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今日も魔王は珈琲を淹れる  作者: 秋乃 よなが


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第十三話 さよならとおかえり


 柔らかな陽射しが徐々に強くなり始めた頃、そのときは訪れた。


 今日も喫茶セピアには穏やかな空気が流れ、珈琲の香りと静かなジャズが調和していた。リヴィアスはカウンターの片隅に座り、手にしたカップの縁をゆっくり指先でなぞっていた。


 今日は、彼にとって最後の一日だった。魂としての存在が終わりを告げる日。


 常連客たちは変わらず店を訪れ、顔なじみの笑顔と温かな会話でセピアの日常を彩っている。誰もがリヴィアスに気づかぬまま――彼がいたことさえも覚えていないように、各々の時間を楽しんでいる。唯一、葵だけが彼を認識できる空間で、彼は静かにその中に溶け込んでいた。


 閉店後、葵と二人きりになった店内は、昼間とは違った静けさに包まれていた。キャンドルの灯りが揺れ、リヴィアスの瞳に微かな光を映す。


 その場に音もなく現れたのは、ハットを被りスーツを着た初老の男性――成仏案内人だった。彼の背筋は凛としていて、不思議な安心感をもたらす存在感があった。そして前回訪れたときは『予告』だったが、今度はリヴィアスを連れ帰りに来たのだ。


「――心の準備はできたかい?」


「……少し待ってくれ。最後に葵と話がしたい」


 リヴィアスは葵と向かい合う。その瞳には、少し緊張がはらんでいた。


「…葵、お前に出会えて、俺は…」


 リヴィアスは言葉を詰まらせ、少し笑いを漏らす。


「ああ、くそ。なんだこの気持ちは、」


 そんなリヴィアスの様子に、葵はそっと彼の手を取った。その手の温もりが、心の奥に染み入るようだった。リヴィアスの震える指先に、葵は優しく触れ続けた。


「リヴィのこと、絶対に忘れません。どこにいても、ずっと心にいます」


 リヴィアスの瞳が揺らぐ。その揺らぎは、彼の長い旅路の終わりと、新しい始まりの予兆だった。


「――ありがとう、葵。ここに来られて、葵と出会えて、良かった」


「はい、私も。リヴィと出会えて本当に良かったです」


 静かに息を吐き、リヴィアスはゆっくりと目を閉じた。繋いでいた彼の手が、淡くなっていく。キャンドルの灯りの中で、彼の魂は光に包まれて静かに消えていった。


 その瞬間、葵の瞳から涙が零れ、頬を伝い静かに落ちていく。声を殺して嗚咽を堪えながら、リヴィアスの名残りを慈しむようにその場を見つめた。


「……ありがとう、葵くん。彼は今、成仏したよ」


「っ、」


 成仏案内人の言葉に、葵は息を詰め、震える唇を噛みしめた。リヴィアスの前では泣かないようにしていた。笑って見送りたいから。本当はすごく寂しかったけれど、決して言葉にはしなかった。未練なく成仏してほしいから。


「大丈夫。君たちの縁は繋がった。また会えるよ」


 そう言い残し、成仏案内人もまた静かに消えていく。葵はただ、誰もいない店内で、声を殺して泣いた。


***


 陽光の暑さが和らぎ、夜風が涼しくなった頃。喫茶セピアの朝に、新しい風が吹き込んでいた。


 ドアベルが軽やかに鳴り、初々しい青年が店内へと足を踏み入れる。


「――あの、アルバイトを募集していると、チラシを見たんですが…」


 歳は高校生くらいだろうか。黒髪に涼やかな切れ長の目が印象的だった。


「喫茶業務は未経験ですが、珈琲にはずっと興味があって…」


 青年の瞳はどこか懐かしく、見覚えのある温かみを宿している。そしてまるでどこか遠い記憶を呼び覚ますような、深い色を湛えていた。


 葵は驚きの表情を隠せなかったが、すぐに微笑みを浮かべて言った。


「いらっしゃいませ。ようこそ、喫茶セピアへ」


 店内には珈琲の香りが満ち、新たな季節の幕開けを告げるように、穏やかな光が差し込んでいた。青年の姿は、過去と未来を繋ぐ架け橋のように、静かにそして力強くこの場所に溶け込んでいた。


 葵はそんな彼を見つめながら、心の中で小さく呟いた。


 ――おかえりなさい。


 喫茶セピアには、これからも続く物語の息吹が確かにあった。


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― 新着の感想 ―
 ふと見つけたので読み始め、途中でコーヒーを淹れて続きを読み始めました。  勇者に討たれた魔王が喫茶店で情緒を構成する……どんなストーリーかと思って読めば、文字通り、コーヒーが心に染み渡るような暖かく…
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