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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
八ノ段
37/41

「裏切らない」(5)

 たづさんは迷わずに、〈魂切りの剣〉を取り出すと、自身に突き立てた。がくん、と跪くと、糸の切れた人形のように地に伏した。やがてそこから飛び出した白い塊……それは、一つ、一つ小さな光を吐き出し、やがて痩せ崩れた小さな球体となった。それを猿彦は両手を伸ばして、胸の内に抱きしめた。

 光が彼の胸元で弾け、全身が淡く輝き出す。

 長い袖から、にゅっと出たのは白く細い女性の手だった。短く刈り上げられた髪は、次の瞬間、烏の濡れ羽色の長い髪へと変わった。猿彦は身動ぎするように、袖をまくって、猿面を取り除く。

 露わになった顔はたづさん――いな、僕のよく知るたづさんの顔とは少しだけ違っていた。不遜な雰囲気をかもす形の良い薄い唇、真っ直ぐな鼻筋に、大きな黒々とした瞳。長い睫毛に縁取られた切れ長の美しい目……これが四百年前、まだ巫女だった頃の彼女の姿なのだろう。

 ついで、彼女の右手が持つ猿面に変化が現れ、それはみるみる内に一振りの剣となった。

 ……おかしな剣だった。お坊さんが持つような独鈷杵みたいに、柄が真ん中にあり、刀身が両端に付いている。刀身の片方には黒色の紋様が、もう片方には白色の紋様が刻まれていた。

 彼女はぐっと腰を下ろし、剣を構えると軽い身のこなしで地を蹴った。

 今まで術に集中していた黒翁が、やおら駆け寄ってくるたづさんに気付く。

「憑依? 一体、この女に何ができると――いな」

 黒翁の嘲るような面差しがきゅっと真剣味を帯びる。

「何をやるにしても、その前に潰してしまえば同じ事っ!!」

 片手は天へと掲げたまま、黒翁は右手をたづさんへ向けた。その背に、赤い刃が炸裂した。

「…………なんたらは、馬に蹴られて死んじゃえっていうでしょ」

 元雅くんだ。

 大した攻撃ではなかった。けれど、怒りで我を失っている黒翁の気を引くには十分なものだった。彼女はぎり、と唇を噛むと、たづさんへと向けていた手を彼に向ける。肩で息をしていた元雅くんが炸裂する黒い闇を避けられるはずもない。

「元雅くん……!」

 僕のすぐ脇で元雅くんが吹っ飛ばされる。

 その時にはもうたづさんは黒翁のすぐ側に迫っていた。

「黒翁。あなたが望みに望んだ分離をしてあげるわ」

 力を練ろうにも、片手では遅くなるのだろう、黒翁は一瞬、力を溜めていた左手を使うか否かを迷った。それが決定打だった。

「猿彦の顔とじゃなくって……元能くんの身体と、だけどね!――夬夬!」

 白い紋様から同色の炎があがる。たづさんは叩きつけるようにしてしいちゃんの胸元へと刀身を振り下ろした。

「んな……」

 黒翁が目を瞠る。

「わ、わらわは戻らぬ。戻らぬぞ! このような下等な人間どもに飼い殺されて、たまるか!」

 ぐらり、と傾いだ身体から、黒い魂が再びあふれ出す。

「ぐっ……ぐぅぅぅ! あああああああ!!」

 魂から異物を切り離そうとした先ほどとは打って変わり、身体から取り出されようとするのだ……その苦しみは計り知れない。

 しいちゃんの可憐な唇から、苦悶の悲鳴が漏れる。その声はそのまま黒い魂となって、空中へ吐き出された。

 大地を揺るがす絶叫。

 黒い靄のような魂が地をもんどり打って転がる。

「いや、じゃ……姉上! 姉上ぇぇぇ!! 助け……っ」

「そんでもって――――塔配!」

 たづさんのかけ声に、黒い紋様が浮かび上がる。彼女は苦しむ黒翁の魂をすくい上げるように刀身で撫でると、それでもって、元雅くんから預かった黒式尉の面を刺し貫いた。

「いやッ……いやじゃあああああっ」

 渦に飲まれていくように、黒翁の魂が黒式尉に吸い込まれていく。

 断末魔の悲鳴が段々と小さくなっていく。

 やがて、黒式尉の面がからり、と地に落ちた。髭一つ動かない。

「終わった……?」

「ええ。ばっちし」

 恐る恐る近づいた僕に、面を拾い上げたたづさんが振り返って頷いた。

「……し、いちゃんは――」

 しいちゃんに歩み寄った元雅くんが、妹の無事な姿に相好を崩してへたり込む。

 たづさんは、自分が今まで憑依していた少女の身体を抱き上げた。既に亡くなってはいたけれど、こんな狭間に置き去りにするのは気が引けるのだろう。と、その時だった。

「う、うわっ、うわわわっ……な、何、一体、何が―――」

 頭上で渦巻いていた闇が稲光と共に広がった。場に張り巡らされた切り紙が、激しくはためく。そして、大地がもの凄い勢いで鳴動し出した。

「敦盛くん」

 長い袴をたくし上げて、腰紐に差し込んだたづさんが、厳しい眼差しで辺りを見渡すと僕を呼んだ。

「は、はい?」

「すぐに笛の準備をして頂戴」

 そして、元雅くんの腕を自身の肩に回し立ち上がらせて、言う。

「黒翁のやつ、余計なもの残してくれたもんね。ぐずぐずしてたら、この場が崩れるわ」

「で、でも、僕には身体が――あ」

「ダメだ!」

 たづさんに寄り掛りながら、元雅くんがもの凄い形相で怒鳴る。それに顔の前で両手を打ち鳴らし「ごめん!」と頭を下げると、僕はするりと、しいちゃんの身体に入り込んだ。

「…………あーつーもーりぃぃぃ」

 地の底を這うような元雅くんの声は、聞こえなかったことにする。

 しいちゃんと魂を交換された少女の魂も、随分と弱っていたけれど、身体に残っていた。僕は、ほっと安堵の息をつくと、指を唇に寄せた。

「敦盛、参ります!」

 神器はなく、指笛でどうにかなるかは不安だったけれど。

 ……なんとかしてみせる。

 目を眇める。僕の胸元――正確にはしいちゃんの胸元だけど――から伸びる、命糸に、来た時と同じく意識を集中させる。あとはこれを辿って帰るだけでいい。

 人指し指と親指を咥える。息を吹き込む。

 響き渡る甲高い音が空間を裂き、道が生まれた。

「道が見えた……! 走るわよ!!」

 たづさんの合図と同時に、僕らは地を蹴った。

 ふいに前方を走るたづさんの、露わになった脹脛が目に入ってしまって、僕は意識を逸らそうと慌てて元雅くんに話しかける。

「……大丈夫ですか、元雅くん」

 元雅くんは相当苦しそうだった。思わず手を差し伸べれば、彼は忌々しげに首を振る。

 やはり妹なのに、中身が妹じゃないという現象は、相当な怒りを買っているらしい。と、思ったのだけれど。

「…………違う」

 元雅くんはぼそり、と否定を口にして僕を見た。

「へ?」

「『兄ちゃん』だ」

「………………」

「『兄ちゃん』だ」

「…………に、兄ちゃん、大丈夫?」

「しい。ごめん、僕はもうダメだ……」

 とりあえず、言い直してみれば、ご満悦の表情で、彼は僕に寄り掛ってきた。

 どこか打ち所でも悪かったのかと、心配になったけれど、

「『兄ちゃん、死んじゃ嫌だよ。大好きだよ』って言え」

 …………根本的に彼は大丈夫な人間じゃなかったのだと、僕は悟った。


     * * *

次回は1月9日(金)、朝七時に更新です。

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