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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
四ノ段
14/41

顔のない男(5)

「つまり、たづさんの剣があれば、猿彦の顔は元に戻る……?」

 たづさんは言っていた。彼女の〈魂切りの剣〉はどんなに深く絡み合っていようとも、融合した魂を分離することができると。

 元雅くんはすんなり頷いた。

「そう。だから、その前に破壊したいんだ」

「へ?…………ど、どうして」

 至って無邪気に、美しく、とんでもないことを元雅くんは言う。ついで彼は、戸惑う僕に侮蔑の籠もった表情を向けた。

「………………雅兄」

 たづさんの隣に正座していたしいちゃんが、怒ったように兄の袖を引く。

「なぁに、しいちゃん。だって、そうだろう? 今更、彦兄に戻ってこられても困るじゃないか。やっと跡継ぎは僕だって決まったのに、また揉める」

「だ、だからって、そんな……猿彦にずっと、このままでいろって、いうんですか」

 そんなの酷い。治せるのに治さないだなんて。しかもそんな自分勝手な理由で。

「なんで? ダメ? 自業自得なんだから、甘んじなよ」

 元雅くんは至極穏やかに首を傾げる。と、猿彦がヤスケの柄で板敷を叩いた。

〔お前には分かんねぇだろーがな……辛ぇんだぞ、顔がないってのは〕

 ついで立ち上がった彼は、頭を抱えて天を仰いだ。

〔刺身が、食えねぇ!!〕

「猿彦、もっとキツイことがあるはずじゃ……」

 切実に嘆く彼には申し訳ないけど、食事すらできないのを差置いて、さしみだとは呆れる……思わず突っ込んだ僕は、しまったと口を噤むも、遅かった。

〔てめぇが一番腹立たしいんだよ、敦盛!〕

 思った通り、彼はヤスケの先を僕に突きつけ、子供のように怒り狂って地団駄を踏む。

〔てめぇ! ばかばか刺身喰いやがって! しかも鯉! 鯉をッ!!〕

「で、でも、鯉ってさ……」

〔うっせ、うっせ、うっせぇ――!!〕

 ここ最近、庶民にも味わえるようになった刺身の中でも、とりわけ珍味と呼ばれる部類が鯉だ。僕はあの泥臭さが何とも耐えられず、口に含んだ瞬間、口呼吸で咀嚼の上、水と共に飲み込んでしまうのだけれど、彼はどこかの好事家よろしく大好物らしい。

〔――――だから! 俺は顔を取り戻す!!〕

 跡継ぎとか、元雅くんの事情なぞ関係ないと、拳を作る猿彦。それに元雅くんが溜息をついた。

「…………短絡的だね」

〔あ?〕

 全くその通りです。だなんて、内心頷いた僕は、元雅くんの表情にどきりとした。

「今が一番いいって言ってるんだよ」

 そう言った彼の美しい瞳には、いつもの他人を馬鹿にするのではない、もっと深く静かなものが滲んでいて。

 不信に思う僕とは別に、猿彦は彼の変化に気付かなかったらしい。相棒は予想通り弟に掴みかかろうとしたから、僕は慌てて二人の間に身体を滑り込ませた。

「ほ、他に方法を探してみようよ。た、例えば……ほら、封じたりとか。消滅させるなんて物騒だし、しかも有用な神様なんでしょう? 正式に元雅さんが継ぐべきだよ。その後に、猿彦の顔を元に戻したり、とかさ」

 それなら、とりあえずは猿彦の顔はなくならないし、もともと大夫の座に大して執着していない相棒にとっても良いに違いない。だからそう提案すれば、

「封印はできない」

 元雅くんが即座に首を振った。

「どうして? だって、封じてたんじゃ……」

〔封じてた面がない〕

 ……ああ、と僕は脱力した。

 死霊や怨霊、神の霊体は、この世にあるための「よすが」がいる。例えば、僕が、猿彦の持ち歩く〈敦盛〉の面をよすがに、ここに存在しているように。そして、その魂のよすがに代用品はない。この世に一つだけなのだ。

「自分の面持って逃げたからね。その面が見つからない限り……封じ直すっていうのはできない」

「だったら、しばらく様子を見て、その面を捜すっていうのは……」

「これまでも観世はずっと、探し続けてきた。それでも見つからなかったんだよ」

〔それに時間が無い〕

「そ。……黒翁が動き出しているなら、もう悠長にしてる時間はない。アレは障礙神。見境無く人間を襲う、やっかいな神様だからね」

 ……そうでした。

 つまり、消すことを前提で、猿彦はたづさんの協力を仰ごうというのだ。

 消す前に顔を取り戻したい猿彦と、猿彦の顔ごと消したい元雅くん……何処まで行っても交わらない二人だ。

〔っつーわけで、女。剣を貸せ。今すぐに〕

 猿彦はたづさんに向き直ると、ずい、と右手を差し出したが、

〔俺は今から黒翁を捜し――ぐっ〕

 その腹部に、拳をねじ込まれ、黙り込む。

〔……てんめ、何しやがる〕

「それが、人に頼む態度?」

 取り落としそうになったヤスケにすがりつく猿彦を、すっくと立ち上がったたづさんは、目を細めて見下ろした。

「教育的指導よ。『貸してください、お願いします』ぐらい言えば?」

〔……女ってのは、こっちが下手に出りゃすぐに調子に乗りやがる〕

「下手!? 何処が!? あなたの頭ん中、かびてんじゃないの!?」

〔かびてんのは、てめぇん(なか)だろ! トリババアっ!!〕

 (たづ)だからトリババアだなんて何と安直な……なんて納得している脇で、たづさんの二撃目が炸裂。猿彦が床に沈む。

「…………たづさん」

 そんな兄を尻目に、腰に手をやり鼻を鳴らすたづさんの袖を、しいちゃんがおずおずと引っ張った。

「ん? 何?」

「……しばらく、しいたちここにいていい?」

 問いに、たづさんは一転してはち切れんばかりの微笑みを浮かべると頷いた。

「もちろんよ!」

「あ、そう」

 それを聞くやいなや、立ち上がったのは元雅くんだ。

「なら、僕、水浴びしてくるから、夕食はその後にして。しいちゃんもおいで。兄ちゃんが身体洗ってあげる」

「ううん。しいはもうお姉さんだから、自分でできるよ」

「……そっか。しいちゃんは偉いね」

 顔を引き攣らせながらもにこやかに、元雅くんは妹の頭を撫でた。やがて見るからに悄然として、彼は庭とは逆の土間の方へと室を出ていってしまう。

「ちょ、ちょっと待って? え、なに当たり前に夕食作って貰おうとしてんの、あの男!?」

 元雅くんが、自然な様子で住職さんに水浴びの準備をするよう命令する声が聞こえてきて、たづさんが唖然とする。

「……しいが手伝う、から」

 そんな彼女に、しいちゃんが済まなそうに頭を下げる。それに、たづさんは気にしないでと首を振ると、末妹の頭に手を置いた。

「ありがとう…………本当、ぼんくら兄たちには勿体ないくらい良い子だわ」

 呆れ返った声が落ちる。やがて気を取り直したたづさんは早速、しいちゃんを伴い室を出ようとしたのだが、

〔ちょっと待て〕

 と、身体を起こした猿彦に呼び止められて、振り返った。

〔杓文字はこれを使え〕

 などと言って、猿彦は胸元からずらり、と取り出した五本の杓文字の内、一本を誇らしげに差し出した。

 ……出たよ。

 杓文字愛好家による本日の杓文字。

 握ると手に張り付くようなしっくり感、その上、面の部分は米の弾力を殺さず、柔らかにすくい上げる……最高級の竹素材、手削りの一点物だ。

「……それはご丁寧にどうも」

 呆れもせず、にこりと笑ってそれを受け取ったたづさんは、

〔ぃだっ!!〕

「あなたも、来るのよ!」

 さっさと庭先に出ようとしていた猿彦の右耳を容赦なく引っ張った。

〔痛い痛い……千切れる、耳、千切れるッ!〕

 両手を振り回し暴れた末に、猿彦の絶叫がヤスケに浮かぶ。

〔敦盛! 舞え!!〕

 ……本当に、千切れるかと思うくらい、耳は痛かった。




(四ノ段:顔のない男 了)

次回は12月2日(火)、七時に更新です。

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