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舞々花伝  作者: 一瀬詞貴
序ノ段
1/41

罪を抱く夜

 生者のため、亡者のため、あの世とこの世の狭間に生きる輩がある。

 彼らは(おもて)の下に自身を殺し、死者の魂にその身を委ねる。――すなわち《舞う》。


「面は『かぶる』ものじゃねぇ。『かける』もんだ」


 そう言って、命掛けで亡者と舞い狂う彼らは、あの世とこの世の架け橋。


 ――――人は彼らを『舞々(まいまい)』と呼んだ。



     * * *



 年明けを迎えた冬籠もりの最終日。

 質素な、明かり取りすらない暗い部屋で、一人の少年が舞っていた。

 ある秘された寺院の天井裏・時部屋。

 そこは舞台と見紛うほどの広さと高さを持っている。

 その室内の四隅で、燈火が頼りなく揺れ、板敷に映し出された少年の影が蠢いた。

 少年は新緑を思わせる狩衣に身を包み、顔には黒い翁の面をかけている。

 真っ直ぐな白い眉に、長い顎髯。額に流れる三本の皺に、左右の頬に刻まれたのは陰陽を示す渦……それは、穏やかな容貌の老人の面だった。

 への字の目元は細く、そこから覗く視界は心許ないだろう。しかし、少年は迷いもなく、拍子を踏み続ける。

 部屋の入口辺りでは、少年の父と兄、弟の三人が並んで座していた。彼らの舞手を見守る目は厳しい。

「最後だ、元次もとつぐ……」

 少年の父・観世三郎元清かんぜさぶろうもときよは苦しげに呟いた。

 ぴん、と張り詰める空間に、少年――観世五郎元次の手にする、ぶどうの房のような鈴がしゃらんと鳴く。

「これさえ舞い終え……奴を従える事ができれば、お前は晴れて皆に認められる存在となる」

 祓魔師、〈舞々〉一座を率いる者が修めなければならない儀式……そのために元次は十二歳という幼い身体に鞭を打ち、六十六もの舞を昨晩から丸一日舞い続けていた。

 今、最後の舞、《黒翁》が始まったのである。

 しゃらん、しゃら…………ん

 袖が振られるたびに、明かりが揺れる。

 暗闇に添う鈴の音、長い影が床に寝そべり舞い狂う。流れ落ちる玉の汗が床にぶつかり、跡をつける。と、

 ――――ぶわっ!

 一瞬、元次の影が膨張した。

 ついで、彼は目に見えぬ何者かに袖を引かれたようによろける。

 立ち上がりかけた長男――元重を、「ならん!!」と、父が手で制した。

 元次は一度、耐えるように足を踏ん張った。けれど足に力が入らずに、そのまま傾ぐ。

「元次!」

 元重の悲鳴に被さるようにして、どたんっ、と重い音がたった。同時に、父は険しい表情で腰を上げる。息子たちもそれに続いた。

 三人は一斉に腰に佩いていた面袋から面を取り出し顔にかけた。すると螢火のような淡い光に全身を包まれ、みるみる内に三人の衣服が変貌する。

 ――――憑依。

 すなわち使役する霊をその身に降霊させたのだ。それは陰陽師にとっての符であったり、僧侶にとっての経文であったりするような、舞々がこの世ならざる者と対峙した折に用いる、特殊な力である。

「いたしかたない。元重もとしげ元雅もとまさ。あやつごと黒翁を殺す」

 父が苦渋の声が呪を唱え始めれば、

「ぐ……あ、あ、あああああああっ!」

 憑依した何者かごと、元次が苦しみ出した。地に倒れた彼の唇から、耳を塞ぎたくなるようなうめき声が迸る。

 首を掻きむしり、板敷の上を転がる息子の姿に、父は爪が食い込むほど拳を握ったが、けれど呪を唱え続けた。

 しかし、その呪は別の呪によって断たれた。

「一空一切空無假無中而不空!」

 父の苦悶の表情が驚愕の色を帯びる。

「元重? お前、一体……」

 苦しむ次男を背に庇うようにして、長男が立ちはだかったのだ。

「退け! 元重!」

「いいえ、退きませんっ!!」

 長男は手にした太刀を構えると言った。

「…………私にとって、大切な弟です」

 祈るような、言い聞かせるような、切実な叫び。それに答えたのは三男――元雅だ。

「父上。重兄は僕が抑えます」

 そう言うやいなや、三男は武器である杖を振りかぶると、兄へ飛びかかった。

「儀式失敗は、即ち死。重兄、あんたならそんな事、百も承知のはずだろう」

「ええ、分かっていますとも。けれど元次は……殺させはしないっ!」

 まるで埃でも払うように弟を軽くいなし、長男は再び呪を唱え始めた父親へと直走った。

「愚か者が……ッ!」

 父と息子がぶつかり合う――正にその瞬間。

 儀式に倒れた元次の身体が緑色の炎に包まれた。

「なっ……――うああああああああ!」

 かと思うと、彼に背を向けていた元重にその炎が移り、彼もまた、絶叫した。

 室を切り裂く絶叫。

 長男は頭を抱えて狂ったように転げ回ると、面の下から血反吐を吐いた。やがてずるり、と力なく崩れ落ち、動かなくなる……

「まずい――――」

 父は元次に向き直ったが、一足遅かった。

 苦しみ悶える次男坊の全身から、立ち上る黒い影。やがて、元重の顔からみしりみしりと嫌な音がたつと、ついにバリッと彼の顔から翁の面が剥がれた。巨大な黒い塊が部屋全体に広がる。そして。

――きゃーはっはっはっは!

――きゃはははははっ!!

 突如甲高い少女の哄笑が響き渡ると、暴風が吹き荒れ、燈火が引きずられるようにして消された。

――自由ぞ。わらわは自由ぞぉ――っ!

 びりりと空気を振動させる圧力が、更に密度を増した瞬間――重い破壊音を轟かせ、黒い塊が天上を突き破った。

――あは、あは、あははははっ……

 その闇の道の上を、翁の面が宙を転げるように駆けてゆく。

「に、逃げた……黒翁が」

 父は呆然と穴から覗く重たげな冬の夜空を見上げた。ついで壁に凭れたまま動かない元重、そして、のっぺらぼうのように顔を失った元次を一瞥し、ぐ、と拳を握ると踵を返す。

「黒翁が逃げた! 奴は元次の顔をつけたままだ。そう遠くにはいけないはず……探すぞ!」

 室を出て、階下に声を張り上げてから、兄たちの惨状に立ち尽くす元雅を振り返る。

「何をしている、元雅。早く――――」

「兄さんはまだ生きています」

 元雅が、舞に失敗した兄をすっと指さすのに、「まさか」と、父は面を剥ぎ取り憑依を解くと、慌てて息子へと駆け寄った。

 元次は海から陸地に打ち上げられた魚のように、激しく痙攣を繰り返していたが……まだ、生きていた。生きようとしていた。

「も、元次……」

 父は沈痛な面持ちで、息子を見下ろし、その紙のように色を失った顔に触れる。

「父上」

 焦れたように、三男は問いを口にした。

「殺してやりますか。それとも―――?」

「…………助けて、やってくれ」

 父は、絞り出すようにそれだけ答えると、その場を三男に任せ黒翁を追った。

「分かりました」

 涼しげな表情で頷き、三男は兄に歩み寄ると、てきぱき処置を施していく。

 ……人形の如く、麗しい三男の面には何の感情も見られなかった。しかし、言動とは裏腹に兄に触れる手は冷えに冷え、震えていた。

 ――が、それに気付く者はこの場にはいない。

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