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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
六ノ段
24/41

黒翁襲来(3)

 みんなが夕餉に向かうと、猿彦はそそくさと本堂の方へと行ってしまった。追いかければ、彼は人目を避けるようにして、お堂のすぐ脇に生えているくぬぎの木によじ登っていた。木に止まっていたのだろう、二本の長い角の生えた甲虫を手に乗せ、それをぼんやりした様子で突ついている。

「ちゃんと、謝りなよね」

〔……なんだって俺が〕

 木の下から言えば、ヤスケがぶらりと垂れ下がる。僕はそれを片手に掴むと地を蹴って飛び上がった。そのまま、猿彦の隣に腰掛ける。

 しばらく、いじいじと虫を弄る猿面を眺めてから、僕は大仰に溜息を吐いた。

「…………はっきり言ったら良かったんだよ。一緒にいたいんだって」

 その一言に文字通り猿彦は飛び上がって木から落ちた。盛大な尻餅をつく音と共に、ぶーん、と甲虫が何処かへと飛び立っていく。

〔ばっ……おま、おま、ばっ、馬鹿っ……ば、バーカバーカバーカ!!〕

 僕の右手でヤスケが吠える。

 さきほど元雅くんの語彙力の少なさを笑った男の言葉とは思えない。相棒の情けなさに僕は目頭を揉んだ。

〔んななな何誤解してんだか知らねぇが、俺はあんな女なんともっ〕

「はいはいはい。分かったよ」

 拳を振り上げ喚く彼に、これ以上話しても埒があかないと悟って、僕は早々に話を切り上げた。足をぶらぶらさせながら、門の右上にぽっかりと浮かぶ真ん丸の月を眺める。

「…………君、変わったよね」

 葉と泥をはらって立ち上がり、木に寄り掛った猿彦に僕は言った。

〔…………何がだよ〕

「うーんとね……何が、って言われると具体的にどれそれって指摘するのは難しいんだけどさ」

 僕はたづさんと出会う前の猿彦を思い出していた。

 猿面の下、いつも不機嫌さを持て余し、そこらかしこに当たり散らしていた猿彦……それが彼なりの自己防衛なのだと知った時、何とも言えない気持ちになった。

 彼は確かに言動は乱暴だし、利己的だ。けれどそれだけじゃない。しいちゃんが朝方出て行った時も、浮遊霊たちから妹の危機を聞き出し、更に元雅くんがいないことを知って飛び出して行ったのだ……きちんと他人を思いやる心を持っている。

 なのに、しいちゃんを連れだしたのだとか心ない疑いを掛けられたりする。もし彼が妹に何かしようとして連れだしたなら、そもそも助ける必要などないのに。

 元雅くんが若大夫の位につき、彼は本格的に家に居場所がなくなった。彼を擁護していた内弟子たちは掌を返して新しい大夫となった元雅くんに媚びへつらい、忠誠を誓うように猿彦にきつく当たった。

 まかり知らぬ誹謗中傷の数々。

 猿彦は口を閉ざし、自室に引きこもり、少しでも自分に近づこうとする者は乱暴に追い払った。それが、裏切りを知る彼の自己防衛だった。

 そんな彼だから、自ら何かしようとはしなかったし、彼の失敗の象徴である猿面の下の顔を、人前に晒すなどということは、ありえなかった。……けれど。

 彼は、変った。

 僕は、素直にその変化が嬉しい。自分を守るために孤独になっていくなんて、そんなの辛すぎるもの。

「ね。そーだ」

 と、僕は、不意に脳裏に浮かんだ考えに、ぽんと手を打って下を見た。

「たづさんの事、呼ぼうよ。猿彦の身体に憑けたら、もう少し長生きできるんじゃない?」

 舞々は霊を使役する者であり、同時に怨霊や死霊にとって最も住みやすい器でもあるのだ。それに、舞々の持ち霊は一つと決まっているわけじゃない。……まぁ、猿彦が望むのは持ち霊としての彼女じゃなくて、隣を歩いてくれる彼女なんだとは思うけれど。

〔ンな事したら、お前、今以上に自由がなくなるぞ〕

「そもそも僕みたいに日常から憑依するのが異例なんだよ。普通は戦闘の時くらいにしか憑依させないでしょ」

 それでも……どんな形であれ、猿彦にはたづさんが必要だと思うから。

〔そうだが……〕

「忘れちゃダメだよ、猿彦。僕は死んでるんだ」

 僕は木に寄り掛る相棒から目線を逸らした。

 この高低差以上に、僕らの存在には越えられない壁がある。天と地以上の違いがある。

「実際、今の生活って僕にとってもたま~にキツいんだよね。ふとした時、死んでる事を忘れてる自分に気付いて、愕然とする」

〔…………やっぱ、身体が欲しいのか?〕

「まあ、ねぇ。あ! だけど誤解しないでよ。僕が欲しいのは自分の身体であって、誰かのじゃない。君の身体なんてもちろん欲しくない」

 ぶんぶん手を振ってから、僕は笑った。

「僕さ。最近の君にとても満足してるんだ。前みたいに逃げたりせず、生きようとしてるから」

 俺がいつ逃げた!? とは、猿彦は言わなかった。

「君は、生きてる。うん。未来に何があるかは分からないけど……明日は、君のものなんだ。だから月並みだけど、……今を生きようとしてる君を、前より好ましく思うよ」

〔今?〕と、猿彦が首を傾げた。僕は頷く。

「今、必要なこと、今、しなきゃならないこと、した方がいいこと……目を背けずに、君は今、やってるから」

 ……本当に明日は分からない。簡単に、人は死んでしまう。

 驕れる者も久しからず。

 ただ春の夜の夢の如し……

 栄華を極めた平家は、伯父・平清盛が亡くなって間もなく、転がるように衰退していった。

 僕は琵琶を爪弾く兄と笛を合わせた夜を思う。あのまま、穏やかに、静かに、世間の荒波など知らないまま生きていくのだと思っていた。まさか自分が戦で殺されるとは思ってもいなかった。

 後悔先に立たず。

 やりたいことも、やらねばならないことも、大切な人に伝えたい言葉も……全部全部、泡になって消えてしまった。悔やんでも、何をどうしたって、取り戻せないものばかりだ。

「猿彦。悩んだっていいよ。素直になれないのも、性格だから仕方無い。だけどね、今を過ぎたら、今はもう戻ってこないから」

 そして、僕は時たま〈今〉に、どきり、とする。猿彦の足で、猿彦の舌で、猿彦の指先で感じる世界が、僕に〈生〉を思い起こさせるのだ。

 でも、大丈夫。ちゃんと僕は、この生は僕のものじゃないと理解している。この仮初めの人生は、猿彦の人生の上にたって初めて、成立する儚いものだと理解している。たづさんと同じく、僕もきちんと弁えている。

「僕は君に、このまま今を生きて欲しい」

 怨霊の頃の苦しみから救ってくれたからじゃない。不器用で、繊細な彼を放っておけないから、嫌いになんてなれないから……だから僕は、側にいる。彼を応援している。

「精一杯、生きて欲しい――君の人生を」

〔…………バーカ。意味分かんねぇよ〕

 彼はそう吐き捨てると、ヤスケを寄越すように手を掲げた。枝から飛び降りて手渡せば、それを引ったくるようにして掴み、踵を返す。

「猿彦? 何処に」

〔便所〕

「厠はそっちじゃないよ」

〔うるせぇ。遠回りしたい気分なんだよ〕

 僕の指摘に怒ったように振り返る。彼はややあってから、腰に結びつけていた僕の面を取り外すと、木の枝に括り付けた。

〔おい。てめぇの面、置いてくからな。憑いてくんなよ〕

 そう言い置き、大股で去ろうとした彼は、途中でピタリと歩みを止めた。

〔敦盛〕

 猿彦が背中越しに見えるように、ヤスケを持ち上げる。きょとんとして、僕はヤスケに目を向けた。

〔…………りがと、な〕

 表面に、掠れた文字が浮かんだのは一瞬だった。

「へ……?」

 僕が何か言うよりも早く、猿彦は走るように去っていった。

 ……僕はその怒ったような、照れたような背をぽかんと眺めて、やがて、込み上げてくる温かさに目を閉じた。

 ありがとう、だなんて。絶対、言うような奴じゃなかったのに。


 ……猿彦。

 たづさんに会えて、良かったね。


 * * *

次回は12月30日(火)、七時に更新です。

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