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第2回 ささやかな想い

 太陽が燦然と輝くある年の夏――世界は変わった。

 突如として起きた聖戦の果てに東京は死都と化し、首都は東京から霊的磁場の強い京都へと移された。

 人智を超えた『存在』が繰り広げる戦いを見た人々は、その戦いの意味を理解できず、終戦後もなにが戦っていたのか、わからずじまいだった。

 戦いの最中、ある者は天使を見た、ある者は悪魔を見たと云い、終結のときに救世主が現れたという意見では一致が見られている。

 しかしながら、多く残された謎は謎のままであり、どちらの『存在』が勝利を治めたのかすらわかっていない。真相を解き明かそうとする歴史学者は今も熱い激論を交している。

 この聖戦と呼ばれる戦いの終戦と同時期、関東には女帝と名乗る者が巨大都市を築いた――それが帝都エデンだ。

 女帝こそが聖戦の救世主だと云われるが、どちらに属していた『存在』なのか、それともまた別の『存在』なのか、女帝の周りには謎が取り巻いている。

 謎が多い指導者の下でも、都市は発展した。それは女帝の絶対的な力と、彼女がもたらした『魔導』のためだ。

 帝都エデンは世界政府に反対されながらも独立国家を名乗り、魔導の力がもたらした恩恵は科学との融合により、帝都エデンを発展させた。

 眠らぬ大都市ホウジュ区はアンダーグラウンドの巣窟であり、リニアモーターカーが停まるギガステーションホウジュがあることから観光客の足も途絶えない。

 喧騒に満ち溢れたホウジュ区に隣接しているのが、住宅都市であるカミハラ区だ。

 カミハラ区にある帝都随一の大病院、そのほど近くにある神原女学園高等学校。

 学園の鐘が鳴り響き、放課後の喧噪がやってくる。

 紅葉は学園の聖堂にいた。

 円形の大きな薔薇窓から光が差し込み、聖母像の前で跪く紅葉の顔を優しく照らす。

 陽に照らされる紅葉の顔は才色兼備であり、肌理も細やかに白く美しい。その『傷痕一つない』端整な顔立ちは、まるで神による造形のようであった。

 優しい陽の光は暖かい。

 しかし、この場所にあるのは救いの暖かさではなく、静寂の寂しさと、冷たい空気の重さ。懺悔をする紅葉の心は暗い闇に呑み込まれそうだった。

「もーみじっ!」

 明るい女の子の声で世界は一転した。

 名を呼ばれながら後ろから抱きつかれ、紅葉はいつものように少し顔を赤らめながら笑顔で振り向く。

 紅葉の肩には友人であるつかさのニコニコ顔があった。

 この女子高ではじめてできた友達。

 ショートカットでボーイッシュな雰囲気のつかさは性格も活発で、転校してきた紅葉に最初に声をかけたのもつかさだった。それ以来、つかさと紅葉は一緒に過ごす時間が多くなったのだ。

 そして毎日、放課後に紅葉がこの場所に通っていることを知っているのは、つかさただひとりだった。

「ねぇねぇ、早く帰ろ」

「うん、ごめんね、いつも待たせちゃって」

「別に気にしなくていいってば! ウチが勝手に待ってるだけだしさ」

「うん」

 元気よくしゃべるつかさに、紅葉は大人しく小さな声で返事をしてうなずいた。

 いつも儚げで大人しい紅葉だが、ここにいるときはいつも以上に元気がない。そんな紅葉の手を引いて、この場所から連れ出すのはつかさの日課だった。

 つかさの手がそっと紅葉の手に乗せられる。すると紅葉の体温がほんのりと上がった。

「……つかさ?」

 いつもなら強引に紅葉を外に連れ出すつかさだが、今日はいつもと少し違った。

 太陽のように眩しく笑うつかさ。

「紅葉が懺悔をしなくていい日が早く来ればいいのにね」

「……うん」

 そこにある笑顔を見ていると救われる。

 聖堂で懺悔をしているときに、つかさに声をかけてもらう。あの瞬間に少しだけ罪から解き放たれた気になれる。けれど、本当にそれで罪が贖えたわけじゃない。心が晴れることはなく、罪の重圧だけが増しいくのだ。

 罪を重ね続ける限り、この重圧は紅葉の心を蝕んでいく。

 手が鮮やかな罪色に染まり、手を洗っても洗っても穢れは拭えない。罪の侵食は身体の奥深くまで達し、心が闇に蝕まれていく。

 ――『姉』は言う、復讐を果たすまで終わらない。

 ――妹は言う、わたしは嫌。

 妹のためならば命すら捨てる姉。けれど、事に復讐となれば、『姉』は嫌がる妹の意見を聞き入れることはなかった。それが妹のためにもなることだと信じて疑わないからだ。

「紅葉?」

「んっ?」

 自分を呼ぶ声によって、紅葉は現実世界に引き戻された。

 そこには心配そうな顔をして紅葉を覗き込むつかさの姿があった。

「どうしたの、いつもより深刻な顔してたけど?」

「うん、なんでもないの、気にしないで……」

 相手を気遣いではなく、触れられたくない秘密を隠してしまいたかった。

「紅葉がそんな顔してると気にするに決まってるじゃん」

「大丈夫、大丈夫だからねっ?」

 紅葉はにこやかな顔でつかさに笑いかけた。心の奥を笑顔で隠してしまう。いつも笑顔でいれば、周りを心配させずに済む。全て笑顔で隠してしまえばいい。

「そっか、ちょっと心配したけど、紅葉の笑顔見て安心した」

「うんうん、つかさのおかげ」

「ウチの?」

「つかさがわたしの傍で、いつも笑いかけてくれるから」

「あははは、なんかそんなこと言われると照れるよー」

 髪の毛を弄びながら照れ笑いを浮かべるつかさの手を、紅葉の両手が優しく包み込んだ。

「ありがとう、本当にありがとうつかさ」

「そんな何度もお礼言わなくていいよ。なんで言われてるかもわかんなし」

「うん、でも、言いたかったの。つかさは大切な人だから、ずっと傍にいて欲しいから」

「ウチも紅葉のこと大切だよ。紅葉のこと大好きだもん」

 この言葉を聞いた紅葉の身体は体温を上昇させ、血流が激しく流れ出し、顔をほんのりと桜色に染めた。

 少し真顔になったつかさの顔が、迫るようにして紅葉の顔に近寄った。

「紅葉って本当にキレイな顔してるよね」

 恋人に囁くような声を聴いて、紅葉は耳までも真っ赤にした。これ以上、近づかれたら心臓の鼓動も聴かれてしまうかもしれない。

 息を呑んだ紅葉の瞳をつかさの瞳が見つめている。どこまでも澄んだつかさの瞳は魔力がこもっているようで、その瞳で見つめられていると勘違いしそうになる。

 不思議な胸の感情に紅葉は戸惑った。

 つかさの指先が赤みを差す紅葉の頬にそっと触れた。

「嫌、駄目っ!」

 声をあげた紅葉は、自分の頬に触れていたつかさの手を激しく振り払い、怯えるようにして一歩後ろに下がった。

 そんな紅葉を見て、つかさがすぐに取り繕う。

「あっ、そうか、ごめん。本当にごめん。紅葉って顔に触られるの嫌いだったよね」

「いいの、悪気があったわけじゃないでしょ?」

 顔を触られるのが嫌い。

 紅葉は顔に触られることを極端に嫌悪して、自分ですら顔に触れない。その徹底した異常なまでの嫌がり方から、最初はからかわれたりもした。けれど、紅葉があまりにも嫌がり、時には泣き出してしまうことから、周りの友達たちも今では気を遣ってくれていた。

「ごめん紅葉。紅葉がキレイな顔をしてるから、ちょい気がかりなことがあっただけ」

「なに?」

「最近ね、強姦事件は流行ってるし、中でも最悪なのが女の顔が剥がされるって事件。被害者はみんなキレイだっていうから、ウチ心配でさ」

「心配してくれてありがとう」

 紅葉はつかさの両手を包み込むように優しく握った。

 再び見詰め合う二人。

 そこへ聖堂の扉を開けて誰かが入ってきた。

「ご、ごめんなさい」

 女子生徒はおどおどしながら見詰め合っている二人を見て、急に慌ててスカートを蹴り上げながら逃げ出してしまった。

 ハッとした紅葉はつかさの手を離し、後ろに一歩引いた。

「なにか誤解されちゃったかも。今の草薙さんだよね?」

 困った顔をする紅葉。

 紅葉たちと同じクラスの草薙雅くさなぎみやび。あまりしゃべったこともなく、一年生のときはその存在すら知らなかった。小柄で華奢な躰つきをしていて、いつも独りでクラスの片隅で過ごしていることが多いようだった。

 誤解を解かないと明日からクラスで顔を合わせるのが気まずい。と、顔を紅くしながら紅葉は思ったのだった。

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