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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
八ノ段
36/41

「裏切らない」(4)

「…………大夫なんてどうだっていい」

 ややあってから、元雅くんの唇からはっきりとした声が零れた。

〔あ?〕

 今にも僕を降ろそうとしていた猿彦が動きを止める。

「大夫なんてどうだっていいって言ったんだよ!」

 顔を上げた元雅くんは、今にも泣きそうな顔をしていた。

「重兄は絶対に言わないだろうけど……あの人に毒を渡したのは、母さんなんだ! そんな風にして得た大夫に何の価値がある? 滅びるなら、滅びてしまえばいいんだ、あんな家――」

 激昂する彼は、中途で言葉を飲み込んだ。ぎゅむ、と猿彦に鼻を摘まれたのだ。

〔大夫のくせにンな事言うんじゃねぇ〕

 思わぬことに目を白黒させていた元雅くんは、唇を噛むと、項垂れた。

「…………母さんは余計なんだ。僕の方があんたよりも力があるっていうのに、あんな汚いやり方。僕はそんな風に大夫になっても嬉しくない」

 元雅くんは、決して謝らない。

 母の気持ちを最も理解しているのも彼だからだ。

 そんな彼を、猿彦はもう、責めなかった。

〔……お前、自意識過剰過ぎ〕

 自意識過剰の親玉が肩を竦める。猿彦は元雅くんの顎を取ると無理矢理上向かせた。

「触るな! はな――」

〔わーったよ。もう一度、俺様が大夫候補に返り咲いて、力の差ってもんを見せつけてやりゃーいいんだろ〕

「は……? どうやってだよ」

〔戻ったら考える〕

 猿彦は、顔があったら面の下で笑ったに違いない。元雅くんがぽかんとする。

〔だから、今はお前、一旦戻れ〕

 頭をわしゃわしゃとかき混ぜる兄の手を払って、元雅くんはそっぽを向いた。

「…………嫌だ」

 その彼の頬を猿彦は片手で掴み、ヤスケがよく見えるように突きつけた。

〔ぶん殴るぞ〕

「殴れよ! 絶対に嫌だ!!」

 珍しく子供のように拒絶する弟に、猿彦は元雅くんの頬を掴む手に力をこめる。

 と、その時、僕の脇をすり抜けて、たづさんが猿彦の袖を掴んだ。

「猿彦……あなたの、身体を貸して」

 一言、彼女はそう告げた。

「あなたには、悪いけど……あなたの顔がくっついたままなら、できると思うの。力を……完全に力を出す事ができれば。だから」

「それはダメですよ。あなたにはもう――」

 その申し出に、僕は思い切り首を振った。

 猿彦が守りたいのは、元雅くんと、たづさんなのだ。行く手を阻むよう間にたった僕を、彼女は押しやり、猿彦に言い募った。

「今、あなたが優先したい事はなに? 元雅くんの無事? ついでにあたしの無事? 違うわよね。第一優先は、彼女が人に危害を加えないようにする事。それが舞々の仕事でしょう」

 それから、満身創痍の元雅くんと猿彦を見比べて、続ける。

「このまま、あなたが……いえ、元雅くんも一緒だとしても、命掛けでやりあってなんとかできる可能性は確かじゃないんでしょ? だったらあたしに任せてみてよ。あたしなら黒翁を痛めつける必要もないし、近づくだけ。それで失敗したら、あなたたちがやればいい。悪い案じゃないと思うの」

 確かに彼女の言う通りだった。それこそ最も成功率の高い方法だ。けれど、それにはたづさんが犠牲にならねばならない。すでにもう、彼女の魂は限界を迎えているのだ。その上、今、力を使ったりなどしたら……今まで一般人だからこそ、抑えられていたのに、猿彦の身体を使えば、もう力を抑制することはできない。彼女は魂が燃え尽きるまで力を使い切るだろう。それが分かっているから、僕は頷けないのだ。

 僕はちらり、と猿彦を見た。

 今まで冗長だった彼は、黙り込んでいた。

「あなたたちに誇りがあるように、あたしにだって四百年の誇りがある」

 たづさんは猿彦の頬を両手で包み込むと真っ直ぐと見つめた。

「逃がされるだけなんてイヤよ。あたしは生者を救う者でありたい。ねぇ、猿彦。四百年はこの時のため。このためにあたし、生きてきたんだって思う。あたしに、あたしを裏切らせないで。……お願いよ」

「たづさん……」

 真摯な願いだった。そこには、彼女の生きてきた年月分の重みがあった。

 猿彦に守りたい誇りがあるように、彼女にもあるのだ。貫きたい自己が。

 そして、そんな彼女のことを……猿彦は好きなんだと、僕は知っている。

 猿彦は自身の頬に触れるたづさんの左手を、ヤスケを持つ逆の手で掴んだ。

「猿彦…………?」

 唐突に腕を引かれて、たづさんが体勢を崩す。その彼女を、猿彦は片腕で抱いた。

 ――――きつく、きつく。

〔馬鹿野郎が〕

 たづさんの頭を自分の肩口に押しつけ、呟いた声はヤスケの平面に浮かんで消えた。ついでガランと、大杓文字が地に転がる。


 ……それが、答えだった。

次回は1月6日(火)、朝七時に更新です。


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