表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
八ノ段
35/41

「裏切らない」(3)

「猿彦!! 元雅くんッ!!」

 勝負は一瞬でついた。

 場の中央で高笑いする黒翁に、左右から飛びかかった二人は、呆気なく吹っ飛ばされたのだ。黒翁はしいちゃんの顔で酷薄な、それでいて艶やかな、壮絶な笑みを浮かべ立っていた。

「ぬるいわ! これでわらわを使役しようというのだから笑ってしまう」

 二人は、足を踏ん張って立ち上がった。けれど、元雅くんが腹部を押さえて、途中で膝をついた。先ほど刺された箇所だろう、衣の腹部が真っ赤に染まっていた。

 ヤスケに寄り掛って立ち上がると、猿彦はそれを頭上で一回転させ再び構える。

 黒翁の赤い瞳が猿彦を見て楽しげに歪んだ。

「さすが、元我が主殿。もう少し遊んでもらわねば、わらわの不満は解消されぬ」

 何度やろうと、勝負は見えていた。

 肩で息をする猿彦。対する黒翁は汗一つかいていない。本領発揮の神の力をまざまざと見せつけられて、僕は立ち尽くした。

 負ける――初めて、猿彦に感じた不安と、失うかもしれない恐怖。

「これ以上は無意味だわ」

 その時、僕の右隣でたづさんが声を張り上げた。

「剣は、出す。だから、これ以上の事はやめて」

 言って、たづさんは黒翁へと近づいた。

〔馬鹿言ってんじゃねぇ! こいつを自由にしちまったら、大勢の人間が喰われるんだぞ!!〕

 猿彦の叫びを無視して、たづさんは黒翁に近づくと、自身の胸元へ手を突き入れた。

「これが……魂切りの剣よ」

 ずるり、と胸の辺りから取り出した剣を、黒翁の小さな手に渡す。黒翁は目を細めてそれを見下ろすと、深く頷いた。

「なるほどの。お主の魂の一部だったわけだ」

〔させるか……ッ!〕

 飛びかかる猿彦を、指を爪弾く動作だけで追いやった黒翁は、剣を舐めるように見やると躊躇なく自身に剣を突き立てた。

 足元に影が滲み、ぐわっと黒く大きな獣のような魂が吹き出す。

 その中央には白い球。そこに目鼻立ちの造形が刻まれていると気付くまで、時間がかかった。

 あれが猿彦の、顔……?

「これで……」

 刀身を刺した部分から、放射線状に白い光が四方に走った。

 光が散ると、猿彦の顔だろう中心の白い円がぐい、と浮かび上がる。

「ふ、ふふふ……これで、これで、憎きこの顔とも離れられる! わらわは、自由じゃ。自由じゃあああっ」

 ――――――けれど。

「な、に……!?」

 ぎりぎりと引き延ばされたものの、その光は結局、黒い魂に引っ付いて離れなかった。しばらくすると、光自体が収まってしまう……

「何故じゃ。何故、奴の顔が離れぬ。どんな魂も切り離せると、そのような剣だと申したではないか!!」

 黒翁の怒りに燃えた瞳に、たづは戸惑いながら首を縦に振った。

「そうよ。何だって切り離せる……」

「だが、できない。貴様っ!! この期に及んでわらわを謀ったか!!」

「ち、違うわよ。それは、本物よ!」

 はっとしてたづさんが猿彦を振り返った。

「猿彦!? あなた、まさか――」

〔俺はこれでも元若大夫。不祥事を起こすわけにはいかねんだ。…………死んだってな〕

 たづさんが救えなかった人に、死んだ母親に取り付かれている子供がいた。その時、彼女は言ったのだ。人の側が自ら離したくないと望む場合、除霊はできない、と。

 猿彦はあれだけ顔を切り離したい、取り戻したいと願いながら、観世の家の者としての義務を果たそうというのだ。例え……大夫でなかったとしても。それが……舞々の誇り。

「ちぃぃぃっ!! 皆殺しじゃ! 全員、斬り裂き殺してくれるっ!!」

 黒翁はそう絶叫して、両手を天へ延ばした。闇が渦を巻き始める。彼女は空間ごと僕らを沈めてしまうつもりらしい。自由を手にいれるよりも、目の前の苛立ちを解消する方を取るつもりなのだ。

〔敦盛〕

 呆然と、その膨大な邪気の奔流を見上げていた僕を、猿彦が呼んだ。

〔笛の用意をしろ〕

 それから、元雅くんに向き直ると、怪我人に思いやりの片鱗もなく命令を下す。

〔元雅、立て。んで、さっさとこっちに来い〕

「猿彦……? 一体」

〔こいつらを向こうに戻す〕

 元雅くんがなんとかやって来たのを確認してから、一言、猿彦は告げた。

 それは死を覚悟した〈声〉だった。

――俺ら舞々は、命をかけて舞う。

――だから、面はかぶるじゃなくて、『かける』んだ。

 出会った当初、猿彦はそう言って、舞々がなんたるかを僕に教えてくれたのを思い出す。

〔あ。だが、敦盛。お前はダメだ。逃げんじゃねぇーぞ〕

「…………分かってるよ」

 僕はきょとんとしてから、ニヤリと不敵に見えるよう口の端を持ち上げた。

 僕は猿彦が死ぬまで一緒。そんなことは、彼の持ち霊になった時から覚悟はしているんだ。

 ……一度、僕は死んだ。それも、これ以上にないほど情けない最期だった。でも、今度は間違えない。一人じゃない。

「な、に言ってんの……彦兄」

 その時、立ち上がるのもやっとの元雅くんが、更に顔を蒼白にして声を震わせた。

〔呆けた顔してんじゃねぇ。しっかり敦盛に捕まっとけ〕

「馬鹿を言うな! 僕は舞々だ。逃げるわけにはいかない!!」

 元雅くんの悲鳴にも似た、怒号……

「神を制御し、人々を守るのが舞々の使命。その舞々が、自身の命が危ういからって、人に危害を加えるに違いない奴らに背を向けていいはずがない!! 僕は逃げない!!」

 彼らは武士じゃないけれど、武士に負けず劣らずもののふだった。

「それに、しいをこのまま――」

〔てめぇは次の大夫だ〕

 いきり立つ元雅くんが、ヤスケに浮かび上がった文字に息を飲んだ。何事か言おうと形の良い唇を開閉させてから、彼はやがて項垂れる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ