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第30回 誰がために生きる?(第1話完結編)

 低い笑い声が木霊した。

「クククッ……心配すんなよ、雅はオレの中で生かしてやる」

 タケルは血の海に浸る雅の躰を抱きかかえ、不気味な仮面が巨大な口を開けて、その深淵へと雅の躰を丸呑みにした。

 紅葉よりも先に愁斗がおぞましい存在が顕現すると感じ、地面を蹴り上げながら妖糸を放った。

 煌く輝線はタケルの首を刹那にして刎ねた。

 しかし、相手はすでに死人。

 地面に転がった生首から蜘蛛のような脚が出た。

 あの仮面を壊さねばならぬことを悟った愁斗が構えた瞬間、首と切り離された胴から包帯が触手のように伸び、愁斗を絞め殺そうと飛んで来た。

 何本もの意志を持った包帯を躱わすのは至難の業。

 最初の一本を躱わした愁斗は包帯を妖糸で切り刻もうとしたのだが、息を切らした肺が咳き込み喀血をして仮面の口から真っ赤な血を吐いた。

「……こんなところで」

 急激な運動によって内臓の損傷が悪化したのだ。

 隙のできた愁斗の足首に包帯が巻きつき、なんと愁斗は宙吊りにされてしまった。

 包帯はすでに生き物と化し、その長さも自在と変えてうねり回る。

 瞬く間に愁斗は四肢を捕らえられ、蜘蛛の巣にかかった獲物のように宙に吊るされていた。

 さらに包帯は愁斗の首を絞めようと巻きつき、ぎちぎちと巻きつく力を強めていた。

 愁斗の首から伸びる包帯に輝線が走った。

 裁ち鋏を構えた〈般若面〉。

 跳躍しながら呉葉は華麗に舞い、次々と愁斗を拘束していた包帯を切り刻んだ。

 小刻みされ舞い散る包帯が花びらのごとく宙を舞う。

 首のない躰が拍手をして、その首に蜘蛛の脚を持った頭が乗った。

「すげえな、カッコイイじゃねえか」

 感心したようにタケルは舌を巻いた。

「オレもカッコイイとこ見せなくちゃな」

 タケルの躰に起こるメタモルフォーゼ。首と両腕が天井に向かって長く伸び、両手はぶよぶよと蠢きながら頭部を形成した。両手の変わりに生まれた頭部――そこに現れたのは喰われたはずの雅と早苗の顔であった。

 二人の顔は苦悶に満ちている。

 脳で木霊するおどろおどろしい声を呉葉は聴いた。

 ――タスケテ……タスケテ……。

 雅と早苗の混ざり合った声。二人の意識はタケルの中で生きていたのだ。

 硬く裁ち鋏を握った呉葉がタケルに飛び込んだ。

 タケルの躰から伸びた包帯が腕となって縦横無尽に動き回る。

 殺意を滾らせた呉葉の攻撃は確実に包帯を切り落とし、タケルの中心――不気味な仮面へと距離を縮めてようとするが、包帯はいくら切り刻んでもタケルの躰から生え変わり、無限というべき再生を続けていた。これでは近づけない。

 驚異的な再生力を持った幾本もの包帯。その光景はまるで、日本神話に語られる八岐大蛇のようだ。

 一方、愁斗は仮面の下から零れる血がローブに染み込み、地面に方膝を付きながら霞む目を凝らしていた。

 包帯と舞い踊る呉葉はその場でステップを踏むのに精一杯だ。愁斗はあの不気味な仮面がエネルギーソースと知って、破壊する方法を模索した。

 愁斗は立ち上がり指先を軽く動かした。問題は己の躰が持つかであった。

 神速で振られた愁斗の手から放たれた輝線が宙に傷をつくる。

 闇色の裂け目の『向こう側』で、いつもよりも甲高く悲鳴が聴こえる。号泣する声が聴こえる。轟々と呻く声が聴こえる。どれも惨苦に満ち満ちている。

 愁斗は気高く命じる。

「行け!」

 空間の裂け目から飛び出した〈闇〉は荒ぶる風のように吹き、幾重にも伸ばされた包帯を侵食させながら不気味な仮面に絶叫を浴びせた。

 〈闇〉がタケルを呑まんと大きく魔の手を広げる。

 不気味な仮面の雄たけびが空間そのものを震わせ、大きく裂けた口を〈闇〉に負けじと広げた。その口の中に続く暗い深淵。無限に続く闇がそこにはあった。

 〈闇〉が、〈闇〉が不気味な仮面の口内へ吸い込まれていく。

 愁斗が愕然として、両手を地面についた。仮面の口から零れ落ちた血が地面で四散した。

 〈闇〉を呑み込んだタケルは躰を膨れ上がらせていた。

 それはまるで腫瘍が増殖していくように、ぶよぶよとした肉塊が次々と膨れ上がっていく。

 呉葉はタケルが〈闇〉を呑み込んでいた隙に、すぐそこまで迫っていた。

「クタバレ怪物!」

 渾身の力を込めて呉葉は不気味な仮面に裁ち鋏を突き刺した。

 ――はずだった。

 そこにあったはずの不気味な仮面は早苗の顔に変わっており、その瞳から血の涙を流していた。

 ――イタイ……イタイ……。

 呉葉の脳に流れ込む早苗の苦しむ意識。

 わかっていても呉葉は両耳を強く塞いだ。

 裁ち鋏から手を離してしまった呉葉の躰を掴もうとする長い包帯。

「クハハハッ、残念だったな今のはクソ婆だ!」

 伸ばされた包帯は呉葉の残像を掴んだ。

 バク転をしながら後ろに逃げた呉葉は、タケルの躰から伸びていた首のひとつから、早苗の顔が消えたことに気がついた。

 不気味な仮面は早苗の魂を身代わりとして破壊されることを免れたのだ。

 壁際まで逃げた呉葉は壁に背中を付けてもたれ掛かった。

 呉葉は限界をとうに超えていた。間接に走る激痛、鉛のように重い躰、意識だけがはっきりしているのが救いだった。

 愁斗もまた同じ。臓器の損傷が激しく、躰の内から死が滲み出していた。

 倒れる寸前の二人とは対照的にタケルは力に満ち溢れ、その躰をさらに変化させていた。

 包帯はいつしか赤黒い触手へと変わり、それが肉塊となったタケルの躰から毬藻のように生えている。触手の塊となった躰から長く伸びた首が二本。残る顔は不気味な仮面と、苦しみを浮かべる雅の顔。

 不気味な仮面は触手の奥深くで嗤っている。

「オレは無敵だ、今なら世界征服もできそうな気分だぜ」

「アタシひとりモノにできない野郎がよく言うよ!」

 呉葉が叫んだ。

「あんたなんて核弾頭で一発よ、キャハハハハ!」

 笑いながら呉葉はついに地面に座り込んだ。もう一歩も動けなかった。

 愁斗も地面にうつ伏せになったまま動かない。

 死はすぐそこまで忍び寄っていた。

 触手を蠢かせながらタケルがわさわさと近づいてくる。

 呉葉は逃げることもできなかった。ただ、胸の奥で悔しさを噛み締めた。

 赤黒い触手の先端が『紅葉』の胸に触れた。

 妹の躰を弄ぼうとする触手を呉葉が握り締めた。そこまでが限界だった。触手を掴んだはずが、逆に手首は触手に巻きつかれてしまった。

 先端から粘液を滴らせる触手が鍛えられた太腿を撫でた。

 グチャリグチャリと音を立てる触手に首筋を舐められても呉葉は動けなかった。

 突き出た豊満な乳房を巻き縛られ、その先端を触手が突付くように弄くる。

 恥辱が〈般若面〉を恥辱色に染める。

 妹を守るために黄泉返ったというのに、復讐に血を捧げたというのに……。

 いつか昔にも、こんなことがあったような気がする。

 激しい雨が降りしきる日だった。

 そのときも同じことを考えた。

 こんなところで妹の貞操を奪われるわけにはいかなかった。妹の心にこれ以上の傷を負わせるわけにはいかなかった。

 あのときも同じことを考えた。

 神ではなく、悪魔の顕現を祈った。

 その悪魔も今は地面に横たわり死の淵を彷徨っている。

 触塊の中から一本の触手に〈般若面〉が鷲掴みされた。

 〈般若面〉は接合された顔の皮膚から、めりめりと音を立てて引き剥がされそうとしていた。

「やめろーーーッ!」

 呉葉の絶叫も虚しく、〈般若面〉は宙を舞って地面に堕ちた。

 〈般若面〉の下に隠された仮面のそのまた下の真実の顔。

 おぞましく溶けた醜悪な素顔を紅葉は晒された。

 大火傷を負ってケロイド状になった紅葉の顔半分。端整な才女の相はそこにはない。ただそこにあるのは見るにおぞましい顔。

 顔に負った傷は心の傷。

「……ケケケッ」

 ケタケタと嗤う声が響き渡った。

 項垂れた紅葉の肩は小刻みに震えていた。

「ケケケケッ……ククク……クハハハハハハハハハハッ!」

 狂気を孕んだ哄笑を躰全体から発し、紅葉の手が自分の躰を弄んでいた触手を握り潰した。

 潰された触手はグチャリと白濁した汁を紅葉の顔に飛ばした。

 口の端の飛んだ汁を舌で舐め取った紅葉の瞳は鬼気を湛えていた。

 触手は紅葉の躰を拘束しようと四肢に巻きつき、胴に巻きついて胸に伸びようとしていた。

 紅葉は触手を鷲掴みにして、ゴムのように伸びた触手を噛み千切った。

「俺様を目覚めさせたな……雑魚がッ!」

 紅葉はケタケタと嗤ってその躰を炎で包んだ。

 紅蓮の炎に包まれた紅葉の服は刹那に燃えたが、白い柔肌は炎の中でいつまでも瑞々しさを誇っていた。

 躰に巻きついていた触手を一瞬にして焼き尽くし、紅葉はゆっくりとゆっくりと触塊の中心へと足を運んだ。

 その間も触手は次々と紅葉に魔の手を伸ばしたが、紅蓮の炎が紅葉に触れさせることを拒んだ。

 タケルの心が恐怖した。

 怪物と化したタケルが、怪物が来ると恐怖した。いや、怪物ではなく鬼女だ。

 怨念という炎を纏った鬼女紅葉。

 紅葉の中で眠っていた闇が覚醒めたのだ。

 不気味な仮面の前に立った紅葉はその燃え盛る手を伸ばした。と同時に、不気味な仮面は巨大な口を開けて紅葉に襲い掛かったのだ。

「オレ殺せるはずがないんだ!」

「すぐに地獄に送ってやる」

「させるか!」

 不気味な仮面は瞬時に雅の顔へと変貌した。また身代わりにする気なのだ。

 しかし、雅の顔は歪み再び不気味な仮面に戻っていく。

「オレに逆らう気か、お前はオレのモノなんだぞ!」

 不気味な仮面は激怒して口を開けた。

 口の中に広がる闇に燃え盛る紅葉の手が突っ込まれた。

 刹那、地獄の業火が触塊に燃え移り、巨大な炎が天井まで達した。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁッ!」

 躰中に生えていた触手を灰と変え、烈火の中でタケルは怒り狂った。

「裏切ったな雅ーーーッ!!」

 そして、異形と化したタケルの躰に皹が走り、皹の間から火焔が漏れ出し大爆発を起こしたのだ。

 舞い散る黒い灰を浴びながら、紅葉はなおも全身を炎に包んでいた。

 今の紅葉にならば世界を劫火で死の荒野にできるかもしれない。

「ケケケッ……復讐の炎で世界を焼き尽くしてやる」

 ケタケタと嗤う紅葉。

 もうそこにいるのは紅葉ではない。

 横たわっていた愁斗は悪夢で目覚めた。怨念がこの場を呑み込もうとしていることに気づき、腕を動かそうとしたが、地面に躰が張り付いてしまったように持ち上がらない。

 その腕が不意に上がったのだ――見えない糸に操られるように。

 愁斗は操られるがままに宙に妖糸で奇怪な魔法陣を描いた。

 魔法陣の『向こう側』から、強大な〈それ〉がおぞましい呻き声をあげた。

 世界は〈それ〉の呻き声によって恐怖し、魔法陣の『向こう側』から大鎌を持った〈黒い影ども〉が飛び出した。

 〈黒い影ども〉が死臭と共に大鎌で紅葉の躰を八つ裂きにする。

 大鎌は紅葉の躰を傷つけることなく貫通した。

 違う、魂が八つ裂きにされた。

 眼を剥いた紅葉が恐怖の形相を浮かべ、叫びも発せぬまま地面に倒れた。

 甲高い叫びにも似た笑い声をあげて〈黒い影ども〉が還っていく。

 そして、紅葉の躰を覆っていた炎が、命の灯火が途絶えるように弱くなって――消えた。

 時間が凍ってしまったように、この場で動くモノはなにひとつなかった。

 静寂を堕ちる。

 麗らかな風が紅葉の頬を撫でた。

「あなたはわたしがはじめて好きになった女の人でした」

 白い影が紅葉に口付けし、霧のように消滅した。

 紅葉の胸の奥で心臓が鼓動した。

 瞳をゆっくりと開けた紅葉はなぜか切ない思いが込み上げ、零した涙が頬を伝わり、地面の上で弾け飛んだ。

 紅葉はまだ生きなければならなかった。

 誰がために生きる?

 このお話の主人公である紅葉は「傀儡士紫苑アナザー」という作品の第1話「復讐の朱」という作品にも登場しています。お時間があるときに、そちらもお読みください。

 「傀儡師紫苑」という「師」と「士」が違う作品があるのでご注意ください。

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