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第12回 魔人現る

 ぴちゃ……ぴちゃ……とブーツの裏で跳ねる紅い雫。

 紅いシルエットは血の海を歩きながら紫苑に近づいて来た。

 コートの上にケープが付いた鮮やかに紅いインパネス姿。その上では魔導を帯びた特有の色香を漂わせる黒瞳が紫苑を見据えている。

「それは紫苑の躰だな――愁斗?」

 男なのにもかかわらず、なんという艶やかな声音なのだろうか?

 悪魔が乙女を誘惑するときは、こんな声で囁くに違いない。

 蘭魔を取り巻く魔性が紫苑の躰を振るわせた。それは紫苑を通して感じている愁斗の震えだった。

「なぜ……ここに?」

 それが搾り出した精一杯の言葉だった。

「裏切り者の始末と――」

 蘭魔の足が一歩近づくたびに、紫苑は後ろに押されるように足を引いてしまっていた。

 紫苑の背中が篭の柱に触れた。もうこれ以上は下がれない。

 伸ばされた蘭魔の繊手が紫苑の白い仮面に触れた。

「――息子の成長が見たかった」

 告白と同時に白い仮面は外された。

 仮面の下には顔がなかった。仮面よりも表情の乏しい眼も鼻も口もない平らな顔。

「残念だ、久しぶりに妻の顔を見られると思ったのだが、顔はまだできていないのか……」

 そう、紫苑は愁斗の母を模った傀儡だったのだ。

 そして、目の前にいる男こそが、その夫にして愁斗の父だった。

 白い仮面を投げ捨てた蘭魔はゆっくりと正面を向きながら下がっていった。

「さて、愁斗よ、おまえの実力を観させてもらおう。掛かって来るのだ愁斗!」

 紫苑の躰は動かなかった。愁斗は掛かって行くことができなかったのだ。

「できない……僕にはできない」

「なぜだ?」

「あなたがなにをしてきたか、それは噂で知っている……けれど、それが真実かどうか、僕にはわからない」

「では話してやろう。なにがいい、テーマパークで血の雨を降らせた件か、それとも帝都タワーを倒壊させた大惨事についてか?」

 二つの事件は帝都史上に残る大事件だ。

 三年前の夏、ミナト区にある遊園地と水族館を複合させた大テーマパーク。そこで起きた来場客惨殺事件。死亡者の数はおそらく五〇〇人を越え、身元不明者も数知れない。アトラクションの爆破、巨代妖物が園内に解き放たれ、D∴C∴の戦闘員たちも人々を次々と殺していった。

 五年前の春の終わり、ホウジュ区にある帝都タワービルが局地的な大震災によって倒壊。地震は人為的なものであり、犯行声明があったことからD∴C∴犯行だと断定された。死傷者の数は二〇〇〇人を越え、周辺のビルも大打撃を受けた。

 その二つの事件に秋葉蘭魔はかかわっていたと認めたのだ。

「他にもういろいろあるぞ。おまえが私と戦う気になるのなら、いくらでも話してやるがどうだ?」

「信じられない。どうして……母さんを殺し、僕らを施設に連れ去った奴らに寝返った?」

「世界の真理に近づいた。おまえもいつか気づく日が必ず来る」

「僕が施設から逃げ出したあと、あなたになにがあったんだ……」

 紫苑は項垂れ戦意は喪失されてしまっていた。

 戦う気がないと知れた紫苑に蘭魔が手を向けた。

「仕方あるまい、こちらから仕掛けるぞ愁斗!」

 蘭魔の指先から三本の輝線が放たれ、紫苑のドレスを軽くなぞった。紫苑の肌には一切の傷をつけず、ドレスの胸元は鉤爪で斬られたような三本の線が入った。

 零れた紫苑の胸元を見て、無邪気な子供のように蘭魔は笑った。

「だいぶ妻に近いが、胸はもう少し小さいぞ」

 蘭魔は息子と『遊んでいる』気分だ。格の差がそうさせる。愁斗も蘭魔に敵わないと気づいている。

「僕と戦ってなんの意味がある?」

「おまえの成長が見たいと言うた筈だぞ。私と戦え、そして学べ!」

 蘭魔から神速で放たれた妖糸を紫苑には避けることができなかった。

 三本の輝線は空気を焦がし、紫苑の片腕を落とした。

「ぐあぁっ!」

 切断された腕から血が吹き出ることはなかった。しかし、紫苑は短く悲鳴を漏らし、地面に両膝を付いてしまった。

 地面に膝を付いて震える紫苑を蘭魔が見下す。

「シンクロ率を高くすれば操作性が向上し、実力以上の力を出すことができる。しかし、シンクロ率が高ければ高いほど、傀儡が受けた以上の負荷が傀儡士に与えられる。紫苑とのシンクロ率は高いと見たが、今紫苑を壊されればおまえも死ぬぞ」

「……クソッ」

「この程度の実力しか持っていないのならば生きる価値なし。父としてお前に印籠を渡してやろう」

「母さんを壊させはしない!」

 紫苑の手から黒い魔気を帯びた太い妖糸が放たれた。

 襲い来る妖糸を蘭魔は待ち構え、なんと片手で掴んでしまったのだ。

「ふむ、この技が使えるとは褒めてやろう。しかし、眼に見えるが故に躱すのは容易いこと。次は魔気を凝縮させて糸を細くしろ」

 紫苑は再び妖糸を放った。

 しかし、今度は蘭魔ではなく宙を切った。

 蘭魔は深く頷いた。

「ふむ、〈闇〉で私に勝てるとでも思うたか?」

 紫苑のつくった空間の傷から悲鳴が聴こえる。泣き声が聴こえる。呻き声が聴こえる。どれも苦痛に満ちている。

「〈闇〉よ、喰らえ!」

 蘭魔を指さし紫苑が叫んだ。

 裂けた空間から〈闇〉が叫びながら飛び出す。

 まさにそれは闇色の風。

「真の傀儡士に〈闇〉は通用せぬ!」

 蘭魔はこのとき初めて両手を使い、宙に十字を描いた。

 縦と横に放たれた六本の妖糸は〈闇〉を噛み千切るように切り裂き、その存在を掻き消してしまった。〈闇〉はその場から完全に消滅してしまったのだ。

 絶句せずにいられない事態に紫苑は呆然と立ち尽くした。

「まさか……〈闇〉が切れるなんて……」

 驚く紫苑に蘭魔は諭す。

「私の業はこの世の域を超えた。つまり、この世のモノ以外のモノを斬れる。亡霊はもちろん、人の放つ氣ですら斬れるのだ」

 父の背中に触れたと思ったのは驕りであった。自分は父の背中すら見えてないのではないかと、愁斗は心魂の底から痛感させられた。

 糸が切れたように紫苑は膝が崩れ床にへたり込んでしまった。

「どうした愁斗、まだはじまったばかりだぞ」

「……勝てない」

「負けを認めるのならば傀儡を捨てろ。さすれば傀儡が朽ち果ててもお前は死なん」

「母さんを見捨てることはできない」

「それはただの傀儡だ」

「母さんだ!」

 紫苑の放った妖糸が蘭魔の頬に紅い筋を走らせた。

「まだ闘志は完全に消えてないようだな。愁斗よ、〈召喚〉はまだ会得しておらぬのか?」

「あなたなら魔法陣を描く前に阻止できる」

「しないと言うたら見せるか?」

「そんなに見たいなら……見せてやる!」

 立ち上がった紫苑は瞬時に妖糸で宙に魔法陣を描いた。その魔法陣の奥に世界を滅ぼすほどプレッシャーが感じられる。

 奇怪な魔法陣の奥で〈それ〉が呻き声をあげた。

「傀儡士の召喚を観るがいい、そして恐怖しろ!」

 汚泥が沸騰するような音が木霊した。

 背筋を凍らす強大な気配。

 魔法陣の『向こう側』で〈それ〉が巨獣のように叫び、闇色の裂け目を狂わせ、この世に闇色の羽虫を解き放った。

 群を成す大量の羽虫が奇怪な羽音を立てながら、蘭魔の頬の傷を目掛けて飛んだ。

 この蟲は血を好み、傷口から寄生して内部から肉を喰らう。想像を絶する痛みと恐怖が待っているのだ。

 しかし、蘭魔は狼狽えることなく、愁斗の描いた魔法陣を自らの元として描き換えた。

「闇蟲の一種か、戯れにすぎん。真物には遠いぞ愁斗!」

 〈それ〉が鳴らした音か、唾を啜るような下品な音が耳にへばり付き、魔法陣の『向こう側』から巨大な影が飛び出した。

 飛び出た影は赤黒くいぼが多くあり、舌か触手のようにグロテスクであるが、この世界にはないモノなので形容しがたい。その部位が闇蟲を掻き取るように呑み込み、一匹も残さず『向こう側』へ連れ還ってしまったのだ。

 辺りは二人がいるというのに静寂に包まれていた。沈黙ではなく静寂だ。

 静寂を破る蘭魔の足音。

「この一〇年以上もの間、おまえはなにをしていたのだ?」

 蘭魔は紫苑の目の前で足を止めた。

 紫苑の手は下がってしまっている。

「D∴C∴に復讐を誓い、技を磨いたつもりだった」

「お前には失望させられたぞ。お前と共に真理を掴もうと思っていたのに実に残念だ」

「真理なんて僕には関係ない」

「真理はこの帝都と紫苑が握っている。紫苑が黄泉返る日も近いぞ」

「なんだって!?」

 これほどまでに驚いたことがあっただろうか。愁斗はそれを実現させようと、ありとあらゆる手段を講じたが全て失敗した。だが、蘭魔は紫苑の黄泉返りを予言したのだ。

「『金剛』の話を思い出すのだ。あの面作り師が彫った面を被った者は『それ』と化す。紫苑の面を作り被せれば、紫苑は黄泉返るのだ」

「違う、それは別の、母さんの仮面を被っただけに過ぎない」

「面を被った者は真物となるのだ。しかし、面作り師はもうこの世におらん。自ら腕を斬り使い物にならなくなったので私が冥府に送った」

 面作り師――それはあの姉妹の父であった。

 紅葉と呉葉の復讐の相手、それが愁斗の父だったとは、なんという皮肉か……。

 蘭魔は話を続ける。

「しかし、面作り師には二人の子供がいた。殺さずに見逃してやった姉妹だ。血は必ず姉妹に受け継がれているはずだ」

「その姉妹は見つかったのか?」

「所在は全く掴めておらんが、私の勘がどこかで生きているとは囁いている」

「貴重な情報をありがとう……父さん」

 紫苑の躰の周りを魔気が渦巻いた。

 父――蘭魔は倒さねばならない敵だと確信した。

 残った片腕から紫苑が妖糸を放った。

 輝線は一直線に蘭魔へ向かい、一メートルもないこの距離で躱わすのは不可能と思われた。

 蘭魔の手からも三本の輝線が放たれる。

 ――その手が腕から落ちた。

 紫苑の執念の一撃は蘭魔の腕を落としたのだ。だが、妖糸はその先にたどり着くことなく蘭魔の妖糸によって切断された。蘭魔の首は取れなかったのだ。

 そして、蘭魔の放った三本の妖糸は紫苑の妖糸を切った後も勢いを弱めることなく、紫苑を斬った。

「よくぞやったぞ愁斗!」

 高笑いする蘭魔は切断された腕を手で押さえていた。その手の隙間から零れ落ちる闇色の液体。

 紫苑の躰も切断された胴と胸と首から闇色の液体が噴出していた。それは〈闇〉だった。液体だった〈闇〉が気体となって、悲しい叫び声をあげながら風のように飛び交う。

 核を壊された紫苑が〈暴走〉をはじめたのだ。

 ――意識が途切れた。

 紫苑を通して見ていたビジョンが切断され、リアルに引き戻された愁斗は暗い自室で吐血した。

 口を押さえる指の間から血がとめどなく零れ、モニターやキーボードにぶちまけられた。

 そして、愁斗は椅子から床に転がり倒れ、口から吐き出された黒血に横顔を埋めた。

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