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第29回 車椅子の男

 〈般若面〉は外そうとしていた呉葉その手を止め、しかとその目で見た。

 地面で死したように動かなくなったその黒い塊が、瞬く間に縮み、華奢で小さな躰に変化していく。

 白い仮面の奥で愁斗は囁いた。

「――草薙雅」

 その姿、まさに草薙雅のものであった。落とされた腕の再生はすでの終わり、黒い蛹から脱皮するように、黒い灰を落としながら雅は白い肌を見せ、ゆっくりと立ち上がった。

 愁斗の囁きを耳にしていた呉葉は驚かずに入られなかった。

「彼女が草薙雅……彼が?」

 裸体を晒す雅の肉体は男の象徴を供えていた。

 虚ろな瞳をしていた雅はハッとして、己を抱きかかえてしゃがみ込んだ。

「殺さないで!」

 雅は泣き叫んだ。震える体を抱きしめながら、雅は顔を歪ませて泣いていた。

 震える雅は周りを見ようともせず、頭まで抱きかかえてしまっている。先ほどまで呉葉と戦っていた人物とはまるで別人だ。

 愁斗はしゃがみ込む雅の傍らに立ち、無表情の仮面で見下した。

「君は何者だ?」

 『早苗』であった者が『お兄ちゃん』に変わり、そして雅になった。

 愁斗の問いに雅は答えずにただ震えて、なにかをボソボソと囁いている。

「お兄ちゃん助けて、お兄ちゃん助けて、お兄ちゃん助けて、お兄ちゃん助けて……」

 壁にもたれ掛かっていた呉葉はすでに〈般若面〉を外し、紅葉となって『姉』から事情説明を簡単に受けている途中だった。

《つまりお兄ちゃんもお母さんも、すべて雅がひとりで演じていたのかもしれないわ》

 そう『姉』が結論を出したのを聞いても紅葉は頭がパニックになるばかりだった。

 泣き止むことなく震える雅に、紅葉は〈般若面〉を地面に置いてからそっと近づいた。

 しゃがむ雅に合わせて紅葉もしゃがみ、優しく震える雅の肩を抱いた。男の肩を抱いたのはこれがはじめてだった。

「大丈夫だから震えないで」

 聖母のように優しい口調で接する紅葉。

 雅は地面に向けていた顔をゆっくりと紅葉に向けた。その瞳からは涙の跡がついている。

 少しずつ涙の止まってきた雅に愁斗が尋ねる。

「私は『早苗』に扮しているのが男だと気づき、その後、雅が『早苗』に扮しているのではないかと気づいた。しかし、君が本当に雅なのかわからない」

 つかさが襲って来る『早苗』の胸を蹴り上げたとき、愁斗はすでに『早苗』を男ではないかと考えていた。その後、早苗を刺し殺して絶叫した『早苗』の声は雅のものだったのだ。

 震えの治まっていた雅が再び震えはじめた。

「わたしは雅……雅なの……」

 戸籍上に存在しない人間。雅を生んだと思われる早苗が死んだ今、雅がいったい誰なのか、それを知る方法は本人の自供に頼るしかなかった。

 しかし、雅は『早苗』であり『お兄ちゃん』でもあった。今の雅の様子から考えても、ただの演技ではなく人格が複数あるように思えてならない。だとしたら、今ここにいる『雅』の証言すら当てにならないのだ。

 それに加えて、雅は神原女学園に通っていた女子高生だ。ここにいる雅の躰は男だった。そこから愁斗は答えを導き出そうとした。

「君の身体つきは男だ。もしかして君は雅の兄ではないのか?」

「違う、わたしは雅。女の子の格好をしていたのは小さい頃からお兄ちゃんに女装させられて……」

 雅は言葉を詰まらせたが、今まで集めた情報から考えるに、男女の関係のようなものがあったに違いない。

 怨念の気配がした。

 紫苑と紅葉が示し合わせたように振り向いた。

 そこに立っていたのは死んでいるはずの早苗であった。このビルに漂う邪気が早苗を亡霊として目覚めさせたのかもしれない。

 血だらけの早苗は下手な人形遣いに操られるようにギクシャクと動いた。

「その子の名前は……雅夫ってんだ……あたしが生んだ息子だよ……きゃははは」

 自分に向かって早苗が歩いて来ていることに気づき、雅は震えながら紅葉の躰に抱きついた。

「わたしが殺したのに……なんで、なんで生きてるの!」

「そうさ……あたしはお前に刺された……ここに傷があるだろ……」

 服を捲って早苗は腹の傷痕を見せた。それは昔に付けられた傷痕だった。死都東京のアパートでつかさが聞いた話。兄弟が母を刺して逃げたという出来事。

「あたしを……刺したクソガキに……いつか……仕返ししようと……思ってたら……また……お前に……刺され……あたしは死んだ……まだ痛い……死んだのに……痛い痛い痛い……」

 実際に痛覚が反応しているわけではなく、生前の記憶が早苗に痛みを与えているのだ。

 怨念に駆られた早苗の目的はただひとつ――雅を殺すこと。

 早苗の血に染まった紅葉が抱きかかえる雅に伸びる。

「殺してやる……殺してやる……きゃははは!」

 美影身が早苗の前に立ちはだかり、煌きが早苗の脳天から股間まで割った。

 断面からどろりとした血を流しながら早苗が左右に割れた。

 早苗を葬った愁斗は感じていた。この場所の邪気が早苗を目覚めさせたのではない。『何者』かによって無理やり目覚めさせられ、操られていたのだ。

「近くにいるのか」

 呟く愁斗。

 左右に分かれた死骸を見た雅は紅葉の腕の中で震えていた――笑いながら。

「クククク……クソ婆はゴキブリみたいにしぶといな」

 自分の腕の中で野太い声が聴こえ紅葉は顔を強張らせた。そこにいるのは雅ではない、『お兄ちゃん』だ。

「捕まえたぜ紅葉」

 『お兄ちゃん』は紅葉を捕まえて後ろから羽交い絞めにした。

 構える愁斗だが、完全に紅葉を人質に取られてしまって手が出せない。

 雅がする表情とは思えない下卑た笑いを『お兄ちゃん』が浮かべた。

「ククク……いい乳してんな」

 『お兄ちゃん』の手が紅葉の乳房を鷲掴みにし、こねくり回すように揉んだ。

 が、そのとき――。

「やめて、お兄ちゃん!」

 胸を揉む『お兄ちゃん』の手が止まり雅の声がした。

 雅の声が続く。

「お兄ちゃん……もうやめてよ、わたしが他の人の代わりになるから……」

「クククク……よく言うぜ……」

 それは『お兄ちゃん』の声だった。

 しかし、その声がしたのは雅の口からではなかった。

 細いタイヤが地面で擦り合い、激走する車椅子に乗った人影が現れた。

「雅の言ってることを……信じるんじゃねえぞ……」

 車椅子に乗った男は不気味の仮面の奥でそう言った。

 立ち尽くす雅から逃げ出した紅葉が叫ぶ。

「あなたは誰なの!」

 男は答えず、車椅子に手も触れず走らせ、死骸となった早苗の傍らに来ると、自分の躰に巻かれた包帯を触手のように伸ばし、早苗の躰を包み込んで巻きつけた。

 そして、不気味な仮面は裂けるほどに大きく口を開け、早苗を一口で呑み込んで咀嚼した。

 耳障りな骨を砕く音が鳴り響く。

 男は喉を鳴らし噛み砕いたモノを飲み込むと、軽くげっぷをして車椅子から立ち上がった。

「肉を喰らってオレの肉体がだいぶ再生した。これでまともにしゃべれるぜ」

 早苗の屍体を喰った理由。それは己の肉体を再生させるためだったらしい。

 男の躰には包帯が巻かれているが、それとなにか関係があるのだろうか?

「オレが雅の本物の兄貴のタケルだ。ついでにもうひとつおもしろいことを教えてやるよ、雅はオレを殺しやがったんだ」

 と、本物の雅の兄――タケルは言った。

 雅の人格の中にいる『お兄ちゃん』。『早苗』の人格には、元となった母――早苗がいた。そう考えれば、本物の兄がいても可笑しくはない。

 立ち尽くす三人に注視されながら、タケルは口から唾と一緒になにかを吐き出した。それは早苗がしていた指輪だった。

「クソ婆の肉は筋っぽくて不味かった。こんな躰にされなきゃ、あんな不味い肉喰わなくても済んだのになあ、雅?」

 言葉を投げかけられた雅は震えた。

「わたし知らない……わたしなにも知らない……」

 頭を抱えてしゃがみ込んだ雅にじわりじわりと近づくタケル。

「おいお前ら知ってるか?」

 とタケルは紅葉と愁斗に顔を向けて話を続ける。

「こいつがオレを殺してこんな姿にしたんだ。包帯グルグル巻きにして、呪符でオレが腐るのを食い止めた。なんでそんなマネをしたか知りたかねえか?」

 紅葉と愁斗はなにも答えない。ただじっとタケルを注視し、すぐにでも攻撃にできる体制だった。

 なにも答えないことをイエスと解釈して、タケルは雅から一メートルの距離で立ち止まり、見えない遠くを見上げながら記憶を蘇らせた。

「そうだな、まずはオレと雅の関係から話すか」

 饒舌にタケルは長い話を語りはじめた。

「オレは雅のことを世界で一番愛してる。だから何度も犯してやったんだ。こいつ最初は嫌がってたんだけどな、だんだんと女らしくなってオレに抱かれることを喜ぶようになったんだ。

 雅って名前はこいつの本名の雅夫から字を取ってオレがつけてやったんだぜ。

 そんな感じでオレらは兄弟仲良くヤってたんだけどよ、敵がいたんだ。クソ婆の母さんだよ。

 オレは連れ子だったし、雅は苛めやすい体質でクソ婆に罵声を浴びせられるわ、暴力は振るわれるわ。で、オレと雅で協力して刺してやったんだよ。それで二人で逃げた。

 それからだよ、雅の中に母さんの人格が生まれたのは。オレたちは母さんが死んだと思ってて、雅はその現実を受け入れたくないから母さんを生きてることにしたんだ。

 それからいろいろあってオレたちは帝都に来た。で、しばらくしてオレは雅に殺された。理由は嫉妬だよ、嫉妬。帝都って綺麗な女が多いだろ、だからオレの心がそいつらに捕られる前に雅はオレを殺した。

 殺したあとで雅は後悔したんだ。いつも雅を守ってやってたのはオレだし、オレなしじゃ雅は生きていけない。だからオレのことも生きてることにして、雅の人格の中にオレが生まれたってわけさ。

 でもよ、雅のつくったオレや母さんは雅の幻想の産物だ。本物とはぜんぜん違うし、雅の欲望を反映させてたんだ。

 オレの人格が女を犯すのは、雅が自分がオレにそうされたいって欲望からだったし、母さんの人格が綺麗な女を襲って顔を剥いだりしてたのは、自分が本当は男だってコンプレックスからだからな。

 クククッ……オレは雅のことだったらなんでも知ってるんだぜ。ケツにほくろがあるってこともな」

 と、武は長々と語って、最後に付け加えた。

「でもよ、雅がオレを殺したの正解だぜ。オレは紅葉に惚れちまったからな」

 その言葉は雅の耳に届いた。

「イヤァァァァァァァッ!」

 鼓膜が破れんばかりに叫んだ雅は走り出し、地面に落ちていた血の付いたナイフを拾い上げた。

 紅葉が叫ぶ。

「やめて草薙さん!」

 紅葉の制止も聞かず、雅はナイフの切っ先を自らの喉に突き立てた。

 紅い鮮血の泡が口から吐き出され、そして雅は力なく地面に倒れたのだった。

 吹き荒ぶ風が狂気を孕んだ。

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