表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

染井吉野の場合

   染井吉野の場合  ――名前は偽名に決まっている。




 今日も私は生徒会室の前で、深呼吸していた。

 別に中に憧れの先輩がいるわけでもない、というか、そもそも私は三年だから後輩か同級生しかいない。しかし憧れの先輩、というのはなかなか甘美な響きだと思う。縁はないけど。

 中にいるのは、おそらく二人のホスト――ではなく、美形兄弟。その美貌と話術と耳打ちされたら腰が砕けそうになる声で、学校を思いのままに動かす悪の帝王のような二人だ。

 まぁ、別に悪い事はしていないけど。


「かいちょーでも、ふくかいちょーでもいいから、とっとと開けろー、おらぁー」


 がんがん、と扉を叩く。足で。両手に資料を抱えているので、扉を開けない。しばらくすると足音が近寄ってきて、扉が横にがらっと開いた。開けてくれたのは、弟の慧の方だった。

 午後になると眠くなるらしく、すでに目はとろんとしている。

「半分持とうか?」

「だいじょぶ」

 そんなに重くないし。抱えていた資料をどさっと机に置いた。会長は何か違う資料を読みふけっている。たぶん、私が来た事にすら気付いていないのだろう。いつもの事だけど。

 会長と副会長は同じ顔だ、まぁ双子だから。


 兄で会長の玲、弟で副会長の慧。


 髪型がちょこっとだけ違う事と声のトーンが違う以外、そっくりといってもいい。

 たぶん髪形を同じにしてしゃべらなかったら、生徒会役員で一番付き合いが長い私でさえ見分けられるか自信がない。……まぁ、そんないたずらをした暁にはボコボコにするけど。

 東雲、といったらこの辺りでは知らぬ者がいない名家だ。

 会社などいろいろ持っている大金持ちらしい。

 確かに二人から、そして二人の妹からは、その名に恥じない気品を感じる。

 やはり生まれながらにして人の上に立つ使命、というのはそれなりに大変なのだろう。

 玲がおかしいのは、きっとそのストレスのせいだ。かわいそうに。


「かいちょー、資料もってきたよー」

「……ん、ありがとう」

 読み途中の資料から視線を外し、答える玲。二人を見分ける一番手っ取り早い特徴はメガネの有無。中学の頃から急に視力が落ちたらしく、玲だけが授業や読書の時にメガネをかける。

 メガネの会長……なんてベタな。

「あれ何の資料?」

「あー……いつもの『アレ』だ」

「……」

 引きつった笑みを浮かべあう私と慧。彼が手にしているのは、世間一般で尾行と呼ばれるであろう行為の結果、得られた情報を書き留めた報告書というヤツだ。その対象は妹。

 東雲桜子、というかわいらしくいかにもお嬢様、な名前の二人の妹は、つややかで長い黒髪に薄く紅をさした色合いの唇に、小柄な外見が特徴だ。和服が似合う大和撫子というヤツだ。

 そんな妹の事が心配で、使用人に頼んで守ってもらっているらしい。

 ……病気だ。完全にアタマの方の病気だ。


 しかも末期だ。医者じゃないけどいいきっていい。


「今回はなにがあったんだろーね」

「自分に見合いの話が入ったからだろ。……何とかならんか、あの病気」

「身内にどうにもできない事、私にどうしろってのよ。……って、『自分に』見合い? 桜子ちゃんじゃなくて、玲に見合いの話? それで、あの状態になっちゃってるの?」

「よくわからん。結婚したら桜子に付きっ切りでいられない、って事じゃないか?」

 苦笑する慧。兄の奇行は慣れっこらしい。慣れちゃダメだと思うんだけど、私も私でこのぶっとんだ思考回路がもたらす騒動に慣れつつあるので、人の事は言えないのだった。


 ……あぁ、やっぱり病気だ。


 まぁ、見合いなんてただのきっかけなのだろうけど。

 どうせ新入生を気にしているだけだ。去年は彼女に下心を持って近寄る同級生を、どうやって排除するか。その作戦の全てに『強制参加』させられた悪夢は、今でも忘れてない。

 いつ自分の事がバレやしないか、ヒヤヒヤしていた。


 そう、私も彼女に下心を持って接近しているのだ。

 ……ちなみにいやらしい意味じゃない。


 ここに入学する少し前、私が中三だった頃。

 私が所属する組織に『それ』の情報が新たに舞い込んできた。

 伝説に何度も名を残しながらもまだ謎が多い『それ』。全財産を引き換えにしてもいいと公言する金持ちが少なくない中、私の組織は『それ』の謎解明を目的にしていた。

 数百年前に消息を絶った『それ』らしきモノを、東雲桜子が持っている。

 おそらく本人は気付いていない。本人どころか他の誰もが『それ』に気付いていない、今のうちに確保しなければ。そういうわけで一番年齢が近く、彼女の兄と同年代だった私がこうして傍にいるのだ。私自身の役割は『それ』の確保というよりも、邪魔者の排除だが。


 伝説の『それ』を手に入れたがっているのは、何もうちの組織だけじゃない。

 たとえば今年入学してきた異世界出身の天椎姉妹は、『それ』を探しにこの世界へやってきたと公言しているし。場合によっては玲でさえ、私が排除すべき対象だろう。

 ある意味では彼が一番の障害になるのかもしれない。

 こうして傍にいる事さえ、奇跡のようなものだ。


 私の名前、染井吉野とはもちろん偽名。本名は……秘密という事にする。

 植物っぽい名前なのは本名も一緒だ。

 桜にちなんだ名前同士、お近づきになれると思った私の浅知恵だった。

 今でこそ笑い話になるけれど、当時はいろいろ大変だった。

 主に玲の攻略が、接近する上で最大の壁だった。

 出身中学の違いと学年の違い、これをどう攻略するかを必死に考えた春休み。

 実際は彼女の兄がぶっとびすぎて、どうしようか考えすぎて寝込みかけた。完全にアレは病気だと思う。妹を嫁にやる気があるのだろうか……まさか、自分が嫁にもらうというオチ?

「あんまりやりすぎると、桜子ちゃんに『後輩』できなくなりそー」

「さすがにそこまでは……俺も止めるから、大丈夫だと思うけど」

 二人でため息を零せるうちは、まぁ大丈夫だと思う。

 ただ、真剣な目で資料を見つめるそこのシスコンメガネ会長は、どういう方向性で暴走するかわからないからね。これからも『染井吉野』として、しっかり見張っておかないと。


「……んー、病気だねー」

「ん? あぁ、そうだな」


 玲の事を言われたと判断する慧。まぁ、確かに玲はどこから見ても病気だけど。玲と同じくらいかそれ以上にヤバい病気なのは、実は私の方なんじゃないかと思ったりしている。

 卒業する頃には本名を忘れている気さえするほど、私は『染井吉野』に染まっていた。名前以外は何も変わっていないつもりなのに、本当の私と『染井吉野』が違う人間みたいだった。


 イヤなズレを抱えたまま、私の時間が流れていく。

 しかしそればかり気にしてる場合じゃない。


 生徒会の副会長というのは、二人もいるのに意外とやる事が多くて忙しい。

 たぶん、会長が現在進行形で発作を起こしていて、四六時中妹の事ばかり気にしてて使い物にならないからだ。こっちとしちゃー、いい迷惑である。


 昼休みにも資料を運び、先生からはしょっちゅう呼び止められて。放課後になったら集まらない役員を、会長の名の下に携帯で脅は――ではなく呼び出す。なんかおかしい日々だ。

 今日も激務を終えて、私はぐったりと机につっぷす。

 私と一緒に走り回った慧も同様だ。他の役員はそれぞれ担当の作業に旅立っている。私達の役目は主に役員を呼び出す事と玲の代わりに指揮を取る事で、これからしばし休息タイム。

 一人険しい顔で資料を読み漁っている玲が、いつもよりずっと恨めしくなる。読んでいる資料が妹に関するヤツだから余計に。一発殴っても文句は言われないと思う……殴りたい。


 あぁ、ここに角材とか鉄パイプがないのが辛いな。素手で殴るのは痛いし面倒だし、何か握りやすそうで振りやすそうな道具でぼっこぼこにしたい。……思うだけなら罪じゃないよね。

「……ふぅ、今日は二人ともご苦労だった」

「そう思うなら仕事しろ」

「しろー」

「ちゃんと仕事はしているぞ?」

 どこがだよ、と慧と声を合わせて叫ぶ。今日一日、ずーっと妹に関する資料しか読んでない事に気付いてないとでも思ったか。

 あぁもう椅子でいい。

 椅子で殴る、ぼっこぼこにする。

「染井、それはちょっとマズい……」

 椅子をがっと掴んだら、さすがに慧に止められた。


 ……ちっ。


「とりあえず仕事してよ、かいちょー。二月にやった会長選挙の時、僅差で慧に負けたの忘れちゃダメだよ。いざとなったら変わりはすぐそこにいるんだから。ねー?」

「いや、俺は本気で別に出たかったわけじゃないし……」

「変わりも何も、そもそも俺は仕事もちゃんとしているんだが……」

「ぶん殴るぞお前ら」

 そろそろブチ切れる数秒前かもしれない。

 今度、椅子を掴んだら、誰かの制止など聞き入れずブン投げる自信がある。


 ……もう投げちゃっていいかなぁ。何かもう全部ぶちまけたくなる。


 というか、いろいろイヤになってきたのかもしれない。

 本当の名前で呼ばれない事も、それに慣れた事も――みんなにウソをついてる事も。

 同じクラスの友達に恋愛しないのか、とか言われるけど、本当の名前も言えない相手と恋愛なんて失礼にもほどがある。だから全部終わるまで恋愛なんてしないって、私は決めている。

 組織のおねーさんには、それは辛いだけと言われるけど、ある種のけじめだから。ウソをついている自分への罰だと思えば楽なもの。……まぁ、そばにいられるから、別にいいよね。

 ズレを感じて、それでも私は今日も『染井吉野』を演じている。



 だって『染井吉野』じゃないと、ここにいられないから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ