになるだけでなく、近隣の農家のヒトたちが噛まれる可能性も高まりますわ。でも、それで済んでいれば良い話なのですが」
と、ここでアマノが言葉を濁らせるわけなのだが。
「それって、下手をすると、幽霊がニンゲンにまで憑依して、悪さをしだすって認識で良いのかなー?」
「まあ、そういうことだ。だから、館の中の幽霊の数が臨界点を突破する前に、その数を減らしていかなきゃならないってわけだ。1匹、幽霊を視つけたら30匹は居るとみたほうが安全だぞ? 今から、心しておけよ?」
「うん、わかったーーー。あたしもワンちゃんたちが狂犬病にかかって、ヒトに噛みつくのは嫌だからねー。それで処分されちゃったら、可哀想だよー」
「ああ、俺もあんまり心情的によろしくない事態になるから、そうなる前に俺たちの手でどうにかするぞ? 幸い、お盆進行が終わったおかげで、幽霊が繁殖する速度はかなり落ちているはずだ。明日から取り掛かっても充分、おつりはくるだろうさ」
とまあ、こんなことを言ってみたはいいが、実際に、館の中に入ってみないことには、幽霊の数は判明しないわけなのだが。できるなら、パンパンに膨らんだ紙風船を俺たちが針を刺す役目にならないことを祈るだけだなあ……。
「よっし。そろそろ、拠点の一軒家に戻ろうか。昼もだいぶ過ぎて、そろそろ午後2時だわ。ああ、お腹がすいて、お腹と背中がくっつきそうだぜ」
「うふふっ。今日の昼食はタマさんが準備されているのですわ? いったい、どんなものを食べられるか楽しみなのですわ?」
「ウキキッ。望むのならば、カレーを食べたいところなのですよ。大津のカレーって、ご飯は固めなのでしょうか? やわらかめなのでしょうか? 気になるところなのですよウキキッ!」
「あたしはカレーだったら、少し固めのご飯が好きかなー? でも、カレーの可能性が高いわけでもないしー? うーーーん。カレーだと思って、カレーじゃなかった時には、心の落差をタマさんに気付かれないようにするのは難しいよー」
あかん。ヒデヨシとユーリがカレーの話をしだしたから、俺の腹もカレーって気分になっちまったわ! くっそ、なんて、魅力的な呪文なんだ。【カレー】って言葉は! ああ、俺は今、無性にカレーが食べたくなってきた!
「私もお腹がカレーを求めているのですわ? 困りましたわ? これで、カレーでなかったら、ユーリと同じく、しょげてしまいそうですわ?」
こんな感じで、俺たちは昼食はカレーであってくれと心から願うのである。
☆☆★☆☆
「よっしゃあああ! さすがタマさんだぜ! 俺たちはカレーを待ち望んでいたんだあああ!」
「ウキキッ! お新香に、福神漬けとラッキョウを両方準備してくれているのはありがたい話なのですよウキキッ!」
「ユーリ? 私はご飯をおひつからよそいますから、カレーを盛り付けてほしいのですわ?」
「カレー! カレー! カレーーー! あたしの分はご飯もカレーも大盛りにしちゃうよおおおーーー!」
「おい、待てよ、ユーリ! そんなに大盛りにしちまったら、おかわりがなくなっちまうだろうが! 少しは皆のとこを考えろよ!」
「あたしは16歳なんだから、まだまだ育ち盛りなんだよーーー? お父さんこそ、少しは娘がますます成長できるようにと、あたしの大盛りカレーを許可するべきだよーーー!」
「あ、あわてなくても大丈夫デスヨ!? カレーは夕飯用にも回せるようにと、多めに作っていますカラ!? って、ユーリさんたち、一度にそんなに盛り付けてしまうのデスカ!? アワワワ。これでは、夕飯の分が無くなってしまうのデスウウウ!」
俺たちは遅めの昼食に出されたカレーを、たらふく腹に詰め込むわけである。いやあ、カレーって何杯食べても、腹に入るよなあ!