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第6話:雪のティルナ

   6:雪のティルナ


 ティルナでは、昨夜半から雪が降っている。

 聖都と呼ばれるこの古の都は、レーゲスタ大陸内陸部の、沙漠(シャルマ)と呼ばれる乾燥地帯のほぼ中央にあり、雨量は一年を通して極めて少ないのだが、冬季に入ると時折、さらさらとした雪が黄沙の大地に薄化粧をする。


「まだ、暗いな――」


 冬季の夜明けは遅い。

 室内は、燈心草の柔らかな黄光で所々を照らしてあるが、夜明け前の、明も暗も判然としない狭間の時間、ごく普通の人間の眼に映る窓外の景色は、輪郭が曖昧な、無彩色の切り絵の様な眺めである。

 しかし、窓の外へ手を伸ばし雪景色を眺め楽しんでいるこの青年――ユリエールは、漆黒の闇中でも全てを見透すと云われる稀少なオスティルの瞳の持ち主である。 光の多い少ないに関わらず、その瞳は石粒の微細な色までもを鮮明に見取っていた。

 幅のある窓枠に片肘をつき、誰の目を憚る必要もないのを良いことに大欠伸をした。 吐き出される息は、ティルナの大地を覆う雪のように白い。

 ティルナ国王であると同時に、ティルナ大神殿(精霊王殿)の大神官でもあるユリエールの居室は、王城の最上階である三階東端にあり、ティルナの市街地はもとより、その先に広がる沙漠をも一望出来る見晴らしの良い位置にあった。


 大陸最古の国――聖都ティルナ。

 沙漠のただ中にある、さして広くはない国土を取り囲む、(そび)える様に高く重厚な灰褐色の城壁が、独特の厳粛な空気を生みだしている。

 神エランが、天から最初に降り立ったとされる〈原初の地〉に建てられたティルナ大神殿を護ることを第一義として誕生した宗教都市で、国とはいっても、面積だけを比較してみれば、何れの央都(おうと)よりも小さい。 国は小さいが、大陸各地に在る大小の神殿の総本山であり、エランを信仰する人々にとっては精神的中心地である。

 ティルナ建国の祖とされる、初代ラウル=ティルナスの後裔が代々国主を務め、ユリエールはその六十四代目となる。


 ティルナの人口は一千人程。 国民は、神殿に仕える聖職者、神殿の絵画や彫刻、儀式に用いる神具等の作製を専門にする職人、大陸各地から集まった学者、そしてティルナを最大の拠点とする〈方円の騎士団〉の騎士・剣士達が主で、他の都市のように一般的な商いで生計を立てている民はほとんどいない。

 市街地の一角に、他都市からやって来た商人や巡礼団、短期間ティルナで学ぶため訪れた学者達が寝泊まりする旅籠(はたご)と飲食店が並ぶ通りはあるが、そこも他都市の賑わいに比べれば格段に大人しい。 酒を中心に提供する店もあるにはあるが、度を越して酒を飲む者も少ないため、酒場では付き物の喧嘩じみた騒ぎも滅多に起こらない。 ごくたまに、騒ぎを起こす者がいたとしても、報せを受けた騎士団の剣士が素早く睨みに来るので、店の皿が一、二枚割れる程度で収まってしまう。


 旅籠街や職人街を通り抜け、緩い坂をしばらく上っていくと、国土を囲む城壁の半分程の高さの第二の城壁に行き当たる。

 その内側には、精霊王殿を中心に、五つの副神殿、三つの学舎、蔵書館、宝物庫、舞楽殿、そして王城があり、通行証を与えられた限られた者のみがこの第二の壁の内へ入ることを許される。

 城と精霊王殿は三本の長い渡し廊下でつながれており、精霊王殿の大神官であるティルナ王は、早晨・上午・下午・晩上・夜半の五回、大神殿の最奥にある奥殿へ参り、祈りを捧げることが日課とされている。

 本来ならば、〈精霊王〉の声を聴く巫子の長〈斎王〉が、共に祈りを捧げるのがしきたりであるが、この十数年、〈斎王〉は適任者がおらず不在であるため、現在、礼拝は王一人で行っている。

 ユリエールは今、夜明け前に行う早晨の祈りを終え、束の間の休息を取っているところだった。


「まったく、朝っぱらから肩が凝って仕方がない」


 世話係の女官長がいないことを幸いに、「私室くらいは寛いで」という自身の流儀を押し通し、ユリエールは重い神官服を脱ぎ捨て、肌着である薄衣一枚を腰紐で軽く押さえただけの、およそ品があるとは言い難い姿で猫のような伸びをした。

 室内は暖房が効いていて暖かいが、開け放たれた窓辺は肌が切れるように寒い。 にもかかわらず、ユリエールは窓から身を乗り出し、心地よさ気に、未だ(くら)い遠い地平を眺めている。

 長い黒髪を、背で緩く編み垂らした横顔は少女の様で、長い睫毛の下に輝く金の瞳は明星のように明るい。 はだけた胸部が平らでなければ、会った者の十人が十人、ユリエールを少女だと判断するだろう。 もっとも、その部分も、単に未成熟で細い身体つきなのだと思ってしまえば、意味を持たないのだが。


「そういえば、棍は目的の主に渡ったのか?」


「昨日、地の長ナハ=ラスクスより渡されたようです」


 窓辺に近い小卓で、湯気が立ち上る茶を淹れながら、ユリエールの側近であるラースは答えた。 黒詰襟の制服をぴしりと着こなし、黒髪を後方へ撫でつけた男の姿を横目で見ながら、ユリエールは素直な笑顔を浮かべた。


「しかし、無茶を言うと思わないか?」


「何がでございますか?」


「〝意味のある〟護符の作製には、それ相応の準備と時間が必要だろう?」


「そうでございますね」


「あれ程のものになれば、力ある術者を数人揃えても、普通、半年は軽くかかるだろう?」


「そう、でございますね」


「それを、だ。 それをたった半月足らずで作り、しかも送り届けろと、たった三行の手紙で言い寄越してくるなんて、あいつ、私を王として微塵も敬ってないな」


 言葉とは裏腹に、(たの)しげに言いたてている主人の姿を、ラースは不躾と思えるほどしげしげと見た。


「視覚による情報が、対象となる存在の本質を余さず表しているとは思いませんが、その対象を評価する際の心象には、少なからず影響を与えましょう」


「――つまり?」


「現在の貴方のお姿と〝敬う〟という言葉を結びつけるのは、我が主であるという身贔屓(みびいき)を考慮に入れましても、無理というものでございます」


 ユリエールは、自分の着衣の乱れをちらと見てくすりと笑うと、頬杖をついてラースへ視線を戻した。


「仮にも、王に対して無礼だな」


「事実を曲げても仕方がありますまい」


「〝()びる〟〝(おもね)る〟〝(へつら)う〟という言葉が世の中にはあるぞ?」


「詮無いことはしたくありませぬので」


 ラースは茶に糖蜜を数滴たらし仕上げにかかった。 とろりとした滴が落ちるのを見ながら、ユリエールは満足そうに微笑む。


「例え、少々居住まいを正したところで、ラスターの奴が私を敬うなど、あるはずのないことだしな。 しかしだからといって、知った仲にも礼は必要だろう? 普段、ろくすっぽ顔も見せず、たまに手紙を寄越したと思えば、用件だけを一方的に書いているだけ。 〝宜しく頼む〟の一言くらい添えても良かろうに」


「それはそうですが、アラスターの性分は貴方も十二分に理解されておられましょう」


「歳月を数えきれぬ程の付き合いだからな」


「そも此度の棍の件、アラスターは〝精霊王殿の神官〟に依頼したのであって、貴方、に請うたわけではないと思われますが?」


 銀の持ち手が付いた硝子杯に注がれた、紅い、ほんの少し甘い香りのする茶を運んで来たラースへ、ユリエールは悪戯好きの子供の様な眼差しを向ける。


「私以外に誰が、数日程度であれ程の護符を作れる? 作り手を指定しなくとも、言外に、私に依頼したようなものだろう?」


「アラスターの書状を目にした途端、何者の目にも触れさせず、何者へも、何の命も下されされなかったのですから、その判断は付けかねます。 むしろ私の目には、ユーリ、貴方が率先して行動しておられたように映りました。 しかも、かなり嬉々としておられた様子」


 二人だけの時、ラースはユリエールを〝ユーリ〟と呼ぶ。 ユリエールの望みであり、古くからユリエールを知る、数限られた友人だからこその親しみがこもっている。

 ユリエールが床に散らかした書物や資料を片付けながら、ラースは小さくため息を吐いた。 大切な書状も落書きも、何でもがごっちゃになって散らばっている。 「少しは整理を」と注意するだけ虚しいことは承知しているので、ただ無言で仕分けをし片付ける。

 そんなラースの心情など気にも留めず、ユリエールは温かな茶の紅を眺めながら、屈託のない笑みを浮かべる。


「やはりお前にはそう映ったか?」 


何人(なんびと)が見ても同じ感想を抱きましたでしょう」


 ユリエールは悪戯が成功した子供のように快活に笑った。


「だって、滅多なことでは頼みごとをしないラスターの奴が、婉曲的にでも頼みごとをしてくるなんて楽しいじゃないか。 しかも、その目的がカラのためだとしたら、やり甲斐も倍になるといったものだ」


「公務に対しても、同様の関心を払って頂きたいものです」


「最低限やるべきことはやっているだろう?」


 しらりと言いのけて一口茶を飲むと、ユリエールは視線を窓の外へ移した。


「本心を言えば、あんな棍を作って送るより、私自身が行って手を貸してやりたいくらいだけれど、そんなことをしたらラース、お前は怒るだろう?」


「職責上、お止めいたしますね」


 床上の書状類を集め終えたラースは、ユリエールへ横長の文箱に入った十通ほどの書状を差し出した。 各書状は、赤や青や茶の蝋で封がされている。

 蝋の上に押された其々の印の紋様を見て、ユリエールは隠しもせず嘆息する。


「あまり読みたいものではなさそうだ」


「〝最低限やるべきことはやっている〟のでございましょう?」


「愚痴ぐらい言わせろ」


 書状の数と封印の紋を確認して、改めて大きなため息を吐くと、ユリエールはそれまで以上にゆっくりと伸びをし、天に向かって大きく息を吐いた。


「ここ最近、城内に籠もりきりで身体が鈍り気味だから、ちょっと遠乗りでもして気分転換をしてから目を通す――ではだめか?」


「遠乗りとは、何処までお出かけのご予定で?」


「キソス辺りとか」


「最短で、往復一カ月はかかる行程を、〝ちょっと〟とはいいますまい」


「普通の馬ならそうだが、エアルースならば一週間もかからんだろう? あれをキソスから呼び戻すのに三日といったところだから、十日といったところだ」


 くすくす笑いながら、ユリエールは本気とも冗談とも付かない言葉を口にした。 

 眉間に皺を刻みつつ、ラースはユリエールの乱れた衣を整え始めた。


「エアルースは現在傷の治療中と聞いております」


「ならばついでにその傷を治してやろう」


「何処に障りがなくとも、あれも老いております。 もうかつてのようには走れますまい」


 ラースの世話を自然に受けながら、ユリエールはすっと眼を細める。


「ならば、いっそ新しいものを――」


 ぴたと、ラースの手の動きが止まる。

 束の間、険しい青の瞳で主の金の瞳を見据えると、すっと視線を手元へ戻し、手際良く緩んでいた腰紐を締め直した。 それら一連の動作を見ながら、ユリエールは苦笑に近い笑いを漏らした。


「――冗談だ」


 くすくす笑い続けるユリエールへ、ラースははっきりとため息を吐いてみせた。 


「そも、王は城壁の外へは出てはならない――と言いたいのだろう? 心配するな、それくらいは覚えているし、守るさ、掟が変わるまでは」


「貴方の冗談を、本心と誤解したがる者は少なくないのです。 お言葉には、いま少し慎みを持って頂きたい」


 主の衣を整え終えたラースは、ユリエールの前へ再び書状を差し出した。 ユリエールも観念したように、二通の書状を手に取った。


「北のシェザに南のローハ。 この数年、何も言って寄越さぬようになっていた古の民の末裔達が書状――ねえ」


 〈(いにしえ)の民〉という、古い血の一族がいる。

 エランが最初に作った十二人の人間を祖とする十二の氏族の総称で、ティルナ王家はその中心にある。

 人類の中で最もエランに近い存在とされ、過去から現在に至るまで、その血筋に連なる者は〈貴人〉として、崇敬の対象となることが少なく無い。 その最も象徴的な例がティルナ王である。


「北と南のは幾つになったのだっけ?」


「百二十六歳と百六十五歳におなりです」


「歳をとったな」


「王陛下におかれては、ご自身がお幾つになられたか覚えておいでか?」


「そんなこと覚えているわけ無かろう」


 ラースの問いに、ユリエールはあっけらかんと答えた。 ラースは軽くため息を吐いて眉間を押さえた。


「三百六十八歳におなりです」


「おうや、そうだっけ?」


 個人差はあるが、古の民は概して身体的成長がとても遅く、それ故か、普通の人間よりもはるかに長命で、百歳を超えて生きる者も珍しくは無かった。 

 一族には、薬や道具を用いず傷や病を癒す〈治癒〉、未来を透かし視る〈先見(さきみ)〉、過去の出来事を現在のことのように視る〈過見(すぎみ)〉といった、特異能力を持つ能力者が少なからず現れた。 ユリエールは、大陸一と謳われる〈治癒〉と〈過見〉の能力者である。

 これら古の民に多く見られる特性は、直系に近いほど顕著であり、故に、血筋は非常に重く見られていた。

 しかし、古の民にはある宿痾(しゅくあ)がある。

 子供が生まれ難い。

 しかも皮肉なことに、直系に近い血筋ほどより生まれ難い傾向にあった。 結果、時代の変遷の中で、十一の氏族から直系の血は失われ、ティルナ王家――ユリエールが唯一残る直系の子孫となっていた。


「古の民に加え、東西南北の大神殿までもが同時に書状を寄越すとは、なんとも、嫌な感じだな……」


「何事についての便りかは、大凡お察しでございましょう」


 ラースの言葉に、ユリエールは露骨に不機嫌な顔をすると、ふいと顔を横へ向けた。


「また〝妃を(めと)れ〟のどうのと言って寄越したのだろう」


「恐らくは」


「諦めの悪いことだ」


「それに関わりまして、貴方にとって更に頭の痛いことが二点ございます」


「――はん?」


 ユリエールは金の眼を細めるようにしてラースを見た。


「まず一点は、年明けの〈大祭〉にも関わることでございます」 


「大祭に関わる? 妃選びと大祭に何の関わりがある?」


「来期、〈斎王〉の候補者である〈器の巫子〉を、東のキトナ大神殿が立てることになったことはお聞き及びでしょうか?」


「いや。 来期は南の青樹白大神殿の順ではなかったか?」


「その通りでございますが、南に〈斎王〉となるに相応しい適格者が見出せずにいたところが、東には複数名いるということで、順を変えたとのことにございます」


「適う者がおらぬなら、〈斎王〉は不在、それで構わぬではないか。 現にこの十数年、〈斎王〉抜きで神事は問題なく行ってきた」


「十数年、〈斎王〉が不在であるという事実が、大神殿にとっては問題なのです」


「神官達の言か」


「〈斎王〉はエランの言葉を聴き、世に伝える預言者。 貴方にはもちろん、エランの言葉は聴くことが出来るでしょうが、大神殿創建の時代から、神の言葉を伝えるのは〈斎王〉の務めと認識されているのです。 神と人間を繋ぐ存在がいつまでも不在ということは、一部の者達の不安を掻き立てます」


「気にせぬ者とて少なくはなかろう?」


「気にする者の声の方が大きいものです」


 括った髪を弄りながら、ユリエールは少し憮然としてラースに言葉の続きを促した。


「〈斎王〉は、大神官と共に神殿の神事を司る中心にある者です。 古から伝わる神事を受け継ぎ、後世へ伝えて行くという観点からしても、この者の不在が長期にわたることは好ましくない、と考える者も少なくはありませぬ」


「だが、〈器の巫子〉に選ばれた者が即ち〈斎王〉になれるわけではない」


 〈器の巫子〉はあくまで〈斎王〉の候補者というだけで、特例はあるが、精霊王殿で行われる最終選考に通過しなければ出身地へ戻される。 〈器の巫子〉の能力を審査するのは、精霊王殿の神官十二人及び古の民の長老十一人だが、〈斎王〉の任免権を持つのは、精霊王殿の大神官であるティルナ王ただ一人である。


「此度の候補の者は、資質の面ではまず問題ありますまい」


「何故言い切れる?」


「東が第一の候補として立てる者は、〈鏡の巫子〉の娘であると、神官達の間ではもっぱらの噂でございます」


「〈鏡の巫子〉――?」


 ユリエールは、髪の毛の先で自分の頬を撫でながら、記憶を手繰るように視線を遠方へ向けた。


「ああ、アイルーナのことか。 これは懐かしいな。 あの騎士との間に娘が生まれたとは聞いていたが、幾つになる? 名は何と言ったか?」


「名はアルフィナと申し、この冬で十二になります」


「〈歓びの光(アルフィナ)〉か――。 アイルの子らしい名だな」


 先の〈斎王〉であるアイルーナは、歴代最高の能力者として知らぬ者はなかった。

 〝大神殿の宝〟とまで讃えられた彼女を、一期八年の任期を終えるや、〈斎王〉の任を解き、騎士であったレセル=ホーンへ嫁がせたのは、誰あろうユリエールである。 アイルーナの退任後、〈斎王〉を務められるだけの適格者が何処にも見出せず、現在に至るまで空席が続いている次第である。


「母親似なのか?」


「あれ程の能力者ではないようですが」


 ユリエールは、ふうっとため息を吐いて頭を掻いた。


「目を付けられるわけだ」 


「アルフィナの話には続きがございます」 


 眉間を僅かに寄せながら、ユリエールは一口茶を含んだ。


「西と東の大神殿は、アルフィナを〈斎王〉としてよりも、ゆくゆくはユーリ、貴方の妃にと考えているようです」


 飲みかけた茶で咽たユリエールは、呼吸を整えるのに少しの時間を要した。


「ティルナ王家には、古の民からしか伴侶は入れぬのではなかったか?」


「それはあくまで慣例であり、絶対的な掟ではございません」


「それはそうだが」


「アルフィナは〝エランの生まれ変わり〟とまで言われた、あのアイルーナの娘。 古の民でなくとも、その能力は一族の何れの能力者をも凌いだ、誰もが一目を置いた者です」


「だが――」


「何より、貴方が唯一〝妃に迎えても良い〟と口にした者の娘です。 お忘れではありますまい?」


 ユリエールは面食らった様子で口にしかけた言葉を呑み込むと、軽くラースを睨んだ後、肩を竦めて、お手上げ、といった素振りをしてみせた。


「あれは失言だったと反省している。 あの頃は、神官から学者達までが昼夜を問わず押しかけて来ては、とにかく一日も早く〝妃を迎えろ〟の大合唱で、あまりに煩いものだから、つい、アイルのような娘がいたら迎えてもよいと、例え話をしただけのつもりだったんだが――」


「軽率としか言えませぬな」


 抑揚なく言い放つラースを改めて憎らしげに睨むと、ユリエールは頭を掻きながらうなだれた。


「神事第一の精霊王殿の者達が、よもや〈斎王〉という神事の要に在る巫子を引かせてまで、私と妻合(めあ)わせようとするなぞ、思いもしなかったからな――……」


 言いかけて、ユリエールはふっと眉根に皺を刻みラースの顔を見た。


「ラース。 もう一点の話とは――」


「北方エルキアのシェザ様の甥御に、(ひめ)が生まれたとのことです」


 シェザは、北方エルキアに居を構える古の民の総領の名である。

 ユリエールは金の瞳を大きく見開き、そして大仰に肩を落とした。


「とうとう生まれたかあ。 ここ数十年、どの氏族にも女は生まれてなかったから、安心していたのだが……」


「生まれる可能性は十分に考えられたことです」


「私は〈過去〉は視えても、〈未来〉を視ることはできぬからなぁ――……」


 青の封蝋がしてある書状を開くと、ユリエールはさっと目を通し、改めてがくりとうなだれた。


「――忘れてないわけだ、あの時の言葉」


 十八年前。

 ユリエールが、「アイルーナの様な者ならば妃に迎えても良い」と口を滑らせた後、各大神殿の神官と古の民の総領達は、アイルーナをユリエールの妃にするべく動き始めた。

 ユリエールがいかに遅老長生の体質であったとしても、後継者を残さねば、保たれて来たティルナの血筋は途絶えてしまう。 子を成すには伴侶がいなくては話にならないが、肝心のユリエールが、妃を迎えようという意思を持たず、そう言った話に聞く耳を持たなかった。

 即位した九十歳時の外観年齢が十歳程度と、非常に幼く見えたこともあり、即位当時は、周囲も妃を迎えることを強くは勧めなかったが、在位が百年を過ぎる頃になると、王妃の座の空席は、関係者の憂いの種となっていた。 故に、相手が例え〈斎王〉であれ、ユリエールが初めて漏らした前向きとも解釈が出来る失言は、憂う者達にとって救いの言葉に聞こえたのである。

 彼らの行動は迅速だった。

 アイルーナの後を継ぐ、新〈斎王〉選定の布告を各大神殿に通達する一方で、神殿の生活しか知らないアイルーナには、女人としてのたしなみと同時に王妃教育が始められた。

 この動きに戸惑ったのは、当事者であるユリエールとアイルーナである。

 ユリエールは、確かにアイルーナを可愛がってはいたが、その感情は恋愛のそれではなく、家族に抱く様なものであった。 王妃の選定に、恋愛感情の有無は重要ではなかったが、「エランを映したかのような姿と能力」を持つアイルーナは、いつの間にか、王に最良の配偶者として認識されるようになっていた。

 ユリエールは元よりアイルーナを妃に迎える気などない。 かといって、己の失言がこの騒動の引き金であり、そもそも、いつまでも妃の座が空いていることが問題の発端であることは重重に承知していた。

 これ以上、有耶無耶に問題を先送りすることは出来ない。 周囲を納得させるには、何かしらのけじめを付けざるを得ない状況に追い込まれた。 ついに、ユリエールは言わざるを得なかった。

――これまでの慣例に従い、本日これより先、一番始めに生まれた古の民の血を引く女を、我が妃として迎える――と。

 その運命の女が、ついに生まれたのである。


「アイルーナを巻きこまぬ為とは言え、御自身が、その口で公言なされたことです。 北と南の大神殿は、貴方のお言葉もあることですから、シェザ様の媛を、ユリエール、貴方の妃にと考えておるようです」


 ラースの言葉を阻むように大きなため息を吐くと、ユリエールは視線を窓の外へと移した。


「妃――ねぇ」


「本来ならユーリ、貴方が即位する時に正妃を迎えていておかしくはなかったのです。 それを本日まで引き延ばせたのは、相応の女人が居なかったこともありますが、貴方の体質に()るところが大きかったのです。 しかし、それを理由に拒み続けるにも限界がございましょう」


 表情を変えず、淡々と語るラースの言葉を聞きながら、ユリエールは何とも言えない沈鬱な表情を見せた。


「私が妃を迎えれば、それで安心するのかね、あれらの者達は」


「貴方がティルナの王である以上、後継者を残し育てることは、王として重要なお役目でございましょう」


「妃を迎えたからと言って、世継ぎが生まれる保証はないだろう?」


「その通りです。 お妃を迎えられたところで、彼等の望む結果が出ねば、似た様な問答は繰り返されましょう」


 ラースの言葉を聞き、ユリエールは再び深いため息を吐いた。


「この血を絶やさないことが、そんなに大事なのかね」


「その血を残すことこそが、貴方の務めと思っておる者も少なくはありますまい」


 さらりと言い放たれたラースの言葉に、ユリエールはくすりと笑った。


「人、ではなく〈血〉を――ね」


 窓の外に降る雪を手で受けながら、ユリエールは薄い笑みを浮かべた。

 沙漠の地平には遅い太陽が、清らかな金の光を左右に大きく広げ始めていた。


     *


 棍の訓練は、予想以上に激しく、厳しいものだった。


 元騎士だったというレセルは、その少し前まで意識もなかったとは思えないような気迫でカラを指導した。

 時間がないということで、最初から実践だった。

 型を教わるでもなく、鞘に納めたままの剣を手に立つレセルへ、カラが打ちかかる。

 訓練の達成目標は室外へ逃れること。

 レセルを打ち倒すか、単にレセルの攻撃をかわし逃れ出ても構わない。 室外へ出るための扉はレセルの立つ先にある。

 旧宝物庫の地下通路とほぼ同じ造りの地下室は、剣や棍を振りまわせる程度の高さはあるが、動き方を少し間違えれば、自分の操る武器が壁に当り動きを止めてしまう。

 レセルをすり抜け扉へ向かうにも、相当巧く機会を見計らわなくては、簡単に捉えられてしまう。

 幾度繰り返しても、カラの攻撃はレセルに軽くかわされ、レセルの剣の柄や鞘で打たれ、幾度も転んでは腰や背を床や壁に打ちつけた。

 無論、加減はしてくれているのだろう。

 ラスターよりも身体の大きい、鍛えられ引き締まった見るからに頑強そうなレセルの力は強く、重い。 そんな彼が本気で打てば、この程度の痛みでは済まないだろう。 実際は、打たれる時の音の割に、痛みは少なく目立つ程大きな痣もできない。

 しかし、悔しかった。

 どんなに考えて打ちかかっても、レセルの軽い一振りで払い飛ばされるか、棍を剣で巻き取られ弾き飛ばされる。 打ちこむことは諦め、隙を見つけて扉へとすり抜けたつもりでも、すぐに襟首を掴まれ投げ飛ばされ、元へ戻されてしまう。 腕力に訴えて、レセルの身体を投げ飛ばす手も考えたが、カラの怪力を知るレセルは、カラに身体を触れさせるような隙を与えはしない。


「――っしょう……」


 口がカラカラで、声はちゃんとした言葉にならない。

 唇を噛んで、目の前に立つレセルを睨みあげた。 激しい動きの連続で頭がぼうっとし、気を入れていないと目が霞みよろけてしまう。 喉は干からびて張り付きそうだ。 

 近くの壁面の、突き出た岩の上にナジャは座り、高みの見物をしている。 たまに火の粉の混じった鼻息を噴き出しながら、しししと、カラの動きの無駄を指摘しては笑っている。


『お前のようなチビが、そも敵う相手ではないわ。 無駄な体力使う前に、参りましたと降参するのが利巧と言うものよ』


 肩を上下させ、息を整えるのに精一杯のカラの神経を逆なでするのが余程楽しいらしく、ナジャは絶えずこんな調子で話しかけてくる。


「――るさい、うるさいうるさいっ。 誰が降参なんかするもんかっ」


 一瞬たりとも視線をレセルから離さず、カラは弾む息を抑え、レセルの動きを見ていた。

 しかし。

 はっと気付いた時にはレセルの剣先がカラの顔横すれすれを突いて来、それを避けようとして態勢を崩した途端、足元を足ですくわれた。

 何の防御をする暇もなく、カラは背中から床に倒れ落ちた。 間髪いれず、顎下に太い柄が押し付けられる。


「ここを出られんようであれば、到底お前の望む場所には行けん」


 腹に響くレセルの低音が、顔の上に降ってくる。 軽くだが、くっと喉を押さえられた。 呼吸が上手く出来ず苦しくて思わず呻いた。 意識が遠のきかける中、夢中で自分の棍をレセルの脇腹に叩きこんだ。 だが、レセルは見た目の大きさに見合わない身軽さでカラの棍をかわすと、少し離れた場所に立ち、余裕の姿勢でカラが起き上がるのを待った。

 ゼイゼイ言いながら、カラは棍を杖代わりによろめき立つ。


「――くしょう、ちくしょうっ」


 叫んでも仕方なく、体力を無駄に消耗するだけだと感じても、叫ばずにはいられなかった。

 カラの叫びなど聞こえぬかのように、レセルは無表情に剣先をカラへ向けた。


「俺だけでなく、俺を含めた周囲全てを見ろ。 俺に打ち込むことだけに固執していれば、お前は直に死ぬ」


 レセルの剣が、スッと下がった。


挿絵(By みてみん)

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