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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
五ノ段
16/41

壊す理由、救う理由(2)

「やっぱり男手あると楽よね。病人運ぶのも、引きずらなくて済むし、道具も薬も一回で運べるし……って、なるはずだったんだけど」

 そう言って、前方を行くたづさんは僕を振り返った。

「す、すいません」

 僕は、と言えば水に満たされた桶を廊下に置き、息を整えている最中だった。ちょっと休憩、と断りを入れて、僕は袈裟懸けに背にしょったヤスケを脇に置くとしゃがみ込む。

「敦盛さん。大丈夫?」

 覗き込むようにして、しいちゃんが気遣ってくれる上から、たづさんの厳しい一言が降った。

「ちょっと体力付けた方がいいんじゃない?」

「そ、その通りです、まったく……」

 舞々にとって身体は資本。もちろん猿彦は随分身体を鍛えてあるからちょっとやそっとじゃ息など上がらない。舞々は霊の能力を最大限に引き出し、尚且つ、その欠点を補えるだけの身体能力を供えなければならないのだ。

 けれど僕は憑依に留まらず、完全に猿彦の身体を変形させ僕自身のものとしてしまう。だから彼の身体能力は引き継ぐことができない。

 武士のくせに、と笑われるだろう。何の反論もできない。笛ばかり吹いていたのは僕だ。戦装束が重くて歩くのすらままならなかったなどとは死んだ今でも言えない。このまま猿彦と共にあるなら鍛えなければならないだろうけれど。そもそも、怨霊って鍛えられるんだろうか?

「で。あなたがこうして、ぜはぜはしながら頑張ってる中、あの男は何してんの?」

 座り込んだ僕の脇に、たづさんは腰を下ろすと問うた。

「今ですか? 寝てるんだと思います」

「思います、ってどういう事よ。身体共有してるのにアイツが何してるか分からないの?」

「はあ……分からないですね。僕が行動してる時はできる限り干渉しないって考えみたいなので」

「干渉しないって……」

「彼が言うには、僕は人生のやり直し最中なんです。全部は思い通りにできないけれど、僕が表に出てる時は僕の人生を生きろって」

 たった十七年しか生きられなかった、僕の命を。

「……変な奴。身体、返してくれるなんて保証はないのに。本当にあなたのこと信頼してんのね」

「信頼、なのかな……」

 それは、僕もずっと気になっていたことだ。

『欲しけりゃ、くれてやんよ』

 猿彦はそんな風に思っているのでは、と思うことが度々ある。この身体は猿彦の身体で、彼には彼の歩んできた人生があるのに。

 怨霊である僕を、彼が集めるガラクタと同じく拾ったのは、自分の身体を生に執着する別の人間に与えるためなのだと。

 そんなことはないはずなのに、僕は時々不安になるのだ。お茶を飲んだり、食事をしたり、色鮮やかな世界に触れて、思い切り季節の香りを嗅ぐ……けれど、猿彦はそれができない。

 顔を失い、猿面を手放せず、見ることも匂いを嗅ぐことも、味わうことも失い……彼は、どこで自分の〈生〉を感じているのだろう。

 生きているのに、怨霊や死霊と変わらない生。人に触れさえすれば、温かさだけは得られるというのに、彼はそれすらも手放している。

 身体を乗っ取らないのは、初めは拾ってくれたことに対して、身体を貸してくれることに対する感謝故だった。でも、今はそれだけじゃない。不器用に生きる彼のことが、好きになったからだ。彼に生きて欲しいからだ。加えて、ほんの少しの……同情。

 僕は彼から身体を奪おうとは思わない。

 それを見越して、猿彦は僕を持ち霊にしているはずだった。悪になりきれない僕を知っているから、いつだって身体を手放せるような振りをして試している。

 決して、僕が生を望むように、彼が死を望んでいるわけじゃない。自ら消えようだなんて思っているはずはない。僕は自分にそう言い聞かせる。……そうじゃなきゃ悲しすぎるもの。

「……しいは、ちょっと、寂しい。彦兄は、なかなかしいと会ってくれない」

 ぽつん、と漏らしたしいちゃんの言葉に、たづさんが顔を顰めた。

「あいつ、家でも君を憑依させてるわけ?」

「ええ。自室に籠もる時はさすがに表に出てますけど……ほとんど僕が」

「それじゃどっちが身体の主か分からないじゃないの」

 訝しげにするたづさんの言うことは最もだった。僕はなんと返していいか分らない。

 それでも一つだけ確証を得たくて、片膝を立て中腰になった僕は、しいちゃんの頭に片手を置くと、言った。

「しいちゃんは、猿彦が好きなんだね」

「………………うん」

「あんな乱暴者でも?」

 呆れ返ったたづさんの言葉にも、

「彦兄は優しいよ」

 しいちゃんは生真面目に首を振った。僕は、誤解の多い相棒のことをしっかり見ていてくれる人がいて、じんわりと胸が温かくなるのを感じた。思わず口の端が緩む。

 猿彦はよく乱暴者と思われがちだけれど――いや、まさしくその通りなんだけど、理由のないことじゃなかった。

 彼の会話は、普通の人以上に〈相手の協力が絶対〉だ。読まれなければ彼の声は決して届かない。だから、先に手が出てしまう。

 出会った頃より、最近は圧倒的に早く手が出るようになったけれど、それは伝えられない不満を多く体験してきたからなんだと思う。

「あ! でもね……敦盛さんも好きだよ」

 顔を顰めた僕に、しいちゃんが慌てて付け加えた。憑依する僕を疎んでいる、と僕に思わせたと勘違いしたらしい。その優しさが心に沁みる。

「ありがとう」

 微笑めば、不安げにしていたしいちゃんが愁眉を開いた。と、

(おい。バカマサが帰ってきたぞ)

 猿彦の忠告すでに遅く、僕は背後から発せられる殺気に笑みのまま固まった。

「今すぐその手を退けろ。ケダモノ」

 言われるまでもなく、しいちゃんから手を離すと同時に、素早く憑依を解く。

「雅兄。おかえり」

「しい! ただいま~」

 元雅くんは打って変って花が綻ぶような満面の笑みを浮かべるとしいちゃんを抱きしめた。それから、わざとらしく僕に切れ長の目を向ける。

「あれ? 敦盛、憑依しなくていいの?」

「え、えぇ」

 苦笑いで、僕はじりじり退いた。

 冗談じゃない。

 肉身があれば痛みを感じる。元重さんじゃあるまいし、身の危険を感じてなお、憑依を解かないでいられるほど僕は痛いのが好きなわけじゃない。

 僕と元雅くんの声なき攻防になど気づきもせず、腰を上げたたづさんがうんと伸びをした。それから傾きつつある太陽を見やって、あっと声をあげる。

「こんな時間か。あたし、そろそろ回診に行ってくるわ」

 僕は猿彦の抗議には耳を貸さず、同行を志願したのだった。


     * * *

次回は12月9日(火)、七時に更新です。

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