黒翁襲来(5)
「元、雅くん……」
彼は僕としいちゃんの間をつっきると、面のぶらさがった木の元まで歩いた。それから、目を瞠る僕を、彼は楽しげに見やり、つ、と面へと手を伸ばした。びくり、と僕の全身が跳ねる。
そんな僕に、片目を器用に細めた元雅くんは、侮蔑を込めた視線を向けた。
「で? 敦盛はそれを聞き出してどうするつもりだったの」
吐息の音さえ響くような、恐ろしい静寂……僕は思わず、一歩退く。
「彦兄に言う? でも言ってどうなるの? お前、どうしたかったわけ?」
「ぼ、僕は……」
彼の言う通りだ。
真実を知って、僕はどうするつもりだったんだろう。必死に涙を堪えて否定するしいちゃんを見て、どうするつもりだったんだろう?
「まさか、しいのこと困らせたかった、なんて言わないよね? だったら……消すよ」
「違う。僕はしいちゃんが一人で背負ってはならないと思ったから――」
すっと取り出される打ち杖に、冷たい光が宿る。殺気。元雅くんは本気だった。
「思ったから、何だよ。家の事に部外者が口を出すな」
「部外者じゃない。僕だって君たちの事を考えてる」
「だったら放っておけばいい!」
そう言って、怒鳴った彼の面差しに、僕は苛立ちというよりも、焦り、恐怖の感情を読みとった。そんな彼の弱気な側面を僕は初めて見たから、少なからず戸惑う。
「に、兄ちゃん!」
元雅くんが静かに杖の先を木にぶら下がる僕の面へ向けた。しいちゃんが慌てて制止の声をあげる。――と、その時だった。
「も、元雅くん……?」
彼は山門の方を見て、目を細めた。僕もつられてそちらを見やる。しいちゃんが振り返る。
……門をくぐる者があった。
その少女が一歩寺院へと踏み出した途端、ばりっと龍の鳴き声にも似た、雷鳴が走る。
「…………はあ。本当、あいつは邪魔しかしないんだから」
「黒翁?」
年の頃は十ほどだろうか。しいちゃんにほど近い背丈の女児が境内を突っ切ってくる。
その背には巨大な黒い霧。一目みて、人外の者が憑いていると分かる、禍々しさを放っていた。
「兄ちゃ……」
「大丈夫だよ、しいちゃん」
怯えて腰元に身体をすり寄せた妹の頭に手を置いて、元雅くんは口の端を持ち上げた。
「僕が観世の大夫だ。アレの主人なんだ」
それからやれやれと肩を回すと、僕に背を向ける。
「あんたは、ここで大人しくしてなよ。彦兄呼ばれても、邪魔だしさ」
肩越しにそう告げて、打ち杖で面を叩くような真似をする。
「う……」
本気でないと分かっているのにびくりと反応してしまう僕を、彼は、それはそれは小気味良さそうな笑みでもって見遣ってから、黒翁に身体を向けた。
憑依された少女は元雅くんを視界に捉えると――――カッと歯を剥いた。
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次回は明日12月31日朝七時に更新。
(年末年始のため、31日から1月3日まで連続更新です)




