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第5話:再始動へ

   5:再始動へ


 深夜、カラはアルフィナの部屋を訪れた。

 凍えた空気が廊下を満たしていたが、扉の内はほんわりと暖かく、中に入ると少しほっと出来た。

 戸外は漆の様な濃い闇に包まれている。

 室内も、小さなランプが小卓に置かれているだけで、薄暗い。

 そっと、アルフィナの枕元に近付くと、アルが間違いなく息をしていることを確かめる。 小さな寝息が聞こえると、カラはほっと息を吐いた。

 白銀の長い髪は、左右でゆるく編まれている。

 この白い姿を見慣れはしたものの、カラの頭の中のアルは、黒髪の、表情をよく変える溌剌(はつらつ)としたものだ。


「アル――」


 聞こえるか聞こえないかの小さな声で、名を呼んでみる。


 夕食時のことだった。

 イリスより、夕鐘の鳴った少し後にアルが目を覚ましたと聞かされた。 目覚めてすぐは、多少記憶の混乱があったものの、しばらくすると、落ち着いた会話が出来るようになった、と。

 自由に動けるようになるには、まだ少し時間が要るだろうが、もう心配はないだろうと伝えられ、食後に一緒に会いに行くか、と尋ねられた。

 だが、カラはその誘いを断った。

 寝込む前の、地下でのアルの視線が忘れられなかった。 得体の知れない化物を見るような、怖れを含んだ眼差し。

 キソスに来るまで何度も、そのような視線に曝されてきた。 すっかり慣れたはずの視線だったのに、アルから同じものを向けられた時に感じた痛みは、自分でも理解できない、ひどく辛いものだった。

 また、あの目で見られるのが怖い。

 イリスと一緒にいれば、アルも地下でのように怯えることはないだろうと思う。 それでも、アルの黒の瞳に、あの揺らめきが再び浮かぶかもしれないと思うと、目覚めているアルとの対面を躊躇せずにはいられなかった。

 夜もすっかり更けたこの時間、イリスも既に眠りについている。 もし見つかったところで、見舞いに来たこと自体を咎められることはないだろう。

 だが、やましさが心から離れない。


『面倒なガキよなあ。 誘われた時には断っておきながら、こんな時刻に夜陰に紛れ見舞いなぞ、夜這いでもあるまいに』


 カラの肩で、大欠伸をしながらナジャがぼやく。 ぼやきながら、いつものように硬い尻尾でカラの背中を叩き続ける。


「静かに――……っ」


 ナジャに文句を言いかけて慌てて両手で口を塞ぐ。 ナジャに向けていた視線をおそるおそるアルの寝顔に戻してみたが、聞こえなかったとみえ、アルは変わらずに寝ている。


「もう、静かにしてよ! 無理に付いて来なくていいって言ったろ。 文句言うくらいなら――」


『〝帰れ〟と言うつもりだろうが、不安がありありと顔に出ておるぞ』


 緑の瞳をくるりと回転させると、ナジャはしししと笑った。 がつんと言い返したいところだが、ナジャの指摘も事実なので、顔を背けるに止めた。


「と、とにかくっ、肩でぐちゃぐちゃ言わないでよ、重いんだから」


 小声で文句を言いながら、カラは昼間ナハから受け取った、短いままの(こん)を腰から抜き取った。

 棍の表面には、カラには読めない神聖文字が彫られている。 ナハの話では、これらの文字にはとても強い護りの力があるのだという。

 カラは棍の先をアルの額の上に、触れないようにそっとかざした。


『お前、本気で阿呆だな。 それはあくまで護身用の棒っきれだ。 医術道具でもなければ呪術の道具でもない。 そんなことをして何の意味がある?』


 薄暗い室内でも明るく輝く緑の瞳をクルクルと動かしながら、ナジャは熱い鼻息をカラの頬に吹きかける。

 ナジャの嫌味には応じず、いたって真剣にアルを見つめながら、回復を願う言葉を心の中で唱えた。

 しばらく同じ姿勢で願い続けると、カラはふぅと深く息を吐き、自然な姿勢に戻った。

 じっと、観察でもするようにアルの寝顔を見てみたが、あまり変化はなさそうだった。

 少し肩を落とし、カラは寝台から離れると棍を腰に戻した。 棍の横では、短剣のオスティルが、淡い金の光を揺らめかせている。

 一寸の躊躇いの後、カラはアルフィナの頬に指先を触れ、その体温を確かめると、眠るアルの姿を最後まで目にしながら部屋を出た。


――大丈夫。 アルは大丈夫。


 心の内で、自分に言い聞かせるように繰り返した。

 日中、カラの不安を掻き立てる小さな異変があった。

 それはナハと話し終え、部屋へ戻った直後のことだった。 机の上に置いていた羽根に変化が起こった。

 アルと旧宝物庫に忍び込んだ時拾っていた黄金の――ナジャが、ガーランのものだと言ったあの羽根が、突然光を放ち、白く、燃えるように輝いたかと思うと、急速に色褪せ、死んだように静かになった。

 ナハにどういうことかを訊ねようとしたが、折り悪くナハは旅籠を出てしまっていた。 慌ててイリスを捉まえ訊ねたが、イリスは少し考えた後、「調べてみましょうね」と言うに止まった。

 ガーランに、何か良くないことが起こったのではないかと、良くない考えばかりが膨らんだ。 一つの不安の成長は、他の――アルの体調が悪化するのではないか――といった不安にまで影響を及ぼしかけたが、夕食時のイリスの報せと、今、自分自身で確かめたことで、アルに関する不安はかなり軽くなった。

 ふぅ、と深く息を吐き出すと、しんと冷えた暗い廊下の先へ視線を向け、次の目的地へ歩み始めた。


『小娘で効果がないのを見確かめておきながら、まだやるか。 時間の無駄だな』


「今は寝てるからわかんなかったけど、明日目を覚ましたら、すっごく元気になってるかも知れないじゃ――……」


 小声でナジャに反論をしていると、ふいに、足下からふわりと暖かな気が満ち、周囲の空気がゆらと揺れたように感じた。 壁に遮られ見えはしないが、庭の木々がさわさわと揺れているのを感じる。


「ねえ、ナジャ。 なんか今、変じゃなかった?」


 ナジャは興味なさそうに大欠伸をすると、「行くならばさっさと歩け」と言った。

 肩の上にどっしりと乗り、偉そうに命令するナジャにかちんときながらも、不思議な感覚も一瞬で過ぎ去ったので、カラもそれ以上は気にしなかった。


 アルの部屋に入った時と同じように、カラはなるべくそっと、必要な幅だけ扉を開き身体を滑り込ませると、静かに扉を閉じた。

 アルの部屋よりややひんやりとしたレセルの部屋の灯りは、全て消されていた。

 街灯の少し遠い光が、硝子窓から僅かに覗き見えるが、室内は、普通の人間ならば動くことを戸惑わせるほど暗い。

 金の瞳は自分に不利に働くことが多いが、こんな時には便利なのだとカラは思う。

 どんな暗闇の中でも、カラの瞳はものが見える。 気のせいか、今は以前よりもはっきりと、鮮明にものが見えるようになっている。

 暗い室内の左奥に寝台があり、レセルはその上に休んでいる。

 足音を忍ばせ、寝台へそっと近付く。

 肩でわざとらしいため息を吐くナジャを無視し、カラはアルにしたのと同じことを、レセルに行おうとした。

 しかし、棍をかざそうとした瞬間、手首を掴まれた。 「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、カラは棍をレセルの上に落とした。 


「――何を、している」


 少し擦れた低音が、問いながらカラの手首を捻り、身体を寝台の上に押さえ込んだ。 意識なく眠っていると思い込んでいたレセルが、左手で自分の上半身を支え起き上がっている。

 予想外の出来事に驚き、とっさに、カラは自分を掴む手を振り払おうともがいた。

 ほんの僅かの動きだった。

 だが、レセルの身体は抗ったカラの動きに引きずられ、寝台から軽く持ち上がった後、振り落とされるように床へ落ちた。 普段なら何ともないことだろうが、傷を負ったレセルには落下の衝撃が堪えたのだろう、カラから手を外すと、上半身を屈め苦痛に耐える様子を見せた。

 カラはさっと青ざめた。

 慌てて床に膝をつき、レセルの顔を覗き込もうとすると、腹部に黒い染みが滲んでいることに気付いた。


「ご、ご、ごめんなさいっ。 オレ、力の加減忘れて――。 お腹、怪我してるのに、ど、どうしよう、血が――……」


 腕に手をかけ、顔を覗きこもうとするカラを、レセルは拒絶するように突き放した。


「何を……していた」


 肩で息をしながら、レセルはカラを見据えた。 括られていない、伸びた髪に見え隠れする黒の瞳は鋭く、険しい。

 アルの父親だと言う男。 確かに、この黒の瞳はアルと同じ色だ。


「ま、まだ目が覚めないってイリスさんから聞いていたから、気になって。 その、地下でオレ、見てたから、だから……」


 カラの言葉を聞いて、レセルは考えるように目を細める。


「……イリス? ここは、イリスミルトの旅籠か……」


「あ、うん。 ナハさんがオレ達と一緒に運んでくれたんだ。 イリスさんがずっと看てくれてたんだ。 心配してたんだよ、とっても」


「だからといって、こんな夜更けに、お前が来る理由にはなるまい?」


「そ、そうだけど、でも、アルとオレを助けてくれたし――。 オレ、あの――オレ、アルの友達なんだ。 だから……」


 傷が痛むのか、レセルは唇を引き結び、眉間にしわを寄せた。 動いたためか、レセルの腹部の染みは更に広がっている。


「ち、血が――。 ど、どうしよう、血、止めないと――」


 どうしてよいか分からず、青ざめおろおろとしているカラの後頭部を、ナジャの尻尾が打った。


『まったく、学習せん小僧だな。 地下で小娘へしたようにすればよかろうが。 ついでに、毒が抜けてしまうよう願ってやればいい』


 はっとして、カラは無理矢理レセルの腹に手を触れ息を吹きかけると、重ねた手に額を当て、血が止まるように念じた。

 最初は拒もうとしていたレセルだが、少しすると抵抗の様子を見せなくなり、カラのするがままにさせた。

 長い沈黙が続いた後、レセルの手がカラの肩に置かれた。


「――もう、いい」


 レセルの言葉で身体を起こそうとして、カラは眩暈を覚え倒れそうになった。 その身体を、レセルの手が支えてくれた。


「あ――あ、の、傷は……?」


 ぺたりと床に座り込んだカラは、少しぼんやりする頭を一振りしてから、レセルの顔を見上げた。


「――問題ない」


 暗い表情に変わりはなかったが、その声には幾分力が戻ったように感じられた。

 少し不安げに見上げるカラの金の瞳を見返しながら、レセルは屈めていた背をゆっくりと伸ばし、カラと向かい合うよう座り直した。


「名は?」


 ぽんと、投げるように問われ、カラは一瞬なんのことか分らなかったが、慌ててペンダントを引き出し側面をなぞると、自分の名をぽつんと口にした。


「レセル――さんていうんでしょう? アルのお父さん、なんでしょう?」


「だから、何だ?」


「だから――、えっと……アイルーナさんがあんたのこと、いい人だって言ってたんだ。 アルもお父さんのこと大好きなんだって。 だけど話す時間がないから、口には出さないけど、本当は寂しがってるんだって。 だから、もしあんたが死んじゃったりしたりしたら……」


 レセルの顔付きが僅かに変化した。


「何の――誰の話を、している?」


 レセルの険しい視線に気圧されつつ、カラはペンダントを握りしめ、視線をそらさず、むしろ負けじと睨みつけるようにした。


「オレ会ったんだ。 地下で、アルの魂を探している時。 白銀の長い髪に薄い緑色の瞳の、すごく優しそうな女の人。 神殿にある神像みたいに綺麗な人だった。 アルにも似てたよ。 オレ、なかなかアルの居場所を見つけられないで、よくわかんない場所で迷ってたんだ。 そうしたら、その人が励ましてくれて、ちょっとだけど、アルのこと、話してくれた。 その時、あんたのことも少しだけだけど、聴いた。 あと、イリスさんからも、少しだけ。 ラスターとも知り合いなんだって 」


 必死で語るカラに合わせるように、腰のオスティルの光も強くなる。 そんな様子を黙って見ていたレセルは、ふっと息を吐き出すと、カラから視線を外した。


「ならば、もういいだろう。 それよりお前は、自分が何者か――親のこと、郷里については、どれ程覚え知っている?」


「おぼえしる? どれ程って、オレ、親の顔も名前も知らないし、何処で生まれたかも知らない」


 一瞬キョトンとした後、カラは言い慣れた自分の身の上を口にしたが、ふっと何かが引っかかり、慌てて言葉を継いだ。


「で、でもっ、育ててくれた尼僧様が、きっと色んな事情があったから親はオレを捨てたんだって。 このペンダントが一緒に置かれてたんだから、ただ嫌いで捨てたわけじゃないって。 これに《名》が彫ってあったんだ。 すごくいい《名》だって、尼僧様が褒めてくれたんだ。 ――それも半分、失くしちゃったけど……」


 レセルは少し離れた場に落ちていた棍を手に取る。

 見た目の細さ短さとは釣り合わない、ずしりとした重量に驚きを覚えたが、表面に刻まれた神聖文字を目にするや、驚きは顔にもはっきり表れた。


「この棍はお前のか?」


「うん。 昼間ナハさんからもらったんだ。 ラスターが作ってくれてたんだって。 その神聖文字が護符代わりにもなるから、いつも持っておいた方がいいって」


 神聖文字と一言で行っても、時代や地域により若干ずつ異なる文字が用いられていたため、大陸全土では、その種類は知られているだけで十数種はある。

 レセルは神殿へ仕えたこともある元騎士で、大半の神聖文字は読めるようになっていた。

 その文字の種類によって、持つ効力に違いがあること、その文字を記した者の能力によって、示す威力が違うことも知っている。


〈我に触れられるは 我に許されたものなり

 我を手にするもの 金剛の躰をもち

 如何なるものも 瑕つけることは能わず〉


 あまり見たことのない、かなり古い神聖文字の様で、詳細に読み解くことは出来なかったが、大凡このような内容が、深赤の棍の表面に金で象嵌されている。

 これらの文字は、相当強い力の持ち主が刻んだ最高の護り文字であることは、棍を持つ手から伝わるビリビリとした感触で知ることが出来た。

 この棍は持ち主を選ぶ。

 自分に見合わぬ人間が手にすれば、恐らくその重みに耐えかね取り落とすか、最初から持つことすら出来ないだろう。 持てたところで、短い棒のまま、その持つ力を示すことすら、恐らくしない。


「これを持って、俺の所へ何をしに来た」


 棍をカラへ返しながら、レセルは注意深くカラの様子を窺う。 受け取るカラの金の瞳は、腰のオスティルより明るく輝いている。


「――笑わない?」


 ぼそりと、気恥かし気にレセルの表情を窺うカラの様子に、レセルも少し肩の力が抜けた。


「笑うような話なのか?」


 カラはだらしなく座るナジャを軽く睨んだ後、おずとレセルへ視線を戻す。


「だってナジャが〝阿呆〟って言うんだ。 あ、ナジャって言うのはこの蜥蜴なんだけど――あのね、オレ、この棍の文字を刻んでくれたティルナの王様が、手で触れただけで、酷い病気や怪我を完全に治すことが出来るすごい力を持った人だって聞いたから、もしかしたらこの棍にも、その王様の力が少し移ってないかなって、思って――……」


「ティルナ王が、この文字を刻んだ?」


「う、うん。 ラスターと王様は友達だから、頼んでくれてたんだって――」


 笑われなかったことにホッとしつつも、レセルの驚きの表情にカラは戸惑ってしまった。

 ややして、レセルはゆっくり立ち上がると、小卓の上のランプに灯りを入れた。 ぽうと燃え上がったオレンジの火が、室内を柔らかな光で照らす。


「俺はお前ほど暗闇で物は見えん。 お前が暗いままがいいと言うなら、消すが?」


 カラも立ち上がると、顔を横に振った。

 レセルが寝台に腰を下ろし、改めてカラの顔に視線を固定した。

 先程までの険しさはないが、厳しい印象の黒の瞳に無言で見つめられていると、カラはどうにも落ち着かず、じわじわと緊張してしまう。


「お前、〈治癒〉を何処で学んだ?」


「? オレ、何も習ったことないよ?」


 レセルの問いに、カラはただ首を傾げた。

 神殿に仕える神官や巫子の中で、一部の素質ある者や才能ある呪術師は、それ相応の修練を積んだ末に、病や傷を、薬や道具なしに治療する〈治癒〉の術を習得するというが、一般的には、それも傷や病を多少軽くする程度だと聞く。

 だが、ごく稀に、生まれ付きそのような力を有する者の中には、瀕死の傷でも癒してしまう強い力を示す能力者がいるという。 現ティルナ王や、アイルーナがそうであった。

 そして恐らく、目の前にいるカラも――。


「棍は? かざす以外、棒術を身に付けているのか? 剣を扱ったことも、地下での動きを見た限りでは無いようだったが?」


 問い詰めるような、レセルの口調に、カラは少しむっとして返事をしなかった。


「今から一人で、地下へ行くつもりだったのだろう?」


「どうしてそれっ――」


 言いかけて、慌てて口を押さえる。

 レセルは深くため息を吐くと、眉間にしわを寄せカラを睨んだ。


「イリスミルトにも黙ってのことだな?」


 短い、叱責するような口調で言い詰められ、カラは縮こまり黙った。


「――お前の蜥蜴が、お前を阿呆と言うのが解る」


「な――っ」


「当てもなくあの地下へ戻ってどうなる? 目的は、お前の連れとその聖獣の捜索だろうが、あの地下がどれほど複雑で深いか、間にどれほどの敵が潜んでいるか、目的の者達が最終的に何処にいるか、お前は見当が付いているのか?」


「あ、あの石牢にガーランもいたってナジャが言ってた。 石牢までの道は覚えてるし、ナジャが臭いで辿れるっていうから、きっと見つけられるよ。 そ、それに今のオレ、力はすごく強いし、ナジャの炎も――ある、し……」


 淡々と、しかしきつい口調で指摘するレセルの言葉に、口答えするように応じた。

 レセルはカラの足下に座るナジャとその第三眼を見た後、小さくため息を吐くと、組んだ手に口元を当てた。


「そこへ行くまでの道すがらはどうする? 出くわす相手相手と、無駄な戦いを繰り返しながら進むか? その先は?」


 レセルはいったん言葉を切り、落としていた視線をカラへ戻した。 一言一言、区切るように語るレセルの言葉の合間に、反論を挿む余裕は十分にあった。 しかし、カラは何も言えず、たじろぐように、身を軽く後方へ捻るしかできない。


「あの地下には、雇われた剣士崩れの破落戸(ごろつき)が相当数いる。 しかも、お前は自身の目で見たはずだ、あの地下に潜むものを。 腕力が強かったところで、お前自身の体力が目的を果たせるまで持つのか? 馬鹿力とその蜥蜴の吐く炎だけを恃んで乗り込むつもりならば、必ず途中で捕らえられ、死ぬ」


「そうよ、カラ。 あなた一人で行っても、ただ危険なだけ」


 突然、背後から言葉が入った。

 いつの間にか、イリスミルトが戸を開け立っていた。 その脇にはカラよりも背の低い老人が、ちょこんと立っている。


「ティダ様。 カラ、ですわ」


 イリスが腰をかがめ老人に言うと、老人は真っ白な髪と髭を揺らし頷いた。

 しばらくじっと動かなかった老人がゆっくりとした動作で部屋へ入ると、室内の空気が暖まり、ぬるい湯にでも浸かっている様な、ふわりとした感覚になった。


『こりゃまた、思っていた以上に小さな子じゃな。 おまけに、面白い連れを連れておる。 ずいぶん丸々とした蜥蜴だわい』


 自分より小さな老人に言われ、カラはむっとしたが反論はしなかった。 ナジャも熱い鼻息をカラの脛に一つかけただけで、それ以上の反応はなかった。 だが、老人にはカラ達の心の内が分ったと見え、眉毛に隠れてほとんど見えない眼を細め笑った。


『すまなかったね、カラ。 お前さんが小さいことを気にしておるのは知っておったが、じかに、実物を目にしたら素直なもんで、つい口をついて出てしもうたよ』


「オレのこと、知ってるの?」


 老人の言葉に嫌味はないのだが、何故、自分を以前から知ったように言うのか解らない。


「カラ。 この方はアラスターといつも行動を共にしておられる〈地〉の精霊で、ティダ様。 あなたに姿を見せられるのは今日が初めてだけれど、あなたがアラスターと行動を一緒にするようになってからずっと、ティダ様もあなたを見てこられたのよ」


 カラの金の瞳がぱっと輝く。


「〈地〉の精霊? それって、カナルさんと同じってこと? それならラスターもナハさんと同じ精霊使いってこと? 同じ〈地〉なのに、カナルさんとは全然違う姿なんだ。  なんで今日までオレに姿を見せてくれなかったの? いつもはどんな姿でラスターと一緒にいたの? じいちゃ――ティダさんもカナルさんみたいに強い? その髭が手みたいに動くとか?」


 イリスとティダの顔を交互に見比べながら、カラは少し興奮し前のめりに訊ねた。 優しげで、どこか可愛らしいティダの風体が、カラに容易に親しみを抱かせていた。


『〝じいちゃん〟でいいよ。 まあま、そう一気に訊ねなさんな。 好奇心旺盛で元気の良いのはいいことじゃがな。 地下での疲れもすっかり飛んでいったようだの。 結構、結構』


「ティダ様がいらして、皆の傷も回復が速くなりましたわ。 この子は元より強い子ですから、あなたの傍に居りましたら、あっという間でしょう」


 イリスは、寝台に腰かけこちらを見ていたレセルへ顔を向けた。


「レセル=ホーン。 安心しました」


「――傷が癒えれば、俺は、戻るだけだと知っておられるはず。 助ける必要など、なかったのです」


「助けたのはカラとナハ。 そうね、アイルーナとアルの想いも入っているかしらね。 戻るのはあなたの自由です。 ただ、わたくしはちゃんと対価を払って貰うつもりよ。 ここを出るのは、一定額を払ってからにしてもらいます。 宜しいわね?」


 柔らかく微笑むと、イリスはレセルの傍へ歩み寄り、そっとレセルの腹のあたりに触れた。


「痛みは?」


「その子供が〈治癒〉をしたので、たいしては――」


「――ティダ様」


 イリスに呼ばれたティダが、レセルの傍らに歩み寄ると、レセルの顔に一寸、緊張が走った。


『――ふむ、しっかり塞がっておる。 これならば特に、手を加える必要はないの。 カナルの連れの地の長の腕もなかなか良いようだが、その子の力はイリスミルト、そなたの娘に負けぬようじゃ』


 イリスの顔を見上げ言った後、ティダはふわりと身体をカラの顔の高さまで浮かべ、ずいと、髭もじゃの顔をカラへ近付けてきた。


『お前さんは、アラスターとその連れを探し出したいのかね?』


 「精霊とは長く眼を合わせるな」というカナルの言葉を思い出したが、どうしようもなかった。

 眉毛で隠れ、よくは見えないティダの眼は、おそらくとても優しい。 恐怖はない。 しかし、それでも、押さえこまれる様な大きな圧力を感じる。

 言葉が喉に詰まって出なかったので、首を縦に振ることで答えた。


『どうして探したいのかね? 〈闇森の主〉を探し当てるために必要だからかね?』


「――それも、あるけど……」


 はっきりしないカラの答えに、ティダは髭を揺らして笑った。


『意地悪な質問だろうが、聴かせておくれな。 お前さんにとってアラスターは、どういった存在かね? 彼のことは好きかね? それとも嫌いかね? 《名》と《影》を奪い返す目的さえなければ、あの者と一緒に居ったところで、なんら楽しきこともなかろう? アラスターと行動を共にせずとも、《ふたつの宝》を取り戻す術があるとすれば、カラ、お前さんはどうするかね?』


「え、あるの? 《ふたつの宝》を取り戻す方法、なんか知ってるの?」


 勢い付いて訊き返すカラに、ティダは落ち着くように手で制した。


『お前さん自身が動かねば事を成せないことは、変わりはないがの。 ただ、アラスターと行動を共にする必要はなくなる、というだけじゃ』


 もしかして、手早く取り返す方法があるのかと期待してしまった分、肩透かしを食らった気もしたが、腹を立てる気にはならなかった。 


「そんな……どんな存在かなんてオレ、そんなこと、考えたことない、けど――……」


 自分の中に答えを探すように、カラは視線を落とした。


「オレ、ラスターが好きとか嫌いとか――どっちもよく思うんだ。 ラスター、何にも話してくれないし、いっつも同じ顔で、何考えてるか分かんないし、ちょっと、近寄り難いって思うんだ。 けど、オレを助けてくれたし、強いし、字を教えてくれるし。 ――突き放されているみたいだけど――けど時々、オレを見てくれているんだ、って思うことがあって――……」


 いったん言葉を切ると、今度はカラの方から、ティダの顔を覗き込むように見た。


「《ふたつの宝》を取り返す方法が他にあったとしても、それとは別にしても、オレ、ラスターとガーランを探したい。 オレ――オレね、ラスターのこともっと知りたいんだ。 昼間にナハさんと話をしてて、ナハさんを羨ましいって思ったんだ。 ラスターのこと、いっぱい知っていそうで、いいなあって思った。 だから、オレもナハさんみたいに、ラスターが何でも話してもいいって思えるような相手になりたい、って思ったんだ。 それでね、そうなったらたくさん話をして、色々訊いてみたいことがあるんだ。 だから、だからオレ――……」


 耳まで真っ赤にして語っていたカラの言葉は、尻すぼみに小さくなっていく。


「――ヘンかな、こんな理由じゃ……」


 おもむろに、ティダはカラの頭を撫で始めた。


『可笑しくなんかないよ。 そうか、話したいか、知りたいか。 そうか、そうか』


 ティダに並ぶように立っていたイリスが、カラの前に膝を付き、手を取りそっと包んだ。


「カラ。 あなたの気持ちはわかりました。 けれど、一人で乗りこんではいけないわ。 今、ナハがカナルと一緒に探りに行っています。 様子がわかるまで、いま少し、あなたが行動をするのは待って。 先程レセルが言ったように、キソスの地下は迷宮のように複雑で、たくさんの危険が潜んでいるの。 この家にずっと閉じ込めておこうというのではないの。 ただあなたを、当てもなく、危険に曝すためだけに行かせることは、したくないの。 分かって、くれるかしら?」


 柔らかく諭されると、それでも行きたいとは口に出せない。 だからと言って、行きたいという気持ちに変化は起こらない。


「――でも……」


「カラ。 待つ間、レセルから棍の基本を学びなさい。 レセル。 この子に教えるくらいには、動けますね?」


 肩越しに、イリスはレセルの回答を待った。 レセルは少々驚いたようだったが、承諾した。

 しかし、肝心のカラが一番戸惑っていた。


『安心おし。 アラスターには強力な助っ人が付いておるから、そう簡単にはどうにもならんよ。 実際、つい先程まで一緒に居ったわしが言うのだから。 今はひとつ、わしの言うことを信じてはくれんかね?』


 カラの頭をポンポンと叩きながら、ティダが訊ねた。


「待つといっても、ほんの半日か、長くても一日くらいよ。 カラ、それまでにある程度のことを身体に覚え込ませるのは、生半かなことではなくてよ」


 立ち上がるイリスに手を引かれ、カラは歩み出す。 レセルも寝台から立ち上がった。



挿絵(By みてみん)

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