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第2話:欠けたもの 

 2:欠けたもの



 暖かな光に包まれた室内には、ほのかに甘い香りが漂っている。


 脇机に置かれたコップからは、温かな湯気が立ち上る。

 横たわる寝台のシーツもふんわりとした布団も、陽の匂いがする。 全身の痛みも、先程飲んだ薬が効いてきたのか、あまり感じなくなった。

 気を緩めると、落ちるように眠ってしまいそうだったが、まだ眠りたくなかった。

 

「まだ眠れないのかい?」


 カラの寝台横の椅子に座っていたナハが、頭を()きながら顔を覗き込む。

 大きな手がカラの額に触れた。 手のひらの、ひんやりとした感触が気持ち良かった。


「やはり少し熱が上がったな。 辛いかい?」


 カラは頭を振った。


「――あ、の……あの男の人は?」


「安心、とはまだ言えないがね。 今は深く眠っている。 彼にはイリスミルトが付いているから大丈夫。 心配はいらないよ」


 ほっと小さく息を吐いた後、カラは改めてナハの土色の瞳を見た。 幾度か口を開きかけたが、なかなか言葉を切り出せずにいると、ナハがくすくすと笑った。


「本当に聞きたいのは、アルのことだろう? それがね――」


 少し沈痛な表情で言葉を切ったナハの腕に、カラはすがりつくようにして半身を起した。

 ほんの少し動いただけで、(きし)むような痛みが全身を貫く。


「思った通りの反応だなあ。 ごめんよ、心配させたね。 さあ、横になって。 痛みは身体の悲鳴なんだから、助けてあげなくてはいけない。 君の、身体なんだから。 私にできるのは回復の手助けだけだ」


 ナハはゆっくりとカラを横にさせると、にっこりと笑い、くしゃっと頭をなでた。


「安心しなさい。 アルも熱を出してはいるけど、身体に問題はないから。 まあ、しばらくは寝込むことになるだろうけど、年中跳ねまわっているあの()には、いい休養になるさ。 君が元気になったら見舞いに行ってあげるといい。 負けん気が強いから、刺激されてより速く元気になるかもしれないな?」


 ぱっと明るい表情を見せた次の瞬間、カラの表情は複雑に曇る。


(――あんた……誰?)


 地下での、アルの言葉が耳から離れない。


 カラの呼びかけに、アルは瞳を開けた。

 目覚めた直後は、多少意識の混濁(こんだく)があったかもしれない。

 だがしばらくすると、瞳にははっきりした意思を感じさせる光が戻った。

 自分の名を呼び続けるカラを、アルの黒の瞳ははっきりと映し、じっと見つめ返した。

「――あんた誰なの? あたしを、知っているの?」

 嘘をついている眼ではなかった。

 本当に、目の前にいる少年が誰なのかわからず、戸惑いを感じているようだった。

「アル、僕だよ? 覚えてないの――……」

 名乗ろうとして、自分自身が、自分の名を口に出来ないことに気付く。 首に下げていたペンダントの側面をなぞり、ようやく自分の名を思い出した。

 名乗った。

 けれど、アルは思い出さなかった。

 何度名乗っても、思い出すどころか不安を募らせるばかりだった。

 終には、二人の元へ戻ってきたナハへ、アルは救いを求めた。 ナハのことはしっかりと覚えていた。

 忘れているのは、カラの事だけだった。


 どうして――?


 呼ばれる《名》がないこと、「自分」という存在を覚えていてもらえないこと。

 どうってことないと思っていた。

 しかし、実際に面すると、想像以上に衝撃的だった。 裏切られたような、嫌な気分。

 何故思い出してくれないの、と、責めるように言ってしまいそうだった。

 すべては、自分が〈闇森の主〉と取引をしたせいだとわかっていても。

 あの時のアルの表情を思い出すと、泣きたい気持ちになる。

 慌てて布団を引き上げ、滲みかけた涙を押さえた。

 気恥かしさを覚え、金の瞳だけを覗かせナハの表情を窺う。


「元気になったら、アル、思い出す……かな?」


 ナハはカラの寝台に頬杖をつくと「ふむ」と言い少し間を置いた。 それからまた、カラの頭をくしゃくしゃと撫ぜると、にこやかに笑った。


「今はまず、ゆっくり休むことが大事だよ。 カラ」


 ナハの言葉が終らぬうちに、カラの瞼は落ち、しばらくすると小さな寝息があがった。

 まだ幼い顔には、多数の切り傷や打撲痕がある。 睫毛(まつげ)の陰には、(わず)かな滴が見られた。



『――寝たのかい?』


「ぐっすりだよ。 やはり相当疲れていたんだな。 君もお疲れ様。 どうだった?」


 振り返ることなく言葉を返したナハの肩に、女の腕がするりとかけられる。


『自力で動ける獣は野で放った。 動けぬ奴等はファーエンのセラムの所へ送ったよ。 大半はただの獣も同じだが数頭、かなり濃い血を継いだのがいたね。 あれらは、この先も狙われる可能性があるだろう』


「セラム殿の下ならば〈聖教(エルナイ)〉も迂闊(うかつ)には手を出せないか。 もしかして、迎えには東の〈風の王〉自らが来たのかい?」


 首にまわされた腕をやんわりと解き、ナハは背後に立つカナルの顔を見上げた。


『あたしも東の〈風〉も、厄介な奴を相方(あいかた)にしたものだよ。 〈四王〉を顎で使うとはいい度胸だよ。 セラムにしろ――ナハ、お前もだよ』


 はは、と苦笑し立ち上がると、ナハはカナルの紅唇に軽く唇を重ね視線をカラへ戻す。


「何事も、終わってみないと良し悪しは決められないけれど、私は――この先の結末に関わらず、君との出会いは良きものだと、思っているよ」


『――関わり続ける気か?』


 カナルの緋色の瞳が光を帯びる。 頭を掻き軽く肩をすくめると、ナハは笑顔を消した。


「いくらラスターでも、一人で何もかもは無理だろうさ。 今回、この子への援助を頼んできたことだけで、あいつにしてみれば奇跡的な行動だろう? 長い付き合いだし、ここで引いたら、いくら穏健(おんけん)主義の私でも後味が悪い。 それはカナル、君もだろう?」


 確認、というより断定に等しい言葉を言い終えると、ナハはふっと笑った。 応えるように、カナルも艶のある笑みを浮かべた。


『――どの面下げて〝穏健〟を言うか知らんが、半端に関わって面倒になったら知らぬ顔をするなんざ、あたしの性には合わんな』


 軽く唇を重ねナハから離れると、カナルは寝息を立てるカラの顔を見、続いてその足元で寝ている黄色の蜥蜴(とかげ)に視線を移した。


「面白いよね、彼。 私は置いていても大丈夫と感じるんだが、君はどう?」


 笑いを含んだナハの言葉に反応し、ナジャは閉じていた眼を開け、目玉だけを動かしてみせる。


『〝竜〟と呼ばれる蜥蜴様(とかげよう)の聖獣は数種いるが、こんな半端でみょうちきなのは見たことがないよ。 お前、何なんだい? 火を吐いていたが、単純な火竜ではあるまい?』


 カナルの問いに、ナジャは煩わしげに尾を振り、すぐに眼を閉じた。 カナルはふんと鼻を鳴らし、顔にかかる長い髪を背に流す。


『やはり、気に喰わないね』


「〝気に喰わない〟だけなら問題なしだな。 さて、では私達もひと休みしておこう。 でないと後が続かない。 寝台で寝られるなんて、またしばらくないかもだしね――」



挿絵(By みてみん)



      *


 一面は白く霞んでいる。


 暗くはない。

 けれど、明るいとも感じない。


 光があるわけではない。

 けれど、闇もない。


 時は過ぎている。

 けれど、過ぎゆく時間を感じる術もない。


 ただ、そこに()れと命じられ

 居続けた世界。

 永遠に、変わらないはずだった――。


 一筋の光が射した。


 世界は 一変する――。




 激しい衝撃が、地下空間を揺さぶる。

 数回の突き上げるような震動の後、硬い岩盤に亀裂が走る。 だが、それらが崩れ落ちる様子はなかった。

 南の〈地の王〉であるカナルが、地下の状態を保っていることをラスターは知っていた。

 しかし、ラスターを捕らえるため寄せ来た男達は、そのようなことを知る由もなく、いまにも天井が落下してくるかもしれない、非常に危険な状況に動揺を隠せなかった。

 目の前の青年を捕らえず戻れば制裁を受け、このまま地下に留まれば、生き埋めになるのではないかという恐怖との板挟み。

 ラスターの背後に、時折亡霊のような男が見え隠れする。 周囲で燃え盛る炎のように、青白い光を放つ姿は、男達に不気味な圧力をかけ、ラスターへ近付くことを躊躇させる。

 無益な殺戮を避けるため、炎帝(えんてい)自身があえて姿を現し見せることで、牽制(けんせい)をしていた。

 それでもなお、見ることが出来ない人間もいる。 そういった者には、炎帝は陽炎が揺らめいているようにしか映らない。 だが、その場を満たす不気味な力の存在だけは感じていた。 姿が見えるにしろ見えないにしろ、そこに、人外の存在があること、そして、それが圧倒的な力を有していることは、本能で理解したに違いない。


 ラスターの瞳は炎を映し、鮮やかな青に輝いている。 周囲には青白の火焔が、巨大な蛇のように蠢き、ラスターに近付こうとする者があれば、その者を捕らえ喰らっていく。


「化物だ――……」


 誰かの口から、一言が()れた。

 たった一言。 しかしそれは波のように、口から口へ伝わるに従い、「恐怖」という大波に変わっていく。 ラスターを取り囲んでいた人垣は波に削られる土手のように、次第次第に崩れ始める。

 そこへ、一陣の風が吹き付けた。

 呼吸することも許されぬような強風に突如襲われ、その場に倒れる者が多数出た。

 風が去ると、悲鳴と混乱が生じた。 浮足立った男達の上へ、更に数回凶暴な風が吹き下りた。

 四方を岩盤に囲まれた地下で、何処から吹いてくるか知れない風に追われ、男達は(わめ)き、我先へと狭い通路を走っていく。


『私がいない間にことを進めるなんて、水臭いじゃあないか? ユーシィス・ディアナ』


 場違いなほど明るい声が響く。 空間を明るく照らしていた炎帝の炎が大きく揺れる。


『あの程度の風で崩れるなんて、やりがいのない奴らだな。 もっとも、早めの退却は、人間としては賢明な判断かな? 人間の〈器〉は脆弱(ぜいじゃく)だからな』


「――戻られたか」


 ラスターの周囲に微風が立ち起こり、炎で蒸されていた空気を冷やしていく。


『ただいま。 やあ、サーラム。 君に直に会うのは何年ぶりかな? ふふ、相変わらず無愛想だね』


 小さな渦を巻く風が解けると、中心に淡い金の髪をなびかせた、人懐こい笑顔の青年が現れた。 濃い青の瞳は、悪戯(いたずら)をする子供のように輝いている。


「シリン」


 たしなめるようなラスターの言葉に、シリンは軽く肩をすくめる。


『私にはいつも使い走りをさせて、炎帝の力ばかりを頼るのはずるいんじゃないかい? 私達は四属の代表として、ユーシィス・ディアナ、君を護る勤めを等しく担っている。 たまには私を、頼ってくれてもよいのじゃないかね? 本来、直接役を担っていない南の〈地の王〉まで、協力をしているみたいじゃないか。 ――もっとも、カナルは〈地〉ティダの代理のようなものだし、〈水〉のイーディは、相変わらず静観を決め込んでいるようだがね』


 シリンが地に下りると、盛んに揺れ動いていた炎が、押さえこまれるように弱まる。


『ユーシィス・ディアナ――うん、めんどくさいな。 ラスター、でいいか。 おまえ、ここが地下だということを忘れていないか? 密閉された空間で炎帝の力ばかりに頼っていたら、同じ地下にいる生あるもの達は、焼け死ぬ前に窒息死するだろう? おまけに、この地下の臭いときたら堪らない。 よく平気でいられるな? 取りあえず空気を、風の流れを作らせろ。 風の流れが出来れば、其々の吐きだす息が、何処から流れ出すかも判り居所(いどころ)を掴みやすい。 〈ウルド〉を早く見つけ出したいのなら、仕える手駒(てごま)は有効に使うことだ。 サーラム、君もそれに文句はあるまい?』


 ラスターの背後に立つ炎帝サーラムに、西の〈風の王〉シリンは、屈託のない笑顔を向ける。 炎帝は、僅かも表情を変えることなく、「決めるはこの者」とだけ言った。

 シリンはくすりと笑うと、ラスターの肩へ両腕を巻き付け、その表情を興味深げに窺う。


『東の〈風の王〉には話をつけてきた。 〈西〉の私が〈東〉のこの地で自由に動くことを黙認する、とね。 そうそう。 お前の師セラムも息災(そくさい)にしていた。 お前が気にかけていた〝いま一つ〟の世話に、少々手こずっているようではあったが。 詳細は後で聞かせるが――似ていたよ』


 シリンの言葉に、ラスターの瞳が僅かな動きを見せる。 その変化を見て、シリンはラスターの肩を叩き、ふわりと宙に身体を浮かせた。


『さて、ラスター。 全てはお前次第だ。 先ず、何者の居所を知りたい? 〈ウルド〉を選ぼうと、お前の相方の有翼獣を選ぼうと、私達は口を挿むことはしない。 あの有翼獣はお前の半身のようなもの。 それを先に救うことに動いても、私に異存はない。 人間というものは、長年共にあった存在(もの)が欠けると、激しい喪失感に苛まれると聞く。 お前は――関わりないのかな?』


 微笑を絶やさないシリンの顔を、ラスターは石像のように動かない表情で見た。


「――貴方の言いたいことが、分からない」


『そう言うと思ったよ』


 軽いため息交じりに笑うと、シリンは瞳を閉じ、周囲の空気を手繰り寄せるように抱え込んだ。

 淡い光が生じた後、シリンの手の内に長剣と剣帯が現れた。

 無造作に、シリンはそれをラスターへ放った。

 見慣れた黒茶の剣帯と白銀の剣。

 地下牢へ入る前、レセル=ホーンに渡した、長年愛用していた剣。


『お前のだろう? 倉庫らしき部屋に存在を知ったのでね、ついでに盗ってきた。 アラスター=リージェス。 お前は、我等〈四王〉の力を極力借りず、奴とのケリを付けたいのであろう? ならば、最低限身を護るためそれは必要だ。 使い慣れた物を使うのが、一番効率的だろうからな。 ――とは言っても、たまには援助を求めてもらえると、私としては嬉しいのだがね。 見ているだけなど退屈で仕方ない』


 宙で猫のように伸びをしながら、シリンは無邪気に笑った。

 視線を剣へ落としていたラスターは、シリンへ目礼すると、剣帯を腰に巻き、改めて剣を抜き状態を確認した。 白銀の刃には変わらず、五つの神聖文字が薄い光を放っている。

 剣を鞘に戻すと、ラスターは宙に浮くシリンの顔に視線を定めた。


「あれの居所は、どれほど離れている?」


『道が入り組んでいるが遠くはない。 カナルに、おおよその地下構造は聞いたのであろう? この地下の人間共が〈祭壇〉と呼ぶ禍々しき部屋の、奥に開けた空間から、血と肉の腐臭が漂っている。 これが〈ウルド〉の臭いであろう』


 シリンは瞳を閉じ、腕を大きく広げる。

 周囲の空気が大きく動き、シリンの金糸の髪が柔らかな波を描く。


『どうでもよいかもしれぬが、喜べ。 ほぼ同じ空間から、お前の有翼獣の息も感じられる。 (いず)れかを見出せば、確実にもう一方も見つかる。 だが、うかうかは出来ぬな。 数名の人間が同じ空間にいる。 〈ウルド〉を移動させる算段を付けているのかもしれん。 この距離ならば、風で裂き、足止めするも可能だが――如何する?』


 先へと延びる暗い道の彼方を、ラスターは見据えた。


「――無用」


『だろうな。 まあまずは、淀んだ空気を清めるとするか。 サーラム。 悪いが、君の炎は一旦消させてもらうよ』


 シリンの手が緩やかに動く。 その動きに合わせ、炎帝の炎は消え、周囲は闇に沈んだ。


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