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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
七ノ段
30/41

真実万華鏡(1)

 お寺の備品を壊したことを謝りに行くついでに、住職さんから薬とさらしを貰った元重さんは、手早く猿彦と元雅くんに手当てをした。

 元雅くんの怪我は重いらしく、すぐに薬師に見せる必要があると元重さんは言い張ったが、当の本人は全く聞き入れてはくれない。

「まーくん。とりあえず、今は安静にしていないと」

 治療を終えた元雅くんは、礼もそこそこにしいちゃんの枕元を覗き込んだ。

「…………しいは」

「眠っているだけですよ。ただ身体が魂に合っていないので、この状態が長く続くと……」

 命が、危ない。

 兄が言外に告げたことに、元雅くんは拳を作る。

「身体が合っていないって……舞々だって人でしょう? 何故、人が人の身体に入って、不都合が起こるんですか」

 思い起こされるのは、あの薄ら寒い気配を持った暗い魂だ。神というよりは怨霊・死霊に近い……そんな禍々しい気配。あれがしいちゃんの魂だとでもいうのか。思わず問うた僕に、壁に寄り掛り庭を眺めていた猿彦がヤスケだけ僕の方へと向けると、

〔観世座が黒翁――いな、七母天の一、波提梨姫を身に宿しても平気になったきっかけは、観阿弥の爺様が長谷寺観音の啓示を受けた事にあるって聞いてる。そん時に、俺らは人とはちょっと違うものになっちまったんだろ〕

 さもつまらなそうに、猿彦は言った。と、突然、元雅くんが立ち上がった。

「まーくん。寝ていなさいと……」

「うるさいよ」

 元重さんが険しい顔でもって忠告するのを一言で退け……元雅くんは手当てのため、着替えをしていた猿彦の脇から僕の面を拾い上げた。それから一言、簡素に命じる。

「敦盛、一緒に来て」

 ちょっと厠へ、というほどの軽さで顎をしゃくる。先ほど僕を消そうとした人物とは思えない図々しさだ。

「ど、何処に行くつもりです? そんな傷で――」

 そんな彼に、強く出られない僕も僕だけど。

「早く、黒翁のところに行かなきゃ」

〔そいつは俺の持ち霊だ。勝手に持ち出すんじゃねー〕

 最もな兄の抗議を彼は完全に無視した。

「行くって……当てはあるんですか。彼女が裂いた空間が、何処へ繋がってるかなんて分からないのに」

〔奴なら境にいる。あの世とこの世の境に〕

 この世もあの世も果てなく広い。その狭間だって然りだ。

「それなら、尚更……」

「僕が分かる。僕を辿って、お前の能力で空間を裂けばいい」

 元雅くんは納得しない僕の言葉を苛立たしげに断ち切ると言った。

「ちょ、ちょっと待ってください。そもそも……辿るって、何を辿るっていうんですか?」

 問いに、彼は珍しく言葉に詰まった。

「…………霊糸だよ」

 しばらく言いづらそうにしてから、口を開く。ぽつり、と落ちたその単語に、僕は顔を引き攣らせた。

 霊糸――簡単に言えば、自身の霊力の一部を付着させ、その対象物の行動を監視するものだ。とりわけ諜報などに使われる。また一方で、その対象物に対する所有権を主張する場合もある。動物に例えるならば、分泌液を利用して縄張りを主張するようなものだ。他の例を挙げるならば――僕は絶対にやらないけど――美味しい饅頭が前にあったとして、それに唾をつけて他の人が食べようとするのを回避するような……とにかく余り褒められる行為ではない。それを人相手にするなど言語道断、祓魔師の常識として、失礼極まりない行為だ。

「そんなもの、しいちゃんにつけてるんですか」

「……しいは可愛いから。誘拐されないとも限らない、から」

 僕の呆れ返った言葉に、元雅くんは顔を背けるとぼそぼそ応えた。確かに、外に出ることの多い彼が、妹を心配する気持ちは分かる。が、霊糸はやりすぎだ。

〔今からお前の評価は馬鹿から変態に格上げだ。変態バカマサ〕

 立ち上がった猿彦は元雅くんの手から僕の面袋を取り上げると言った。

「ちょっと……」

〔俺も行く〕

「さ、猿彦!?」

 非難の視線に、猿彦は肩を竦めた。慌てたのは僕だ。

「居場所が分かったって、事態は変らないんだよ? 元雅くんは重傷だし、君だって怪我してる。しかも僕じゃ黒翁に歯が立たないし……」

「黒翁はしいに憑依して時間が短い。まだ身体に定着しきれていない――力を出し切れないんだ。行くなら今しかない」

 確かに、と元雅くんの言葉に元重さんが唸った。

「憑依の四段階目に進むためには、深い眠りに付かなければなりません。あの時、黒翁は猿彦に呪を止めさせ、退きました。あそこでやりあうという選択肢もあったはずなのに……それはやり合えない原因、身体が定着しきれていないという証拠。そう考えれば……今が好機、ではあります」

「つまり、時間をおいたら不利になる……?」

 三人が同時に頷く。

〔できるな、敦盛〕

「できるかどうかは何とも言えないよ。やったことないし」

〔やるんだよ〕

「バカ言うな。霊糸なんて、飛ばした本人しか見えないんだよ? 僕にどうやって辿れっていうんだ。君に憑依するのとは違って、元雅くんじゃ力を完全に出し切れるとは思えないし、だからって君の身体でやるなら霊糸なんて見えないし」

 個人の霊糸は他人に見分けが付かないほど微妙なもの。だからこそ諜報などに使われ、一方で、動物が自分の縄張りを示すように、こっそり所有権を主張するものであって。

「はい。そこまでですよ、二人とも」

 猿彦と僕が睨みあうのを、元重さんの手を打つ音が止めた。

「えっと、霊糸じゃなくたってもっと太い管が伸びているでしょう? 私は見えませんが。……それともすでに隠されてしまっているんでしょうか?」

 訝しげにした猿彦と元雅くんは、一拍後、はっとしてしいちゃんを見た。

〔命糸か!!〕

 命糸とは、身体と魂を繋ぐ大切な糸だ。……霊糸という強烈な単語に、すっかり失念していた僕らである。

「まだしいちゃんの魂は身体から離れて間もないですから、身体と魂を繋ぐ糸ははっきりと残ってるはずでしょう? ……どうですか、猿彦、まーくん」

 猿彦は膝で滑って、元雅くんはすたすたと妹に歩み寄った。やがて、じっと目を凝らしていた二人は同時に頷く。

〔見えた〕

「………うん。見える」

 僕にもはっきりと見えた。少女の胸元から血のように紅い一本の糸が生え出ている。それはふらふらと空中へ伸びると、ふつり、とその先は消えていた。

 元雅くんがくるり、としいちゃんに背を向けた。

「糸は長時間伸びてるわけじゃない。さっさと行くよ」

「……切れちゃったらどうなるの?」

 不安になって猿彦に問えば、押し黙った彼に代って、元重さんが答えてくれる。

「普通なら死んでしまうでしょう。ですが、今、しいちゃんは別の身体に入っていますから、すぐに彼岸に引かれることはありません。でもさっき言った通り、観世の魂は、普通の身体に収まりきらないものなのです。だから……再び暴走が起こるかもしれませんし、この女の子の身体が保たないかもしれません」

 事態は思った以上に切羽詰まっているようだった。

 僕は痛ましげにしいちゃんを見てから、意を決する。と、その時だった。

「…………み、さま」

 少女の唇が、言葉を象った。

〔しい?〕

 僕と三人の兄たちの意識が一斉に少女へと向く。彼女の戦慄く唇が切実な祈りを吐き出す。

「か、み……さま。に……を、許して。もとに、戻して……お願い、します。みんなを、もとに―――」

 もとに。

 儀式の――猿彦が顔を失う前、元雅くんが人殺しと陰口を叩かれる前……三人の兄たちがまだ仲が良かった頃に。

 初めて聞いた妹の願いに、兄たちは気まずげに顔を顰めた。

「…………それで僕のところから黒式尉の面を持ち出したのか」

 思わず、なのだろう。

 苦々しげに呻いた元雅くんの言葉。けれど――それを、不運にも、猿彦は聞き逃さなかった。

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