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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
四ノ段
10/41

顔のない男(1)

 満身創痍の少年を小僧さんに預けると、たづさんは、ついで僕らを庫裏に招き入れた。

 本堂右手に位置する庫裏はぐるりと山茶花の生垣に取り囲まれていた。広くはないものの、本堂側には草の生い茂る庭があり、庫裏の最奥には怨霊・死霊によって病を患い苦しむ人の療養所があった。

 僕らは中庭に面した板敷の間に通された。そこは数えるほどの調度品しかない質素な部屋で、壁の下方には鼠穴が空いていたりと所々痛みが見えたけれど、隅々まで掃除は行き届いていた。

 縁側からは雪山のように巨大な入道雲が見え、爽やかな夏風が吹き込んでくる。

 庭を背にどっかと腰を下ろすと、早速猿彦は尋ねた。

〔女。あの剣はなんだ。なんだって、あんなもんを持ってる?〕

「その質問に答える前に……さっき襲って来たのは何? あなたたちと知り合いみたいだったけど」

〔お前が知る必要はない〕

 猿彦の手当てをし終えたたづさんは、薬を片付けると、ふん、と顎を反らせた。

「なら、あたしもあなたの問いには答えない」

「猿彦。そんな言い方はないよ。訊きたいなら訊きたいなりな態度ってものがあるだろう。それに、彼女は被害者で一応、知る権利ってものが――」

 小声で批難すれば、

〔帰る〕

「ああ、はいはい。かえ……え? ええ!?」

 相棒は、たづさんを暫し無言で睨め付けた後、憮然として立ち上がった。

「ど、どうしたっていうんだよ、一体。剣に興味があるんじゃなかったの?」

〔……いけすかねぇ〕

 たづさんを振り仰ぎ、猿彦は言った。

〔いけすかねぇよ。まだ隠そうとする根性がな!〕

「自分だって隠してるくせに、よく言うわね。で? あたしが何を隠してるっていうのよ」

 僕は相棒が何を言おうとしているのかさっぱり分からず、おろおろと成り行きを見守るしかできない。たづさんは思い切り顔を顰めている。

〔お前は怨霊だ〕

「……へ?」

 猿彦が発した思わぬ言葉。

 理解が追いつかず、ぽかんとした僕はたづさんへと視線を向けて、目を瞬いた。彼女の面は血の気が引き、真っ青だった。

〔何が人助けだ。人殺しのくせに〕

 びしりとヤスケを突きつける猿彦に、たづさんは何も言わない。悔しげに、幾度か唇を開閉させたけれど、結局黙り込む。……それが、答えだった。

「人殺しって、猿彦。そんな頭ごなしに決めつけちゃ……彼女にだって何か事情が――」

〔人殺しに事情? はっ! あるわけねーだろ〕

 そう吐き捨てて、相棒は思いも寄らぬことに、ヤスケをたづさんに突きつけた。

〔無視しようと思ったが、気が変わった。敦盛がうるっせぇし、お前消すわ〕

「何で僕のせいなの!? 嘘ぉ!?」

 仰天する僕のことなんて完璧に無視して、猿彦は殺気だった眼差しで、たづさんを睨め付ける。どう考えたって、僕じゃ相棒を説得することなんてできない――その時、思わぬ人が猿彦の暴挙を止めた。

 柱に寄り掛り、軒先で足を伸ばして座していた元雅くんが、いつでも兄に攻撃を加えられるよう、打ち杖を構えたんだ。

〔何だ、元雅〕

 猿彦が問う。元雅くんがせせら笑った。

「その女消すって、あんた、馬鹿なの」

 彼は打ち杖を手の内で弄びながら、続けた。

「黒翁の目的は、彼女の持ってる剣だからね。此処にいれば、必ずまた会える。なのに、そいつ消すって、あんた考えなさすぎでしょ。あいつを、処分しなくちゃいけないのにさあ」

 不敵な笑みを浮かべる元雅くんに、僕は首を傾げた。隣で、猿彦はたづさんに突きつけていたヤスケを自分の方に引き寄せ、どん、とそれで床を叩いた。

〔黒翁を処分だと? てめぇ、分かってて言ってんだろーな〕

「何を? 彦兄」

〔あれは俺の〕

 薄ら笑いを浮かべる弟を見下ろしながら、

〔……俺の顔、持ってんだぞ〕

 しばらく、言いよどんで後、猿彦は吐き捨てた。

 ――――顔?

 確かに猿彦の顔は五年前に失われた。しかし、それを持っている、とは……?

〔お前は、俺の顔ごと消すつもりか〕

「執着するほど美顔だったの? 自惚れが過ぎるよ。しいちゃんみたいに可愛いならともかく」

〔そうじゃねーよ!!〕

 猿彦が苛立たしげに弟の胸ぐらを掴みあげる。

「あの! 僕、話が見えないんだけどっ」

〔ああ!?〕

 仲裁ついでに説明を求めれば、殺すぞ! と叫ばんばかりの勢いで、猿彦が振り返った。

「あれが何を持ってるっていうのよ。顔? 顔って何」

 身の危険に黙りこんだ僕に変わって、たづさんが訊いてくれる。猿彦はいらいらと身体を揺すり始めた。

〔だから言ってんだろ。俺の顔だよ〕

「……は?」

〔だああっ! 理解力ねぇ!!〕

 髪の中に手を突っ込み、がしがしと頭をかきむしる。やがて彼は元雅くんを解放すると、室の中央へと移動した。ヤスケで一度、ドンッと板敷を突いて、苛立たしさを追い払うと、猿面に手をかける。

〔だから奴が俺の顔を持ってんだよ!!〕

 そう言って、彼は面をむしり取った。

 現れた顔は、――――顔は。

「顔が、ない……?」

 たづさんが驚愕に目を見開く。

 露わになった顔は、一つとして凹凸がなくのっぺりとしていた。そこにあるべきもの……目だとか、口だとか、鼻や眉毛というもの全てが無い。まるで、妖怪絵巻に見られる〈のっぺらぼう〉のように。

 知ってはいたけれど、まさか、彼が他人の前で面を外すとは思っていなかったから、僕は少なからず驚いてしまった。

〔くそ!〕

 盛大に舌打ちをしてから、猿彦はたづさんに一歩近づいた。

〔いけすかねぇが、仕方ねぇ。……おい、女〕

「な、何よ」

 びくり、とたづさんが退く。

 猿彦は気まずそうに歩みを止めた。ついで〔面倒で〕、〔とてつもなく不本意だが〕と前置きすると、ヤスケだけを突き出す。

〔俺の顔がかかってる。だから話す〕

 ――あれが何なのか。

 そして何故、たづさんの剣が狙われたのか。

 と、言葉の途中で、ずずい、とたづさんが猿彦の顔を覗き込んだ。

〔な、何だよ〕

 思わず、一歩退き、彼は身体を仰け反らせた。

「魂よ」

〔は?〕

 唐突な答えに面食う。

 たづさんは好奇心が十分満たされたとでもいうように頷いてから、身体を起こした。

「あなたが知りたい、あたしの剣……あれはあたしの魂、力そのものなの。もう四百年も前の遺物だけどね」

 言って、彼女は胸元に右手を突っ込むと、光輝く剣を取り出して見せた。


     * * *

次回は11月28日(金)、七時に更新です。

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