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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
三ノ段
6/41

歩き巫女、たづ(1)

 澄んだ夏空は切り取って身体にまといたいくらいに青く澄んでいた。蝉の声を送り出す比叡の山の緑は眩しいほどで、深く息を吸い込めば、爽やかな柑橘と花の香りが胸に満ちる……

 一眠りしてから観世の屋敷を出た僕と猿彦は、三条大路を東に進み、鴨川に臨む関所・粟田口の手前を南下した。河原は、朝方訪れた時の暗鬱な雰囲気とは打って変わって、貧者や町人でひしめき合い、華やか極まりない。

 小野篁縁の閻魔堂を左手に四条の橋を渡れば、元重さんの言っていた泣地蔵寺が見えてくる。この通りは信仰の一大聖地、八坂神社に通じるだけあって、水茶屋、見世物小屋、競技小屋、芝居小屋が建ち並び、通りは参詣の人でごった返していた。

〔……痛ぇ〕

 人混みを歩きながら、猿彦が面の上から左顎をさすって呻く。僕はそんな相棒を半眼で見やると肩を竦めた。

「……自業自得でしょ」

〔てめえのせいだろーがっ!〕

 言うやいなや、ぶんっと重い音をたてて振るわれる大杓文字(ヤスケ)

 人をすり抜け飛び退って避ければ、たまたま側近くを歩いていた男性が、「ぎゃっ!」っと声を上げて腰を抜かした。周りから批難の声が沸く。……迷惑この上ない。

「ちょっと。こんな人の多い所でヤスケ振り回すのやめなよ。当たったらどうするの」

〔てめぇに当たるなら、ンな事ぁどーでもいい〕

 猿彦は首を振ると、〔いいか? 次は避けるなよ〕などと言って、にじり寄ってくる。

「そんな風に言われて、避けないとでも――」

〔じゃなけりゃ関係のない人間が傷つくことになる〕

 ……卑怯な。

 僕は底意地悪い様子でくつくつ笑う相棒を睨め付け、ぶるりと震えた。と、

「おい、兄ちゃん。割り込みはナシじゃぞ」

 そんな僕に助け船を出してくれた人があった。それは泣地蔵寺の山門から伸びる列に並んでいた、一人のお爺ちゃんだった。

〔あ?〕

 不機嫌を露わに猿彦が振り返る。

 いかにも頑固そうなそのご老人には、もちろん僕の姿は見えていないから、さっきの台詞は猿彦に向けてに違いない。彼は字が読めないらしく、訝しげにヤスケの平面を一瞥してから、猿彦の胸元を小突いた。

「そんなヘンな面つけて、たづちゃんの気ぃ引こうなんぞ五十年早――ごふあっ!」

 その彼の頭頂に、何の前触れもなく、突如ヤスケが振り下ろされる。

 お爺ちゃんの目から火花が散った……彼はくらくらと身体を揺らすと、頭をおさえ、蹲りそうになりながらも、何とか足を踏ん張り耐えると、バッと顔を上げた。

「ぐぬぬ……お、おんしっ!! 不意打ちとは卑――はべぇっ!!」

 その横っ面を、再度、容赦なくヤスケが張り倒す。

「ちょっと!? な、ななな何してんの、君!」

 吹っ飛ばされ、横滑りしてぶっ倒れたお爺ちゃんの姿に、やっと僕は我に返った。慌ててご老体に駆け寄れば、猿彦はヤスケを肩に担ぎ顎をしゃくってお爺ちゃんを示すと、平然と言い退ける。

〔除霊だ〕

 呆気に取られた周囲の人々の視線が、そろそろとお爺ちゃんにそそがれた。

 ……よろりと立ち上がるご老体。

 すると、一拍後。

「うわっ……」

 彼の身体から、水面を一斉に飛び立つ雁のように、黒い靄がヒィィッと声を上げて放出された。

 ……靄が晴れると、目を点にしたお爺ちゃんが残される。その肌は先ほどよりもつるりと張りがでて、血色も良くなっていた。

 本当に除霊だったらしい。

「ンなんとぉ――!?」

 しかし無事な様子に安堵したのも束の間、ご老体は次の瞬間、顔を真っ青にして両頬に手を当てると、絶叫した。

「せ、せっかく集めた浮遊霊がァ――!」

 その声に、ぽかんと成り行きを眺めていた周囲が、途端にどよめき始める。

「ま、舞々? 舞々か!?」

「猿面……まま舞々だ! 観世の猿彦だ!」

「逃げろぉーっ! せっかく集めたのに祓われるぞー!」

 脱兎の如く、山門からはみ出し列を成していた男たちが逃げ出す。

「えー……っと?」

「お、おにょれ……」

 理解が追いつかず、立ち尽くす僕の脇で、絶叫した時の体勢のまま、お爺ちゃんが唸った。健康に充ち満ちた顔を険しくして、猿彦をキッと睨め付ける。その目はちょっとだけ涙で潤んでいた。

「おにょれぇッ! 老人の唯一の楽しみを! 末代まで祟ってくれるッ! ……うッ」

 唾を飛ばしてそう叫び、彼は目元を袖で拭うと、年に似合わぬしっかりとした足取りで走り去っていった……

「…………猿彦」

〔あ?〕

 理解不能な一連の騒動に、何を言うべきか悩んだ挙げ句、僕はとりあえず一点だけ述べることにする。

「…………あんな激しい除霊はなしでしょ」

〔変わんねぇだろ〕

 猿彦は軽く首を竦めて、お寺の奥を示した。注意を向ければ、

「どぅりゃあああああああああああああ!!」

 耳に届く、到底お淑やかとは言えない少女の声。

 見れば、猿彦が示す先――広い境内の中央に聳える本堂前で、一人の少女が、跪いた男性に回し蹴りを決めていた。

 少女の年の頃は十六、七歳というところだろうか。健康的な肌に、活き活きと輝く大きく黒い瞳。緑髪は背でまとめ、桂包――頭にすっぽりと布を捲き、額で蝶々結びをしていた。山吹色の小袖は着流しで、その短い袖は動きやすいようたすきでたくしあげている。

「はい、次!」

 列から前に進み出した男性が敷かれた筵の上で嬉しそうに跪く。それに、彼女は生真面目な様子で気合いを入れると、高々と踵を振り上げた。

〔な?〕

 猿彦の淡泊な指摘に、賛同する気になどなれようはずもない。

「……彼女が元重さんの言ってた、巫女の…………たづ、さん?」

〔だろ〕

 うん。いい足技だしね。……答えは聞くまでもなかった。

「ほら、次! さっさと跪きなさい!!……そぅりゃっ!!」

 あぁ~と男性が喜びに顔を輝かせ吹っ飛んでいく。

 僕は、先ほどの恨みがましいお爺ちゃんの顔を思い出し、何だか理由もなく切なくなって、目頭を押えた。


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