普通の人と結婚したい聖女ですが、普通の人は聖女に求婚しません
「何故ですの!? かなり今回は盛れた肖像画ですのに」
「奇跡の一枚のような肖像画は詐欺かと思います」
エヴァンジェリン公国首都テレヴァンの中央教会、筆頭聖女リーゼロッテ・セレスティアの居室に情けない声が響いた。
「うるさいですわ。デートにこぎつけるまでが大変ですのよ!」
「リーシャ様は聖女ですから、顔なんて既知でしょう。わざわざ肖像画を送る意味などないのでは?」
「仕事着のまま婚活しろと!?」
「問題ありません。リーシャ様には法衣が一番お似合いです」
リーシャの突っ伏す机の前には婉曲に婉曲、比喩をもりもり盛り込み、難解な暗号のような『お断り』の手紙が置かれていた。
結婚活動、いわゆる婚活を始めてから三回目のお断りの手紙だ。
ぐったり肩を落とすリーシャにお付きのハロルドが冷めた視線を落とす。無駄に贅をこらした手紙をどかし、かわりに紅茶を出した。南洋諸島の茶葉の柔らかな香りが部屋に広がった。リーシャのお気に入りの茶だ。
「……別に落ち込んでいませんわ」
「それはよかったです」
「私には数万のファンがおりますから落ち込んでなどいられません。次です次!」
「信徒をファン扱いするのはおやめください」
むくりと起き上がり、カップに口を付ける。その眉間に皺はより、瞳は不満気に細められていた。決して信徒に見せられる顔ではない。
「それにしても、私にお見合いを申し込まれる方、一癖も二癖もある方ばかり!! 大司教ほどのお年の方、縦と横の比がおかしい方、お子様を両手の指ほどお持ちの方!」
リーシャが『私、婚活をしてみようと思いますの』と突如言い出し一ヵ月。大司教が驚きのあまりひっくり返り、司祭は頬をひきつらせ、護衛は泣いて止めた婚活は早くも暗礁に乗り上げていた。
「普通の人がいいんですの!」
「普通の人は聖女に交際を申し込みません」
「わかっております! でも、普通の方に私個人を普通に見てほしいのですわ。聖女である私も私ですが、でも、それだけではありませんでしょう」
ハロルドは口を閉ざした。
五歳で神殿に招かれ、以来十数年をここで過ごした彼女が『普通』を知らないことだけは誰より知っている。
「このままでは行き遅れてしまいます!」
「……大人しく神託を待たれては? 神の許しを得て聖女の座から降りても遅くないでしょう」
「そんなの待ってられませんわ。先代の聖女に神託がくだったのは58歳。定年間際ではないですか! 先先代など神のお気に入り。神託がくだらず、生涯お一人で過ごされました! 神は無慈悲です!!」
どうしてもリーシャは結婚がしたいらしい。
自身の神に対して物申す聖女。信徒が聞いたら卒倒ものだが、ハロルドには見慣れた光景。外で出さなければあえて注意をすることもない。
「ですが、それと同時に神は勤勉をよしとしております。運命は自らの手で掴み取るもの!」
強く拳を握りしめる聖女リーゼロッテを眺めながら、ハロルドは紅茶のおかわりを注いだ。
「そう仰るなら条件を緩和するべきかと。差し出がましくも申し上げますと、リーシャ様の条件は一般的に厳しいです」
「お互いの求める条件や価値観など、最初のすり合わせは大事でしょう」
きょとんとして首を傾ける聖女が世間から隔離されて十数年。彼女の中で育まれた一般的な男性像は王族や貴族、僧侶と言った極少数の偏ったものでできていた。
リーシャの求める男性を婚活市場において探すなど、西方に広がる砂漠の中で砂金を探すようなもの。
聖女の思い付きに振り回されること十数年。お付きとしてすべき最低限の忠告はした。早くあきらめてくれるようハロルドは神に祈った。
「決めました、条件を下げますわ!」
机の羊皮紙を握りしめふるふると震える聖女リーゼロッテ。午前中孤児院に行き、子供たちに向けていた笑顔とは対極の顔である。
「おや、すり合わせが大事と仰っていたではないですか」
意地の悪いお付きを視線で黙らせると、リーシャは書き出していた自身の婚活相手に求める条件をペンで書き直していく。同年代はあきらめ、身長は気にしないことにした。収入だって当初の半額にする。
「どんどん下げますね。中央市場の夕方の売り尽くしセールのようです」
「背に腹は代えられません。婚活、思った以上にお金がかかるし、時間もかかりますわ!」
一緒に婚活を始めた第三聖女が先に結婚してしまったのがきいているのだろう。とんとん拍子に交際を始めた彼女はつい先日花がほころぶような笑顔で婚約者を紹介してきた。
「いい加減あきらめられては?」
「あきらめなんて言葉はもちあわせておりません。信じる者は救われるのです!」
リーシャの条件緩和が功を奏したのか、信じる者なので救われたのか、彼女の下にはお見合いを求めるプロフィールが倍増した。
とは言え、条件を下げたのだ。彼女のお眼鏡にかなう人間が増えたわけではない。
リーシャは慣れた手つきで部屋に届けられたプロフィールの紙をめくっては仕分けていく。大半はお断りボックスへ一直線。もはや作業である。
「……ん?」
連続して十枚ほどお断りボックスに手紙を入れた後、リーシャの手が止まった。
書かれていたのはエヴァンジェリン公国辺境伯の令息だ。年齢身長体重家柄すべてよし。
むしろ何故今になってこのような好条件が現れたのだろう。どこかに落とし穴はないだろうか。気持ちを落ち着けて、上から下までじっくりと読んでいく。
「ハロルド、これをご覧になって」
「あなたの婚活に巻き込まないでください」
「いいから、ご覧になって!」
押し付けられた紙を持ち直して、ハロルドは心底嫌そうにプロフィールを読んだ。確かに類を見ないほどの好条件だ。リーシャが誰かに一緒に確認してもらいたくなるのも分かる。
「内定していた婚約者の二心によって婚約を破棄されたとのこと。リーシャ様の望む条件に適っていると思われます」
「すごく嫌そうな顔してますね」
「元からです」
「そうでしたわね、それにしてもこの方詐欺ではないでしょうか。うまい話には裏があると言いますでしょう」
散々な言いようである。
「相談所が仲介しているのです。顔以外は虚偽の申請はできません」
先週最高に盛れた肖像画を送っていた聖女はぐっとうなり声をあげた。
「そんなことありません。旅行が趣味の貴族の方は、親の領地視察がほとんどですし、音楽鑑賞が趣味の方はサロンでの権謀術数が趣味ですわ」
「……リーシャ様、あなたとて趣味を祈りで登録していますが、目下の興味は食べることに寝ることでしょう。プロフィール詐欺はお互い様かと」
「……この方のプロフィールが真実なら緊張してしまいますわね」
お付きの言葉を都合よく聞かないふりをしたリーシャは再びプロフィールに視線を落とした。
これを逃したら二度とでてこない好条件。まだ未確認のお見合い候補者はいるがリーシャは迷わずペンを手にした。
お見合いの日時や場所はとんとん拍子に決まった。どうやら結婚相談所の方も厄介ながらも無下に扱えない客をさっさと成婚させたいのだろう。
提案された場所はヴェンゼル伯爵が一般公開している庭園。時刻は陽の和らぐ昼下がり。リーゼロッテの立場をおもんばかり奥の区画は人払いがされていた。
久しぶりの外出、しかも園内でのお供は陰に身を潜めた護衛のみ。
歌でも歌いだした気分で馬車に乗ったリーシャだが、庭園の入り口に着くまで延々とハロルドの小言が続いた。
「いいですか、リーゼロッテ様。プロフィールに書かれていない悩みを持つ方もいます。聖女のお悩み相談と化さないようにしてくださいね。人生相談をされる際は相応の寄進を受けてください。あなた様は経営には疎くあられますから」
「わ、わかっていますわ」
婚活のはずが亡き妻が忘れられないという男性に救済の手を差し出してしまったのは前回のお見合いのこと。
人生相談に必ず寄進を求めるものではないが、司祭に数時間にわたり小言をくらったのはまだ記憶に新しい。
「あとは」
「も、もう! いいですわ! 未来の旦那様との初のデートかもしれないのですよ。もっと明るい気持ちで送り出してくださいな。お前に迷惑をかけるのもこれきりかもしれませんよ」
いつにもまして辛気臭い顔をしているお付きの顔を見れば、すっと顔をそらされた。ずいぶんつれない様子だが、そんなこと気にしていられない。
「ねぇ、似合っていますか」
今回のお相手は今のところ否定する要素が一つもない。
リーシャはいつもにまして身支度に気合いを入れていた。慣れない化粧をして、普段まとわない薄紅色の服に身を包み、細く高いヒールの靴で足元を飾った。
年頃の女性らしく着飾る機会が少ないリーシャは見慣れぬ自分の姿に朝から高揚していた。
お付きの感想を求めて緊張と期待で鼓動が早くなる。そんなリーシャの姿にため息一つ、ハロルドは頭のてっぺんからつま先まで様変わりした聖女を眺めた。
「……法衣の方がお似合いかと」
「……もう、あなた本当に失礼ですわね。こういう時は褒めるんですのよ」
「自分の心に嘘はつけませんので」
くるりと背を向け馬車を降りようとした瞬間、慣れぬ靴にリーシャの身体が傾いた。
それすら見越していたのか、ハロルドはさっとリーシャを抱えると馬車から降りた。
「あ、ありがとう」
「お気をつけて行ってきてください。私はここでお待ちしています」
「えぇ、行ってくるわ」
支えてくれていた手から自身の手を引き抜くと、硬い指先が一瞬リーシャの手のひらをかすめた。
「レオンハルト・フォン・ライフェンと申します。レオンとお呼びください」
庭園でリーシャを待っていたのは、柔和な笑顔を浮かべた青年だった。細く通った鼻梁に金糸のような髪、服の上からでも察せられる筋肉。肖像画通りの男性が目の前にいた。
プロフィール詐欺ではありませんわ!
ここにはいないお付きに向けてリーシャは思わず念じた。
「レオン様、お会いできて嬉しいですわ。リーゼロッテ・セレスティアと申します」
リーシャをさっとエスコートをするレオンに、リーシャは今までにない手ごたえを感じていた。聖女を前にして挙動不審にならない候補者は彼が初めてだ。
焦りは禁物、人となりを見る、仕留める時は確実に。リーシャは第三聖女から教えられた秘訣を心の中で繰り返した。
こ、これはいいのでは!?
「けがはないですか」
「だ、大丈夫です! あ、ありがとうございます。お昼寝していたら周りの人いなくなってて」
「驚かせたな、少しこの場を借りているのだ」
和やかな会話をして笑いがこぼれるようになった頃、予期せぬ乱入者があらわれた。不意に飛び出した小さな影に、後ろに控えていた護衛が真っ先に動いた。その護衛を制し、レオンは転んだ子どもの砂をはらってやった。
特権階級である貴族ながら平民の身を案じる姿はリーシャの心に衝撃を与えた。リーシャの元を訪れる貴族は神殿へ心をよせることはあれど、庶民へのやさしさは持っていない。
だからこそ、リーシャはレオンが子どもに無体を働く前に駆け寄ったのだが、レオンの方が早かった。
護衛が少年を一般区画へ案内するのを見送っていると横から視線を感じた。
「聖女としての役目をお休みしているときでもリーゼロッテ様はお優しいのですね。」
「困っている方がいれば手を差し出す。私にとっては当たり前ですわ」
「そうかもしれませんが、痛む足を押しても駆け寄ろうとするのはあなただからですよ」
え、と声を漏らせば、レオンの視線がリーシャの足元へと行く。ぎくりと身を硬くした。隠していたつもりだが、今の反応で確実にバレてしまっただろう。
「すみません、履きなれなくて」
じくじくと足が痛みを訴えてくる。園庭に着くまではハロルドが横で支えてくれて気付かなかったのだが、リーシャにこの靴はヒールが高すぎた。
ハロルドにはお見通しだったのですね。
「こちらこそ、気付くのが遅れて申し訳ない。東屋で休憩をしましょう。そんなに悲しそうな顔をしないでください。とてもお似合いですよ。徐々に慣れていけばいい」
先をほのめかす発言にリーシャの頬が赤みを帯びた。
話題が尽きてしまわないか、お悩み相談にならないか危惧していたが、レオンとの会話は時を忘れるほどだった。気が付けばお開きの時間が近づいていた。
「そろそろ戻らないと」
「そうですね、ですが、あなたを返すのは次の約束をしてからがいい」
レオンの瞳が真っすぐこちらを見てくる。お見合いの返事は帰宅後に手紙にて行うよう結婚相談所に言われていた。直接明言してトラブルを避けるためだ。レオンの真摯な態度にリーシャは背筋を伸ばした。
「あなたのような方が支えてくれると心強いです」
支えられるのだろうか。このお見合い中、リーシャは足を痛めたり、気の利く話題を振ってもらったり、ふがいない姿ばかり見せていた。
とは言え、夫婦とは支えあうものと聞く。この人は私との次を望んでくれている。顔に熱が集まっていくのが分かった。
リーシャが返事を口にしようとした瞬間、
「聖女である貴方が我が妻となれば、領民も安心でしょう。辺境にも大きな支えとなります」
それまでの熱がすっとひいていく。返事を飲み込みゆっくりと息を吐きだした。
確かに私のような『聖女』が支えると辺境伯を継ぐレオンは心強いだろう。
「もちろん、あなた自身も魅力的です」
「ありがとうございます」
声は震えていないだろうか。顔は笑えているだろうか。
内心の不安とは裏腹にリーシャはこのデートの中で一番きれいな笑みを浮かべた。
「お話中失礼します」
無骨な声が東屋に響いた。聞き慣れたハロルドの声がやけに心強かった。
「お時間になりましたので、リーゼロッテ様おかえりのお仕度をお願いします」
「お付き殿はずいぶんと遠慮のない方だな。逢瀬の最中に乗り込んでくるとは」
「逢瀬ではないでしょう」
感情の乗っていない声がレオンを突き放す。
「たった数時間の自由すらない。リーゼロッテ、あなたは神の名のもと拘束されている。一生法衣を着て過ごすことになってしまう」
「え?」
「お時間です、これ以上は見過ごせません」
「……すみません。ハロルド、もう少しだけ」
ハロルドは一瞬だけ険しい目を向けるもすぎに目を伏せた。小さなため息がリーシャの耳に届くと、大きな背中が彼女の横へ寄り添った。
「レオン様、本日はお付き合いくださりありがとうございました。大変楽しい時間をすごさせていただきましたわ。ただ、お話しする中で価値観や考え方に少し違いを感じました」
真摯に向き合ってくれたレオンの瞳をリーシャもまた真っすぐに見つめ返した。
「私は私のままでいたいですわ。この服もいいですが、私は法衣も似合うと思っていますの。レオン様に素敵なご縁があることをお祈り申し上げます」
ずんずんと突き進むハロルドに小走りでついて行き、出口に着たはいいものの、迎えの馬車はまだ回ってきていなかった。いつもは慎重に真綿でつつむよう、添えられるだけの手がぎゅっとリーシャの手を握りしめていた。
「ご無事で何よりです」
「大袈裟ですわ。」
「……出会いの場を壊して申し訳ありません」
怒られた子犬のようなハロルドに小さな笑いがもれる。いつも自身の言葉を聞き流しているような態度をとる彼だが、リーシャの言葉を誰よりも聞いているのだ。
「いえ、いいタイミングでしたわ。そろそろお断りしようと思っておりました」
「……お断りしてよろしいのですか。あなたが求める条件はすべて満たしているでしょう」
「えぇ、それにとてもやさしかったですわ。あんなにやさしくされたの初めてです」
ぴくりとつないだ手が揺れた。
「……でも、あの方はダメ」
さきほどの出来事に思いを馳せいていたリーシャの顔からすっと笑みが消えた。
「教会も神も私にとっては大切なものです。だからこそ、結婚の道具にはできません」
リーシャは迷いなく言い切った。あれほど結婚をしたいと言っていたのに。
「私、普通の人に私を見てほしいって言いましたでしょう? あの方の目に映っていたのは『聖女』でした。神は多くの人の拠り所ですもの。『聖女』が先に見えてしまうのも無理はありませんわ」
不満なんて感じたことはないが、この事実に少しの寂しさを覚え始めたのはいつの頃だろう。
「私は『聖女』を誰か一人だけのものにはできません」
「ずいぶんと聖女らしいことを仰るのですね。普段あれ食べたい、休みたい、寒いなどわがまま放題のあなたが」
「あら、私がわがままを言う相手は決まっていますのよ」
筆頭聖女はいたずらっ子のように目を細めた。
「……誰にも見られないところで自身のために生きたいとは思わないのですか。神とてこの十数年敬虔なしもべであるリーシャ様を許すのでは」
ひねりだすような声が耳朶をたたいた。
「そうかもしれませんね。確かに神はときどきよそ見をします」
うつむいたハロルドの表情は見えない。
「でも――」
リーシャは少し背伸びをするようにハロルドの顔をのぞきこんだ。
「あなたは見てるでしょ?」
めったに見ないほど見開かれた瞳にリーゼロッテは笑みをこぼした。
「さぁ、教会にもどりましょう」
帰り道、重かった空気はいつの間にかいつもの調子に戻っていた。
「さて、明日から気を取り直して婚活再開ですわ」
「再開しません」
「します!」
「認めません」
「認めなくてもしますわ」
「私が立候補します」
「え?」




