第1話:忘れられた一族の遺灰
俺の夢は、いつも同じ匂いがした。
熱せられた金属、オゾン、そして古い焦げ跡の匂いだ。
面をつけずに溶接作業の傍らに立っている時の、あの感覚を知っているだろうか? 目にオレンジ色の火花が散り、空気がナイフで切れるほど濃く、熱く感じられるあの瞬間。俺の夜は、まさにそんな風に過ぎていく。
夢の中に顔は見えない。あるのはただ、狂おしいほどの無限のリズムだけだ。
意識の深淵のどこかで、重い槌が金床を叩きつけている。その一撃一撃が俺の骨に響く。まるで俺自身が、不純物だらけの鉄屑であるかのように。
不意に、闇の中で精神の根幹を揺さぶる音が響いた。地響きのような唸り声が、鼓膜を破らんばかりの咆哮へと変わる。
振り返ると、底なしの暗闇から二つの巨大な縦長の瞳が俺を射抜いていた。紅蓮の炎を宿したその瞳は、他のすべてを飲み込んでいく。
――黒龍。
夜よりも昏い鱗を纏い、鼻腔からは灼熱の蒸気を噴き出している。龍は鋭い爪で真っ直ぐ俺を指し示した。宙に黒いルーン文字が浮かび上がる。それは、俺の首にかかった『ハガナイト』に刻まれたものと酷く似ていた。
『目覚めよ……クロナ……ハガネヤ……』
その声は脳内に直接響き渡り、こめかみに激痛を走らせる。
『お前の……時だ……灰が……』
龍が息を吸い込み、次の瞬間、その顎から紅蓮の火炎が放たれた。熱が全身を飲み込む。耐え難い苦痛――それと同時に、どこか懐かしい陶酔感。まるで本来あるべき場所に帰ってきたかのような。
「……あともう一発叩かれたら、マジで木っ端微塵になるところだったぜ」
俺は低く呟いた。だが炎の熱さは突如として、右目を刺す鋭い痛みに変わる。
埃を被ったカーテンの隙間から、朝日がエリートスナイパーのような精度で俺の瞳を撃ち抜いたのだ。
俺は手負いの獣のように唸り、毛布を頭から被り直す。安物の洗剤の匂いと、「今日は一歩も動きたくない」という強い意志が鼻をついた。
紹介しよう。古今東西、史上最低の悪魔――黒鉄クロナ。それが俺だ。
俺の同族はかつて魔界で「伝説の鍛冶屋」と呼ばれていたらしい。だが俺はどうだ? 人生最大の功績といえば、「遅刻しない」ことと「アパートを燃やさずに目玉焼きを焼く」ことくらいだ。
そんな疑わしい血筋と俺を繋ぐ唯一の証が、首にかけた黒い石。――『ハガナイト』だ。
これを外した瞬間、世界はあまりに騒がしくなり、腹の奥であの夢の中の槌が暴れ出す。
「よし、起きろ。カフェは勝手に借りられないぞ」
マットレスから身体を引き剥がし、洗面所へ向かった。鏡の中には、寝起きの竜巻に襲われたような赤い髪と、鮮やかな青い瞳の『何か』が立っていた。頭にアビエイターサングラスを乗せる。これこそが、俺が「すべてをコントロールしている」という錯覚を生み出すアクセサリーだ。
貯金箱の中にはちょうど5万イェン。半年間夢見てきた古いカフェを借りるには、あと4万5千イェン足りない。無職の悪魔にとっては絶望的な金額だ。
俺はベッドの下の箱から、あと二つの『ハガナイト』の欠片を取り出した。10年前、焼け跡の地下で拾ったものだ。結局、カフェへの夢が勝った。俺は石をポケットに押し込み、外へと踏み出した。
質屋までの道中、街の『隠された』側が嫌でも目に入る。例えば、あのオフィスレディ。普通の男なら彼女の脚を見るだろうが、俺は……いや、俺も脚を見ていた。だが同時に、彼女の下着の下で微かな悪魔のオーラが脈打っているのが見えてしまう。
質屋のじいさんは二つの石に4万イェンを提示した。
「じいさん、5万だ! これはハガナイトなんだぞ!」
「4万だ。嫌なら帰れ」
俺は打ちのめされながら金を受け取った。自前の5万と合わせて9万。あと5千……!
その時、天が味方した。タイヤの軋む音。車を避けようとして躓いた俺の鼻先に、一枚の紙幣が落ちていた。
5千イェン札。 「きっかり9万5千……感謝するぜ、運命の女神様」
数歩歩いた時、俺の視線が別の『何か』に捕まった。
古いビルの壁際に、一人の女が座り込んでいた。鴉の濡れ羽色のような黒髪。背中には漆黒の羽毛の生えた翼。
カッチリとした黒いスーツを着ているが、ボタンは外れ、その下の白いシャツは彼女の豊満な胸を辛うじて支えている。ピンク色の瞳が涙を溜めていた。
近づいた瞬間、彼女は俺の右足に死に物狂いでしがみついた。
「おおお、慈悲深いお方ー!」
彼女は俺の膝に顔を押し当て、むせび泣いた。柔らかな胸の感触がダイレクトに伝わってくる。
「お金を、少しだけでも恵んでください!」
「おい、あんた天使だろ。なんで羽の生えた天使が、悪魔にカツアゲしてんだよ?!」
「天界は退屈すぎるんです! カジノに競馬……私はすべてを賭けて、そしてスったんです! ギャンブル依存症で追放されて……」
名札には天道アマネとあった。黒髪、巨乳、そして一切の良心の欠如。
「つまりダメ天使か。……いいか、働き手は必要だ。食住付きで俺のために働け。どうだ?」
「やります!」
俺たちはカフェ『アットホーム・コーナー』へ向かった。ドアノブに手をかけた時、アマネが凍りついた。
「クロナさん……中に、とんでもなく恐ろしい『何か』がいます! 氷のように冷たく、傲慢で……魔王の娘だ!」
俺はため息をつき、ドアを押し開けた。
店内の中心、窓際のテーブルに彼女はいた。月光のような白銀の髪。鋭いエメラルドの瞳。そして、暴力的なまでの曲線。彼女は獲物を狙う捕食者のような笑みを浮かべていた。
「クロナさん……あの方は、魔王の娘、龍崎ホタル様です!」
ホタルがゆっくりと立ち上がる。俺のハガナイトが激しく脈打ち始めた。
「……用件を言え。青い目の雑魚」
彼女の声が響く。俺は震える手で金を差し出した。
「ここにカフェを開きたい。家賃の9万5千円だ。……いいだろ?」
ホタルは俺の目の前で止まった。
「ハガネヤ……神にでもなろうとした傲慢な鍛冶屋の末裔か。その身をもって知るがいい。エメラルド・ディスチャージ!」
三筋の雷光が俺に襲いかかる。俺は咄嗟に腕を突き出した。その瞬間、ハガナイトが共鳴した。
音が消えた。石が魔力を吸い込み――そして、『出力』した。爆発ではない。静かな真空の波。
パシッ。
目を開けると、ホタルの魔法陣は霧散していた。そして、静まり返った店内に、妙な音が響く。
――パサッ。ピンッ、ピピピンッ。
真珠色の小さなボタンが、古い床の上を陽気に跳ねていく。一つ、二つ……全部で五つ。
ホタルのブラウスが「守護者」を失い、無防備に左右へ開いた。
解放された彼女の双丘が、ショックで微かに揺れる。エメラルドのランジェリーが露わになった。
「……貴様」
ホタルの声が震えている。部屋の空気がピンク色に染まるほどの純粋な『羞恥』。
「今……私を脱がせたのか……!?」
「クロナさん……!」後ろからアマネが叫ぶ。「あなた……魔王の娘を、ストリップさせたんですか?!」
「違う! 知るかよ、こんな機能!」
ホタルは慌ててブラウスを掴んだが、俺の目はすでに4K画質で光景を刻んでいた。
彼女は俺を睨みつけ――そして、突然笑い出した。
「面白い。金などいらん。この店は貸してやる。その代わり、私が四六時中見張ってやる」
彼女は一歩近づき、耳元で囁いた。
「二度と予告なしにその『ストリップ魔法』を使ってみろ。その時は……お前の大事なモノを切り落としてやる」
俺は引き攣った顔で激しく頷いた。
ポケットには端金、背中にはダメ天使、目の前には半裸の魔王の娘。
どうやら俺の『大いなる不運』は、まだ始まったばかりのようだった。




