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第12話:動向

   12:動向


 総毛立つような怖気が全身を走った。

 地下に戻ると同時に軟禁されていたレセルは、腰かけていた寝台から立ち上がると、神経を室外へと向けた。

 空気を震わす轟音が岸壁を削る波の如く折り重なるように迫って来る。

 常人よりは優れた五感と勘を持つレセルだが、現在地下に溢れているモノは、どんなに感覚の鈍磨した者でも感知せずにはいられない強大で圧倒的なものだった。

 人外の力。 それも並大抵のものではない力と力が衝突することで生じているのであろう空気の振動と地の鳴動。 何が起こっているのかは、現場に足を運ばない限り明確に知り得ることは出来ないが、まず疑うことなくあの男――〈聖血の器(エラノール)〉であるアラスター=リージェスがこのざわつく力の中心にいるとレセルは確信していた。

 だが、相対している者が誰なのか――何、なのかが判らない。 オリ=オナではない。 今のあの男は、決して己の身を直接危険に曝すことはしないだろう。

 かつてレセルを導いた騎士としての顔は、今は何処にも見出すことは出来ない。

 騎士でありながら神職の位を持ち、異教徒だったレセルに剣技のみに留まらぬ知識を授けた篤実な男。 騎士を辞した後、辺境の小神殿の神官を十数年務め、その後異例の大抜擢でキトナ大神殿の大神官になったと風の噂で聞いた時、同時にいまひとつの不穏な噂話を耳にするようになった。

 新しいキトナ大神殿の大神官は〈聖神聖教(シン・エルナイ)〉生え抜きの信徒であるらしい、と。


《源の思い、忘れたか――。 忘れたか――……》


 枯れた老人の声が、頭の芯から滲みだすように溢れ出し、鼓膜を波打つ様に揺らした。 その残響を握りつぶすように拳を強く握り締める。


「――忘れなど、せぬ」


「何を、忘れぬというのだ?」


 無機質な声の主へと顔を向けると、ダーシュールが面を被ったかのような硬質な面持ちで部屋の入口に立っていた。 長剣を佩いた腰に軽く添えられた手は、さり気にいつでも剣柄に移動できる形をとっている。

 銀縁の丸眼鏡を中指で軽く押し上げると、銀灰色の瞳に灯火の光を映した。


「――ただのひとり言だ」


 視線を合わせるでなくダ―シュールを見ながら、レセルは短く最低限の答えを返した。

 ダーナエルト=ルフィア。 オリ=オナの側近中の側近であるこの男の、剣の腕は並いる〈聖教(エルナイ)〉の剣士の中でも群を抜いている。 恐らくは〈方円の騎士団〉の騎士であっても、容易にこの男に勝利することは出来まい。

 一定の距離で足を止めたダ―シュールは、レセルから顔を背けるように横を向いて深く息を吐き出した。


「オナ様が呼んでおられる。 来い」


 最低限の言葉を口にすると、レセルに先に部屋を出るよう視線で促した。

 〈聖教(エルナイ)〉の内に入っておおよそ二年の月日が流れているが、ダ―シュールとの接点を持ち始めたのは、キソスに来てからのこの半月といったところだ。

 この男がどれ程レセルのことを知っているのかは分らないが、おそらく互いに感じることは同じなのだろう――この男に背後を取らせてはいけない――と。 この男も自分も、容易に他者を信じたりはしない。 相手が、己や己が仕える者に恭順の意を示していたところで、それは見せかけだけである可能性を決して排除せず、近くに身を置く場合には常に己の眼の向けられる位置に誘導する。 自然に、もしくは力づくにでも。 ダ―シュールは、決してレセルを己の後ろに立たせることはしなかった。 新参者であるレセルが古参のダ―シュールの意向に背くことはできない。 促されるままにダ―シュールの前を歩いたが、神経の大半は自然背後へと向かう。

 幾つ目かの角を曲がった時だった。 意識を散らしていたら聞き逃してしまいそうな僅かな笑声が耳に届いた。


「真っ直ぐな気性は、変わらぬとみえる」


 囁くような、ひとりごちるような言葉は、だが確かにレセルに向けられているものだと分かった。 何も答えずに歩み続けると、ダ―シュールは更に言葉を続けた。 合間合間に、小さな滴が床石を打ち散る微音が混じる。


「火神シャ―の火影に生まれし真の随者ホーンの血を継ぐ、正当なる後継者が今や野伏とは、亡きアーゼイル王が知られたらさぞ失望されることであろうな」


 唐突に語られた一族の神の御名と父の名に、レセルは胃の腑が捻じられる様な痛みと鼓動の速まりを感じたが、背後のダ―シュールに気付かれぬように細く長く息を吐き出すと、やはり何も答えずただ前へと歩み続けた。

 なんの反応も返さないレセルの様子を窺うかのように、ダ―シュールもまた沈黙した。 二人の靴音と滴下の音、重く鈍い地鳴りが近くに遠くに、絶えることなく響くばかりだった。

 さらに幾つ目かの角を曲がる時、ダ―シュールが長い息を吐いた。


「警戒するのは致し方ないことではあるが、同胞(はらから)の言葉だ、いま少し耳を傾けてはどうだ? 〝その(かたち)おのおのに違えども、地の中にて根を同じくするはらからの香は、幾千の歳月を超えてもなお変わらず〟と、師はよく言っていたではないか。 その言葉を忘れたか?」


「――……同胞?」


 その単語だけ、他の言葉より秘するような囁きで言われたことに、レセルは意識だけでなく足の運びも止められた。 敢えて振り返ることはしなかった。 いま振り返ると、見たくない――見るべきでないものを見てしまうかもしれない。 そういった居心地の悪い直感的な不快さが、その僅かな行動を押し止めたのかもしれない。

 同胞とは何を指して言っているのか。 〈聖神聖教(シン・エルナイ)〉の者達を指していないのは明らかだった。 この男は、レセルを〈聖教〉の同志だとは思っていない。 かといって、騎士であった時期の騎士仲間を指しているとも思えない。

 ならば、残るは故国アドラ所縁(ゆかり)の者。 その証立てのように、この男はアドラの導師が子供によく語り聞かせる教えの言葉を口にした。

 己と同じ、月の無い夜の空の様な黒髪。 その一つを取って見れば、確かに共通するものはある。 顔立ちもアドラの民に似ていないではない。 だが、故国の同胞にこの男の様な銀灰色の瞳の者は記憶にない。 王族も民も、皆黒か濃茶の瞳が一般的だった。

 思いを巡らしている内に、ふっと、ある少年の姿が脳裏によみがえった。

 十五人いた従兄弟の一人が、その容姿が故に一族の輪から外れ、離れた場にひとり息をひそめる様にしていた。 あの従兄は確か、遊学の為にアドラが滅びる直前に国外へ出ていたのではなかったか?

 その瞳は、銀灰色に輝いてはいなかったか――?

 それまでの抵抗を解き、レセルはゆっくりと振り返った。

 そこには、背後に広がる闇よりもなお深い闇を抱いた銀灰色の瞳が僅かに細められていた。


「――アースヴェル兄……か?」


 レセルの探るような低い問いかけに、ダ―シュールは面を剥がし取るように表情を変えた。


「憶えていたようだな、第三王子」


     ***


 地鳴りと振動が、繰り返し地下空間をかき混ぜる様に揺らし、声をひそめて話していたのでは仲間との意思の疎通は計れない状況が断続的に続いていた。


「こ、この揺れってなんなの? こんなに揺れてここ壊れないかな? この音すごく気持ち悪いよ、いったいなんの音――……?」


 幾度目かの振動で転びそうになった身体をなんとか真っ直ぐに戻すと、カラは不安を混ぜた声で訊いた。 ナハは影から湧いて出た数匹の死魔獣を剣で祓い退けると、空いた手で頭を掻きながら、これからもっと揺れも不安な音も酷くなると言った。


「ざわつきは目的地に近付いている証だよ。 ラスターに近付いている――とも言えるかな?」


『間違いなく近付いてるよ。 先程の〝眼〟にした男がこの揺れの源となる場の傍まで辿り着いた。 剣士共が取り乱し喚きながら逃げているよ、〝化物共が暴れている〟ってね』


 ナハよりも軽い動作で現れる死魔獣を倒しながら、カナルは支配下に置いたスフィドの耳目を通して見知り得た状況を伝えた。 カラはナハとカナルの顔を交互に見た。 


「化物共――って、化物ってラスターのことなの? 〝共〟っていうからには、他にも誰かいるってことだよね?」


「振動が伝わる度に、肌がぴりぴりするような鋭い感触を受けないかい? これはラスターと、その対峙している相手の力がぶつかり合っている証のざらつきだよ」


 軽く言われたので緊迫した印象を受けなかったが、つまりラスターはいま何者かと戦っているということなのだと気付いて、カラはかっと火照るような血の逆流を覚えた。


「〝たいじ〟って、戦っているってこと? それって、その相手って<闇森の主>?」


「私に断言はできないが、どうだい、カナル?」


 言いながらナハはカナルを見、カナルは僅かに眼を細め考える素振りを見せた。


『地下に溢れている力の一方は確かにウルドのものだ。 だが、いま〝眼〟の男の眼に映っているのは見覚えの無い、子供に毛の生えた程度の若造だ。 ――厄介だね、仮の〈(うつわ)〉になるものを見つけたと見得る』


「そこ、はやはり〝学舎の地下礼拝所〟付近かい?」


『いや、もう少し手前の、集会堂の一つだ。ここからそう遠くはない。 〝眼〟を急ぎ学舎の地下に向かわせてはみるが、どうするんだい? おそらくウルドの〝本体〟は学舎の地下にあるとして、どちらに向かう?』


 彼方を見詰めつつ決断を問うカナルの言葉に、ナハはうむ、と頭を掻いた。


「なるほど、〝五分(ごぶ)〟なわけだ――。 ラスターは本気で、相手と遣り合っているのかい?」


炎帝(サーラム)とシリンが揃って邪魔が入らぬよう場を護っているところをみると、本気だね。 地下のこの限られた空間だ、双方力は抑えているだろうが、ティダとあたしの護りがなきゃ今頃地下(ここ)は崩壊しているだろうよ、とっくに』


「ふむ……では、ラスターと合流するのが正解だろうな。 カラ、いいね?」


「は、はいっ!」


 握りしめた拳が血の気を失ったように白く変わっていたが、カラは更にぎゅっときつく握った。 心臓がドクドクと痛いほどに大きく打っている。 右手で思わず胸を掴んで、大きく息を吐き出した。

 カラの変化を肩の上で見ていたナジャは、大欠伸をひとつすると呆れるような調子でしししと笑った。


『未だ対面してもおらんというに、そうも緊張しおって、実際に(あい)対した時はどうするのかの? 力めば倒せる相手ならよいがの』


 更にしつこくしししと笑うナジャに反駁(はんばく)しようとしたが、やめた。 緊張しているのは事実で、実際に〈闇森の主(ウルド)〉に再び対峙した時に、自分がどのような状態で居られるかはわからない。 認めざるを得ない事実をナジャは言っただけなのだ。


「ふんっ、好きに言ってればいいよ」


 カラの反応に、ナジャは緑の右眼をくるりと回し、細めた。


『ほう? お前のことだ、また血相変えて言い返してくるものと思っていたが、この期に及んで、頭がちぃとは働くようになったか? 人間、追い込まれると却って明晰(めいせき)になることもあるとは聞くが、お前の様などうしようもない小童(こわっぱ)でも当てはまるとは驚きだの』


 重ねて投げかけられる笑いの混じった言葉の数々に、カラは耳を塞ぐ代わりに顔を背けた。 するとナジャの硬い尾が横っ面を叩いた。


「なにすん――」

『ふてくされるのは後にせい』


 不満を瞬時に制する厳しさと鋭さを帯びたナジャの声につられ、カラも視線を正面に向けた。

 眼の前には、いつの間にかカラをかばうようにナハが、背後はカナルがやはりカラを守るように立っていた。

 ナハの先に広がる薄闇に、浮かび上がるように一人の男が立っていた。 痩せぎすの、ひょろりと背の高い四十がらみの男。 顔に見覚えはない。

 だが、男の放つ独特の空気に覚えがあった。


「さっきからやけに邪魔なのが出て来るとは思っていたが、やはり親玉が出て来たな」


 ひとつため息を吐くと、ナハはカラにも応戦の準備をしておくように小声で伝えた。


「ナハさん、この男、もしかして操骸師(そうがいし)ってやつじゃないのかな?」


 カラの上ずり気味のひそひそ声に、ナハは振り返ることはしなかったが、僅かに驚きを含んだ言葉を返して来た。


「何故そう思ったんだい?」


「似てるから。 この男の雰囲気が、セナっていったあの骸骨みたいな男にそっくりだから……」


 言いながら、カラは背筋に走る寒気に身体を震わせた。 ねめつける様に自分を見ている男の視線に、体温を奪われていくような不快さを感じて落ち着かない。

 不安そうなカラの言葉を聞き付けたのか、痩身の男が反応した。 にたりと引き()れた笑いを浮かべると、自分の頬を両手で挟むようにして撫で回し始めた。


「僕の顔、前のからはずいぶんと変わってしまったと思うのに、君にはわかるんだね。 嬉しいなあ。 君には僕のことをもっと知って貰いたいと思っているけど、僕が頑張らなくても君なら僕のことを理解してくれそうな気がするよ」


 声は紛うことなき中年男の少ししゃがれた低音だったが、口調はまるで少年のような無邪気さが滲んでいた。 その喋り様に、カラの不安は真なのだということを知った。 と同時に、闇からドロドロと死魔獣が溢れる様に湧き出し男の周囲に(はべ)った。 もはや疑う余地はなくなった。


「ナハさん、この男本当に――……」


「セナだ。 この男は〈器〉を替えるのが趣味の様などうしようもない奴でね。 見た目は違うが、中身はあのろくでもない操骸師そのままだ」


 ナハの言葉を聞いて、セナは更に口角を引き上げる様ににたりと笑った。

 過日、カラとアルが遭遇した時の〈器〉より幾分肉付きは良いように見えるが、それでも男としては線が細く力がある様には見えない。 だが、その見た目の非力さを補い余りあるような、陰鬱とした粘りを帯びた力の端くれが内面から滲みだしているとカラには感じられた。

 闇間から湧き出す死魔獣は止まったかに見えたが、一拍の間を置いて、既にたむろしている死魔獣を掻きわけるようにぬっと人間の腕が何本も伸び出した。 更に数拍の間を置いて、唸るような、地を這うような低い意味の無い言葉を発しながらずるりと何体もの人型のモノが這いだして来た。 その落ち窪んだ眼窩(がんか)には赤い()きのような光が揺らめいている。 身体は個体によって状態は違ったが、生きている人間とほぼ変わらない姿のものから、半ば腐敗し腸が崩れ出たり骨が露出しているものもいる。

 周囲には堪え難い腐敗臭が漂った。


「に……人間の……死魔獣? ナハさん、あれも、あれも死魔獣な、の……?」


「〈仮魂(かりだま)〉を入れられれば、獣であれ魔獣であれ人間であれ、なんだって死魔獣に仕立てられる。 使える駒はなんだって使う、あの禍術(まがじゅつ)師に禁忌はないからね」


 気が付くと、ぐるりを死魔獣の壁で囲まれていた。 見上げると、頭上にも赤く底光りする眼が天の星のように瞬いている。 その数は、アルと囲まれた時の比ではないと直感的にわかった。

 ナハもカナルも、表情は厳しい。


『まったく、酷い臭いだね』


 カナルが短く吐き捨てるように言うと、波打ち蠢いていた黒髪が鞭のようにしなりながら八方に伸び、高く厚い壁をつくる死魔獣を襲い壁の一角を打ち砕いた。 死魔獣の奇声が反響し耳を覆ったが、その音の静まりと共に崩された死魔獣の壁は再びつくられ、さらに厚みを増していっているようだった。


「これは少々、時間がかかりそうだな」


 カナルは舌打ちをして髪を戻すと、ため息を吐いたナハに耳打ちをし、そしてカラの額に手を置いた。

 カナルの手から、音と景色が頭の中に流れ込んできた。 視覚にも聴覚にもよらない手段で情報が入って来たことで、カラは瞬間的に眩暈(めまい)を起こしたが、カナルに支えられしっかりと立つと、カナルとナハの顔を見上げた。


『――わかったな』


 カナルの緋色の瞳が真っ直ぐにカラを見ていた。 一瞬の躊躇(ちゅうちょ)の後、カラはこくりと頷いた。


「秘密の相談? いやだなあ、眼の前で隠し事をされるのはいい気がしないね」


「ならばこの場から去ればお互い不快にならずに済んでよいと思うのだがね。 イセラド=ソイル=ナジェル=オークス。 良い提案だとは思わないかね?」


 ナハに《名》を呼ばれ、セナは瞬間眉根を寄せたが、小さく息を吐き出すと、再びにたりと笑った。


「お前、トルサキアのナハ=ラスクス。 はぐれの〈地の長〉なぞに用はないよ。 お前の契約精霊も、魅力的ではあるけどそこまで巨大な力は制御できないからね。 僕はね、その少年を迎えに来たんだ。 その為にまだ作りかけの死魔獣だけじゃなく墓を掘り返して人間の傀儡まで連れて来たんだよ、僕の趣味じゃないのに。 でもどれも残りものでいいやつがいなかったから、代わりにとっておきをのをひとつ、連れて来たんだ――……」


 言いながら、セナは右の人差し指を前方に突き出し、短く鋭い(ことば)を発した。 その僅かな音に呼応するように、突如、虚空を裂くような咆哮が響いたかと思うと、セナの頭上に異形の獣が現れた。 豊かな(たてがみ)をもった獅子頭に鎧の様な鱗に覆われた胴体。 四肢は巨大な鷲足の如くで、指先にはカラの親指よりもはるかに太く鋭い鉤爪が付いている。 尾は三股に分かれ、それぞれの先は獰猛そうな蛇頭をしている。


「僕の傑作の複合獣のひとつでね、カーシャっていうんだよ。 綺麗だろう? 死魔獣共と違ってこいつはれっきとした生きた魔獣でね、頭がいいんだよ。 僕の言うことは何でも聞くし、必ず遂行する」 


 セナはその風貌に不似合いな無邪気な笑みを浮かべると、カーシャと呼んだ複合獣に手を伸ばし眉間をひと撫でした。


「カーシャ、いいかい、お聞き。 必要なのはあの金に光る瞳の少年だけだ。 気をお付け、あの少年の腕力はとても強い。 先に触れられると掴まれ投げ飛ばされるかもしれないからね。 生死は問わないけれど、なるべく生きたままがいい。 後はお前の餌だよ。 食べておしまいよ。 でもまずは――……」


 セナの言葉が終わらぬ内に、周囲に控えていた死魔獣が雪崩を打ったようにカラ達に向かって来た。 カラを除く二人、特にカナルに死魔獣は集中して群がり、二人の姿が目視できなくなるほどの覆いかぶさる勢いで襲いかかった。

 ナハとカナルに向かわなかった一部の死魔獣は、カラへ襲いかかって来た。 殊に人型――人間だったものがカラに集まって来ていた。 一体一体の動きはとても鈍く、掴みかかり取り押さえようとする手を逃れるのはそう難しくはなかった。 だが、攻撃を加えることにカラは躊躇を覚えていた。 頭では倒すべき敵だと、しかもこれらは操られているだけの屍だとわかっているのに、殺す、という言葉が頭を過り思い切り撃ち込むことが出来ず、遠ざけるだけでいつまでたっても打ち倒すに至らない。

 グンっと、外套(がいとう)の裾を引っ張られ派手に転んだ。 慌てて仰ぎ見ると、腹部が(えぐ)れ、内臓の大半が腐り落ちた半ば骸骨になった屍がカラの上に覆いかぶさろうとしていた。 慌てて棍を横へ薙ぐと、ぐずりとした鈍い感覚と硬いものを砕く感触が手に伝わった。 肉と骨が断たれ、屍は二つに分かれ地に崩れ落ちた。

 立ち上がろうとすると、今度は足に何かがつかまった感覚を得て、棍をそちらにはらおうとして手が止まった。 視界に入ったのは、自分と同じか、それより幼いかもしれない子供二人。 一人はまだ幼い歯をカラの靴に突き立て、いま一人は赤い虚ろな眼をカラに向けている。

 子供達の力はさして強くなく重さも大してない。 カラは足を振り子供をふりほどこうとしたが、想像外に子供はしっかりしがみついていて離さない。 手で払いのけようと手を振り上げると、突然、子供達が悲鳴のような奇声を上げ顔を大きく歪めた。 まるで恐怖しているような表情でカラの手を見上げる子供達の様子が、かつて自分が大人達に手を上げられ怯え縮こまっていた時の己に思え、カラは手を振り下ろせなかった。 

 カラが手を出せないとみると、子供達はじりじりと手を伸ばし上半身へ這いあがろうとした。 手を上げることも、まして棍をふるうことも出来ずカラは困惑し、ついにはしがみ付かれたまま後ずさる様に地面を這いずった。


「離れろ、はなれろ、離れてくれよぉっ」


 泣き声に近いカラの叫びに応えるかのように、肩から投げ飛ばされていたナジャが火を吐き、足元の子供達と周囲に群がっていた他の死魔獣を一気に焼き倒した。

 以前にも見た生き物が焼かれる光景、臭い。

 だが今のカラには、それらのものに何かを感じている余裕はなく、ただ呆然と炎が踊るのを見ているだけだった。 ナジャはカラの肩に上ると、ひとつ熱い鼻息をカラの頬に吹きかけた。


『まったく、本当に世話の焼ける餓鬼よな。 その程度の覚悟でお前の目的は果たせるのかの? ここで死ぬつもりならばそう言え。 ワシはこの肩を降りる』


 ナジャの尻尾がひとつ、痛いくらいに背中を打った。 その痛みが気持ちをはっきりとさせた。 大きく息を吐き出すと、立ち上がり袖で顔を拭い残る死魔獣へと視線を向けた。

 棍をしっかり握り直すと、カラは狙いを定めて棍を振り、打ち込み、死魔獣を地に落としていった。 カラの打ち倒した死魔獣へすかさずナジャが炎を浴びせかけとどめをさしていくことで、僅かずつだが確かに道が切り開ける兆しが見えて来た。

 だが、死魔獣達はしぶとく、なかなかカラを解放してくれない。 それはナハやカナルも同じことのようだった。

 自分に襲いかかって来るものは自分で始末を付けて道を開き、ナハ達の算段通り確実に動かなくては、と焦った瞬間、上空から大きな鳥型の死魔獣が現れ、ナジャの尻尾をつかみカラの肩から引き剥がした。


「ナジャっ!!」


 ぶら下げられたナジャは首を大きく捻り炎の槍で鳥を貫き、鳥は瞬く間に紅蓮の炎に包まれたが、なおもナジャを離さず飛び、かなり離れた地点で燃え尽き落ちた。 落ちたナジャに多くの死魔獣が群がった。 鳥の役割はカラとナジャを引き離すことだと知り、それは成功したのだと悟った。

 このままでは不味いと思った瞬間、「いっておいで」という無邪気な口調の言葉がカラの耳に入った。

 はっと視線を上に向けると、複合獣が跳躍してカラの頭上に迫っていた。 咄嗟に後方へ跳び退り、寸でで鷲足に取り押さえられることは避けられたが、その巨体に見合わず複合獣は敏捷で、カラが棍を構える隙に再び跳躍し、カラの眼前に着地した。 考えるより早く棍を突き出したが、複合獣は棍をがっちりと(くわ)え受け止めると、そのままカラ諸共持ちあげて投げ飛ばした。 高く放り上げられた分落ちた時の衝撃は凄まじく、カラは瞬間息が出来ずもがきかけたが、手にしていた棍からすっと冷えた気が流れ込むと、身体の痛みは嘘のように消え、呼吸もなんなく出来るようになった。 

 鮮明になった意識の端で、獣が跳躍する音が聞こえた。 慌てて起き上がり振り返ったが、棍を構えるには遅かった。

 不吉な赤い口の中にぬっと伸びる黄ばんだ牙、胴体と同じく巨大な鱗に包まれた足の太い爪がまるで自己主張するかのようにカラの眼に飛び込み、身体をその場に縫い付けるように縛った。 手足が石のように動かなかった。 黒く禍々(まがまが)しい鉤爪が自分の肉を裂くと思った瞬間、カラは思わず眼を瞑った。

 一呼吸、二呼吸――数回の呼吸をしても、何の痛みも身体には走らなかった。

 おそるおそる眼を開けると、煤けた緑色の外套の背が眼に入った。 その右脇からぱたりぱたりと赤い滴が落ちている。

 大きく見開いた眼には、複合獣に右腕を喰い付かれたナハの姿が映った。 ぎりぎりと牙の喰い込む音が聞こえそうなほど、複合獣は鼻に深い皺を寄せ力を込めている。


「ナっ、ナハさんっ!」


「大丈夫だ。 それより準備はいいね?」


「でっ、でもっ――……」


「馬上での言葉を思い出せ。 君は、ここへ来た目的の為に行動するんだ。 それがひいては私達の為にもなる」


 カラを気遣ってのことだろうが、ナハの声は極めて平静であったが、複合獣が銜えた腕を喰いちぎろうと頭を振ると、ナハの身体も大きく揺れ、明らかに痛みに耐えるように眉間に深い皺を寄せた。

 ナハを助けなければという思いと次の行動に移らねばという思いがせめぎ合い、カラの動きを止めた。 助けることに動きたくとも、近付こうとすると複合獣の尾の蛇頭が威嚇の音を出しながら牙を剥き襲って来るので容易に近付けない。 ナジャの炎ならばと思ったが、ナジャは未だ死魔獣に取り囲まれカラの元へは戻ってきていない。

 じりじりと考えあぐねている間にも、ナハの腕からはとめどなく血が滴り落ちる。

 血の滴りを見る程に、決断が付かなくなる。


『小僧、行け!』


 カナルの鋭い声が背後から響くと同時に、セナの身体に黒い髪が巻き付くのが眼に入った。

 振り返ると、髪を触手のようにざわめかせたカナルが、腰に手を当て前方を見据えていた。 周囲をよくよく見れば、空間を埋め尽くすかのように溢れていた死魔獣はほとんど残っていない。


『ぐずぐずするんじゃあないよ、これを連れてさっさとお行き!』


 言葉と共に、カナルの髪がナジャを乱暴にカラの肩に運んで来た。 肩に戻って来た重みが、カラの迷いをすっと沈めた。 両手で頬を叩き頭をひとつ振ると、力強く足を踏み出した。

 己の横をすり抜け走り去ろうとするカラを捕らえようと、セナは複合獣に行動の転換を命じたが、複合獣はナハの腕に喰い付いたまま動かず、残っていた死魔獣はそれぞれに不可解な動きをした末に、バタバタと倒れ動かなくなり、しばらくすると屍体すらも分解されるように散って見えなくなった。

 カラの足音が十分に遠ざかったことを確認すると、カナルはナハに視線を定めた。


『まったく、いつまで遊んでいるつもりなんだい?』


 低いカナルの声がぶっきら棒に放たれた。 不機嫌そうな相方の声に、ナハは少し力の抜けた笑いを返した。


『こいつの始末はお前の仕事だ。 さっさとそっちを片付けちまいな』


「そうだね。 まあ、頃合いかな?」


 大きく息を吐き出すと、ナハは自由の利く左手で複合獣の鬣を掴み、口をこじ開けさせるかのように上方へと引っぱった。

 複合獣は容易に口を腕から離さないと思われたが、ナハが軽く引くと簡単に力を抜き、だらりと巨大な口を開いた。 開きっぱなしになった口からは、ナハの血の混じった赤味を帯びた涎がたらたらと落ち、青みを帯びた長い舌がだらりと口の横に垂れ下がった。 よくよく見ると、口角には泡が立っていて、その量は次第に増していく。

 ナハが左手を離すと、複合獣は地にドサリと崩れ落ち、数度痙攣をした後に大きく身体を反らせ上下させると、ぴたりと動かなくなった。

 あっけにとられ見ていたセナは、大きく眼を見開き、己の自慢の複合獣の死体を見飽きるまで見た後、ナハの顔に影の射した視線を向けた。


「――ナハ=ラスクス。 お前は確かシャイル―カ一族の生き残りだったな。 レーゲスタ大陸に比肩するものなしと(うた)われた薬呪師一族――その裏で暗殺を生業(なりわい)にしていた忌むべき血統。 毒を使っての謀殺はお手のものなわけだ。 だが、僕が知っている限りの毒でカーシャが死ぬはずがない。 お前、いったい何を隠し持っていた?」


 睨みあげて来るセナに笑顔を返すと、ナハは腕の傷に手を沿わせ、軽いため息を吐いた。


「まあ、言うなれば秘中の秘を活用した、といったところだな。 お前の自慢の獣は、私とは相性が良かったのさ。 ――ああ違うな、悪かったんだな、最悪に」


 言いながら、ナハはセナの傍まで歩み寄ると、血だらけになった右手でセナの顎を掴んだ。



     ***



 無我夢中で走った。

 カナルがカラの頭に流し込んだ地図を辿るように、慎重に、だが全速力で道を進んでいった。

 ナハ達を残し駆けだした直後こそ、多少の死魔獣がカラを追って襲いかかろうとして来たが、肩にしがみつくようにして乗っているナジャが炎で確実に仕留め倒してくれたので、カラは走ることに集中出来た。

 ナハが言っていたように、目的地に近付くほどに地鳴りと振動が多く近くなっていく。

 あとみっつ。 左に一回、右に二回曲がった先が、カナルが〝目的地〟と教えた地点だ。

 怖い。 心臓が口から飛び出てしまうのではないかと思う程に、怖い。

 けれどそれ以上に待っていた、この時を。


 三つ目の角を曲がると、まっすぐに駆け抜けた。


挿絵(By みてみん)

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