07. 卒業
(大陸暦929年 —— モナ地方 —— アヴァニア)
光陰矢の如し。あれよあれよと言う間に、俺は4歳になった。
この一年、俺とセルレーンの「秘密教室」は飛躍的な進歩を遂げた。だが学べば学ぶほど、面白い事実に気づかされる。この世界の魔法教育は極めて「芸術的」だ。感性と、空想力に依存している。
セルレーンはこう教える。「流れを感じて。夢見るようにイメージするの」
対して、幼児の体に閉じ込められたエンジニアの俺はこう思う。「夢見事はいい。俺に必要なのはロジックだ。物理法則だ」
典型的な例が『バブル(水泡)』の魔法だ。 セルレーンは夏の昼寝のような軽やかさをイメージしろと言う。俺は彼女を喜ばせるために頷くが、脳内で描いている設計図はまるで違う。
表面張力(Surface Tension)と気圧(Air Pressure)。水分子の結合を調整し、ゴムのように強靭な水膜を作り出すのだ。
そして、その理論を実践する機会は予想より早く訪れた。
「きゃあああ! お皿がぁぁ!!」
廊下からサリナの悲鳴が響く。彼女はまた何もない場所でつまずくという特殊能力を発動し、ティーセットを乗せた盆を空高く放り投げたのだ。 近くを散歩していた俺は、即座に反応した。
「バブル!」
指を鳴らす。炊飯器ほどの大きさの透明な水泡が射出され、自由落下する高価な磁器のティーポットを空中で包み込んだ。
ボヨン。
ポットは水泡の中に取り込まれ、スプリングマットの上のように柔らかく弾んだ。傷一つない。
サリナは腰を抜かし、宙に浮くティーポットを丸い目で見つめている。 「ぼ、坊ちゃんが助けてくれたんですか!」 彼女は涙と鼻水を流しながら俺に抱きついた。 「これを割ったら、エイリア様に死ぬまで給料天引きされるところでしたぁ!」
俺は彼女の背中をポンポンと叩いて慰めつつ(少しだけその柔らかさを堪能しつつ)、庭にいる、より興味深い「ターゲット」に視線を移した。 ベルだ。あの怠惰なエルフがオークの枝の上で居眠りをしている。口を大きく開け、涎を垂らしながら。
俺はニヤリと笑う。材料強度実験の開始だ。
こっそりと接近し、巨大な『バブル』を生成してベルを包み込む。 ボフッ。 ベルは見事に空中に浮遊する水泡の中に捕獲された。だが俺が通気孔を残し、気圧を調整したおかげで、彼女は……まだ爆睡している!
その日の午後、屋敷の使用人たちは奇妙な光景を目撃することになった。水泡の中に囚われ、巨大クラゲのように空中を漂いながら眠り続けるエルフの姿を。
だが、水風船遊びばかりではない。 モナ地方に灼熱の夏が到来すると、俺は新たな解決策を求められた。すなわち、『ミスト(霧)』だ。
セルレーンは空気を冷やすためにこの魔法を教え、「雲を招くように」と言った。だが俺にとっては、蒸発・凝縮・光散乱の方程式だ。
水粒子をマイクロメートル単位の微細噴霧に分解し、完璧な視覚遮断スクリーンを作り出す。そして程なくして、このスキルは「マッド・ドクター」という脅威から俺の小さな命を救う切り札となった。
「ヒヒヒキ……可愛いモルモットちゃん、どこに隠れたのかなぁ? 超強力育毛剤が調合できたんだけど、試してみないかい?」
鉢植えの影に隠れている俺の耳に、セラの悪夢のような声が廊下の端から響く。足音が近づく。逃げ場はない。
「ミスト!」
俺は掌に圧縮した大量の水蒸気を解放する。瞬く間に、廊下全体が濃密な乳白色の霧に包まれた。視界はゼロだ。
「おや? 屋内で霧かい?」セラの足が止まる。
光の乱反射で彼女が方向感覚を失った隙に、俺は足にマナを込めて彼女のすぐ脇をすり抜け、脱出した。それ以来、『ミスト』は俺の生存スキルNo.1となった。
『ミスト』が「逃走」のためのスキルなら、次の魔法は俺の有用性を周囲に知らしめ、点数を稼ぐためのものだ。 『レイン・コーリング(雨乞い)』だ。
これは熱力学と大気対流の原理に基づいた、俺の自信作だ。
ある日、ポンプが故障し、広大な菜園にバケツで水を運ぶマリーが汗だくになっているのを見た。
「マリーおねえちゃん、てつだう!」と俺は駆け寄った。
「ダメですよ坊ちゃん、重すぎて持てませんって」マリーが額の汗を拭い、肩で息をする。
俺は目を細めて笑う。「誰がバケツを持つって言った?」
俺は畑の真ん中に立ち、空へ手を掲げる。脳内でコマンドが走る。 地表空気の加熱。上昇気流の生成。高度10メートルでの露点到達および凝結核の活性化。
「レイン・コーリング!」
畑の真上だけに黒雲が凝集する。湿度が上がる。そして……ザーッ! 涼やかな雨が降り注いだ。驚くべきことに、雨はマリーの畑の範囲内だけに降り、俺たちが立っている場所は乾いたままだった。
マリーは口をあんぐりと開け、手からバケツを取り落とした。
「坊ちゃん……どこの神様の生まれ変わりですか?」
俺は顔についた雨粒を拭い、ニカッと笑う。 物理学だよ、先生。ニュートンと熱力学の法則が、この魔法世界に敬意を表しているんだ。
遠くでは、俺がマイクロ気候を完璧に制御する様子をセルレーンが見ていた。彼女は驚きを隠せない様子だった。そしてその瞬間、彼女は俺の卒業を決めたのだ。
***
週末の夕食後、セルレーンが突然立ち上がった。パンパンと手を叩き、全員の注目を集める。
「皆さん、少しお時間をください! 今夜は特別な発表があります!」
お茶を飲んでいたエイリアが訝しげに眉を上げたが、カップを置いた。マリーとサリナはワクワクしてひそひそ話をしている。セラは怪しい紫色の液体をかき混ぜる手を止め、赤い瞳を向けた。部屋の隅でパンを枕に寝ていたベルでさえ、マリーに肘でつつかれて目を覚ました。
セルレーンは暖炉の前に進み出ると、ポケットから赤いリボンで結ばれた羊皮紙の巻物を恭しく取り出した。
「一年間の絶え間ない努力を経て」セルレーンが誇らしげに宣言する。「本日、エクリプス・レイナー様が基礎訓練を優秀な成績で修了し、『見習い魔導師』の称号を獲得したことを正式に認定します!」
部屋中がどよめき、爆竹のような拍手が巻き起こった。
「やったー! 坊ちゃんすごーい!」マリーが一番大きな声で叫び、花瓶を倒しかける。「天才だ!」
「お、おめでとうございます……坊ちゃん……」サリナが目をキラキラさせて呟く。
「ヒヒヒキ……モルモットちゃんも成長が早いねぇ」セラが白い犬歯を見せて笑う。
セルレーンが歩み寄り、俺に巻物を手渡し、胸に小さな銅のバッジをつけてくれた。開いた本の下に小さな星が刻まれたデザインだ。
俺は認定証(実際はセルレーンの手描きだ。線は少し歪んでいるが、とても可愛い)を受け取り、言葉にできない感情がこみ上げるのを感じた。
見習い魔導師。
これで正式に魔法使いの仲間入りか。もうただの水遊びをする子供じゃない。
俺は胸の「勲章」を見下ろす。少しくすんでいて小さい。魔力なんて微塵も込められていないが、これは俺の努力の結晶だ。
「アプレンティス……」俺は呟き、冷たい金属の縁を指でなぞる。「ねえセレーン、これって……なんばんめ? いちばんすごいの?」
セルレーンは笑って、俺の額を軽く小突いた。 「欲張りさんですね。これはまだスタートラインですよ」
彼女は細い指を開いて数え始めた。
「今は最初の一歩、『見習い(アプレンティス)』です。四つの基本元素を自在に操り、実戦能力を持てば『熟練者』になれます」
「そのあとは?」
「その次は『上級』。そして今の私と同じ『達人』」セルレーンは少し誇らしげに胸を張った(そのせいで俺の集中力が少し削がれた)。「さらにその上が、エイリア姉様のような『大宗師』です」
俺はツバを飲み込み、エイリアを盗み見る。彼女は平然とお茶を飲んでいるが、放っているオーラはまさに氷山そのものだ。
「じゃあ……おばあちゃんは? この階段のどこにいるの?」
部屋の空気が一瞬にして沈んだ。セルレーンの笑顔が消え、絶対的な畏敬の念に変わる。
「お祖母様はそのような階段にはいませんよ、リプス。『至高者』。それは通常の理が意味をなさない領域。国家のパワーバランスを左右する戦略兵器そのものです」
「ヒヒヒキ……」
セラの不気味な笑い声が、俺の感嘆を切り裂いた。彼女は紫色の液体が入ったグラスを揺らしながら、赤い瞳を皮肉げに細めている。
「坊やを怖がらせちゃダメだよ、セルレーン姉さん。『至高者』が終着点ってわけじゃないだろう?」
俺はバッとセラを向いた。「まだ上が、あるの?」
セラはテーブルに身を乗り出し、顔を近づけてきた。消毒液とライラックの強い香りが鼻をつく。彼女は真夜中の怪談を語るように囁いた。
「『神域』。神の御業に触れた者たちの領域さ。だがね……」
彼女は口角を吊り上げ、鋭い牙を覗かせた。
「……この世界の血塗られた5000年の歴史の中で、そこに到達した狂人はたった3人しか記録されていない。そして彼らの末路は……チッチッチ、あまり綺麗なもんじゃないよ」
彼女は鋭く長い爪で、俺の胸の銅バッジをコツコツと叩いた。
「4人目になりたいのかい、モルモットちゃん? 道のりは遠いよ。途中で野垂れ死なないように気をつけな」
セラの言葉に背筋が凍る。ディヴァイン……神の領域……。
だが奇妙なことに、恐怖の代わりに、狂おしいほどの野心が胸の奥で燃え上がった。前世では一度も感じたことのない高揚感だ。
アプレンティス……アデプト……アドバンスド……マスター……グランドマスター……スプリーム……ディヴァイン。
7つの階梯。
俺は自分の小さな手を見る。俺は今、最下層に立ち、永遠の雲に覆われた頂を見上げている。 その距離は万里。一生かかっても、いや十回生まれ変わっても届かないかもしれない。
だが、21世紀の頭脳があれば? この世界がまだ知らない物理学、化学、数学という知識の宝庫があれば……誰が登れないと言い切れる?
「ありがとう! ぼく、もっとがんばる!」
俺は顔を上げ、認定証を高く掲げ、瞳の奥で津波のように渦巻く野心を隠すために満面の笑みを浮かべた。
「よくやった」
テーブルの端から冷徹な声が響いた。エイリアがカップを置く。カチャリという小さな音が、重く響いて部屋を静まらせた。
「師匠も喜ぶだろう」
それは「氷の女王」の口から出た、稀に見る称賛の言葉だった。
俺はエイリアを見、それからセルレーン、マリー、サリナを見た。俺はこの広大な砂漠の一粒の砂に過ぎない。だがこの砂粒は、エンジニアの頭脳を持っている。
待っていろ、魔法世界。このアプレンティス・ランクVが、「科学」という名の力がどういうものか見せつけてやる。
(前世でもう少し核物理学を勉強しておけばよかったな。惜しい。まあ、熱力学で代用するか)
「さあ! ケーキ入刀ですよ!」
マリーが巨大なイチゴのショートケーキを運び込み、厳粛な空気を吹き飛ばした。
その夜は笑い声と甘い香りに包まれた。 階級だの、ディヴァインだのスプリームだのという計算は一時棚上げだ。なぜなら現在、この見習い魔導師の最重要任務は……ケーキの皿が置かれた瞬間に奇跡的に覚醒したベルから、一番大きなイチゴを死守することなのだから。




