忘れものを届ける仕事
「ええっと……ここ、であってるよね……?」 私はバイト募集のチラシを両手で持って、目的の一軒家をきょろきょろと見上げた。
『スタッフ募集! 高時給、まかない付き。詳細はココまで♪』 何度も住所を確認して、間違いがないことを自分に言い聞かせる。
「よーし、問題なし。……あっ、でもその前に!」
インターホンを押す直前で、私は慌ててカバンからお気に入りの手鏡を取り出した。
鏡の中に映るのは、丁寧に整えられた自慢の銀髪。さらさらのショートカットは、今日も寝癖一つなくて完璧だ。お洋服も……うん、変なところはないかな。
「よし、大丈夫っ」
ふー、と小さく深呼吸して。勇気を出して、インターホンにそっと指を伸ばす。 ――ピンポーン……。
「……あれ? 留守なのかな?」
少し残念な気持ちと、なんだかホッとした気持ちが半分ずつ。
そう思って肩の力を抜いた瞬間、ガチャリと不意に扉が開いた。
「ひゃっ!?」
「あら、可愛い子ね」
扉から顔をのぞかせたのは、しっとりとした黒髪が綺麗な、モデルさんみたいに美人なお姉さんだった。
「ひゃわ……あ、あのっ!」
あまりの綺麗さに一瞬ぽーっとしてしまったけれど、私はぶんぶんと首を振る。
「私、テンコといいます! 駅の掲示板に貼ってあった募集の紙を見て、伺いましたっ」
緊張で胸がドキドキ鳴っているけれど、失礼のないように精一杯の元気な声でご挨拶。
「駅の掲示板? 募集……? なんのことかしら」 お姉さんは不思議そうに、少しだけ首をかしげた。
「ええっ!? で、でも、これですっ! この紙なんです!」
まさかの反応に、私はびっくりして持っていたチラシをお姉さんの目の前に「ほらっ」と差し出した。
「うーん、これ……。……そう、わかったわ。たぶん妹の仕業ね」 お姉さんはチラシをまじまじと見つめたあと、納得したように小さく頷いた。
「とりあえず、中に入って。妹を呼んでくるから、そこのお部屋のソファーにでも座って待っていてくれるかしら」 「は、はいっ。お邪魔します……!」
お姉さんに促されるまま、私は緊張でお辞儀を繰り返しながら、玄関をくぐった。 案内されたお部屋はとても広くて、私は圧倒されながらも、言われた通りソファーを探してきょろきょろと辺りを見回した。
「ええっと、ソファーに座っててって言われたけど……」 改めて室内を見渡して、私はちょっと首をかしげた。
なんだかこのお部屋、あっちにもこっちにも、いろんな場所にソファーが並んでる。
「ええっ、どこに座ればいいんだろ……」
うーん、とうなって悩むこと数十秒。 やっぱり、お姉さんが戻ってきた時にすぐ見つけてもらえる場所がいいよね。 そう決めた私は、入り口から入ってすぐ目に入る真正面のソファーを選んで、ちょこん、と腰を下ろした。
しばらくソファーでドキドキしながら待っていると、パタン、と扉が開いた。 現れたのは……さっきのお姉さんとは、また別の人。
同じように綺麗な黒髪だけど、その子は髪を短く切りそろえていた。 (わぁ……この子も、モデルさんみたいに可愛いなぁ……) なんて、うっとり見惚れていたら。
「あなたが、バイトの面接に来た子ね?」
凛とした声で問いかけられて、私は慌てて飛び起きた。
「ひゃいっ!」 ……あう、思いっきり噛んじゃった。 「わ、私、テンコと言い――」 自己紹介をしようとしたけれど、その子は私の言葉を遮るように手を振った。
「ええ、名前はいいわ。さっそくだけど、仕事の説明をするわ。歩きながらするから、……ついてきて」「えっ、あ、はいっ!」
その子はくるりと背を向けて、迷いのない足取りで廊下へ踏み出す。 私は置いていかれないように、慌ててその後ろを追いかけた。
廊下をてくてく歩きながら、私は前を歩く女の子の背中を追いかける。
「まず、私がやっていることには『素質』がいるの。だから、まずは試験みたいなことをするわ」
「しけん、ですか?」 私が聞き返すと、彼女は前を向いたまま淡々と答えた。
「ええ。前にお手伝いしてくれていた子が急に辞めちゃって、募集を出していたの。だから、ちょうどタイミングがよかったわ」 彼女は少しだけ声を落として、こう続けた。
「まあ、あなたに素質があったら、すぐに終わるはずよ」
(そしつ……試験……?) なんだか難しい話だなぁ、と私は首をかしげる。 よくわからないけれど、ここで「できません」なんて言ったら、せっかくのバイトがなくなっちゃうかも。
「……わかりましたっ。私、がんばります!」 私は元気よく返事をして、ギュッと拳を握った。
それにしても、なんだか長い廊下だなぁ。 (もう一分くらい、ずーっと歩いてる気がする……) 外から見たときは、そこまで大きなおうちには見えなかったんだけどな。
そんなことを不思議に思っていると、前を歩いていた黒髪の女の子がピタッと足を止めた。
「ここに入ってちょうだい」 彼女に促されて、私は目の前にある扉を見つめる。 いよいよ試験が始まるんだと思うと、心臓の音がさっきよりも少しだけ大きくなった。
部屋に入ると、目の前にどーんと大きな石(?)が鎮座していた。
「えっ、石……? これ、なんですか?」
思わず口をついて出た私の疑問に、女の子は淡々と答える。
「別に気にする必要はないわ。その石に、ただ触れてくれればいいの」
「わかりましたっ!」
私は元気よくお返事をして、その大きな石にそっと手を伸ばした。 ひんやりとした感触が指先に伝わった、その時。
「ああ、少しあなたの感情、切り取るわね」
「はい、わかりました……え?」 さらりと言われた言葉に、一瞬、思考が止まる。
「大丈夫よ。あとでちゃんと返すから」
「あ、そうなんですね、よかったぁ……。…………よかった? え、えええええええっ!?」
ようやく理解が追いついて、叫び声を上げた瞬間。 私の視界は、すとんと真っ暗になった。
ゆっくりと目を開けると、そこは一面のきれいな花畑だった。 柔らかな風がふわっと吹いて、とってもいい匂い。なんだか、ずっとここにいたくなるくらい居心地がいい。
「あれ……? 私、何してたんだっけ?」 さっきまでのことが、霧がかかったみたいにぼんやりしている。
ふと前を見ると、色とりどりの花に囲まれて、川の前で一人のおばあさんがちょこんと座っていた。 私に気づくと、おばあさんは優しく目を細めて口を開いた。
「あらあら……可愛らしい天使さんねぇ」
私はびっくりして、ぱたぱたと慌てて手を振る。
「ち、違います、違います! 私は天使じゃなくて、テンコですっ」
「あら、そうなの。うふふ、ごめんなさいね」
おばあちゃんは、お日様みたいな穏やかな笑顔で柔らかく笑った。
「おばあちゃんは、どうしてこんなところにいるんですか?」
私はおばあちゃんの隣まで歩み寄って、不思議に思って聞いてみた。こんなに綺麗な場所だけど、おばあちゃんが一人きりなのが気になったから。
「そうねぇ……。ちょっとだけ、忘れ物をしちゃってね」
おばあちゃんは困った風でもなく、のんびりと答える。
「わすれもの、ですか?」
私は首をちょこんと傾けて、おばあちゃんの顔を覗き込んだ。
「私ね、大好きだった人がいたの。ずっと、ずうっと一緒に暮らしていてね……。でもね、あんなに大好きだったはずなのに、どうしてもその人のことが思い出せなくて。どんな人だったか、どんなふうに笑う人だったかも、いまいち思い出せないのよ」
おばあちゃんは遠くを見るような目で、静かにそう語った。
「そう、だったんですね……」 胸の奥がぎゅっとなるようなお話に、私は悲しくなって俯きかける。けれど、すぐに顔を上げて、名案を思いついたように声を弾ませた。
「あっ、あのっ! 私、こう見えて絵を描くのが得意なんですよっ。えへへ、ちょっとだけ自信があるんです!」
私はおばあちゃんの顔を覗き込んで、力強く提案する。
「おばあちゃんが覚えていることをお話ししてくれませんか? 私がそれを絵にしてみます! そしたら、何かのきっかけで思い出せるかもしれないですよっ」
「そうかい?じゃあお願いしようかしらね」とおばあちゃんは答える
おばあちゃんのお話は、最初は途切れ途切れだったけれど。 「どんな髪型だったかしら」「そう、こんな風にかっこよくて……」 話しているうちに、霧が晴れるみたいに少しずつ、少しずつ具体的な思い出になっていった。
私はおばあちゃんの言葉をひとつも漏らさないようにうなずきながら、一生懸命に筆を走らせる。 (喜んでくれるといいな……ううん、絶対、思い出してほしい!) 心を込めて描き進めて――ようやく、一枚の絵が出来上がった。
「おばあちゃん、できましたっ!」
おばあちゃんはその絵を震える手で受け取ると、まじまじと見つめた。
「……っ、あ……ああ……」 声にならない声を漏らして、おばあちゃんの優しい瞳からぽろぽろと大きな涙が溢れ出した。
「あなた……あなたなのね……っ」
しばらくして、おばあちゃんはそっと涙を拭うと、穏やかな笑顔で私を見つめた。
「ありがとう、テンコちゃん」
「えへへ、どういたしましてっ。おばあちゃんに喜んでもらえて、私もすっごく嬉しいです!」
私は照れくさくて、えへへと鼻の下を人差し指でこすった。 すると、おばあちゃんは、遠慮がちに私に尋ねた。
「この絵……私が持っていってもいいかしら?」
「もちろんですっ! ぜひぜひ、おばあちゃんに持っていてほしいです!」
私は元気よく答えて、ぶんぶんと大きく頷いた。
「本当に、ありがとう」
おばあちゃんは愛おしそうに絵を抱きしめて、そっと私を見た。
「でも、テンコちゃん。あなたも何か、大切な用事があったんじゃないかしら?」
「え? 用事……?」
おばあちゃんの言葉に、私は首をかしげる。……用事、ようじ……あ。
「はっ! 私、バイトの試験中だったああああ!!」
思い出した瞬間、私は頭を抱えて叫んじゃった。大変、大変! こんなところでのんびりしてる場合じゃないよっ!
「うふふ、大丈夫よ、テンコちゃん。……もう、時間みたいね」
おばあちゃんが優しく微笑むと、私の視界はまた、すとんと真っ暗に染まっていく。
遠のいていく意識の中で、最後に、おばあちゃんの穏やかな声が聞こえた。
『私もこれで、あの人のところへ行けるわ。……ありがとう、テンコちゃん』
「……っ!」
ふっと意識が浮上した。 気づけば私は、さっきの部屋――あの大きな石の目の前に立ち尽くしていた。
「あれ……? ここ、は……えっと……?」
私は夢から覚めたばかりみたいに、ぱちぱちと瞬きをして辺りを見回した。
「試験は合格みたいね。あなた、かなりの素質があるみたいよ」
後ろから不意に声をかけられて、私は肩をびくんっと震わせた。 振り返ると、そこにはさっきの黒髪の女の子が、相変わらず涼しい顔をして立っていた。
「……ひゃい? ご、合格、ですか?」
まだ頭の中が花畑の余韻でふわふわしている私に、彼女は一歩近づいて、手に持っていたものを差し出した。
「はい、これ。……今日のお給料よ」
「えっ!? あ、ありがとうございますっ!」
私の手に押し付けられたのは、小さな紙袋。 受け取った瞬間、ずっしりとした重みが腕に伝わって、私は目を丸くして固まってしまった。
私がずっしり重い紙袋を抱えて固まっていると、背中をぽん、と押された。
「さあ、今日はもう帰りなさい。おつかれさま」
「ふぇ? あ、はい、お疲れさまでしたっ……!」
流れるような動作で玄関まで見送られ、私は扉の外へ。
(……なんだか、すごかったなぁ……) 夢見心地でおうちに帰ろうと歩き出した、その時。
「ねえ。……どうだった? 死神の仕事は」
背後からかけられた、涼しげな声。
「ふぇ……? しに……がみ……?」 私は間の抜けた声を漏らして、ゆっくりと振り返る。
扉に寄りかかった黒髪の女の子は、ふっと口角を上げて私を見つめていた。
「そう。あなたなら、大歓迎よ。仕事なら、山ほどあるから」
「え……ええええええええっ!?」
夕暮れの街に、私の叫び声が響き渡る。 高単価でまかない付き。……でも、そのバイトの正体は、まさかの「死神」のお手伝いだったみたいです――っ!




