星の落ちた夜
帰るべき世界があること。
別れが避けられないこと。
星を越えなくても、世界が違っても、想いは確かに残る。
星の落ちた夜 その夜、空から星が落ちた。
少なくとも、ユウマにはそう見えた。
白い光が視界を満たし、耳鳴りがして、次の瞬間には地面に叩きつけられるような衝撃。
アスファルトの冷たさも、クラクションの音も、スマートフォンを握っていた感覚さえ、すべてが途中で途切れた。
――あ、死んだな。
妙に落ち着いた思考が浮かんだのを、ユウマはぼんやりと覚えている。
次に目を開けたとき、そこは夜の森だった。
湿った土の匂い。遠くで鳴く、聞いたことのない虫の声。頭上には、見慣れない星空が広がっている。
月は二つあった。
大小並んで、静かに光を落としている。
「……は?」
間の抜けた声が、自分の喉から漏れた。
体を起こそうとして、激しい眩暈に襲われる。
胃の奥がひっくり返るような感覚に、ユウマは思わず地面に手をついた。
「ちょ、待て……夢、だよな……」
そう呟いてみても、現実感は消えない。
頬をつねると、しっかり痛い。
異世界、という単語が頭をよぎったのは、その直後だった。
漫画や小説で散々見た展開。現実で起こるわけがないと笑っていたはずの出来事が、今まさに自分の身に起きている。
混乱と不安で胸がいっぱいになった、そのとき。
「……だれ?」
小さく、怯えた声が聞こえた。
ユウマが顔を上げると、木々の間からランタンの淡い光が揺れていた。
その光の中に、ひとりの少女が立っている。
亜麻色の髪が肩口で揺れ、白と淡い青の服が月明かりを受けて浮かび上がる。細い体つき。
手には治癒師が使うものらしい薬籠。
そして、こちらを見つめる瞳は――驚くほど澄んでいた。
「……怪我、してますか?」
恐る恐る、といった様子で少女が一歩近づく。
ユウマは言葉を失った。
あまりに現実離れした光景だったからではない。
彼女の声が、あまりにも優しかったからだ。
知らない世界。
知らない夜。
不安で押し潰されそうだった心に、その一言が静かに染み込んだ。
「……多分。頭、ちょっと……」
情けない声になったのを自覚しつつ、ユウマはそう答えた。
少女はほっとしたように息を吐き、すぐにしゃがみ込む。
「よかった……意識は、ちゃんとしてますね」
ランタンを地面に置き、慣れた手つきで薬籠を開く。
その動作は無駄がなく、それでいて丁寧だった。
「ここ、森の外れなんです。夜に一人でいるのは危ないから……」
「……ここ、どこ?」
問いかけると、少女の動きが一瞬だけ止まった。
そして、困ったように微笑む。
「えっと……アルセリア王国、ルーン地方です」
聞いたことのない名前。
やっぱり夢じゃない、と心のどこかで確信してしまう。
少女はユウマの額に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、ひやりとした感触が伝わる。
「少しだけ、治しますね」
そう言って、彼女は小さく呪文を紡いだ。
淡い光が指先から零れ、ユウマの視界が柔らかく霞む。
頭の重さが、嘘のように引いていくのがわかった。
「……すご……」
思わず呟くと、少女は少し照れたように視線を逸らした。
「見習いなので……これくらいしか、できませんけど」
「それでも、十分すぎる」
心からそう思った。
彼女は立ち上がり、ユウマに手を差し出す。
「歩けそうですか?」
一瞬だけ、躊躇った。
知らない人。
知らない世界。
それでも、その手を取らない理由は見つからなかった。
ユウマはそっと、その手を握った。
細くて、温かい。
生きている人間の体温。
「……私はリリアって言います」
歩き出しながら、彼女が名乗る。
「ユウマ」
それだけ答えると、リリアは少しだけ目を見開いてから、微笑んだ。
「変わった名前。でも……嫌いじゃないです」
その言葉に、胸の奥がかすかに揺れた。
星が落ちた夜。
元の世界から切り離されたその瞬間に、ユウマはまだ知らない。
この出会いが、帰る場所よりも、守りたい未来になることを。
そして――
この手の温もりが、いつか、失うかもしれないものだということを。
夜の森を抜けながら、二つの月が静かに二人を照らしていた。




