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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
四ノ段
13/41

顔のない男(4)

 誰も元清さんの真意は知らない。でも、彼は頑なに猿彦を推したのだという。

 正妻の寿椿さんを初め、内弟子や座員たちの中にはそれぞれの支持者がいたから、この決定に納得できない者は多かった。

 とりわけ寿椿さんの落ち込みようは酷かったらしい。

 彼女は元雅くんを生んだ六年後にしいちゃんを生んだけれど、猿楽師は男に限られるからと、娘に男名をつけ、男の子として育てていることからも、並々ならぬ大夫への執着が察せられる。

 余談だけど……兄たちはそんな母親の見栄に巻き込まれたしいちゃんを可哀想に思って、しいちゃんを元能とは呼ばず、観世七郎元能の七郞から〈しいちゃん〉と呼ぶことを暗黙の了解としていた。

〔そんで、俺は失敗した〕

 今まで黙っていた猿彦が口を開く。

 ヤスケに浮かび上がった文字を読み、元雅くんは腕を組み直すと鼻を鳴らした。

「そ。黒翁を継ぐ儀式で、大失敗。力を制御しきれず、黒翁に身体を乗っ取られた。で、それを助けようとした重兄は大怪我を負って、力の全てを失った。……そして、黒翁は逃げた。彦兄の顔を持ってね」

 内弟子たちを巻き込んだ彼らの不幸ないがみ合いは、五年前の冬籠もりの最終日、幕を閉じた。猿彦と元重さんの両人が、舞々として致命的となる怪我を負うことによって。

 これが猿彦の言う〈五年前の大失態〉だ。

 元清さんは元雅くんを若大夫の位に据えざるを得なかった。

 一方、今まで妾の子でありながら後継者として一目置かれてきた猿彦が、素直に元雅くんの下につくことなどできようはずもない。彼は本名を捨て〈猿彦〉と名乗り、日がな一日、自室に籠もるなど、二年ほどの自暴自棄の末、観世の家と距離を置くようになった。

「それで、その逃げていた黒翁が現れたって事ね。でも、何で今更? それにあたしの剣を狙うのは、どうして?」

「何で今かは知らない。でも、何故、あんたの剣が狙われるのかは明白だよ。その剣があれば、くっついたままの彦兄の顔を切り離せるからね」

「切り離したらどうなるの?」

「普通に彦兄のもとに戻るでしょ」

 たづさんの質問に、元雅くんは小馬鹿にしたように答えると続けた。

「魂と身体は密接に繋がっているんだ。その関係は――そうだな。型と粘土を思い浮かべてよ。型という<魂>に、流し込まれた粘土が<身体>を作る。つまり、魂は設計図、身体はそれに寄る建造物ってわけ」

 彫刻師が木に隠れた仏を彫るというように、魂は身体に表出するもの。

「その内、顔は……とっても大切な部位でね。魂の状態を表わすものであり、魂を制御するものでもあるんだ」

 さすが若大夫なだけあって、元雅くんはすらすらと語ってくれた。

「認識する時もされる時も、最も必要とされるもの……それが顔だ。よく顔の造形は悪いのに、美しく感じる人がいたり、逆に容貌は整っているのに、醜い人もいるだろ? それは、魂の美醜を表している。魂が健康なら顔は輝くし、病んでいれば顔は曇る。そういう風に顔は魂と密接に関わっている」

 憑依された人は、どんどん顔つきが変わっていく。それで、憑依の段階が何処まで進んでいるのかが把握できるなど、魂の状態を表わすのが、顔だった。

「憑依された人の面差しは、憑依する霊のものへと変貌していくだろう? ……それは制御権や身体の主が、身体の持ち主から憑依霊に移行したことを示す」

 ……それは、つまり。

 気まずさに眉根を寄せた僕に、元雅くんはにやっと意地の悪い笑みを浮かべる。

「彦兄の憑依と僕のを比べてみればよく分かるよ」

 それから彼は髪を解くと、腰に帯びた面を顔にかけた。

 思わず身体を仰け反らせた僕の前で、ややあってから、美しい増女が怒りの表情へと変化する。それと同時に元雅くんの純白の衣は炎を思わせる朱色に染まった。

「舞々の降霊は憑依と同意義に使われる事があるけれど……本当はちょっと違う。本来、舞々の降霊は、僕みたいに――霊気をまとってるだけなんだ」

 言って、元雅くんが右腕を前へと突き出し、その上を反対の手で払うような仕草をした。すると紅の衣が揺らいだ……よくよく目を懲らすと、その下には、彼の白い狩衣が見えた。

「ね。実は衣服が替わったように見えるってだけ。でも、死霊や怨霊が人に憑依するのは、敦盛が彦兄に憑く場合と同じなんだよ。――彦兄。比べて見せるから敦盛憑けて」

 無遠慮に兄に言う。しばらく弟を睨め付けていた猿彦は、けれど、大げさに肩を竦ませると投げやりに言った。

〔敦盛。舞え〕

 憑依が完了すると、僕はおっかなびっくり、猿面を取り外す。

 たづさんは、目をぱちくりさせた。

「……姿形が変わるのは憑依段階が四――今の状態は、猿彦の身体は完全に僕に乗っ取られています」

「そもそも彦兄には顔がないから、制御権なんて存在しない。だから後嗣から降ろされた。顔がない、つまりそれは霊を制御できないってことだからね。舞々には致命的ってわけ。むしろ、敦盛みたいに人の良い霊じゃなければ、今頃彦兄は表に出ることすら適わなくなってるよ」

「なるほどね。顔は制御するもの。だから、彼の顔をつけたままの黒翁はあたしの剣を欲しがってる……顔を切り離すために。自由になるために」

 元雅くんの言葉を反芻したたづさんだったが、

「でも……そんな事するより顔の持ち主を殺しちゃった方が早くない? ……なーんて」

 物騒なことを口にして、首を曲げる角度を大きくする。元雅くんはくすり、と小さな笑いを落として、遠く過去へと思いを馳せるように視線を投げた。

「殺したって顔は剥がれないんだよ。むしろ、彦兄を殺しちゃった場合、顔は戻る場所を失ってしまう。自由になる事は永劫叶わなくなるんだ。でも、舞々を殺す馬鹿な怨霊はたくさんいる。そんなことしたら永遠に主と一緒に彷徨うはめになるとも知らずにね」

 それから元雅くんは意味ありげな視線を僕に向けた。

「敦盛も気をつけた方がいいよ……って言っても、顔がない彦兄と彷徨っても、お前の自由にできるからいーのか」

 そんな皮肉は聞き流すことにし、僕は今までの話を頭の中で素早くまとめて、うん、と唸った。一つ、重大なことに気付いたのだ。

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