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第8回 見えざる会話

 カラオケボックスから家に逃げ帰って来た雅は、なにも見えない真っ暗な部屋で二人に苛まれていた。

「許してお兄ちゃん、怒鳴らないでお母さん」

 闇に閉ざされた部屋に雅の声だけが部屋に響いた。すると、野太い男の声が返ってきた。

「お前はオレのモノなんだ。それを他の野郎に抱かれようとしやがって」

「違う、お兄ちゃん聞いて、わたしはお兄ちゃんのモノです。わたしが愛してるのはお兄ちゃんだけなの」

 鼻を啜る雅の声を掻き消して年配の女がしゃべる。

「あんたって子はすぐ泣くんだから、泣き止まないと殴るわよ」

「やめて、殴らないで!」

「すぐに脅えた声を出して、あんたってほんとに弱虫な子だね。あたしの子供とは思えないよ。ひとりじゃなんにもできない子なんだから」

「……わたしひとりでも平気だもん」

「あたしとこの子が助けなかったら、今ごろどうなっていたか考えな!」

 お母さんに怒鳴られ、恐れる雅は部屋の角で体育座りをして小さくなった。

 いつもこうだ。雅はお兄ちゃんとお母さんにひとりじゃなにもできないと思われている。昨晩も二人に苛まれ、今朝の学校では紅葉や他のクラスメートの前で取り乱してしまった。

 全てお兄ちゃんとお母さんがいつも傍に付きまとっているせいだ。だが、雅に反抗するような勇気はない。力にモノを言わせるお兄ちゃんと、怒鳴ってばかりのお母さん。雅の心は恐怖によって支配されていた。

 お兄ちゃんを昨日の話を掘り返してきた。

「昨日だってお前のためにあいつを犯して殺してやったんだぞ」

 その言葉にお母さんも続く。

「あたしだってあなたのためを思ってあの女を殺してやったのよ」

 あたかも雅のためと言っているが、雅は二人が己の快楽の為に犯行を楽しんでいることを知っている。

 お兄ちゃんは女を犯して、首を絞めたときの相手の死相を見て喜ぶ。

 お母さんは自分以外の綺麗な女が嫌いで、顔を剥いで胸を抉って女の価値を下げて殺すのが好き。

 それを知っていながら、雅は身近な者の犯行を黙認した。警察に駆け込もうという発想すら思わない。あまりに幼い頃から、お兄ちゃんとお母さんに苛まれてきたためだ。雅に取って二人の存在は絶対だった。

 お母さんは未練がましい声を出す。

「昨日の女は楽しんで殺せたけど、今日はあんたがあんな場所で襲われるから、女の顔を剥ぐこともできなかったわ。爪で剥ごうとしたけど無理だったのよね、代わりに男のモノを喰ってやったけど。あの女の顔を剥ぎたかったわ……代わりにあんたの顔を剥ごうかしら?」

 含み笑いが闇の中で木霊した。

 すぐにお兄ちゃんの声が笑いを掻き消した。

「おい、雅に手ぇ出したらクソ婆殺すぞ!」

「あんたそれが親に利く口? あんたも所詮はあたしの所有物なのよ。奴隷なら奴隷らしくあたしに口答えなんかするんじゃないよ!」

「やめて二人とも!」

 雅が叫んだ。

 昔からお兄ちゃんとお母さんの仲は悪い。喧嘩をするとたまに雅が止めに入るが、いつも矛先は雅に変わってしまう。

 ヒステリー気味にお母さんが叫ぶ。

「あんたは黙ってなさい!」

 お兄ちゃんの矛先も雅に向いていた。

「お前を庇ってやってんだぞ、静かにしてろ。それともオレにカマって欲しいのか?」

 低い声で威嚇したお兄ちゃんは急に下卑た声を出した。

 雅は恐れた――また犯される。

「やめて、わたしそんな気分じゃない」

「そんなこと言ってオレに犯されるのが好きなクセに」

「そんなこと……ない」

 言葉で否定しても、雅の躰は正直に疼いてしまっている。火照る肌をお兄ちゃんに舐められることを想像する雅がいた。

「お兄ちゃん、駄目、駄目……気持ちいいの、もっとしてください!」

 喘ぎながら雅の意識は白濁に呑み込まれようとしていた。

 だが、突然のチャイム。

 やましいことをしていた雅は慌てて立ち上がり、部屋のドアを開けた。

 闇に閉ざされていた部屋に光が木漏れ日のように差し込んだ。

 部屋の奥には椅子に座っている人影が見えたが、すぐに部屋は再び闇に閉ざされた。

 雅は部屋のドアを閉め、すぐに玄関に向かって走り出した。

 ドアスコープからマンション廊下のようすを伺うと、そこには二人の女子高生が立っていた。

 ――なぜ、あの二人が?

 雅は疑問を抱きつつもドアチェーンを外し、電子錠を解除してドアを開けた。

「こんにちは草薙さん」

 優しい声は紅葉のものだった。その横にはつかさが立っている。

 紅葉は手に持っていた鞄を雅に差し出した。

「草薙さんの忘れ物を届けに来たのだけれど」

 学校に置いて来てしまった雅の鞄。わざわざ紅葉とつかさが届けに来てくれたのだ。

 しかし、まだ学校は終わっていないはずだった。

「あ、ありがとうございます。けど、あの、学校は……?」

 鞄は受け取って雅は尋ねた。すると、紅葉は気まずそうに笑った。

「昼休みが終わってからサボっちゃったの。午後には苦手な体育もあったし」

 サボる?

 そんなことを紅葉がするのを雅は見たことがなかった。勤勉で礼儀正しく、授業も静かに真面目に受けているようなタイプだ。そんな紅葉が授業をサボる?

 ひとりだけならまだしも、横にはつかさもいる。

「風間さんも?」

 風間とはつかさの苗字だ。

 不思議そうな顔をする雅に訊かれ、つかさは無邪気に笑う。

「だって紅葉がサボるっていうからさー。アタシは体育好きなんだけどな」

「だったらわたしについて来なければいいのに」

「そんなこと言わないでよ、もみじ〜っ」

 二人の姿は雅の目に仲もむつまじく映った。

 そんな二人とは別世界に自分は置かれているのだと雅は気づき、なにも言わないで玄関を閉めようとした――ドアをつかさが押さえた。

「ウチら雅に訊きたいことあって来たんだよね、ねっ紅葉?」

「うん。話たくなければいいのだけれど?」

 切れ長で古風な美を湛える紅葉の瞳で雅は見つめられた。

「どんなことですか?」

 雅が尋ねると、ドアを押さえていたつかさの手に力が入り、強引にドアを開けてしまった。

「できれば中でゆっくり話聴きたいなぁ、ねっ紅葉?」

 つかさに顔を向けられた紅葉が返事を返す前に、雅は慌ててドアを再び――今度は力を込めて閉めようとした。

「だ、駄目です。散らかってるし、家に人を上げるとお母さんが怒るんです」

 精一杯ドアを閉めようと雅は力を込めるが、つかさは涼しそうな顔をしてそれを押さえている。

「雅んちの母親って怖いんだ。兄弟とかいるの?」

「兄が……ひとり……」

「今部屋にいるの?」

「だ、だから入って来ないでください」

 つかさは何気ない会話を交しながら、玄関から中に首を伸ばして覗き込んでいた。

 中に人がいるにしても、身を潜めているように静かだった。

 突然、紅葉が『あっ』と息を漏らすように呟いた。ケータイの小刻みに震えたのだ。

「メールみたい、ちょっとごめんね」

 紅葉がケータイを見ると、そこには紫苑からのメール着信があった。

 慌てずメールを開き、紅葉は少し息を呑んだ。

 武田朱美が殺されて発見されたとメールには書かれていたのだ。

 すぐにケータイをしまって、紅葉は真剣な眼差しで雅に問う。

「近藤香織さんと猪原由佳さんが殺されたのは知っている?」

 雅が答えるまでには少し間があった。

「誰ですか?」

「昨日、草薙さんがからまれた三人のうちの二人の名前なのだけれど」

「こ、殺されたんですか……あの人たち」

 声を沈めながら雅は節目がちに顔を下に向けた。

「ウチからも質問あるんだけど?」

 つかさは言った。

「草薙早苗って知ってる?」

「し、知りません!」

 今度は即答だった。そして、つかさの隙をついて雅は玄関を閉めようとした。

「わたし忙しいので」

 玄関は言葉少なげに閉じられた。

 不可解に動揺する雅に紅葉は不信感を抱かずに入られなかった。

 ここに来た目的は武田朱美を探すついでだったのに、雅がなにかを知っているように思えてしまう。

「帰ろう、紅葉」

「早いってばつかさ」

 歩き出してしまったつかさの後を紅葉は慌てて追った。

 雅はドアスコープで二人が消えたのを見て、慌ててお兄ちゃんのいる部屋に向かった。

「お兄ちゃん、みんながわたしのことを疑ってるの!」

 闇に閉ざされた部屋の中で雅は脅えた。

 お兄ちゃんは太く逞しい声で雅を落ち着かせる。

「オレが守ってやるから心配するな」

 そう言って、分厚いカーテンを少しだけ開けて道路の様子を伺った。

 道路を歩いている紅葉とつかさの姿が見えた。

「紅葉かいい女だな……犯したくなるぜ」

 舐めるように紅葉を見ていると、つかさがこちらを振り向き、慌ててカーテンを閉めた。

「お兄ちゃん、やめて。雨宮さんはわたしに優しくしてくれた」

「もうあいつもオレのもんだ」

 低い笑い声が闇の中に響き渡った。

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